幸田露伴「風流仏」現代語勝手訳 5
「如是性」とは、「新日本古典文学大系 明治編 幸田露伴集」の脚注に拠れば、
「諸現象の特性。室香・お辰を襲う様々な困難が、お辰に付せられた特性ということ」とある。(P.170)
また、同書に拠れば、「母は嵐に香の迸る梅」に関しては、
「室香の困難を、嵐に吹き散らされる梅の香に喩える」とし、参考として、
『花の香をぬすみて走嵐かな』(犬子集 巻二)が記載されてある。
露伴の作品には話し言葉を意味する「 」がないことが多い。今回、宿屋の親爺が語る話も、自ら断っているように、どこまでが親爺の言葉で、どれが作中の人物の言葉なのか、あるいは作者露伴の文章なのか区別がつかなくなっている。
この勝手訳では、その名の通り、勝手に「 」を付けているので、その点、ご了解ください。
第三 如是性
上 母は嵐に香の迸る梅
「こんな山の中の食事といえば、何処も豆腐、湯葉、干鮭ばかりでありますが、今宵はあなたがわざわざ茶の間においで下さり、文明開化の時代の若い方には珍しく、この禿爺の話を冒頭からきちんとお聞きになるのが気持ちよく、夜長でもありますので、お辰の物語をもう一つの御馳走としてお話しいたしましょう。残念なのは去年ならもう少し面白く、哀れに申し上げて、軽薄な京の人、イヤこれは失礼、やさしい京のお方の涙を木曾に落とさせようものを、惜しいことには前歯が一本欠けましてな、そこから風が漏れて、この春以来、真宗の教義の御文章を読むのも下手になったと、菩提所の和尚様に言われた程なので、人情の機微を上手に語ったり、声を真似たりなどはできませぬが」と、断りながら、青内寺煙草を二、三服、馬子が使うような大ぶりの煙管でスパリスパリと長閑に吸い、無遠慮に木切れをさし焼べて、舞い立つ灰が袴に落ちてくるのをポンと払いながら、
「どうも私、小さい頃から『読本』が好きだったせいか、こういう話をいたしますと、図に乗っておかしな調子になるそうで、喋っている自分と話の中の人物がごっちゃになって分かりにくくなると、孫共にいつも笑われます。お聞きづらいとは思いますが、癖ということで、どうかご勘弁をいただきます」
さて、その後、室香はお辰を可愛いと思うことから、情には鋭い女の勇気をふり起こして、昔取った杵柄ならぬ三味の撥、ただし、再び握っても色里に出掛けて、馬鹿な大金持ちとか、知ったかぶりの通人らの仲に入っての周旋や、浮かれた酒客の機嫌を取るような商売は嫌だと、今回は三味線の撥も象牙から地味な柊に替えて、児童を相手に音曲指南。芸は素より鍛錬を積んでおり、品行もよく、その上我が子を育てようという気の張りがあるので、自ずから弟子にも親切で、良いお師匠様だと世間に知られて、ここに生計の糸道も開け、細々とではあるけれど、安らかに日を送ることが出来ていた。しかし、たとえば稽古をつけている小娘が清元節で『今も昔は~』っと調子外れの金切り声を上げる度、お辰が『わっ』っと泣き立つことが屡々あって、室香はそんな我が子が可哀想になり、苦労ある身で乳も不足していたこともあって、思い切って近いところへ里子にやり、必死になって働いておりましたが、そんな様子を見て、余所の人たちも『ああ、感心なこと』と涙を流したものでありました。それにつけても、つれないのはお方様、その後、何の便りもなく、手紙を出そうにも宛所が分からず、まさかお辰を背負って親子巡礼にも出られないので、逢えるのは最早夢の中だけ。目覚めて考えるに、夢の中で逢っても一言も口を利かれなかったのは、もしや流れ弾にでも当たられて亡くなられたか。茶を断ち、塩を断って『きっとご無事で』と、祈っているのをご存じないはずもないのに、神様がこの恋を知らないなら有り難くもないと、愚痴と一所にこぼれる涙、流れて止まらない月日をいつもいつも憂い明かし、恨みに暮らして、自分が歳を取るのは気づかないけれど、早いもので、お辰はちょろちょろと歩き出し、たまに里親と一緒に来ては、回らぬ舌で菓子をねだる口元、愛しい方様に生き写しだと抱き寄せて離しがたく、遂に三歳の秋から引き取って膝元で育てれば、少しは気も紛れて、貧家にも温い太陽が当たるように、淋しい中にも、お辰の笑う唇の動きに貴いものを感じて、心和むのでありました。
とは言うものの、この子の愛らしい姿を見ようともされないのか、家に帰られないつれなさ、子供心にも親は恋しければ、父様がお帰りになった時は、こうしてご挨拶をするものだと教え、お辞儀の仕方もよく覚えて、『起居動作のしとやかさ、良く躾けたもの』と誉められる日を待っているのに、何処の龍宮へ行かれて乙姫様の傍にでもおられることかと、少しは邪推の焼き餅もあるけれど、それは自分を忘れられるより、子を忘れられることを思うところにあるもの、正しい女の切なる情でありますが、お天道様はどういう訳か、これを恵まず、運というものは賽子の目と同じで、どんな目が出るかわからないもの。お辰の叔父は、『ぶんなげの七』と渾名されている道楽者。男振りはいいものの、根性は図太く、誰にも彼にも疎まれて、大の字に寝ても一坪にもならない小さい身体を、広い都には置きかねて、漂い歩いての渡り大工。段々と美濃路を経て信濃にやって来た。折しも須原の長者であった隠居所の作る手伝いをしていたが、柱を削れ、羽目板を付けろと、棟梁の指図には従っても、墨縄のように真っ直ぐには生きられない道楽者。お吉様と呼ばれていた秘蔵の嬢様に優しげに近づいて、鉋屑に墨でもって思いを書き記したのか、とうとう唆して、とんでもない『穴掘り仕事』をやってのけた、それも縁ならどうしようもないと、可愛さに眩んで男の性質も見分けられなくなった長者の『似非の粋』、三国一の狼婿を取って安心したのか、知らぬが仏というのか、その年に仏様になられた後は、山林、家、蔵、縁の下の糠味噌瓶まで譲り受けて、村中の寄り合いの席には大きな顔をしてどっかりと上座に着く。アア、何という片腹痛い世の中ではあったもの。一方、哀れ室香は、叢雲があちこちに出来て大風の吹く頃、たいしたことはないと思われた風邪が酷くなって、起き上がることも出来なくなってしまった。秋の夜、冷ややかに虫の音が遠ざかって行くのを聞きながら、寝床で独り、考え事ばかりするようになった。自ら、もうすぐ儚くこの世から消えてしまうのだろうと知り、お辰の素性のあらましを震える筆に滲む墨で覚束なく認めて、守り袋に父の書き捨てた短冊一片と一緒に蔵めてやり、明日をも知れぬ自分が死んだ後、頼るところもないこの子を、どんな境遇に落ちたとしても、加茂の明神、どうかお憐れみ下さいませ、もしこの子の父親が生きているなら巡り合わせてくださり、『芸子も女、そのやさしい心根が嬉かったぞ』と、方様の一言を草葉の陰にお聞かせ下さいませと、遠くを仰ぐようにして祈って閉じていた眼を開けば、燈火僅かに螢のような弱い光の下、何の夢を見ていたのか、罪のない寝顔のお辰、せめてもう十ばかり大きく育てて、銀杏髷を結わしてから死にたいと、袖を噛んで忍び泣く時、お辰は夢の中で何に襲われたのか、『アッ』と声を立て、
「母様、痛いよ、痛いよ、ウチの父様はまだ帰らないか、源ちゃんが打つから痛いよ、父がいないのは、犬の子だって打つから痛いよ」と。
「オオ、道理じゃ」と、抱き寄せれば、そのまますやすやと眠るいじらしさ。
「アア、死ねない、死なれぬこの病の身、これほど情けないことがあろうか……」
つづく