8.魔物狩り
魔物は魔素さえあれば生きていける。そして、魔素は世界のどこにでも存在する。濃淡の差はあれど、世界中のどこにも魔素の無い地は無く、故に魔物が生存できない土地はない。もっとも、その土地の気候や状況により魔素自体に属性が付与され、故に他属性の魔物が生存できぬと言う事はありうるのだが。
そして、このアークィスファル近辺では主に風と地の属性が強く、火と水の属性は弱い。
そんな森にすむ、風属性の魔素を餌とする風犬達は、数日ぶりの人間の気配に沸き立った。近くに住み着いた魔牛頭が発見され、此処最近人間が北の森に踏み入る気配を感じなかったのだ。近付く虐殺の時を想い、彼らはゆっくりとその人間の気配へと近づいていく。
クライハウンドは見た目は少しばかりやせ細っているだけの黒い毛の狼に過ぎない。火犬の様に口から火を零していたりもしない。だが、彼らはその種族の能力として風を操る事を得手としている。突風をふかしたり、真空による風の刃を生み出したり、彼らが扱うそれはまるで魔法のようである。
否。彼らが扱うその能力こそが、本当の魔法なのだ。
魔物として変生した生物は、己が内の魔力を消費することが無い。彼らは自身が扱う特殊能力に置いて魔力を用いる必要がない。周囲に存在する魔素を練り上げて魔力とし、特有の仕草や条件で魔法として解き放つ事が出来る。
解き放たれた魔法は魔素として分解されながらその効果を為し、魔力がすべて魔素に還元したところで効果は消える事となる。魔物が使った特殊能力……魔法は、時間経過で必ず解除される、という特徴を持つのだ。
魔素だけで生存可能であり、周囲の魔素を用いて特殊能力を使う。彼らは生物として完成していると言えるだろう。本来であれば他の力なくとも生きていけるのだから。
だが、未完成でなければ世界に在れないのか。あるいは、完成してしまったが故の歪みか。魔物達は、その本能として生物を襲う。生存に必要なわけではなく、脅威と感じるわけでもなくても、生物を襲い、喰らい、犯し、殺す。
そこに理由はない。そこに理性はない。あるのはただ本能であり、その本能を満たすことで生まれる快楽だけでしかない。殺戮本能。そうとでもいうべきものが、魔物たちの中には存在する。
故に、クライハウンド達は己達の領域へと足を踏み入れた愚か者どもをもって本能を満たすためにその気配へと近づいていく。犠牲者達はただ己たちの目指す方向に歩むの実であり、こちらに気づいているような動きは見受けられない。
クライハウンド達は知っている。此方を迎撃する意図があるならば、相応の動きを見せるという事を。風を操れる彼らは、風を聞く事もできるのだ。人間達が……いや、なんだか妙な気配も交じっている気はするのだが……どういう動きをしているのかも手に取るように解る。
唐突に、そのうちの一体が動きを変え、こちらの方に突っ込んでくるのを知覚する。どうやらこちらに気づいたらしい。今更遅い、それにたかが一体が飛び込んできて何が出来るのか。戦闘にいるクライハウンドが嘲笑うように顔を歪め。
そこで、意識は途絶えた。
* * *
森の中に一息に飛び込んだルトは、更に地を蹴って一息にクライハウンドの群れに飛び込み。左の腰に履いた翠色の刃を引き抜きざまに先頭にいた一匹の首を切り飛ばす。振り切った勢いのまま、身を捻りつつ右の腰に履いた鋼の剣を引き抜いて、回転の勢いを乗せた突きで目の前の一匹の頭部を破壊。
一瞬で二頭の息の根を止めてから、周囲を確認する。接近自体は把握していたようだが途中でその速度が追い切れなかったらしく、その場に居たクライハウンドの全てが何が起こったのかの把握が出来ていないようだった。数は残り八、ルトが仕留めた数を含めて全部で十と言う所だったようだ。
下草を踏む音を立てて地に片足を付け、もう片足で再び地を蹴る。もっとも近い一匹と、その奥にいるもう一匹の位置を確認し体を翻す。回転しながら振るわれた刃は、容易く二匹の犬の頭を落とした。
どさり、と。音を立てて倒れる仲間の姿を目にしてようやく事態を理解したらしいクライハウンドはルトを中心に囲むように飛び跳ねる。剣を振るったところで届かぬ位置を取り、頭を下げて唸り声を上げた。
すぐに追撃には移らず、ルトは一息つく間を置き、右手の刃を持ち上げる。クライハウンドが獲物を取り囲んだのであれば、次に来るのは風を用いた攻撃であるという事を経験で知っていた。
一斉に上がる咆哮。例え回避されても仲間には当たらぬように陣取ったそれぞれが一直線に走る風の刃を放つ。不可視の刃は、しかし地を走るが故にその軌道を大地に刻んでそれと悟らせる。
中央に立つルトへと六つの風の刃が襲い掛かり、それに対しルトは翠色の刃を振るう。風の刃とルトの持つ剣の刃が接触し……風の刃が一瞬で砕け散った。一回転、全周囲から襲ってきた刃を砕いて、ルトは己の剣の柄頭を確認する。
翠色の宝玉が僅かだけ輝きを灯していた。吸収率によるものか、あるいは、あの鍛冶師が勢いでくっつけたというこの宝玉の魔力蓄積量が多いのか。どちらかまでの判断はルトにはつかない。
周囲に向けたままの意識は、クライハウンド達の動揺を伝えてくる。魔物たちは本能に従い理性はないが、知性や知恵は存在する。故に、恐怖などの精神的異常を受けるモノも多い。
一度軽く瞳を閉じ。開けば確認するように右手に力を込めて振るう。ただそれだけの動きで翠色の刃が生み出した斬閃の軌跡が光を孕み、駆けた。動揺により反応が遅れた一匹がその人たちで真っ二つに引き裂かれる。
――斬れ味よし、特殊効果確認完了。こんなものかな。
鍛冶師に言われた言葉、『切り裂いた対象の魔力を奪える』という事から魔法攻撃への対策になるんじゃないかと試してみた訳だが、半分成功するとは思っていなかったルトである。
……ルトがクライハウンドを狩ろうと思ったのは、この実験の為である。クライハウンドの放つ風の刃くらいならば自身が今身に纏う黒い軽鎧で防ぎきれ、万一傷を受けても今回は治療魔法の使える仲間がいる。この今の状況を利用しない手はないだろう。
そして一通りの実験は完了した。ならば、後は用はない。
残り半数となり、ようやく警戒するような空気を見せるクライハウンド達を軽く確認し、両手の剣を一度ずつ、軽く空を祓うように振るい。
踏み込んだ歩数は二歩。それだけでクライハウンドが全力で飛び退った距離を詰め、一振りで首を飛ばす。残りのクライハウンドは目視できる位置にいた筈の敵が忽然と姿を消したことに再び動揺を隠すことは出来ず。
次いで思い切り横へと跳ねて、其処にいたクライハウンドの頭を貫く。刃に引っかかった体を振り回すようにして投げ飛ばし、ほぼ対面にいる犬へとぶつけて動きを止め。
ルトが己の方へと向かっていると、ようやく気付いた次のクライハウンドを右手の剣から放つ魔力刃で上下に引き裂く。残クライハウンドの数は二匹。此処まで減らされてようやく力量差に気づいたクライハウンドは、仲間の死体を跳ね除けようともがいている一匹を見捨て逃げ出そうと反転し。
その瞬間に投げつけられた鋼の剣で後ろから貫かれて絶命する。最後に残った一匹はあっさりとルトの右手の剣で切り捨てられることとなった。
「……さて」
十匹いたクライハウンドを一人で圧倒して見せたルトは、そして困ったように息を吐く。正直、今更クライハウンドの素材をはぎ取るつもりなどルトにはない。素材を取らなくても魔晶石を売れば金になる事から、装備を作るのに用いない限りは素材をはぎ取る必要はないのである。
ただ、魔物が魔晶石へと姿を変えるには少々の時間がかかってしまうものだ。放置するのでも問題はないが、それはそれでもったいない。と言うか、此処で魔晶石の改修をしないのであれば何のために狩りに出てきたのか、という話である。
「ま、待ってから追いかけるか」
クライハウンドの遺骸がすべて魔晶石へと変わるまで、ルトはのんびりと待つことにした。
* * *
「ぁ、終わった」
突撃していったルトを放置して歩んでいたイーシャが、不意に零す。その声を聴いてアクィスは風に耳を傾け、成程、と頷いた。イーシャの言葉通り普通に何の問題もなく片付いたという事が確認できたのだ。
「……本当に、一人で……?」
「ま、犬の群れ十匹だし。ルトにしちゃ時間かかった方なんじゃないかな」
「そう、ですね。普段であればもう少し早く終わらせておられたかと」
少しばかり驚いたような声を放つエリに、イーシャとウツホが何でもない事の様に応える。まぁ、竜に挑む男が犬如きに後れを取るはずはないな、とアクィスも一つだけ頷いた。
三人ともが特に驚く様子もなく平然としていることが逆に気になったのだろう、エリは不思議、と言う疑問をそのまま声に乗せる。
「……その。確かに、犬系が弱い、と言う事は聞いていますが……そんなに弱い、んですか?」
「ん~。一応特殊攻撃もしてくるし、こっちを取り囲んだりと頭もある。初心者ハンターなら狩られる可能性があるし、中級に足を掛けた程度なら一人で相手すると不意を突かれる可能性がある……ってところかな」
「単体では小鬼以上豚鬼未満と言う所でしょうか。複数だと連携をとる事もあるので危険と言う所ですね。あまり一人で相手をするような相手ではないかと」
二人の言葉に、小声で「ですよねー」等と呟いた声が聞こえたのはアクィスだけだったらしい。まぁ、エリの言いたいことも解らないわけじゃないなぁ、と思うアクィスである。
風を聞くことが出来るアクィスは、実際ルトがどのように戦っていたのかをしっかりと知っていた。その光景から自分の武器の切れ味やらを、複数の魔物を相手どった状態で試していたことを知っている。
「……でも、一人、でしたよね」
「ルトだし」
エリが呟くように出した言葉にイーシャが肩を竦めて見せた。困ったようにそのフードを巡らせれば、ウツホも苦笑を浮かべるばかり。アクィスもやはり、肩を竦めて答えとした。
「……あの人、そんなに強い、んですか?」
「少なくとも竜に挑んで牙を折って帰ってくる程度には強いよ。まぁ、聴いた話なんだけど」
「あぁ、それは事実だ。昨日、その竜から得た牙を鍛冶屋に持ち込んでいた故な。その事で一悶着あったそうだが」
「……竜の、牙を、折った?」
半ば唖然とした調子でエリが呟くのを耳にして、「信じられないよねぇ」と笑うイーシャ。元々竜を相手にするということ自体がまれではあるが、同時に竜の爪や牙は素材としても最上級のものであり、そう簡単に折れるものではない。それを剣士が折って持って帰ってきたというのだ、驚くのも無理はない。
「……ひょっとして。あの人も、同じ?」
ぽそり、とエリが呟いた言葉はアクィスの耳はまたしっかりと拾っている。だが、其処について問いかける事は控えて置いた。自分も正体を隠している身である。つついたところでろくな事にはならないだろう。
そんな事よりも気になる事がある。
「ところでイーシャ殿。ミノはまだ見つからぬのか?」
「うん? 丁度それっぽいのがいるんだけどねー……」
問いかければ、イーシャは何とも言い難い表情を浮かべた。歩く足を止めないが、そのあるく起動は若干変化している。一直線に歩いていたのが、何かを回避するように大回りするかのような形となっていた。
「どうにも、一匹や二匹って訳じゃないみたい。ちょっと周囲も歩いて確認してみたけど、感知範囲で四匹ほど、かな。ちょっとルトと合流前に喧嘩を吹っ掛けるのはきついかなー、って感じ」
「……イーシャ、こちらに気づいている様子はあるのでしょうか?」
「森の中で森人の感知範囲を超えて知覚できるのは、風使いの系列くらいだよ。地のミノならこっちにはまだ気づいていないと思う」
イーシャの言葉にうなずくアクィス。その今話題に出た風使いの系列であるアクィスもミノタウロスの存在と、その知覚範囲のギリギリを離れないように動いている事に気づいていたようだ。
「とりあえず、ルトとの合流を優先。で、合流したところで一気に攻めに行くって方向にしたいんだけれど。良いかな?」
「……作戦方針に、異存はありません」
「此方も問題はありません。ただ、彼女はどうしましょうか?」
「ん、取り敢えず私の後ろに居てもらおうって思ってる。一応これでも近接戦闘は少しくらいできるし、ウツホにはルトと一緒に突撃してもらいたいしね」
そうですか、と頷いてウツホは己の装備を確認する。白の上着と赤の袴に、胸当てを身に付けた姿。本来であればこのような森の中では動きづらい筈なのだが、イーシャがしっかりと先導しているために問題となる事はない。手に握るのは六角の棍。一見すればただの棒に見えるそれは、どうやら甲羅の類を素材として作り上げられたモノらしい。
つい、と顔を向けた先のイーシャの装備は、緑の長袖の服に足首で縛り口のあるズボン。しっかりとした皮の軽鎧を身に付けており、背には荷物袋とボウガンを背負っている。森の中で彼女がふれた木々は彼女の歩む先を邪魔しないように枝の向きを変えており、彼女が森人であると良く解る。もっとも、鎧をつけていても、否、鎧を付けているからこそ解るその膨らみは森人らしくはないのだが。
何となく自分に並ぶように歩く少女の方に目を向ける。旅用にだろう、しっかりとした木綿のシャツを上着に、同じ素材のズボンを履いている少女は、鎧を身に付けてはいない。下手に体の動きを阻害するものを身に付けるよりは身軽な方がもしもの時に対処しやすい、という判断かららしいが、包帯だらけではその判断にも疑問を覚える。尚、何気に彼女が持つ荷物袋が一番大きいのは、自分が戦力外であるという自覚があるが故だろうか。
最後にイーシャのすぐ後ろに付く人物に目を向けるが、深くフードをかぶり、ローブを着こんでいる彼女の装備は良く解らない。武器として短杖を用いる魔法使いである、と言う事までしかわかってはいないのだ。ただ、彼女の自己申告を信じるのであれば、ほぼ全属性の魔法を使用可能だという。他の宝玉が埋まった短杖を持っているか、あるいは宝玉の付け替えが出来るか、そのどちらかだろう。
「……私は、どうすればよいでしょうか?」
「エリは水か風系の魔法で攻撃をお願い。ミノに一番通じるのは火なんだけど、森の中で日の魔法使うのは色々と怖いし」
「まぁ、延焼すると私達の方の命も危険にさらされてしまうものなぁ」
「……延焼しなければ、火の魔法でも問題ない?」
イーシャの指示とアクィスの言葉に、エリが首を傾げる。ふむ、とイーシャは考える様子をすこし見せてから一つだけ頷いて見せた。
「うん、延焼しないなら問題ない。そういう魔法、使えるの?」
「……直接燃やす、って言う魔法がある、から。それなら、延焼はしない」
「試したことは?」
「……大丈夫、ある」
なら良いか、とイーシャはあっさりと頷いた。若干の不安はあるが、わざわざ異を唱えるほどの事ではなく、ウツホもイーシャの判断に従う事にする。
「……さて。それじゃ、ちょっと足を止めてルトを待つとしようか。追いかけて来てるみたいだし」
その言葉にウツホとエリが振り返ったが、流石にすぐにルトが姿を現しは……
「御免、皆。後ろじゃなくて右手方向」
「追いかけて来てる、と言うのは正しいのだが。こちらも回り込むように動いていたしなぁ」
……言われて向きを変えてみれば、森の茂みから丁度顔を出したルトと二人の目が合ったのだった。
モンスターは無限MPを持つ法則。
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次回は水曜更新予定。
→日曜更新で。すみません、ちょっと色々予想外が重なってます。