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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
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幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳  6

「子は岩陰(いわかげ)(むせ)清水(しみず)よ」とは、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、

「お辰が木曽路に伴われ、叔父の下で苦しみながらも清らかに成長するさまをいう」とある。(P.174)

 下 子は岩陰(いわかげ)(むせ)清水(しみず)


 格子戸をがらがらと()ける大きな音がしたかと思うと、閉める音は静かである。七蔵は装い立派に着飾って、顔つきも高慢くさく、長らく連絡もせずにいた詫びの挨拶もなく、誇ったように今に至ったあらましのあれこれを語り、女房に(みやこ)見物(けんぶつ)をさせる方々、お近づきにと連れてきたと、偉そうに話す。そして、その後に続いて、下げる頭もしとやかに、

「私めは(きち)と申す不束(ふつつか)な田舎者、(しあわ)せなことにご縁の端に繋がりました上は、何卒末永く、お目に掛けられまして、お嫌ではございましょうが、本当の妹とお思いになって下さりませ」と、話す口振りは、素直な山里育ちで、信頼がおけるように見えて、室香は嬉しく、重い頭を上げて、丁寧に挨拶をすれば、お吉、女心の柔らかな(なさけ)は深く、

(あね)(さま)がこれ程のご病気で、(こと)(さら)小さいお子もおありになるというのに、他人任せにしておいて、祇園、清水(きよみず)、金閣、銀閣を見ても何が面白いと言えましょう。私はこれからお傍を離れず、ご看病いたしましょう」と言えば、七蔵は膨れ面をして、腹の中では余計なことをと思いながらも、『それはならぬ』とも言いにくく、

「それなら、この家も狭いし、俺だけは旅宿(やど)に帰る」と言って、その晩は夜食に一酌飲んで、微酔(ほろよい)に浮かれてそぞろ歩き。鼻歌に酒の()を吐きながら、川風寒い千鳥足、足も乱れて先斗町、川端辺りでひと遊びしようかという浅ましさ。

 室香はお吉に逢ってから三日目、我が子を(ゆだ)ねるところを得て気も休まり、これは天の恵みと、臨終の際、仏法を真から思い願って、安らかな大往生。最期に唱えた美声の南無阿弥陀仏の称名念仏(しょうみょうねんぶつ)は、粋な芸者であった室香の生涯を見送るように、歌舞伎で主役が(うれ)いにしずんで花道を引っ込む時に奏でられる三味線囃子(しゃみせんばやし)の『送り三重(さんじゅう)』のようであった。京都東山の鳥部(とりべ)()の火葬場において、一片の煙となって仏法の風に吹かれながら舞う室香、『極楽に歌舞の女菩薩が一人増えたこと間違いなし』と、事情を知っている和尚様はありがたい、ありがたいと、感激の涙を流すのであった。

 お吉はその家をそのままにしておくこともできないので、雇っていた婆には金をやって、暇を取らせ、色々と片づけていると、持仏(じぶつ)(だな)の奥に一つの包み物があるのを見つけた。『これは何?』と不思議に思いながら開けてみれば、様々な貨幣(かね)が合わせて百円足らず、『これは!』と、驚き、よくよく見ると、

『我が身に万一のことがあれば、お辰を引き取って下さる方へ、せめてものとして、心ばかりではありますけれども、細々とした暮らしの中から一銭、二銭と貯めて置いたものをお渡しいたします』との包み紙に筆の跡。読みかけて、身の毛が立つほど悲しく、これまでに思い込んだ子どもをこのまま育てずに置かれようかと、遂に五歳のお辰を連れて、夫と共に須原に戻った。

 しかし、因果は賽子(さいころ)博打(ばくち)の壺の中の(ふち)を回るよう。七蔵は本性を現し、持てる資産を背景に、丁半博打を争えば、徐々に(あく)()の食い物にされて、痩せていく身代の行く末を気遣う女房はうるさく意見をするけれども、

「何の、女が心配することではないわ。博打はピンからキリまで承知しておる。いかさま手品にかかるような俺ではない。負けるばかりではない」と、駈けだしては三日帰らず、四日帰らず、あるいは、松本善光寺、または飯田高遠あたりの賭場を歩き、負ければなおも『泥棒に追い銭』の愚を尽くし、勝てば飯盛(めしも)り女にも祝い酒だとあぶく銭を費やす有り様。この癖は『止めて止まらぬ春の野の馬』が駆け出すように、坂道を飛び下りるよりも早く、親譲りの山も林もなくなりかかり、その心労がもとでお吉は病死。お辰、僅か十歳の冬のこと。その時から浮き世の悲しみを知ったのであった。叔父が帰らないのを困り、途方に暮れていたのを近所の人々は、

彼奴(きゃつ)め、長久保(ながくぼ)の怪しげな女の所に居続けて、妻の最期も見届けないとは、何という憎い奴」と、お辰を憐れんで助け、葬式を済ませたが、七蔵はこれよりますます身持ちが悪くなる一方で、村内の心ある者から爪弾きにされるのも構わず、遂に須原の長者屋敷も、(むな)しく庭の石灯籠も美しい苔を添えたまま人手に渡し、長屋門の後ろの、大木の(もみ)の梢の吹く風の音だけは昔と同じように今も聞こえるけれど、そのすぐ傍の荒屋(あばらや)に住むことになった。しかし、下駄の歯と人の気風は一度歪むと一生治らないもの。何一つ満足なものが無い中にも、盃だけは手放さず、柴木(しばき)をへし折って箸にしながらも、象牙の骰子(さいころ)だけは後生大事に持つ愚か者。こんな叔父を持つ身に当惑しながらも、御嶽山(おんたけさん)に積もる雪のような肌は清らかに、石楠(しゃくなげ)の花のような顔は気高く生まれついたお辰。しかし、そんなお辰を嫁にしたいという者も、『七蔵』と言う名を聞いては土砂崩れや雪崩より恐ろしく、身震いして思い止まる有り様で、お辰は二十歳を越えても、痛ましや生娘。昼は手間仕事に肩を張るのに休む間もなく、夜は宿場の旅籠屋を回っては、これまで卑しい身分とされた人であるかも知れない客達にまで(なぶ)られながらの花漬売。帰りには一日の苦労の塊である銅貨の何枚かを酒に代え、

「お淋しゅうござりましたろう、お不自由でござりましたろう」と、機嫌を取りながら笑顔を絶やさず、まめやかに仕えているが、そんな時でさえ無理難題、この前も

上田(うえだ)娼妓(じょろう)になれ」と、言い放ったという。

 (いき)()を喰うという(たか)でさえ、冬の夜、捉まえてきた鳥の羽毛で自分の爪を温め、翌朝、鳥は食べずに逃がしてやり、その日はその鳥が逃げて行った方へは行かないようにして、恩に報いるというのに……。何という胴慾な男。


つづく


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