第三十六話 クローゼット防衛戦、あるいは「恥」の防壁
【蓮の自室:絶対絶命】
「さあて、蓮の部屋も少しは片付けないとねぇ。お客様が泊まるんだから!」
華江の指が、クローゼットの取っ手にかけられた。その向こう側には、空間パッチで固定された「自室ダンジョン」への入り口と、十億円のスパコン『玄武』が放つ青白い光が漏れている。
「ま、待て母さん! そこは……そこだけは開けるな!!」
蓮はマッサージチェアから飛び起き、スライディングでドアの前に立ち塞がった。
「あらぁ、反抗期かしら? 隠し事なんて、お母さん全部知ってるわよ。どうせエッチな本の一冊や二冊……」
「……エッチな本?」
三沢の目が、獲物を見つけた猛禽類のように細められた。
「佐藤さん。もしそこに、政府が規制している『魔導性有害図書』が隠されているなら、現行犯で没収・精査する必要があります」
「師匠の秘蔵書……! きっと、古の武術家が遺した、門外不出の極意書ですね!?」
凛も期待に目を輝かせ、ぐいぐいと距離を詰めてくる。
【アキラの博打】
(アキラ! どうにかしろ! このままだと力ずくで開けられるぞ!)
『蓮、覚悟を決めなさい。「玄武」の光学迷彩を書き換えるわ。……ただし、これを使えばあんたの尊厳は文字通り「消滅」するけど、いいわね?』
(……正体がバレて実験体にされるよりはマシだ! やれ!!)
『了解。――ホログラム展開。タイトル生成:【煩悩の極地・パッチ適用】!』
ガラッ!!
華江が強引にクローゼットを開け放った。
【沈黙のクローゼット】
「…………あら」
華江が言葉を失った。
三沢は無言で眼鏡を外し、汚れを拭き始めた。
凛は頬を赤らめ、直視できずに「……す、凄まじい情報量です……」と呟いて俯いた。
クローゼットの中からなだれ落ちてきた(ように見えるホログラム)のは、床から天井までを埋め尽くさんばかりの、『過激な表紙の美少女系薄い本』の山。
それも、アキラの悪意ある演出により、タイトルが『スライム娘とねっとりダンジョン攻略』だの『オーク軍団の無慈悲な抱擁』だの、およそ正気の人間が揃える量ではない。
「……佐藤さん。これ、全部あなたが?」
三沢の冷徹な声が響く。
「……あ、ああ……そうだよ! 悪いか! 男のロマンなんだよ!!」
蓮は涙目で叫んだ。実際には存在しない本の幻影を必死にかき集めるフリをする。
(……アキラ、やりすぎだろこれ……)
『感謝しなさい。三沢さんの高性能レーダーも、「あまりの不健全な情報の密度」にノイズが走って、奥の「玄武」の熱源を見逃したわ』
【防衛成功、しかし……】
「……ごめんなさいね、蓮。お母さん、あんたがここまで『そっち方面』に突き抜けてるなんて思わなかったわ……」
華江は深い慈愛(と哀れみ)を込めた目で蓮の肩を叩き、部屋を出ていった。
「佐藤さん……趣味は自由ですが、後で私の部屋(三〇二号室)まで来なさい。……『健全な市民生活への更生プログラム』を組みます」
三沢は「汚らわしいものを見た」と言わんばかりの足取りで去る。
「……師匠。……あのような淫らな書物の中からも、筋肉の構造や関節の動きを学んでおられたのですね。……そのストイックさ、感服いたしました!」
凛だけは、なぜかさらに尊敬の念を深めていた。
【深夜:お泊まり会開始】
なんとか致命的な危機を脱した蓮だったが、リビングには布団が三つ並べられた。
母・華江は早々に自室で眠りについたが、リビングの空気は未だ凍りついている。
右の布団には、暗視ゴーグルを装着したまま寝たふりをする三沢。
左の布団には、座禅を組んだまま眠るという超絶技巧を見せる凛。
『蓮、寝てる場合じゃないわよ。……三沢さんのスマホから、あんたの部屋の「ゴミ袋」に向けて微弱な超音波が飛んでる。……それと、凛の寝言が「正拳突き、正拳突き……」ってうるさくて、「玄武」の音声解析がバグりそうよ』
「……俺、明日から引っ越していいかな……」
十億円を稼いだ最強の男は、世界で一番居心地の悪い「パジャマパーティー」の夜を過ごすことになった。




