第二十五話
遅くなってすいません。
可憐が4年に進級し、数ヶ月が経過した頃のことである。
清太郎は、忙しなくリビングを行ったり来たりしていた。
視界の端でゴソゴソ動く清太郎を、鬱陶しく思いながら、今日も今日とて読書に打ち込んでいた。
鬱陶しいなら、文句を言えばいいものであるが、落ち着かない気持ちも分からなくはないので、強くは言えないのだ。
(だって、今日はお母様が帰ってくる日だもんね...)
そう。
以前に言っていた手術が終わり、術後の経過も申し分なかったため、詩織は遂に念願の退院を果たしたのだ。
そして今日、家に帰ってくることになっている。
本来であれば、親子揃って迎えに行くのが道理だが、詩織が「家で迎えてほしい」と言うので、家で待つことになった。
「...まだかな、まだかな。遅すぎるんじゃない?迎えにやった奴は一体どこで道草を食っているんだか...」
(...お、お父様がイライラしてる!?)
普段温厚な父のいつもと違う姿に、可憐は驚く。
爪を噛み、さっきまでよりも、歩みの速度が上がっている。
「落ち着いてくださいませ。ついさっき出たところではありませんか」
そう、ほんの5分前に出たところなのだ。
どれだけ飛ばしても、不可能なことは不可能なのだ。
こんなことで怒られるなど、理不尽極まりない。
「可憐が冷たい...」
「冷たくなんてありませんわ。私は事実を述べているだけです。気長に待ちましょう」
項垂れる清太郎を横目に、可憐は読書を再開した。
「詩織ちゃん、お帰りなさい!」
「ただいま戻りました、清太郎さん」
しばらくし、詩織が帰宅した。
帰って来てものの数分としないうちに、玄関はハートで埋め尽くされた。
(何なの、この空間...)
甘々の空気に当てられ、可憐は挨拶の言葉すら言うことができず、立ち尽くす。
「ただいま、可憐ちゃん」
詩織は可憐に目を向け、少し頬を赤らめる。
「お帰りなさいませ、お母様」
可憐はようやく、その言葉を発することができた。
(何か、どっと疲れた...)
ほんの数分で、こうも激しい胸焼けを起こすのに、これから毎日この光景が繰り広げられるのか、と思うと可憐は先行きに不安しか感じなかった。
「詩織さん、退院おめでとうございます!」
詩織の周りを、パリッとしたスーツを着た男性や、色とりどりのドレスを着た女性が取り囲む。
『せっかく詩織ちゃんが退院できたんだから、パーティーの1つや2つくらいしないとね』という清太郎の言葉により、お祝いのパーティーが開かれた。
しかし、詩織に無理をかけてはいけないということで、内々のごく小規模で行われた。
招待客は、清太郎と詩織の親戚及びごく親しい友人のみである。
(そんなに人居ないし、気楽で良いよね)
可憐はそう思いながら、料理に舌鼓を打つ。
今回の主人公は詩織であるため、自身に視線が集まらないし、普通のパーティーだと、何を食べたかなどを観察する様な人も居るから、気が抜けない。
可憐にとって今回のイベントは好都合以外の何物でもない。
(人目を気にせずに食べれるって最高だわ)
皿に乗っているケーキを眺め、可憐は思わずにやける。
その時、またいつもの如く、背後から呆れた様な声が聞こえた。
「一体、どれだけ食べるんだ...」
「これでもう4皿目じゃない?」
(失礼な)
ここまでくると、振り返らずとも誰だか分かるのが憎い。
可憐は余所行きの表情を作り、後ろを振り返る。
「ご機嫌よう、真也様、有栖川様。今日はお母様の為のパーティーに参加してくださって、ありがとうございます。食べ物が残ったらそれこそ食材提供をしてくださった農家の皆様や、調理をしてくださったシェフにも申し訳有りませんから、私が食べようと思っただけですわ」
スラスラと流れる様に発せられる。
まさに、日頃の猫被りの賜物である。
「食べたいだけだよね?」
「そうとも言いますわね」
悠貴の言葉を可憐は潔く認める。
「あんまり食べ過ぎると、身体に悪いぞ」
「本当にね」
真也と悠貴が口々に"食べ過ぎが引き起こす身体への悪影響"を挙げる。
さすがにバツが悪くなった可憐は、話題を変えることにした。
「私の食生活に関しては、放っておいてくださいませ!それよりも、私に用があったのではありませんの?」
こっちに着たんだから、何か用ぐらいあるんでしょう、という視線を2人に投げかける。
すると、悠貴は真也に視線を向けた。
「何だったっけ?」
悠貴は真也の方を見て、首をかしげる。
「今度の学校行事の話だろう?」
「ああ、そうだったね」
(今度の学校行事?)
そんなのあったっけ、と可憐は記憶を辿る。
(もしかして...)
「夏休み前の林間学校のことですか?」
思い当たる節があり、可憐は尋ねた。
「そうだ」
林間学校といえば、桜ノ園学園初等部の看板イベントの1つだ。
テント設営に、飯盒炊爨、キャンプファイヤーを含んだ、3泊4日の小旅行だ。
このイベントには、集団生活に慣れさすため、および、普段他人に任せきりにしている子息令嬢を鍛え直すためという2つの目的がある。
しかし、親はもちろん子にも、「我々は選ばれし人間なのだから、そんな野蛮な事はする必要がない」と考える者も少なくなく、乗り気な人は珍しい。
言わずもがな、小説の西園寺可憐もそちら側であった。
(何で私がそんな事を...って言ってたなぁ)
小説での発言を思い出し、可憐は思わず苦笑いをする。
実際、可憐はかなり楽しみにしているのだ。
「林間学校がどうかしたんですの?」
その林間学校に何か起こったのか、と可憐は前のめりになって聞く。
「...班はクラスを問わず自由だっただろう?」
「確か、そうでしたわね」
思わぬ返しに、可憐は混乱した。
(何かあったわけじゃないのか...?中止とか延期とかではなさそうだし)
ホッとしつつも、不安を拭い去れないままだ。
「...それでだな」
そう言って真也は口をもごもごさせる。
(早く言えよ!まだデザートを食べてないんだから!)
可憐はちらりと料理の皿を見る。
どうにも、今日はケーキの減りが早い。
「真也、西園寺さんさっきからケーキのことが気になるみたいだけど?」
そんな可憐の様子を見て、悠貴は言う。
「そうなのか、可憐?」
真也は少し驚いた顔をする。
(何でバレてんのよ!)
バレないように、凝視はしないようにしていたのに、と可憐は首をかしげる。
「そんなにチラチラ見てたら、みんな気がつくと思うけどね」
可憐の心を読んだかのような言葉を発する。
可憐は思わず、悠貴を睨みつける。
「西園寺さん、怖いよ?」
可憐に睨まれているにもかかわらず、悠貴は楽しそうに笑う。
「睨まれて喜ぶなんて、随分と変わった趣味をお持ちなんですね」
「喜んでるわけじゃないよ。楽しんでるんだ」
(どっちにしろ、他人に睨まれてニコニコしてることに変わりないな)
やっぱり苦手だわ、と可憐は心の中で思う。
「そんなに食べたいなら、無くなる前に取ってきたらどうだ?」
可憐のあまりの扱いを可哀想に思ったのか、真也はそう提案した。
(貴方が神か!?)
可憐は目を輝かせる。
「ちょっと、真也!」
悠貴が真也の口を塞ぐ。
「ゆうひ、なにをふる!」
「さっき、あんだけ食べたんだよ!これ以上食べたら身体に悪いから」
よくよく考えてよ、と悠貴は真也に訴える。
「有栖川様、食物に対する愛より誠実な愛はないんですのよ」
可憐の前世からのモットーである。
悠貴はその言葉を聞き、呆れたような顔をした。
「...分かった、分かった。食べればいいよ」
でも、今日だけだからね、と悠貴が念を押して言う。
「その代わり、戻ってきたら真也のお願いを聞いてあげてよ」
可憐にだけ聞こえるよう、小声で言う。
「もちろんです!」
気合い十分の返事をして、可憐は小走りで料理を取りに行った。
この時、悠貴が考えていたことに1ミリも気づかずに...。
しばらくして、嬉々とした顔の可憐が戻ってきた。
「これまた随分と取ったね...」
さらにこんもりと、それでいて綺麗に盛り付けられたケーキ達を見て、真也と悠貴は驚く。
「どれも美味しそうだったので...」
全く悪びれる様子すらなく、可憐は片手に皿、もう片方にフォークを持ち、ケーキを平らげていく。
「...早くないか?」
「...早いね」
ものの十分もしないうちに、可憐は皿を開けた。
「ごちそうさまでした」
満足したと言わんばかりの顔で、可憐は皿を返す。
「じゃあ、西園寺さんが食べ終わったことだし、話を戻そうか」
悠貴がそう言い、真也が頷く。
(えっと...確か林間学校の話だったよね)
言いたい事、というのが可憐には全く見当もつかず、小首を傾げる。
「その...俺と同じ班にならないか?」
(...それか!)
思い付かなかったものの、あまりにすんなりと納得できた。
(よし、断ろう!)
納得はしたものの、一緒の班は断固拒否だ。
「申し訳ないのですが...」
可憐がそこまで言ったところで悠貴がボソッと、可憐にだけ聞こえる声で口を挟む。
「ケーキを食べるときにした約束」
そう言われ、可憐は思い出した。
(お願いを聞くってこう言うことか!)
ぐぐぐっと可憐は奥歯を噛みしめる。
「...そうですね。同じ班になりましょう」
約束を反故にはできず、嫌々ながらもそう呟く。
飴と鞭とはまさにこのことだ、と可憐はがっくりとうな垂れた。
ありがとうございました。




