堕天使の視線
ミファーがフレイアに相対する。二人とも手には刃のない剣を手にしていた。
二人の勝負が始まった――
が、結果は明らかだった。
武門の家に生まれ子供の頃から剣の腕を磨き続けたフレイアに比べて、ミファーの剣の腕はあまりに未熟だった。ど素人というわけではないが『なんとか剣を扱えるレベル』だ。
きぃん!
すんだ音ともに、ミファーの剣が宙に弾き飛ばされた。
「ううう……さすがはフレイアさま。強いです……ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げてすたすた下がろうとするミファー。フレイアが首をかしげた。
「何をしている?」
「え? 終わりましたよね?」
「五本先取ルールでいこうか」
フレイアは戦闘民族だった。
というわけで模擬戦が続いた。二、三、四戦目と重ねても結果は変わらない。フレイアの圧勝だった。
いやー……俺基準だとザコみたいな感じだったけど――
「フレイアって強いんだな」
俺は隣のルシフェルに声をかける。
返事はなかった。
視線を送るとルシフェルが難しい顔をしてじっと二人を見ていた。
「ルシフェル?」
「え、ああ――何か用ですか?」
今気づいたかのような顔でルシフェルが俺を見る。
「いや、何でもないさ」
「そうですか」
ルシフェルはまた二人の試合に目を向けた。
おかしいな……ルシフェルが俺の声に反応できないなんてあんまりないことなんだが。
異変が起こったのは五戦目だった。
そのとき俺は肌がちりっとするような感じをミファーから覚えた。
なんだ……。
ミファーは胸に手を当てて大きく深呼吸しながらフレイアと対峙した。何か雰囲気というか、たたずまいがさっきまでとは違う。
集中力の段階が上がったというか。
ミファーの雰囲気が変わっていることにフレイアも気づいたのだろう。用心深い足取りでミファーとの距離を測っている。
先に動いたのはミファーだった。
速い!
さっきまでは明らかに違う、フレイアと遜色ない速さでミファーが飛び込んだ。
「む!」
だが、フレイアも反応、ミファーの剣を打ち返す。数合の打ち合いを制したのは――ミファー!
「くっ!」
打ち負けたフレイアは、押し負けた勢いにのままに後方へと大きく下がった。
間髪入れずにミファーが間合いを詰める。
その速度は――俺でも感嘆の声を漏らすほどだった。
もちろん、俺の見切れない速度ではないが、明らかにフレイアのそれを大きく超えていた。
だからフレイアに反応できるはずもない。
ミファーの剣がフレイアの胴をなぎ払う。
「ぐはっ!」
フレイアを一打ちしたミファーだったが――矢のような勢いは止まらない。
ミファーは俺に真っ正面から突っ込んできた。
どん!
という音ともに、俺はミファーの身体を受け止めていた。
はっとした顔でミファーが俺を見上げる。
「す、すいません! 小生、夢中で――」
そこまで言って、ミファーの顔が真っ赤になった。
俺がミファーを抱きしめていたからだ。
べ、弁明させてくれ!
狙ったわけではなくて、善意の気持ちで受け止めただけなんだ!
とはいえ、抱きしめたのは事実。服越しとはいえ、密着した身体の感触と体温が俺に伝わってくる。
ふみふみ。
なかなか気持ちがいい――って、いやいやいやいやいやいやいや!
「す、すまん!」
俺は慌ててミファーを離した。
ミファーは耳まで真っ赤にしてはわわわとつぶやいていたが、はっとした顔で後ろを振り向く。
そこには脇腹を押さえて顔をしかめているフレイアがいた。
「あ、ああ……も、申し訳ありません! 貴族のフレイアさまにだだ大それたことを!」
「構わない。稽古のことだ。気にするな」
「で、でも……その、あの……今日は、し、失礼します!」
そう言うとミファーは剣を置いて逃げるように去っていた。
「フレイア、一応聞くが――」
「五本目は油断していなかった。あの速度、すごかったぞ」
ミファーも侮れない何かを持っているのだろうか。
そこでふと俺は別のことが気になった。
ルシフェルならば俺がミファーを抱きとめたときに「おやおや、ラッキースケベというやつですかぁ? 役得ですねえ」などと言ってくると思ったのだが、その言葉がこない。
俺がルシフェルのほうを見ると――
ルシフェルはあごに手を当てたまま、難しい顔でじっと考え事をしたままだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「まさかフレイアでもダメだったとはな……」
ソファに行儀悪く座りながら、ラーロットは吐き捨てた。
そこはラーロットに割り当てられた寮の部屋だった。ラーロットのひとり部屋にも関わらず、広さはオウマたちの三倍はある。
それこそがつまり、大貴族であるということ。
ラーロットの前には二人の取り巻きがいる。
「ダメよりもひどいですよ! あのオウマを真の勇者だともてはやして弟子になるなど! 貴族にあるまじき行為です!」
「まったくだな」
ラーロットは鷹揚にうなずく。
「貴族の沽券に関わる話だ」
「やはり、何とかオウマを追い落として平民たちに分をわからせる必要があります!」
そう言って、取り巻きたちはラーロットをじっと見る。
ラーロットにはその視線が迷惑だった。
彼らは目でこう言っている。
――ラーロットさま! 今一度オウマにお挑みください!
もちろんラーロットはオウマに負けたのは運が悪かっただけだと思っている。理力ゼロに負けるはずがないのだから。
なので、もう一度やれば確実に勝てるはずだ。
だが正直なところ、ラーロットには絶対の自信がなかった。あの男、本当に強いのでは? そういう疑念が頭をもたげる。剣の才能だけならラーロット以上のフレイアすら御した男なのだ。
いや、オウマが実は弱かったとしよう。
それでも再度の不運が重なる可能性を否定できない。
次の敗北は決して許されないのだ。
五公爵の一翼である大貴族ファーブル家の人間として、二度も平民に屈することなどあってはならない。
(何とか確実に勝って、貴族の威信を知らしめる方法はないものか)
ラーロットはそのことばかり考えていた。
できれば自分が矢面に立つことなく。
だから、取り巻きたちから期待されても困るのだ。
(お前たちこそ俺のために無い知恵を絞れよ。使えないグズらめ!)
むしろそう思うのだ。
部屋に微妙な空気が流れていた、まさにそのときだった。
「お知恵をお貸ししましょうか?」
突然の声。
「――!?」
三人が一斉に声のほうを見た。
そこには漆黒のローブに身を包んだ何者かが立っていた。フードを目深にかぶっていて顔は見えない。性別不詳な不思議な声だった。魔法を使っているのだろうか。
部屋には三人しかいなかった。ドアも窓も開いた気配がない。
だが、ローブ姿の何者かは忽然と現れたのだ。
ラーロットがソファから立ち上がる。
「誰だ、お前は!?」
「誰? 別にどうでもいいではありませんか。あなたたちが知りたいのはオウマの鼻を明かし、平民に意を示す手段でしょう?」
ラーロットは相手にうさんくささしか感じていなかった。
だが、オウマの鼻を明かすという言葉には惹かれるものがあり、興味を抑えられなかった。
「……案があるなら言ってみろ」
「模擬戦の授業でミファーと戦い、容赦なく打ちのめしなさい」
「ミファー? 誰だそれは?」
「クラスメイトですよ。平民ですからご存じではないでしょうが」
「平民を打ち負かす、か。……その案はダメだ」
「なぜ?」
「平民たちへの牽制程度にはなるだろうがな……大事なのは平民の代表となりつつあるオウマを屈服させることだ。でなければ平民どもに反感が募るばかりで心を折るには足りない」
「へえ……意外と頭が回るんですね」
ローブ姿の何者かがくすくすと笑う。
「き、貴様! ラーロットさまに何という口を……!」
ローブ姿は取り巻きを無視して話を続ける。
「ですが、大切な情報をご存じではないようで。実はこのミファー、フレイアに次ぐオウマの二番目の弟子なのです」
「ほぅ」
ラーロットが目を細めた。
「なるほど。確かにそれなら話は別だな。ミファーはオウマの弟子である以上、オウマの鼻を明かすことになり――おまけにオウマに近づけばこうなるぞという見せしめにもなる」
「ひとつお忘れなく。まだミファーがオウマの弟子だというのは広く知られておりません。必ず試合の最中にそれを公言してください」
「ふふふ、効果が倍増だな。すばらしい」
「名案でしょう?」
「そのミファーの理力はいくらなんだ?」
「二〇〇〇です」
「勝ったな――」
手を叩いてラーロットは笑う。ラーロットの頭はバラ色だった。ストレスの多い日々だった最近のうさを晴らすにはザコ平民の女をいたぶるくらいがちょうどいい。おまけにオウマのプライドまで傷つけられるとなれば上出来だ。
「平民をなぶるなど趣味ではないのだがな――ちょうど退院明けだ。リハビリにはいいだろう」
などと言っているが、ラーロットの顔は輝いていた。
「よし、そのアイディアに乗ってやろう!」




