第二章~⑧
事件とは言ったけれど少し大げさだ。実際はちょっとした騒ぎに過ぎない。
学校の都合で通常より早く授業が終わった為、利也は家に戻らずそのまま佐知が働く店に行った時のことだ。いつもなら校庭や他の遊び場で友達と遊んだり、彼女が帰宅するまで留守番をしていたりしていた。
けれどあの日は翌日から四年生以上の学年が遠足に行く予定だったので、持参する菓子等を買う為に彼女が働く店へと向かったのだ。
その際、特に友達と約束した訳ではなく一人で行った。だがスーパーには同じく菓子を買おうと、他の学年も含め集まっている子達が沢山いた。
よって店内の、特に菓子コーナーはとても騒がしかった。しかも通常の買い物に来ている他の客だけでなく、店員達も眉を顰めるほど大声を出し、走り回る子達までいたのだ。
それが余りに度を過ぎていたからだろう。客の中にいた一人の高齢女性が、店員に対し注意するよう抗議したらしい。そのクレームを受けたのがレジ打ちをしていた佐知だった。
他にも先輩でベテランのパートや、正社員の男性店員はいたはずだ。けれど彼らは前に出たがらなかった。というのもそうした光景は毎年のことで、見慣れたものだったからだろう。しかも子供達の親の大半は、よく店を利用する常連達だ。中にはその地域の地主や、市議会または県会議員などといった人がいる。
またかつて同じように騒がしかった際、それを知らないパートが子供に厳しく注意し泣かせてしまったところ、後日親から猛抗議を受けたことがあるらしい。結果そのパートは店を辞めさせられたそうだ。よって長く勤めている人は当時の事情を把握しており、店側としてはできるだけ目を瞑っていたかったと思われる。
たった一日の、ほんの限られた時間だけ我慢すれば良いと分かっていたからで、それは佐知も同じ気持ちだったのだろう。
ただ高齢女性はそれを許してくれなかった。
「これだけ大騒ぎして他の客が迷惑しているのに、どうして放って置くの。一体あなた達はどういう教育をされているのかしら。しっかり対応して頂戴」
言い分は正しい。利也だって騒ぐ子供達が悪いと思っている。やんわりとだが、学校の先生達からも事前に注意を受けていた。だから一人で静かに買い物をしようと思っていたのだ。
それでも限られた金額ではあるが、この時ばかりと自分で自由に菓子を買える嬉しさや、楽しくてしょうがない喜びから子供達は騒いでしまうのだろう。
そこで客とこれまでの経緯との板挟みに合い、誰も助ける人がおらず困っていた彼女の姿を、利也は偶然見てしまった。
その為に意を決し、やや大きめの声で言ったのだ。
「他の人の迷惑になるから静かにしようよ。先生も言っていたじゃないか」
すると一瞬だけ利也の周りが静かになった。けれど運が悪い事に、体も大柄な六年生の男子が近くにいた為、怒鳴り返されたのだ。
「誰に向かって言っているんだ。生意気な奴だな。お前、何年だ」
そのまま胸倉を掴まれ、さらに突き飛ばされ床に転がった。その様子を見ていた佐知が慌てて駆け寄り、利也を抱き起こした。
「大丈夫。怪我はしてない?」
「うん」
少しお尻は痛かったが、我慢して小さく頷いた。そこで彼女は六年生に目を向け言った。
「暴力は駄目でしょう」
しかし彼は怯まなかった。
「こいつが先に喧嘩を売って来たんだ」
「違うでしょ。おばさん、見ていたんだから。この子は騒いでいるあなた達に注意しただけじゃない。学校の先生達からも言われているでしょう。お店では他のお客さんに迷惑をかけないようにって。騒がないよう注意を受けているはずよ。あなた六年生でしょ。この中で一番年上のあなた達がお手本にならなきゃいけないのに、そんな態度をしたら下級生だって言うことを聞かないじゃない」
「うるさい、ババア」
そんな暴言を吐かれた時、周囲を取り囲んでいた中に利也の同級生がいたらしく、余計な事を口にした。
「この人、利也のお母さんだよ」
それを耳にした六年の男子は笑い出した。
「なんだよ。お前、母ちゃんの前でいい格好したかっただけじゃないか。利也って言うのか。何年だ」
「この子が何年生かは、今関係ないでしょう」
彼女が庇ってそう言い返すと、彼は反論した。
「子供の喧嘩に親が入って来るのなら、こっちも出すよ。俺の父ちゃんはS県の県会議員だ。あんたなんかすぐ首に出来るんだからな」
後で知ったが、かつて店のパートを首にしたのもこの親だったようだ。彼の三つ上の兄が騒いで注意され泣いた為、恥をかかされたと怒鳴り込んだらしい。その為、経緯を知る近くにいた店員やパートは皆、縮みあがってしまった。彼女も分かったのか、そのまま黙ってしまったのだ。
利也の手前、何か言い返したかったと思うが、そうすれば仕事を失う恐れがある。そうすれば決して裕福でない家庭が、さらに困窮するのは目に見えていたからだろう。
ただ親として子供を守ってあげられないことに、忸怩たる思いをしていたはずだと今なら理解できる。けれど当時の利也はどうして何も言ってくれないのかと腹を立て、また哀しくなり悔し涙を流した。そこに追い打ちをかけたのが、彼の取り巻き達だった。
「そうだ、そうだ。く~び、く~び」
恐らく彼の兄の際、そうした事があったと知っていたのだろう。それもあって特に彼らはこの店なら好き勝手でき、大声を出し騒いでも構わないと思っていたようだ。
それに触発され、他の関係のない子達まで浮かれてはしゃいでいたと思われる。
収拾がつかない状態がしばらく続いた。最初にクレームを入れた高齢の女性は、いつの間にか姿を消していた。県議の子と聞き、巻き込まれたくないと思って逃げたのかもしれない。
クビコールがなかなか止まないそんな時、突然現れたのが高岳さんだった。
当時既に六十を過ぎていたが、どこか迫力のある人だったことを覚えている。背はそれほど高くないし怖い顔でもなかった。今思えばあれがお金持ちの持つ威厳、貫禄だったのだろう。
どこからともなく現れた彼は、六年生男子の前にしゃがんで視線を合わせ、何でもないような素振りで聞いたのだ。
「君のお父さんの名前は何て言うのかな」
不意を突かれたからか目を丸くしていたが、彼は胸を張ってその名を告げた。すると高岳さんが言ったのだ。
「おお、あいつなら良く知っているぞ。今から電話してみようか」




