第二章~⑨
意表を突く言葉を聞き、騒いでいた男子の取り巻き達が静かになった。不穏な空気を察したのか他の子もみな口を噤んだ。
物音一つしなくなった店内の静寂を破ったのは六年生男子だった。
「な、なんだよ。じじいは関係ないだろう」
そうした暴言に高岳さんは怒ることなく、穏やかな声で答えた。
「関係はあるよ。私だってこの店に来た客なんだ。他の人達と同じく君達に迷惑をかけられている。子供のやる事だと思いしばらく黙って見ていたが、暴力はいかんな。しかも親の名前まで出されたのなら、同じ大人としては放って置けない」
そこでおもむろに携帯電話を取り出して操作をした後、耳に当てた。利也も含め、店内にいる全員がどういう展開を迎えるのか分からず固唾を飲んで見守る中、しばらく経ってから話し出した。
「ああ、高岳だ。今、いいかな。あんたの息子が目の前にいるんだが、大変な粗相をしでかしよった。親は誰だと聞いたら、お前さんの名前を出したんでな。あんたはどういう教育をしておるんだ。これは、下手をすると警察沙汰になるかもしれんぞ。そうなったら議員のあんたの首なんて、簡単に飛ばすことができる。ならなくてもあんたの出方次第では、この私が許さん」
明らかに相手は六年生男子の親だと分かった。それだけでも驚くが、それ以上に皆を凍らせたのは高岳さんの豹変ぶりだった。
先程まで発していた声と表情を一変させ、こんなお爺さんがそんなに出せるものかと思うほどの大音量で、真っ赤な顔をして携帯を握りしめ怒鳴りつけていたからだ。
近くにいた利也達には、相手が謝罪しているらしき声が漏れ聞こえてきた。それは六年生男子にも伝わったのだろう。顔色がみるみる青白くなっていった。
それから店内で起こった経緯を一通り説明した後、高岳さんは彼に携帯を渡した。
「あんたの父親が話したいそうだ」
恐々としながら受け取った瞬間、彼は携帯を耳から遠ざけた。父親から激しく叱られたらしい。目から大粒の涙が溢れ出ていた。
その様子を見て、もういいと判断したのだろう。途中で携帯を取り上げた高岳さんは、トーンを落とし六年生男子の親と穏やかに話し出して通話を終えた。
それから彼は再びしゃがみ、泣きじゃくる男子と目線を合わして告げた。
「これからどうすればいいか、分かったかな」
激しく頷いた彼は、既に床から立ち上がっていた利也と傍らの佐知さんに頭を下げ謝った。
「突き飛ばしてごめんなさい。酷い事を言ってごめんなさい」
さらに周囲の人達に向かって、大きな声で言った。
「騒いでごめんなさい。もう二度としません」
彼が長く腰を折ったままだったからだろう。取り巻きの子達も謝罪を口にした。
「ごめんなさい」
すると他の騒いでいた子達も、過ちに気付いたようだ。一斉にあちこちから声が聞こえた。
「ごめんなさい」
「もう走りません」
「すみませんでした」
所々ですすり泣く姿が見られた。中には利也達や高岳さんの近くまで駆け寄り、頭を下げる子までいた。それを見た佐知さんは、彼、彼女達の肩を軽く叩きながら言った。
「悪いことだと分かったのなら、もういいのよ。泣かないで」
彼も同じように声をかけていた。
「そうだ。悪いことをしたら謝る。それが出来れば皆、いい子だ」
ここで今更ながら店長らしき男性が姿を現した。
「申し訳ございません。こちらが至らぬばかり、」
話の途中で再び険しい表情に変わった高岳さんは、彼の言葉を遮り再び怒鳴った。
「今頃出て来てどうする。あんたには山ほど言いたいことがあるから、奥へ行こう」
そう言って彼の腕を掴み、そのままどこかへ行ってしまった。恐らく客や店員がいる前では良くないと思ったのだろう。裏にある部屋まで案内させ、そこで叱ろうとしているに違いないと分かった。
利也も怒っていた。佐知が客に捕まり困っている時から、誰も助けなかっただけではない。騒ぎが起ってからも店長は出てこなかったからだ。
ようやく他の店員もお客や子供達に声をかけ、店内は落ち着きを取り戻していた。そこで利也は同級生達から一緒に菓子を選ぼうと誘われた。それを見ていた彼女は言った。
「お友達と買い物をしてらっしゃい」
けれどまだそんな気分にならなかったし、心に引っ掛かる事があったので尋ねた。
「お母さんはどうするの」
彼女に対してお母さんと呼ぶことは、最初から全く抵抗が無かった。実の母は利也を産んですぐ亡くなっていたし、物心がついた頃にはもう傍にいたからだ。
それに父が亡くなってから、頼れる人は彼女しかおらず、とても大切な人だった。その為心配になったのだ。
今思えば子供心に店で置かれている空気を察し、立場が悪くなるのではとの不安な気持ちがそう言わせたに違いない。
「どうもしないわ。仕事に戻るだけ。でもあのお客様には後でお礼を言わないとね。それと店長にも謝らないといけないから」
「どうしてお母さんが謝らなきゃいけないの」
困った顔をした彼女は、それでも利也を遠ざけた。
「ほら、お友達が待っているじゃない。あなたは買い物を続けていればいいの」
振り向くと、後ろには三人の同級生達が立っていた。ただ日頃から遊んでいる友達だけど、特別仲の良い子達ではない。だから言った。
「ごめん、僕まだやることがあるから」
すると彼らは早く菓子を選びたかったのだろう。またどうしても利也と一緒でなければいけないなんて思わなかったようだ。
「そう。じゃあね」
待ちくたびれていたのか、あっさりと去っていく後ろ姿を見て彼女は案じてくれた。
「いいの。お友達が折角誘ってくれたのに」
「別にいい。最初から今日は一人で買うつもりだったから」
「そう、なの」
幸い利也は学校で苛められていなかったし、友達もそこそこいると彼女も知っていたからだろう。それ以上、無理強いはしなかった。
「じゃあ、お母さんは仕事に戻るね」
そう言い残したが、歩いていく先は持ち場のレジでなく、店長達が消えた奥の扉だった。
よって先程の会話も含め、あの二人の所へ行くのだろうと理解した利也は、その後ろを静かに歩きついて行ったのである。
奥の部屋に辿り着いた彼女は、ドアを開けて中に入った。そこには椅子に座った高岳さんと、立ったままぺこぺこし続ける店長の姿があった。それを見た彼女は、一緒になって頭を下げた。
「お客様、先程は有難うございました。またお騒がせして申し訳ございません」
利也も続いてお礼を言った。
「さっきは僕やお母さんを助けてくれてありがとうございました」
彼女はそこでようやく利也の存在に気付いたらしく、振り向いて驚きの声を上げた。
「いつの間に。ここは勝手に入っちゃ駄目だから、戻りなさい」




