番外編 侯爵令嬢ペネロペの出会い
さくり、さくり。ざあ、ざあ。
外は雨である。ペネロペはクッキーを齧りながら友人からの文を読んでいた。なんでも最近結婚したらしい。お相手は大学の年上の後輩で、物理学を専攻しているという。
ペネロペは二度手紙を読み、思わず叫んだ。
「いや、する前に言いなさいよっ!?」
寧ろ何故言わないのだ! 結婚祝いだって送っていないじゃないか! 義姉妹だというのにどういうことだ!
ペネロペは憤慨し、夫・ベルトランの執務室に駆け込んだ。
「旦那さま! こういうわけでフェデリカに祝いの品を贈りますが、エスピノサ家の総力を以て最高の品を選んで宜しいですね!?」
「あぁ、結婚するのか。おめでとうと伝えておいてくれ」
「わかりました。もう、あたくしにまで言わないなんて信じられない!」
「はっは。仲がいいんだな」
「学園で唯一得た、損得抜きの友人ですもの。全くもう、あの頃と全然変わらないんだから」
言いながら、ペネロペは初めてフェデリカと出会った日のことを思い出していた。
14年前の6月。あの日もこんな風に雨が降っていた。
***
ペネロペ・ジュスティーナ・ディ・デル・ヴェッキオは由緒正しきデル・ヴェッキオ侯爵家の令嬢だ。幼い頃にひとつ年下の宰相家次男、ティベリオとの婚約が決まったが、この男は王太子の婚約者であるカヴァリエリ令嬢に熱を上げていた。カヴァリエリ令嬢本人もその気だというのが始末に負えない。政略結婚に情がないことは父母を見て知っていたが、流石に辟易したものである。
12歳になり、箔をつけるため、交友関係を広げるために貴族学園に入学した。王太子がひとつ下の学年にいるせいもあるだろう、ぺネロぺと同じ学年には伯爵家以上の上級貴族が多く、交友関係は打算に満ち溢れたものとなった。予想はしていたが、少しくらい打算抜きの友達が欲しかったペネロペはこれを残念に思った。
「ごきげんよう、ペネロペ様」
「ごきげんよう」
級友たちが帰ると、ペネロペはひとりで図書室に向かった。跡取り娘というのは然程多くない。放課後はお茶会をしたりカフェに行ったりする令嬢が多い中で、ペネロペは静かな図書館で本を読むことを日課としていた。
そんなある日のことである。
ペネロペは図書室でひとりの令嬢を見かけた。白い肌によく映える黒い髪。本に落とされた瞳の色は窺い知れない。己以外で初めてひとりの令嬢を発見したペネロペは彼女に興味を持った。読む予定の本を抱え、机を挟んだ向かいの席に腰を下ろす。怪訝に思ったのだろう、令嬢は顔を上げた。紫水晶のような瞳が、窓からの光を浴びて輝いた。
ぺネロぺは頭の中で貴族名鑑を捲る――あった。デアンジェリス家令嬢、フェデリカ。子爵家の令嬢でありながら、母方で王家の血を引く稀有な人間。
「初めまして。あたくしはデル・ヴェッキオ侯爵令嬢、ペネロペ。よろしくね」
「......デアンジェリス子爵令嬢、フェデリカと申します。よろしくお願い申し上げます」
なんだこの人、と分かりやすく書かれた顔を前にして、ペネロペは思わず笑ってしまった。
「あたくし、普段図書室をよく利用しているのだけれど、他の令嬢はあまり書物を読まないの。あなたのような令嬢を見つけられて嬉しいわ」
「はあ。左様ですか」
なんとも気のない返事である。
「確かあなたも長女よね? 領地経営の勉強でもしているの?」
「いえ。飛び級試験に向けての勉強をしております」
淡々と告げられた言葉に、ペネロペは目を丸くした。
飛び級試験。貴族学園に存在する制度だが、交友関係を築くこと、婚約者を見繕うことが主目的となった現在では使う者がほぼいない制度だ。
「なぜ飛び級を? 急ぐ必要もないでしょうに」
「早く大学に入りたいので」
「大学? あなたは学士になるの?」
「はい」
女性に学問の自由が認められたといえど、未だに古い考えの者も多い。そんな中で我関せずとばかりに大学に進む同い年の令嬢――興味が湧かないわけがない。
「何を学ぶの?」
「物理学です。具体的には光の研究を行いたいと思っています」
「光の研究? それはどんなものなの?」
驚いたことに、今まで面倒くさそうな表情を隠そうともしていなかったフェデリカは、水を得た魚の如く滔々と語り始めた。ペネロペはその情報量に圧倒された。
「――というわけでして」
「この辺で終わりにしてちょうだい」
「失礼いたしました」
ぺネロぺは途中で制止をかけた。そうでもしないと閉館時間まで語り倒しそうな勢いだったのだ。
「――ねえ、あたくし、あなたに興味があるわ」
「左様ですか」
「お友達になりましょう」
「めん......いえ、下級貴族である私が上級貴族であるデル・ヴェッキオ令嬢とお友達になるなんて恐れ多いことです」
「面倒くさいって言おうとしたわねあなた」
えーやだなーめんどくさいわー。
フェデリカの表情は分かりやすい。ぺネロぺはにっこり微笑んだ。
「拒否権はなくてよ」
「分かりました、デル・ヴェッキオ令嬢」
「ペネロペでいいわ。呼び捨てで。その代わりあたくしもフェデリカと呼ぶから」
「はあ。畏まりました」
それから暫く、図書館で隣に座り黙々と本を読んだり、互いの勉強について話す穏やかな日々が続いた。授業棟で見かけると逃げようとするので、笑顔で何度か呼び止めてやった。渋々近くまで来るのが面白いのである。
「ペネロペ様、あのような下級貴族と関わってはいけませんわ。我々とは違うのですから」
「あらあなた、あたくしに意見するつもり?」
「っ、そ、そのようなことは! ただペネロペ様のご評判に関わると思い」
「そう、下級貴族ひとりと関わりを持っただけであたくしの評判が悪くなると言いたいのね。ご忠告ありがとう」
ペネロペの取り巻きは徐々に数を減らした。家同士の交流と本人の人柄を鑑みてだったが、諫言したことが原因であると、フェデリカを逆恨みする者もいた。手を出すなと釘を差しておいたのだが、防げないものもあったらしい。ペネロペが図書館に向かう道すがら、庭を横切る射干玉の髪が目に入った。制服の色からして1年、しかし女子にしては背が高いのでフェデリカだろうと見当をつけ、ペネロペは後を追った。
「――フェデリカ!」
「ペネロペ」
追いついてからペネロペは絶句した。フェデリカは全身ずぶぬれであった。持っていたのであろう書物も濡れている。誰かに上から水をかけられたらしい。
「お聞きしたいのだけれど、タランティーノ令嬢とは親しくしているのかしら」
フェデリカが挙げたのは最近取り巻きから追放した伯爵家の令嬢の名だ。いいえ、と首を横に振ると、そう、とだけフェデリカは言う。その声はぞっとするほど静かであった。
「タランティーノ令嬢がやったの? あたくしから注意を」
「必要ないわ。私を助けたいなら――そうね、黙っていてくださるかしら」
冷え冷えとした声を聞き、一体何をするつもりだ、とペネロペは顔を強張らせた。
――タランティーノ令嬢が学園に来なくなったのは、それからひと月後のことであった。




