第二十九話 警告
フェデリカの誕生日から数日が過ぎた。表向き何事もなかったかのように時は進んでいる。
「――おはよう」
「おはようございます......」
今日も今日とてフェデリカはレナートの腕の中で目覚めた。これまではフェデリカがレナートとの距離を詰めるだけだったのだが、なぜか起きたらレナートに捕まっているのである。
「フェデリカ」
昼餉の後、部屋に戻り手紙を読んでいると、背後から抱きしめられた。レナートはどうやら最近フェデリカのことを抱き枕認定したらしい。気にせず手紙を読み進め、フェデリカは声を弾ませた。
「レナート、聞いてください。イルミナーティ天文台から承諾が取れました。日程を調整して実験に入ろうと思います」
「よかったね。建国祭の前に終わるかな」
「......キエザから戻ってから始めることになるかもしれません」
イルミナーティ天文台で計測する人員選び、道具運び、打ち合わせ。手紙でやりとりしていたら、随分時間がかかるだろう。
「建国祭が終わったら、楽しいことが沢山あるな」
「はい!」
フェデリカは声を弾ませた。キエザに一度戻り、実験をし――これを胸躍ると言わずしてなんと言おう。
――それに、ちょうど確認したいこともあったし。
フェデリカは机の上に置いた解剖図鑑に視線を落とす。友人がくれたものとはいえ興味がなく、放置するつもりだったけれど、意外と役に立った。専門外のフェデリカでも簡単に理解できるものを選んでくれたのかもしれない。
「レナート、そろそろ行きましょう」
「あぁ」
庭園に行こうと促すと、ようやく解放される。人肌が恋しいのだろうか。こういう場合どうすればいいのか、フェデリカにはとんと分からない。
***
「ねえヴァッレ、聞いて聞いて!」
「うお。なんだ、出合頭に」
カルミネは興奮するラヴィニアと遭遇してぎょっとした。この顔をしている時は話が長くなるのだ。
「あのねあのね、海の王国からお取り寄せした顕微鏡がね、すごい倍率なんだよ! とても小さい物もよく見えるの!」
「へえ。医学で役に立つのか」
「うん! さっき試しに血管を見てみたんだけど、すごかった......! 赤血球があんなに鮮やかに見えるなんて! あの感動は見た人にしか分からないよ、きっと」
「そーかそーかよかったな。アンヌンツィ......妃殿下に文でも書いてやれ」
「確かに! ディーにも教えてあげようっと」
数学専攻の自分にも物理学専攻のフェデリカにも縁のない話であるが、矛先をフェデリカに向けておくことにする。
「そういえばディー、もうすぐ視察に来るんだよね? 医学の教授に伺いたいことがあるって言ってたんだけど、誰に聞けばいいかわかんないって言ってた。ヴァッレ分かる?」
「なぜ私に聞く......」
「お貴族様の偉いことはわかんないから!」
無邪気に宣うラヴィニアを前に、カルミネは溜息を吐いた。確かに、ラヴィニアに任せるのでは不安だろう。医学の教授の一覧を思い起こし、現在の王国の貴族情勢と比較する。
「......コルティノーヴィス教授か、パヴァロッティ教授がいいんじゃないか」
「じゃあそうする! ありがとヴァッレ」
教授が全部の臓器を観察するから今日は徹夜なんだ、またね! と元気よく駆け出した背中に、カルミネは慌てて声を掛けた。
「おまえ走ると転ぶ――言わんこっちゃない」
ラヴィニアが曲がり角の手前でものの見事にすっころび、カルミネは助け起こそうと足を踏み出した。
「――大丈夫?」
「うん! ありがとう!」
それよりも早く、曲がり角から現れた男がラヴィニアを助け起こした。褐色の肌と黒い髪、頭に巻いた白い布——見覚えのある容姿に、カルミネは足を止める。
「お兄さんは海の王国の人? 医学専攻!?」
「砂の皇国だよ。専攻は生物学」
「なぁんだ、残念」
直接的な言い方にカルミネは肝を冷やした。しかしアーキルは気にしたそぶりもなく答える。
「ねえ、砂の国は人体解剖沢山できる?」
「どうだろう。公認ではないものは多いかもしれないね。娼婦や下位の妃、庶子の体が行方不明になることが多いから」
「じゃあいいや。ありがとう、お兄さん。さようなら!」
ラヴィニアがまたしても元気よく走り出し、男二人が取り残される。踵を返そうとした途端、こんにちは、と静謐な声がした。
「君は確か、ラ・ヴァッレ侯爵家の子息だよね。建国祭には、行かないの?」
「少々、研究が立て込んでおりまして......皇子は王都に行かれるのですか?」
「うん。使節団の一員として」
「そうでしたか」
沈黙が落ちる。ではこれで、と言いかけた時、またしても先を制された。
「君は令嬢と——王妃と親しくしていたよね」
「はあ......同期として、それなりには」
「では、伝えておいてほしい。建国祭の時期は、あなたと父の周辺に気をつけて、と」
それじゃあ、と言ってアーキルはカルミネの横を通り過ぎる。
「......父の周辺、だと?」
カルミネは逡巡し、鳩を飛ばすべく自室に戻った。




