幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 7
「如是因」とは、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、
「諸現象が生ずるための直接の原因。風流仏の中核といっていい、珠運の心の中のお辰像が形づくられていくさま」とある。(P.177)
第四 如是因
上 忘られぬのが根本の情
珠運は種々な人たちがこの世の中で生きているありさまを、どう理解すればいいのか分からず、世の哀れを今宵しみじみと感じていた。建物の角にヒュウと鳴る山風の寒さが一段と身に染みて、胸が痛くなるまでの悲しさを我が事のように思い、鼻を詰まらせながら亭主に礼を言って、自分の部屋に戻ると、忽ち気が付くのは、床の間にある買い求めていた二箱の花漬。着物を脱いでゴロリと横になり、夜着を引きかぶればありありと浮かぶお辰の姿。首を差し出して眼を開けば花漬、閉じればおもかげ。
「これはどうしたことだ」と、呆れてまたまた眼を開けば花漬。
「アア、この花漬を見ると、さっきの浮世話が思い出されて眠られぬ。明日は馬籠峠を越えて、中津川まで行こうと思うのに、よく休んでおかなくては」と、行燈を吹き消して、気持ちを静めるが、瞼に浮かぶのは、またしてもお辰の美しい姿。
「エエ、馬鹿な」と、カッと目を見開いて天井を睨む眼に、今度は花漬は映らないが、闇の中から憎らしくも梅の花の香りが箱を洩れて、するすると枕に通い、何となくときめく心に浮かぶのは、見事に咲いた桃の媚びたような桜色。果ては薄荷菊の花まで今真っ盛りとなり、蜜を吸おうと飛んで来る蜂の羽音もどこかに聞こえるよう。
「耳さえもいらぬことに迷っては愚かというもの」と、瞼を深く閉じ、掻巻を頭から被るが、なんということ、今度は麗しい幻の花輪の中心に愛嬌を湛えたお辰が気高いだけではなく、後光まで朦朧とさして、まさに白衣の観音のようである。古人が作った彫物にもこれほどの物はないと、好きな道にこと寄せて恍惚となる時、物の響きが冴え渡る冬の夜、台所に荒れ鼠が一層騒ぎ出して、……寝られぬ。
つづく




