61 これからどうする?
「レティシア!」
体を揺すられ、名を呼ばれた。そこでレティシアは悪夢から覚めた。次から次に傷ついた辛い記憶がよみがえって来る。
「大丈夫か? 一気に思い出さなくていいから」
そういってリーンハルトがハンカチで優しく涙を拭ってくれる。彼の青い瞳は不安に揺れ、触れる手は温かく、声は思いやりに満ちていた。
「私、私ったら、ごめんなさい。あなたに確かめもしないでミザリーの言うことを鵜呑みにしてしまった」
「違うよレティシア。それは精神操作をされたんだ」
「え?」
「今まで、思い出せなかっただろう? わざと傷つけ強い負の感情を植え付けたんだ。記憶を抑圧するほどの」
ぎゅっとリーンハルトに手を握られる。
「レティシアは悪くない。文字が読めないことやマナーを知らなかったこと。そのコンプレックスを刺激して、僻みや妬みを育てたんだ」
リーンハルトはそう言ってくれる。
「でも、それ、かからない人はかからないよね。だから私は」
十三歳以前の自分は、義父も義母も義弟も傷つけた。
「違う。あの時のレティシアは孤独で傷ついていた。それを利用されたんだ。だから悪くない。それよりもミザリーやニーナの様子に気付かなかった、俺たちが悪い」
義父母も義弟もそんなふうに思ってレティシアに謝罪したのだ。
「なんてこと……。あなた達は誰一人悪くない。そんなふうに言って欲しくない」
レティシアは少し泣いてから、お茶を飲むと落ち着いた。
「ねえ、リーンハルト。どうして精神操作を受けているって気付いたの?」
「違和感があったから。それに子供の頃もおかしいとは思っていた。前日まで仲良く遊んでいたし。
だいたいレティシアと仲良くなるのに、二週間近くかかった。幸いレティシアは甘いものをあげるとすぐ懐いたけれど」
「その言い方やめてよ」
レティシアが赤くなるとリーンハルトがくすりと笑う。実際彼はおやつをよく分けてくれていた。姉弟なのだから、普通逆だと思う。
「あの頃は俺の勉強が終わるの待ってて可愛かった。ドアを開けると待ちくたびれたレティシアが廊下でうたた寝していたこともあったな」
おぼろげながら覚えている。あの時は「レティ、風邪引くよ」と頭をなでて起こされた。そして次からは「勉強終わるまで大人しく待っててね」と部屋の中に入れてくれた。
「ちょっと、ほんとにもういいから」
仲が良くても悪くても、結局義弟に世話をかけているようで恥ずかしい。
レティシアが真っ赤になって俯くと、リーンハルトがコホンと一つ咳払いをする。
「言い訳になるから、あまり言いたくはないんだけれど。討伐隊に参加したとき、実は前日ではなくもっと前にレティシアに言うつもりだったんだ。父上と母上に言われて僕なりに考えて。
ところがミザリーに言われた一言で黙っていることにしたんだ。そんなことは初めてだ。今まで大して考えもせず急に気が変わるなんて事あまりなかったから。
後から随分と悔やんだ。それから、討伐隊でレティシアのループの話を聞いて、こっちに戻ってから調べ始めた。王宮に臨時だけれど職を持っているから、結構深い書庫まで入って行けたんだ」
「リーンハルト、調べてくれてたの?」
彼が苦笑する。
「調べたわりには後手に回った。どうしてもループの説明がつかなくてね。まあ、結局アーティファクトが原因だってことになったけれど」
リーンハルトが紅茶を一口飲む。もう冷めていることだろう。
「うん、とりあえずはループから抜けてよかった。実際困ったのよ。ミザリーに陥れられたり殺されたりするから、次戻ってきたら仕返ししたいと思うのだけれど。
でもそのミザリーは私を殺したいほど憎んでいるのか分からない。その上まだ罪を犯していないし、これから罪を犯すかもわからない」
するとリーンハルトがクスリと笑う。
「レティシアらしいな。だから、理由を知りたがっていたんだね。
ただ、単に居場所を取られると思ったんじゃないか? 普通ならば、嫉妬で終わるところをミザリーはたまたま闇属性が強力だった。そのため、コンプレックスや心に傷を持つ人間を思うままに操ってしまった。その結果ああなった。
それにうちにはたくさんの魔術書が置いてあるから、いくらでも勉強が出来る」
「それじゃあ、ニーナやマリーナも心を操られていたの?」
「そういうことになるけれど。父上が使用人に聞き取りを調査をしたところ、ニーナは自分のことを没落貴族の娘だと言っていたそうだ。だから本来ならば、自分もお嬢様なのだと」
「え? そうだったの? だから孤児院から来た私が気に入らなかったの?」
「いや、違う。雇う前に身元は調べている。だから、本人が信じ込んでいたのか。虚言癖があったのか。
いずれにしてもレティシアもわかっただろう? 心を操られ人を殺そうとする人間もいれば、僻みですむ人間もいる。元々ないものは増幅できないんだよ」
リーンハルトの言葉にぞくりとした。
最初の人生で、レティシアが浮気するトレバーに腹を立てながらも、殺さなかったから冤罪をかけられたのだろうか。
「なんだかミザリーが化け物みたいに思える」
「俺もそれは一緒だよ。ただ、ミザリーはレティシアになりたかったんだと思う」
「なぜだか不思議だけれど私もそう思えるの。何というか、他の誰かになりたかった?」
ふっとリーンハルトが笑う。
「それでレティシア、これからどうするの? もうしばらくは休んだ方がいいと思うが、また教会で働くつもり?」
「私のことはいいの。それより、あなた休み過ぎじゃない。専科の方とか王宮の方とか大丈夫なの?」
彼の将来が心配だ。
「大丈夫。俺もあと少し休むから」
「そうね、少し休養は必要かもしれない」
少しやせたリーンハルト見てそう思う。
「休養じゃないよ。ミザリーを探しに行く」
「え?」
「うちに来るはずだったミザリーは、魔力持ちではなかったんだよ」
「えっと、確かに。前回あなたは私にミザリーは魔力持ちではないといっていたわ」
レティシアもそのことには違和感を抱いていた。それに彼女は髪を染めていた。
「ある日突然強力な闇属性持ちになっているなんておかしな話だろう」
「まさか、なりすましだと思っているの?」
「ああ、父上とも母上とも話した。本物のミザリーは金髪なのだと思う。そうでなければ染めるなんてありえない」
リーンハルトが眉根を寄せる。
「どうするつもりなの?」
「ミザリーの母国に行こうと思う」
「リーンハルト、私も行く」
リーンハルトがふわりと微笑む。
「いいけれど場所知っているの? アラスタ王国は遠いよ。ここから馬車と船を使って片道ひと月はかかる」
それを聞いてレティシアは不安になった。
「なんかそれ、すでに見つからない気がしてきた。ねえ、本当に行くつもり? あなた学園も仕事もどうするの? せっかくキャリアを積んでいるのに」
本格的に彼が心配になってきた。
「別に代わりならいくらでもいるさ。帰ってきてから父上に使われるのもいいし。それに気になるじゃないか?」
「私がいるでしょ! 姉に任せておいて!」
世話になったシュミット家の為に一肌脱ごうと思った。リーンハルトはこれ以上巻き込まれるべきではない。元々恨まれたのはレティシアなわけだし。
「冗談でしょ? レティシア一人で行かせて攫われでもしたらどうするの? また事態がややこしくなるだろ。俺が行く」
「なんでそんなに信用ないのよ。私だって討伐隊にいたのよ。後方支援としてだけれど」
リーンハルトはどうして保護者のような口を利くのだろう。
「まあ、今回のミザリーの事は俺たち家族がレティシアに申し訳ないことをしたわけだけれど」
「そんなことはないわ! もとは私が彼女に恨まれたからでしょ? それに私だって家族よ」
「いや、そうではなくて、レティシアは薄々犯人を知りながら毎回してやられたわけだし」
相変わらずはっきりものを言う義弟。
「……」
全くその通りで、返す言葉が見当たらない。
「俺は十日後に出発するつもりだ。その間に身辺整理をしていく。で、レティシアどうする?」
「行く! 絶対に行く! リーンハルトは伯爵家嫡男だし、攫われて身代金要求されても困るものね」
レティシアが精一杯の虚勢を張ると、リーンハルトが噴き出した。
「レティシアそれでやり返しているつもりなの?」
「言ってなさい! 私すっごく役に立つから」
「わかったよ。一緒に行こう」
そういってリーンハルトはレティシアの頭を撫でた。
頭を撫でられると認められたような気になるが、そう思う時点で姉弟がすでに逆転している。レティシアは密かにため息を吐く。
彼のたった一人の姉になってしまったのだから、頑張らねば。




