5人で冒険に出よう!
中條さんがフィール先輩に魔法でボッコボコにされているのを尻目に、俺は館の中に戻った。やっておきたいことがあったから。それは、俺が3人の勇者と旅立った時に、終えることができなかった、宿題のようなもの。
館の食堂に足を踏み入れると、すぐにリリーさんの姿が目に入った。大きな鍋がコンロの上で煮立ち、スープの香りが広がっている。彼女は忙しそうに動き回っていたが、俺に気づくやいなや、手にしていたお玉を置いてタタタッと駆け寄ってきた。
彼女が胸元から差し出したのは、「漢字ドリル」と書かれた冊子と、びっしり文字が並んだ書き取り帳だった。表紙には少し折れた跡があり、相当使い込まれているのがわかる。
「見てほしい」
「あ、ありがとうございます。でも……」
俺は言葉に詰まった。
……彼女に伝えなければならないことがあった。この館を出て、勇者たちと旅に出ること。それを話すべきだと思ったけれど、彼女の期待に満ちた目を前にすると、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。
「実は、私、また旅に――」
言いかけた瞬間、リリーさんの目が大きく見開かれた。彼女の手から漢字ドリルがポトリと落ちる音が食堂に響く。
「旅に……行くの?」
その言葉には明らかなショックが滲んでいた。リリーさんは俯き、何かを呟いたかと思うと、無言のまま食堂の奥へ消えていった。俺はその場で立ち尽くす。目の前に落ちたドリルと書き取り帳が、彼女の失望を象徴しているように思えた。
しかし数分後、リリーさんは戻ってきた。今度は腕いっぱいに、さらにたくさんの練習帳を抱えていた。彼女はそれを食堂のテーブルにドサリと置き、じっと俺を見つめる。
「まだ、終わってない」
そう言う彼女の声は小さいけれど、決意が込められていた。
その言葉を聞いて、俺は喉の奥が詰まったような感覚を覚えた。リリーさんの日本語の勉強は、お姉さんが途中で放り出したものだ。それを俺は怒ったことがある。リリーさんが、あんなにも真剣に学ぼうとしているのに、どうして途中で見捨てるのか、と。
その俺が、今、リリーさんに「もう一緒にできない」と言うのか?
彼女はじっと俺を見つめている。その無表情な瞳の奥に、言葉にできない不安が揺れているのがわかった。……よし。できるだけのことは、やってみよう。
俺は、言いかけていた言葉を飲み込み、代わりの言葉を口にした。
「リリーさん、ちょっと待っててくれますか」
「あ、いたいた。お姉さん、ちょっと相談があります。……今って小説とか読んでないですよね?」
「暇を持て余しているところだよ。吾輩勇者が手も足も出ないのは面白かったが、ああも一辺倒だとねえ。戦いのときのフィールにはどうも遊び心が足りない」
お姉さんは、書斎の窓から庭を見下ろし、つまらなさそうにこぼした。そして、俺の方を振り向き、かすかに笑みを浮かべる。
「ということで、サヤちゃんが面白い話を持ってきたなら、聞いてあげよう」
「リリーさんを連れていきたいんですが、いいですか?」
「今の君だと無理かな」
少々意外な答えが返ってきた。駄目とかじゃないんだ。今の俺だと、無理……? どういうことだ?
「簡単だよ。RPGで言うなら、レベルが足りない。今の君は、ポケモンで言うとコイキング程度の強さなんだが、せめて進化してもらわないとね」
「そりゃ進化先があるなら頑張れますけども」
すると、お姉さんは事も無げに続けた。
「君の進化先は私だよ」
「え゛」
「なんだねその嫌そうな声は」
……はっ。あまりに意味が分からないことを言われて、ちょっと意識が飛んでいたらしい。白昼夢のごとく浮かんだのは、進化しようとしたサヤちゃんをBボタン連打でとどめようとする俺、というよくわからないイメージだった。……え? 俺、進化したらお姉さんになるの?
「えー、ともかく、リリーさんを連れていけないことは理解しました。その代わりに、お願いがあります。これがお代です」
俺は懐から革袋を取り出した。そこには、この前お姉さんがくれたボーナスが全額入っている。お姉さんは興味深そうに俺の手元をのぞき込んできた。
「なになに? それで私に、何をさせようっての?」
「これで――――」
館での出来事を思い返しながら、俺は、遠くに広がる地平線をぼんやりと眺めていた。乾いた土埃が舞い上がり、空にはいくつもの白い雲が浮かんでいる。日差しがじりじりと肌を焼くようで、時折吹く風が唯一の救いだ。そして俺の目の前には、健斗君の大きな背中がある。
「また背負ってもらってごめんね……」
「いいって。だって普通に歩いてたらいつまで経っても着かねーし。お前、歩くの亀よりトロいからな」
……一瞬だけ、また上半身くっつけてみようかな、という気持ちがむらむらと湧いてきた。しかしなんとか自重する。いかんいかん。もし健斗君に運んでもらえなくなったら、残りは中條さんか友希さんである。友希さんには純粋に申し訳ないし、中條さんは悪ふざけをしたら殺される気がする。……いや、少しくらい、いいのでは……? よし、やってみますか。それ、3、2、1……!
「おい。もし前みたいな事したら、道に放り投げるからな」
……心を読むな!
その中條さんは、イライラした顔で、後ろの方角を時折振り返っている。もう館を出てから3時間くらいは経つのに、まだ怒ってるらしい。なんだかぶつぶつ言ってるので、耳を澄ませてみた。
「幽霊を消し去る魔法を開発して奴をこの世から消してやる……」
……うん。しばらくそっとしておこう。
俺は隣を歩く友希さんに向かって話しかけることとした。友希さんは何やら鼻歌を歌いながら、中條さんと打って変わって機嫌の良さそうな笑顔を浮かべている。ただ、こちらもハモさんにスパルタ的なご指導を叩き込まれたはずなので、その笑顔はちょっと怖かった。
「げ、元気ですね」
「なんかね、西の海から戻ったら、あの2人が歌を教えてくれるんだって」
そういやそんな約束してたな。廊下で歌ってた2人の歌が友希さんは気に入ったらしい。確かにフィール先輩の透き通るような高音と、ハモさんの深い森の奥底から響いてくるようなバリトンはなんだか完成度高かったけど。友希さんは歌が好きなのかな?
すると、友希さんは拳を握り締め、力説してくれた。歌が上手くなりたいの!! 歌が好きだから! でも習いに行ってもなんだかしっくり来ないの! ということらしい。その後、るーるるーと歌ってくれた友希さんだったけれど、確かにあまり上手ではない気がした。
「ねえ、サヤちゃん、わたしの歌どうだった?」
「私、音楽とかよくわからなくて……健斗君は今の歌どうだった?」
「えっそこで俺様に振る……?」
背負われていると揺れが心地よく、うとうとしてしまいそうになる。けれど、前から聞こえる健斗君の声が、それを許してくれない。
「おい、見ろよ! あの木、ぐにゃぐにゃじゃねぇか!」
荒野に続く道の脇には、奇妙な木々が並んでいた。幹はねじれ、枝がくねくねと曲がっている。葉は銀色に光り、風が吹くたびにサラサラと金属のような音を立てていた。
「これ、どうなってるんだよ? おい、お前知ってるか?」
健斗君が訊ねてくるが、俺は言葉に詰まった。
「えっと……正直に言うと、分かんない……」
通訳として連れてこられたものの、この世界そのものについて詳しいわけではない。館の外に出るのもほぼ初めての俺は、彼らと同じように初めて見るものだらけだ。
由希さんが、興奮気味に明るい声を上げた。
「でも、すっごい綺麗だよね! あの木、風で動いてるみたい!」
少し進むと、道端に小さな池が現れた。水面が七色に輝き、淡い蒸気が漂っている。
「おいおい、何だこれ。水が光ってるぞ!」
健斗君が一目散に走り寄る。俺は運んでもらっている立場とはいえ、やりたい放題である。
「虹色の池……?」
俺も肩越しに覗き込んでみたが、何が原因でこんな色をしているのか全く分からない。
中條さんも池の前に立って覗き込み、眉間に皺を寄せてつぶやいた。
「何か鉱物が反射しているのか、それとも魔法的な何かか……」
「……でも、見てるだけで楽しいですよね!」
友希さんが笑顔を浮かべて言う。彼女の無邪気な様子に、みんながそれもそうか、みたいな顔を浮かべた。ああよかった。俺だけだと、このパーティーはもっと重い雰囲気になっていただろう。
柔らかい草に覆われた坂道を、足早に健斗君は歩いていく。足元には砂利が混じり、時折、石を踏む音が響く。風が草原を撫で、さわさわと心地よい音を立てていた。後ろを振り返ってみると、既に結構な距離を登ってきていた。丘になっているらしい。3人ともとんでもないスピードで移動しているので、そろそろ港町に着くはずなのだが……。
丘の頂上が近づいてくると、潮風の匂いが微かに混ざり始めた。それに気づいた俺は、胸の中に小さな期待が湧いてくるのを感じる。
「……もうすぐだね」
俺がそう呟くと、健斗君が肩越しにこちらを振り返る。
「軽いんだから、黙ってろよ」
「そういうのって普通「重いんだから」とか言わない……?」
そして、彼が頂上への最後の一歩を踏み出すと、風景が一変した。
丘を登りきった瞬間、俺たちの目の前に広がったのは、目を見張るような青だった。
「……海だ」
目の前には、どこまでも続く青い大海原が広がっていた。水平線は空と溶け合い、波がキラキラと輝いている。その眩しさに一瞬俺は目を細めた。潮風が吹き抜け、俺のミルクティー色の髪が軽く揺れる。鼻先には、ほんのりと塩の匂いが混じった空気が届いた。その風は湿り気を含みながらも心地よく、肌を優しく撫でていく。
「すっげぇ……!」
健斗君の声が驚きに染まる。彼の言葉に同意しつつ、俺はその背中越しに広がる景色に見入った。潮風が心地よく、遠くの港には大きな船が停泊しているのが見えた。砂浜には細い柱が並び、それを結ぶような送電線のような謎の構造物がいくつも立っている。不思議な光景に思わず息を呑む。
「これが異世界の海なんだね! すっごく綺麗!」
友希さんが嬉しそうに声を上げ、中條さんは「風が強すぎるな」と不満げに眼鏡を直す。
「あの砂浜の送電線みたいなやつってなんだ?」
「さあ……?」
「通訳なのに、さっきから何にも知らねーじゃん……」
「通訳ってガイドじゃないからね? ……あ、そうだ」
俺は、背負ったリュックの中から、ごそごそとあるものを取り出した。……鏡だ。俺が以前お姉さんから貰ったのより、一回り小さい。大き目のタブレットくらいの大きさのそれを、俺はコンコンと叩いた。すると、鏡に映っていた俺の顔が揺らめく。
そして、一瞬後。そこにはリリーさんの顔が映っていた。これが、お姉さんに俺が頼んだものだった。つまり、リリーさんを館から連れていけないなら、通信手段があればいいのだ。俺の提案を聞いた時の、お姉さんの呆れ顔が思い浮かぶ。
どうやら館の自室にいるらしく、リリーさんの後ろにはぐっちゃぐちゃに積まれた大量の本が映っていた。あ、でも前より本は減ってる気がする。
『どうしたの?』
「リリーさん。あれ、なんですか? あの砂浜に立ってる謎の建造物」
『あれはサニングデール。潮風を魔力に変換する装置』
「だそうです! リリーさん、あれは?」
その後も、リリーさんの説明を俺が翻訳する形で、目に見えるものを次から次に解説していった。そのまま、俺たちは街に向かってゆっくりと丘を下り始める。中條さんや友希さんの質問にも、リリーさんは全て丁寧に答えてくれた。
……まるで、5人で冒険しているみたいだった。




