第一話 男爵家の外交官
リーヴェルト王国には、二種類の英雄がいる。
一つは、剣を握り敵陣へ向かう者。
もう一つは。
敵が剣を抜く前に、その理由を探る者。
そして後者は、たいていの場合。
誰にも褒められない。
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王都リーヴェルト。
王城へ続く大通りを、一人の青年が歩いていた。
黒に近い灰色の髪。
整った顔立ち。
貴族らしい上品な服装。
しかし、その表情には若者らしい華やかさはなかった。
あるのは、常に何かを計算しているような冷静さ。
彼の名は、
アシュレイ・ファン・ヴァイス。
二十二歳。
ヴァイス男爵家当主。
そして――
リーヴェルト王国外交官。
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「また随分と早いご出勤ですね」
城門前の兵士が声をかける。
「昨日も遅くまで仕事をしていたと聞きましたが」
「昨日の資料に確認不足がありましたので」
アシュレイは答える。
「確認不足?」
「帝国北部の交易量について、一年前との比較が抜けていました」
兵士は苦笑した。
「普通の人間なら気づかないと思いますよ」
「普通の人間が気づかない部分ほど、重要になることがあります」
そう言って歩き出す。
兵士はその背中を見る。
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若い。
それなのに。
まるで老人のような責任感を背負っている。
それがアシュレイという男だった。
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外交官になった理由は単純だった。
この国には、軍事力がない。
帝国のような巨大な軍隊も。
大国のような豊かな資源も。
周辺国を従わせるほどの威圧感もない。
リーヴェルト王国が持つものは。
長い歴史。
細いながらも続いてきた信頼。
そして。
情報だった。
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王国外交局。
その奥にある執務室。
机の上には大量の書類が積まれていた。
「相変わらずですね」
声の主は、灰色塔所属の情報官。
ミレイ・オルフェン。
灰色塔。
リーヴェルト王国が誇る諜報組織。
世間からは、
「陰気な集団」
「信用できない連中」
「王城の影」
などと呼ばれている。
しかし実際には。
この弱小国が生き残るための、数少ない武器だった。
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「褒めているようには聞こえませんね」
アシュレイが言う。
「褒めていません」
ミレイは即答した。
「あなたは働きすぎです」
「必要だからです」
「その言葉、何度聞いたと思います?」
「覚えていません」
「でしょうね」
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ミレイはため息をつく。
「あなた、自分が倒れたら誰が困ると思っています?」
「外交局です」
「違います」
「王国ですか」
「そういうところです」
ミレイは呆れた。
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アシュレイ・ファン・ヴァイス。
彼は優秀だった。
学院時代から異例の成績。
政治学。
歴史。
言語。
交渉術。
特に情報分析能力は突出していた。
若くして外交局へ入り。
いくつもの難しい交渉を成功させた。
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しかし。
それを快く思わない者もいる。
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「ヴァイス卿」
廊下で声をかけられた。
貴族の外交官。
アラン・フェルディス伯爵。
笑顔だが、目は笑っていない。
「最近は随分と王宮で名前を聞きますね」
「恐縮です」
「男爵家出身で、そこまで出世されるとは」
褒めているようで。
刺している。
「学院で少し成績が良かっただけですよ」
アシュレイは淡々と答える。
「その成績で、家柄のある者たちを追い越したわけですか」
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ミレイが横を見る。
空気が悪い。
しかしアシュレイ本人は気づいているのか、いないのか。
「能力が必要とされたのであれば、それに応えるだけです」
そう答えた。
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アラン伯爵は笑った。
「あなたは本当に変わっていますね」
「そうでしょうか」
「ええ」
一歩近づく。
「普通、ここまで出世した人間は、自分が特別だと思うものです」
「私は特別ではありません」
アシュレイは言った。
「この国が、生き残るために必要なだけです」
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その言葉に。
伯爵の笑顔が少し消えた。
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午後。
アシュレイは王城上層部から呼び出された。
部屋に入る。
そこには、
国王。
宰相。
軍務卿。
そして灰色塔代表。
普段なら、二十二歳の男爵がいる場所ではない。
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「アシュレイ」
国王が言う。
「急な呼び出しですまない」
「問題ありません」
「帝国についてだ」
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その一言で。
部屋の空気が変わった。
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大帝国。
大陸最大級の国家。
リーヴェルト王国が軍事力で対抗できない相手。
その帝国が。
最近、国境周辺で軍を動かしている。
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「侵攻の可能性は?」
軍務卿が問う。
アシュレイは答える前に資料を見る。
「現時点では判断できません」
「曖昧だな」
「外交では、曖昧さを消すことより、間違えないことが重要です」
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軍務卿は黙る。
アシュレイは続けた。
「ただし」
「何だ」
「帝国が何らかの目的で周辺地域への圧力を強めている可能性は高いです」
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宰相が聞く。
「我々はどうすべきだ」
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アシュレイは答える。
「戦う準備ではありません」
「では?」
「理解する準備です」
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部屋が静まる。
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「敵が剣を抜く前に」
アシュレイは言った。
「なぜ剣を握るのかを知らなければなりません」
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国王はしばらく彼を見る。
そして。
「任せる」
そう言った。
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その日。
アシュレイ・ファン・ヴァイスは正式に命じられた。
帝国の動向調査。
そして。
戦争を避けるための外交任務。
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しかし。
彼はまだ知らなかった。
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今回の問題が。
帝国と王国の争いではなく。
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誰かが作り出した、
「偽りの戦線」
であることを。
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