第1巻 第164讃歌 諸神讃歌(一なる真理と宇宙の車輪篇)
1
老いたる灰色の、
この親切な祭司の、
三人の兄弟のうち真ん中の者は雷であり、
第三の者は背に油注がれた者である。
ここで我は見た、
七人の男の子供を伴う首長を。
2
一輪の戦車に、
七人が一頭の駿馬を繋ぎ、
七つの名を持つ一頭の駿馬がそれを引く。
車輪は三つのこしき(穀/車軸)を持ち、
健全にして破綻することなく、
そこに存在するすべての世界が載っている。
3
七輪の車に乗りし七人は、
自分たちを前へと引く、
数えて七頭の馬を持つ。
七人の姉妹がともに称賛の歌を唱え、
その中に七頭の牛の名が納められている。
4
彼が誕生へと跳ね上がった時、
骨なき者(精神・神)が骨ある者(肉体・物質)を支えるのを、
誰が見ただろうか?
地の血はどこにあるのか、命は、精神は?
これを知る者のもとへ近づき、
問い得る者は誰か?
5
心未熟にして、
精神において分別のつかぬ者として、
我は神々の定めし場所について問う。
年経ぬ仔牛の上に、
織物を形作るため、
賢者たちは己の七つの糸を紡いだのだから。
6
知らぬ者たる我は、
知識のために何ひとつ知らぬ者として、
知る者たる賢者たちに問う。
未だ生まれざる者の姿において、
これらの世界の六つの領域を打ち立て、
堅固に固定した「一なるもの(THAT ONE)」とは何であったのか?
7
知る者は直ちに宣せよ、
この愛らしき鳥(太陽)の、
安全に据えられた場所を。
彼の頭から牛たちは乳を搾り出し、
彼の衣を着て、
その足をもって水を飲んだのだ。
8
母(地)は父(天)に秩序の分前を与えた。
最初は思考をもって、
彼女は精神において彼と結ばれた。
慎ましき乙女は恵みの露に満たされた。
人々は称賛のため、
敬拝をもって彼女に近づいた。
9
母は恵みの牛の引き棒に繋がれた。
湿り気ある雲の列の中に仔牛は休息した。
その時、仔牛は啼き、母を見つめた。
三つの方向において、
あらゆる姿を纏う牛(雲・光)を。
10
三人の母と三人の父を担い、
彼はただ独り直立した。
彼らは彼を消して疲弊させない。
天の頂において、
彼らは集い語り合う、
すべてを知りつつも、
すべてを強制せぬ言葉をもって。
11
十二本のスポークで形作られ、
時間の長きによっても衰えることなく、
不変の秩序の車輪は天を回り続ける。
アグニよ、ここに置かれ、
二人ひと組で結ばれた、
七百二十人の息子(昼と夜)が立っている。
12
天の遥かなる半分において、
人々は彼を五つの足を持ち、
十二の姿を持つ、
水蓄え豊かな父と呼ぶ。
他の者たちは、遠く見る目を持つ神たる彼が、
下方の七輪・六スポークの車に乗っていると言う。
13
常に回転するこの五本スポークの車輪の上に、
生きとし生けるすべての生き物が載り、依存している。
重荷を積んだその車軸は熱することがなく、
こしきは太古より壊れることがない。
14
車輪は削れ去ることなく、
その輪渕とともに回転する。
遥かに伸びる引き棒に繋がれた十人がそれを引く。
太陽の目は領域に囲まれて動く。
彼に依存して、
すべての生き物が休らうのだ。
15
ともに生まれた者のうち、
第七の者を「単一生まれ」と人々は呼ぶ。
六つの双子の組は「リシ(聖仙)」、「神々の子」と呼ばれる。
人々に求められた彼らの良き賜物は順序正しく並べられ、
様々な姿をとって、
導く主のために動く。
16
人々は我にこれらを男(男性)だと言ったが、
本当は女(女性)である。
目を持つ者はこれを見るが、
盲目の者は識別できない。
賢者である息子は理解した。
これを正しく知る者は、
己の父の父である。
17
上なる領域の下、
この下なる領域の上にて、
足もとに仔牛を連れて牛が立ち上がった。
彼女はどこへ、いかなる場所へ去ったのか?
彼女はどこで仔牛を産むのか?
この牛の群れの中ではない。
18
上なる領域の下、
この下なる領域の上にて、
この仔牛の父を識別し、
自らを賢者と示して、
ここでそれを宣言できる者は誰か?
神のごとき精神は、
どこから立ち上ったのか?
19
こちらへやって来る者を、人々は「去り行く者」と呼び、
去り行く者を「こちらへ引き向けられた者」と呼ぶ。
インドラとソーマよ、汝らが創り出ししものを、
駿馬たちは領域の引き棒に繋がれるようにして運ぶ。
20
美しき翼を持つ二羽の鳥が、
友情の絆で結ばれ、
同じ身を寄せる木(肉体/世界)に避難処を見出した。
ふたつのうちの一羽は甘きイチジクの実を食べ、
もう一羽は食べることなく、ただ見つめている。
21
細やかなる鳥たちが、
不滅の命の分前と聖なる集いとを、
絶え間なく歌うその場所で、
宇宙の強大なる守護者、
賢者たる彼が、
無知なる我の中へと入ってきたのだ。
22
細やかなる鳥たちが甘さを喰らい、
みなが休息し、己の子孫を繁殖させる木——
その頂において、イチジクは甘美であると人々は言う。
父を知らぬ者は、
誰もそれを得ることはできない。
23
いかにしてガヤトリー(韻律)の上にガヤトリーが置かれたか、
いかにしてトリシュトゥプからトリシュトゥプが形作られたか、
いかにしてジャガティーの上にジャガティーが置かれたか——
これを知る者たちは、
自らに不滅の命を獲得したのだ。
24
ガヤトリーをもって、彼は賛美歌を測り取り、
賛美歌をもってサーマ(歌詠)を、
トリシュトゥプをもって三行詩節を測り取る。
二足あるいは四足の音尺をもって三行詩節を、
そして音節をもって、
彼らは七つの韻律を形作るのだ。
25
ジャガティーをもって、彼は天における洪水(水)を定め、
ラタンタラ・サーマンの中に太陽を見た。
ガヤトリーは点火のための三つの薪を持つと人々は言う。
ゆえにそれは威光と活力において優れるのだ。
26
我が呼び求めるのは、
乳絞りに適した乳牛。
手際よき乳搾り手が、
彼女を搾り尽くせるように。
サヴィトリ(刺激神)が至高の刺激を与えんことを。
大鍋は熱せられた。我はそれを宣しよう。
27
あらゆる宝の主なる彼女は、
己の仔牛を慕い、
鳴き声をあげつつここへやって来た。
この牛がアシュヴィン双神のために乳を産出し、
我らの大いなる利益のために繁栄せんことを。
28
牛は瞬く我が仔の後を追い、鳴き声をあげた。
鳴きながら、その額を舐めて形作る。
彼女は温かな乳房へと愛おしく彼の口を呼び寄せ、
優しく鳴きつつ、
乳をもって彼に授乳する。
29
彼もまた荒い息を吐く。
雨を降らす者(天/雲)にすがりつく牛を囲む者。
彼女は金切り声の叫びをもって死すべき人間を謙遜させ、
雷電へと姿を変え、
己を覆う衣を脱ぎ捨てた。
30
息と速度と生命と運動を持つものが、
家々のただ中に固く打ち立てられている。
生きて、死者への奉納物によって彼は動く。
死すべき身の者の兄弟なる、
不滅の者(魂/アグニ)は。
31
我は見た、一度もつまづくことなき牧者を。
己の小径を通って近づき、
去り行く者を。
彼は集められ、拡散する光輝を纏い、
諸世界の中を絶えず旅する。
32
彼を創り出した者は、彼を理解しない。
彼を見た者から、彼は確実に隠されている。
彼は未だ母の胎内に包まれたまま、
多くの命の源でありながら、
破壊(滅亡)へと沈んだ。
33
ディアウス(天)は我が父、我が生みの親。
親族関係はここにある。
この大いなる地は我が親族、我が母。
広く広がる世界の半球の間が誕生の地。
父は娘(地)の胎内に種子を置いた。
34
我は汝に問う、地の極限の果てを。
世界の中心はどこにあるのか、我は汝に問う。
我は問う、牡馬の多産なる種子を。
言葉が留まる高き天について、我は問う。
35
この祭壇こそが、地の極限の果て。
我らのこの祭祀こそが、世界の中心。
牡馬の多産なる種子とはソーマであり、
このブラフマン(祈り/聖典)こそが、
言葉の留まる最高峰の天である。
36
未だ熟さぬ七つの芽生えは、天の多産なる種子。
彼らはヴィシュヌの定めにより、己の機能を維持する。
知性と思考を通じた智慧を備え、
彼らは我らを包み込み、
あらゆる側に存在する。
37
我が真に何者であるか、我は明確には知らぬ。
神秘にして、精神に縛られたまま我は彷徨う。
聖なる法の長子が我に近づいた時、
その時我は、
この言葉の分前を初めて獲得するのだ。
38
後へ、前へ、生来の力に掴まれ彼は行く。
死すべき身の者の兄弟なる、生まれたる不滅の者。
絶え間なく彼らは反対の方向へと動く。
人々は一方を注視するが、
もう一方を見落としてしまう。
39
讃美歌の音節(文字)の上に、
最高峰の天のごとく神々が休息する——
これを知らぬ者は、讃美歌をもって何をなそうか?
だがこれを良く知る者たちは、
ここに集い座しているのだ。
40
良き牧草とともに、汝が幸運であらんことを。
我らもまた格別に裕福であらんことを。
草を喰らえ、牛よ、あらゆる季節において。
ここへやって来て、
澄んだ水を飲み給え。
41
水流を形作りながら、水牛(水神/言葉)は鳴いた。
一足の、あるいは二足の、あるいは四足の彼女。
八足となり、あるいは九足となった彼女は、
最上の天における千の音節を持つもの。
42
彼女から奔流となって海の水らが流れ降る。
それにより世界の四つの領域は存在を得る。
そこから不滅の洪水が流れ、
そこから全宇宙は生命を得るのだ。
43
我は遠くから薪の煙を見た、
下にあるものの上に高く立ち上る角(炎)とともに。
強大なる男たちは斑点の牡牛を調理した。
これらは昔日の時代における慣わしであった。
44
長き髪(光線/炎/髪)を持つ三人が、定められた季節に姿を現す。
彼らの一人は一年が終わる時に毛を刈り取る(太陽)。
一人は己の力をもって全宇宙を見つめる(火)。
一人はその掃掃(旋風)は見られるが、
その姿は見えぬ(風)。
45
言葉は四つの区分に分かち測られた。
理解を持つブラフマン(知者)たちはそれらを知る。
密かに隠された三つは、いかなる運動も起こさない。
言葉の第四の区分のみを、
人間は語るのだ。
46
人々は彼をインドラ、ミトラ、ヴァルナ、アグニと呼び、
彼は天の、気高き翼持つガルットマーン(金翅鳥)である。
一なるもの(真理)に、
賢者たちは多くの名を与える。
彼らはそれをアグニ、ヤマ、マータリシュヴァンと呼ぶのだ。
47
暗き降り道。黄金色の鳥たち。
水らを着て、彼らは天へと飛翔する。
秩序の座から、彼らは再び降り来たり、
すべての地は彼らの油脂(雨)によって潤される。
48
十二の輪渕があり、車輪は単一である。
三つのこしきがある。いかなる人間がこれを理解したか?
そこに三百六十本のスポークが組み合わされて置かれ、
それはいかなる意味でも、
緩むことがないのだ。
49
尽きることなく、歓びの泉である汝のその乳房、
それをもって汝はあらゆる最上のものを養い、
富の授与者、宝の発見者、無償の給付者——
サラスヴァティーよ、それをもたらし給え、
我らがそれを搾り尽くせるように。
50
祭祀手段によって、神々は己の祭祀を成し遂げた。
これらこそが最も初期の定めであった。
これら強大なる者たちは天の頂に到達した、
古の神々たるサーディヤたちが住まうその場所へと。
51
過ぎ去る日々に伴い、均一にして、
この水は昇り、再び降る。
嵐の雲は地に生命を与え、
火らは天を再び活気づけるのだ。
52
気高き翼を持つ巨大なる天の鳥、
植物たちの愛らしき芽生え、水らの芽生え、
旬の雨をもって我らを歓ばせる者、
サラスヴァーン(水の神)を我は呼び求める、
彼が我らを助けんことを。
解説
第164讃歌は、ヴェーダ全1028歌の中でも圧倒的な知名度と哲学的深化を誇る大傑作「アースィーヤ・ヴァームスィヤ(諸神讃歌 / 謎掛けの歌)」(全52節)です。
「一つの木に身を寄せる二羽の鳥(個人我と最高我)」「時を刻む360本のスポークを持つ車輪(1年・太陽)」「一なる真理に賢者たちは多くの名を与える(Indra, Mitra, Varuna...)」「言葉は四つに分かたれ、人間はその四分の一しか語り得ない」といった、後世のウパニシャッド哲学やインド思想の骨格となった不滅の明察・アニグマ(謎掛け)が怒涛のごとく押し寄せる、まさに最高峰の一曲です。
全52節という『リグ・ヴェーダ』最大の長編であり、ヴェーダ思想の到達点を示す極めて高尚な大傑作讃歌です。作者である賢者ディールガタマスが、宇宙・時間・生命・言葉・存在の根源に向けた52の「哲学的問いと答え(アニグマ)」を提示しています。
* 1–15節:360日の車輪と、世界の六領域を支える「一なるもの」
1〜15節では、太陽と時間(1年=12ヶ月・360日=720の昼夜)が「決して壊れぬ車輪」として可視化されます。賢者ディールガタマスは「未熟な自分」として謙遜しつつ、骨なき者(精神)が骨ある者(肉体)を支える神秘や、未だ生まれざる姿で世界を支える「一なる根源(THAT ONE)」の存在へと問いを深めていきます。
* 16–35節:二羽の鳥の比喩と、世界の中心たる「祭壇」
16〜35節はインド哲学の核となる重要概念の宝庫です。20節の「一本の木に集う二羽の鳥」は、実を食べる鳥(個我/じぶん)と、それを静かに見つめる鳥(最高我/真我)の対比として後世のウパニシャッド(『ムンダカ』等)に直結します。さらに「世界の中心はどこか」という問いに対し、「この祭壇こそが世界の中心であり、人間の祈り(ブラフマン)こそが天の最高峰である」と力強く宣言されます。
* 36–52節:「一なるものに賢者は多くの名を与える」と分かつ言葉の深淵
後半では、思想史上に燦然と輝く名句が連続します。45節の「言葉は四つに分かれ、人間は隠された四分の三を知らず、第四の領域のみを語る」という深遠な言語論。そして46節の「インドラ、ミトラ、ヴァルナ、アグニ……『一なる真理』に対し、賢者たちは多様な名前を与えて呼ぶのだ(Ekam sat vipra bahudha vadanti)」というヴェーダ包摂思想の頂点が示されて結ばれます。
46節の「真理はたった一つであり、賢者たちはそれをインドラやヴァルナやアグニと様々な名前で呼ぶに過ぎない」という表現が印象的です。




