番外編 侍女は見た
「えっ......わたしが妃殿下付きに!? よろしいのですか?」
「えぇ。あなたの勤務態度は随分いいと評判だから」
「ありがとうございます、侍女長さま!」
ベルタはるんるん気分で侍女長室を出た。一代限りの騎士爵を得た商人の娘、王宮勤めの侍女となり、男爵家の嫡男に見初められて貴族となった。それから早15年、地道に働いていたが、ここに来て大出世である。
現国王、レナート一世は即位して僅か1年半だが、既に名君として名高い。先代国王が王位継承権を持つ貴族領へ掛けていた圧力を解いた他、海の王国からの技術輸入、税制改革など、様々な事業を手掛けている。王妃も執務を積極的に担っているそうで、大学で研究していたこともあって賢妃と呼ばれている。
「楽しみだなぁ」
どんなにか素晴らしい方なのだろう。早く帰って夫と子供に自慢しよう。
***
「ベルタ・ローザ・ディ・ガッティと申します。よろしくお願いいたします」
よろしくね、と声が返ってくる。ベルタと同じくらいの年頃の侍女が多いが、子爵家や伯爵家の人が多いのだろう。仕草や言葉遣いに気品が見える。
「ねぇあなた、陛下と妃殿下の仲については知っていて?」
ベルタは先輩侍女の笑みを見て、何と返答すべきか考えを巡らせた。
「陛下が即位された頃に、相思相愛であると、またその逆であるともお聞きしました」
「どちらだと思って?」
「わたくしにはわかりかねます」
「そう。では楽しみにしてるといいわ」
楽しみとは?
夜勤との交代で寝室に入った。主寝室と副寝室があるが、なんでも国王夫妻はずっと主寝室を使っているという。国王夫妻は大きなベッドの上でまだ眠っている。だがしかし、ベルタはこの段階で噂の真偽を確信した。
何せ国王陛下が妃殿下を抱きしめるようにして眠っているのである。どう見ても相思相愛一択であろう。あぁよかった、とベルタは胸を撫で下ろす。ギスギスした雰囲気の方の傍にいると疲れてしまう。
日が昇った頃にようやくふたりとも動き出した。
「フェデリカ、おはよう。愛しているよ」
「......おはようございます、レナート」
相思相愛だな、とベルタは再び確信を抱く。おはようと同時に愛しているという夫婦がどれだけいることか。
副寝室に移り、身支度を済ませる。今日のお茶会の段取りを確認した後で、侍女長はずっと隅に控えていたベルタを手招きした。
「こちらが新任の侍女、ガッティ男爵家のベルタでございます」
「ガッティ夫人、顔をお上げなさい」
妃殿下は柔らかな笑みを浮かべていた。
「ベルタ・ローザ・ディ・ガッティが妃殿下に拝謁いたします。この度は侍女としてお仕えする名誉を賜り、恐悦至極でございます。誠心誠意取り組んでまいります」
「8月のお茶会ぶりですね、ガッティ夫人。あなたの働きは我が侍女団に相応しいものと聞いています。今後とも王家への忠誠を忘れず務めを果たすように」
ベルタは深く頭を下げた。
妃殿下の1日は忙しい。
日の出頃に目覚め、一時間ほどかけて身支度。朝の礼拝後は慈善事業やお茶会の打ち合わせ。それが終わると、10時半頃に軽めの朝食を召し上がる。11時から13時までは謁見やお茶会があり、13時半頃に陛下と共にご昼食。14時半から18時までは休憩時間で、芸術鑑賞や散歩。その後夜の礼拝をし、ご夕食。舞踏会や夜会が開かれることもある。
今日は舞踏会や夜会がなく、お茶会だけなので比較的楽ではあるそうだ。それでも決して気が抜けない。
「ねえ聞きまして? ヴィヴァルディ伯爵夫人のこと!」
「えぇ、存じておりますわ。なんでも家の財産を改竄したとか——」
お茶会の間、侍女は給仕を担当する。同時に大事なのが、貴婦人たちの動きに気を配ることだ。お茶会は大事な情報交換の場、ひとつでも不審な動きや気になることがあれば妃殿下に奏上しなければならない。ベルタは気取られぬよう、さりとて見逃さないようにと目を配った。
「お茶会はどうだった?」
「ヴィヴァルディ伯爵夫人の横領の話や修道院への寄付の話が出ていました。それとマドレーヌが美味しかったです」
「今度作ってみようか」
「では味見係になります」
「よろしく頼むよ」
国王陛下はその身分に似つかわしくないことに、時折厨房に立って妃殿下の為にお菓子を作るという。
「午後は部屋に?」
「はい。もう一度実験資料を読み直そうかと。レナートは?」
「厩にでも行こうかな。実験資料を読んでいる時の君は、周囲に目もくれないから」
妃殿下も、その地位に似つかわしくない光の実験なるものをしている。難しすぎてベルタには理解できない。
「それではまた晩餐の時間に。愛しているよ、フェデリカ」
蕩けそうな笑顔を浮かべた国王陛下は、妃殿下の髪を一筋掬って口づけを落とした。内心でうわあ甘いわ溶けそうだわ、などと思っていたベルタは、妃殿下に視線を移し驚愕する。あぁまたね、はいはい、とでも言いたげな表情であった。
「はい、それでは」
ベルタはたっぷり3秒ほど固まった。
はい、それでは、なの!? こういう時って私もです、って頬を染めて恥じらうもんじゃないの!? なんでそんな平然としてるの!?
ベルタの頭に大量の疑問符が飛び交う。先輩侍女たちの全く動じていない様子を見て、これが朝言われたお楽しみなのだと理解した。
***
当然のこととして、侍女は仕事のことを誰にも話すことが出来ない。数日に亘りこのような光景を——つまり陛下が愛を囁き、妃殿下が興味なさそうに返答する場面を何度も見たベルタは、完全に陛下の片思いなのだと認識を改めた。好きな人に愛していると言われて顔色を一切変えない人がいるだろうか、いやいない。
——それにしても、どうして陛下は妃殿下のことを好きになったんだろう?
かつてはある人に心を捧げていたという陛下。王命での婚姻相手に心を移すような出来事があったのだろうか。美しい方だが、社交中は愛想笑い、部屋では無表情、研究とやらをなさっている時は頻繁に呻いている妃殿下のどこがいいのか、ちょっとよく分からない。辺境伯家の養女ではあるけれど、生まれは子爵家。寵愛している振りなんて必要ないはずなのに。
悶々と考え込んでいたある日のことである。
「妃殿下、以前仰っていた放物面鏡が、工房から届きましてございます」
「ほんとう!?」
昼餉が終わった直後、侍女長が言った。すると妃殿下は、これまで見たことがないような明るい顔で笑ったのである。思わず目を奪われるような、そんな笑みだった。元々お綺麗な方ではあるけれど、天使だと錯覚してしまいそうである。
「なら、すぐに研究所に向かうわ。着替えをするから準備をお願い」
「畏まりました」
質素なドレスに着替えると、妃殿下は王立研究所に向かわれた。置いてある鏡を矯めつ眇めつ眺めているその視線を見て、ベルタは妃殿下の最愛を理解したのである。
そして思った。
陛下、可哀想! 鏡に負けてる! と。
「聞いてくださいレナート、放物面鏡で実験したらやはり光の収束具合が全然違うんです。天文台との実験日に間に合ってよかった、明後日には実際に使えそうです」
「それはよかった。腕のいい鍛冶師を探した甲斐があったよ」
「ありがとうございます、レナート」
その日の晩餐である。妃殿下はいつになく艶やかな笑みを陛下に向けた。多分その脳裏に思い描いているのは先程の鏡なのだろうが、それでも陛下は嬉しそうだった。妃殿下の喜びが自分の喜びだとでも言わんばかりである。
ベルタには分からない。自分が想う相手からは、同じように想われたい。同様に、こんなにも美しく賢く地位のある方から愛されて、全く別の方向に愛を注いでいる妃殿下も理解できない。
ベルタが不信感を抱き始めた頃、国王陛下の生誕祭の時期がやってきた。
「フェデリカ、それはこっちに入れるんだよ」
「あえっ」
「一度他のものに注意しながら出してしまおうか」
「申し訳ありません.......」
どうして厨房に国王夫妻がいるのだろう。
ベルタは厨房の片隅に佇みながら思った。ベルタの目の前で陛下と妃殿下が何やらお菓子を作っている。器用に進めていく陛下と違い、妃殿下の手つきは危なっかしく、既に何度も失敗している。
「陛下と妃殿下は何を作っていらっしゃるのですか?」
「フルーツタルトですって。妃殿下がお好きみたいで、去年もこうして作っておられたわ」
「そうなのですね」
ベルタは不思議な気持ちでふたりを眺めた。料理なんて、王侯貴族には縁のないものだ。それをこの国の王夫妻がやっているなんて、どこか信じがたい。いつも澄ましている妃殿下が慌てているのは、なんだか可愛らしいけれど。包丁で指を切り落とすのではないか、心配でならない。
「できた!」
「お疲れ様、フェデリカ」
出来上がったタルトは歪だが、フルーツの質がいいせいかおいしそうに見える。
「いえ、殆どレナートにやってもらったようなものですし。レナートこそ、執務が大変だったと聞きましたが、お疲れではありませんか?」
「一緒に作れて楽しかったよ」
「ならよかったです」
その時、妃殿下は淡く微笑んだ。鏡に向けていたのとは熱量が違う、けれど確かな笑みだった。
「切ってしまいましょうか」
「やるよ。君は指を切り落としかけた前科があるからね」
「少しは成長したはずですよ」
「出来立てのタルトに血をつけたいと言うのなら止めはしない」
たわいもないことで言い争うふたりを見ていて、唐突に、腑に落ちた。
妃殿下の一番は研究なのだろう。けれど同時に、陛下への愛も育っているのだ。恐らく、妃殿下自身は気づいてはいないのだろうけれど。愛の告白をあんな風に流してしまうのだから。
——けれど、妃殿下が私も好きです、と言う日は近いだろう。
タルトを互いに食べさせ合うふたりを見て、ベルタは微笑んだ。




