15 心機一転
風邪がよくなり体力は大分回復してきたが、食欲がなくて一日中ベッドにいた。
しかし、このまま閉じこもっているわけにもいかないので、仕方なく家族そろっての夕食に出た。
何度人生を繰り返しても、レティシアのマナーはひどく義父母も顔をしかめたが、言っても無駄だとわかっているのか何も言わない。
するとリーンハルトが
「レティシア、そんなに大きな音を立てて恥ずかしくないの? だいたいスープはすするものではないだろう?」
という。
十二歳の義弟に叱られた。いつもなら、ふんとばかりに睨みつけて聞き流すところだが、今回は前回の喧嘩を引きずっていた。レティシアにしてみれば「男に媚ばかり売る」と彼に言われたばかりだ。いくら見た目が幼く天使のようでも我慢ならない。
「うるさいわね。だから、何だっていうのよ! 私はあんたみたいにお上品なお坊ちゃん育ちじゃないのよ。生まれたときから、家族に家にも恵まれているくせに、外のことなんて何にも知らないくせに偉そうなこと言わないで!」
(そうだ。リーンハルトはゴミ溜めのような下町の孤児院でひもじさに苦しんだことなどない)
レティシアの暴言にリーンハルトが食事の手を止め、子供にしては鋭い目で、彼女を射すくめる。一瞬気を飲まれた。
「確かにそうだね。あなたの母親は貧民街の酒場女給だったのだから、そんな環境で育ったあなたは根性もマナーも悪いはずだよね。ほんと最低だ」
これには本当に頭に来た。自分を馬鹿にする分には構わないが、母スーザンはとても優しい人だった。貧しい生活だったが、とても幸せでいい思い出しか残っていない。寒い夜だって、母と一緒に布団にくるまれば、温かだった。母の優しい匂い、温かい感触。リーンハルトにそれを汚す権利はない。
「ひどい! あんたなんかに母さんの何がわかるのよ!」
もっと罵倒してやりたいのに、喉がつまってそれ以上言葉が出てこない。腹が立って、フォークをリーンハルトめがけて投げつけた。当てるつもりはなかったが、フォークは彼の頬をかすめた。白皙の頬に血がにじむ。
レティシアはハッとした。けがをさせるつもりはなかった。リーンハルトが目を伏せてさっと頬を染める。
怒ったの? それとも泣くの?
レティシアは彼からの次の攻撃に身構えた。
「ごめんなさい、レティシア」
「へ?」
リーンハルトの口から、ポツリと素直な謝罪の言葉が零れ落ちた。
(嘘でしょ? あのリーンハルトが初めて謝った。かれこれ三回目で初めて聞いた。フォークを投げたから、恐れをなしたの?)
今度はレティシアが固まる番だった。
「レティシア」
いつの間にか横にミザリーが立っていた。彼女がハンカチを差し出す。その時になって初めてレティシアは自分がぼろぼろと泣いていることに気付いた。嗚咽で声が出なかったのだ。
頭に来たのではなく、本当は傷ついて、悲しかった。精一杯の虚勢。
レティシアのせいで家族そろっての食事は台無しになった。そしてミザリーが、やはり今世でもレティシアを庇う。
「レティシアなりに、一生懸命この家に馴染もうとしているのよ。だから、温かい目で見てあげましょう」
と、しかし、今度ばかりは騙されない。レティシアはミザリーの親切ぶった態度に寒気がした。
(本当は私の事、殺したいくらい嫌いなくせに)
憎らしく思うのと同じくらい恐怖が先に立つ。それなのに、どこかでこの時点は嫌われていないのではと期待してしまう。二回も殺されたのに。気持ちはとても複雑に揺れ動く。
その晩、まんじりともせずに、レティシアなりに考えた。このままでいいのだろうかと。
義弟にひどいことをしてしまった。あの綺麗な顔に傷をつけた。そして、彼は詫びてくれたのに、レティシアは謝っていない。
そういえば、リーンハルトは前回も前々回もレティシアの母の悪口をあんな風にはっきりと口に出したことはなかった。「お里が知れる」などの当てこすりはあったが。
彼の立場なら、いくらでもレティシアを蔑むことができるのに、リーンハルトはそうはしてこなかった。
(それなのに、私は……弱いことを、恵まれていないことを武器に相手を傷つけた)
ジワリと罪悪感がこみあげてくる。
この家に来てから初めて行った他家の茶会のこと思い出す。レティシアは十二歳だった。カップはひっくり返すし、菓子は食べこぼす。さんざんで、とうとうミザリーの友人達に囲まれて注意された。
ミザリーが一生懸命庇ってくれたけれど恥ずかしく席を立ち、慌てて慣れないドレスの裾を踏んで転んだ。それ以来茶会が嫌になった。
いや違う。問題は転んだ後だ。リーンハルトが、手を差しのべてくれた。騒動を見て驚いた彼が、助け起こそうと駆け寄って来てくれたのだ。
「あんたもあたしを馬鹿にしているんでしょ!」
大声で罵倒した。
(ああ、そうだ。差しだされた彼の手を、私は皆の前で思い切り打ったのだ)
助けてくれようとした彼を被害者の皮を被って傷つけた。どうして忘れていたのだろう。
天使のように綺麗でかわいらしくて、あの頃の彼は小さな紳士だった。
翌朝、レティシアは執事にオスカーの都合を聞いて執務室へ訪れた。
「珍しいな。お前の方から訪ねきてくれるのは初めてだね」
そう言って義父は笑みを浮かべる。嫌がられてはいないようだ。昨日あんなことがあったのに。しかし、それも子供のうちだけだろう。後、二、三年もすれば、昨日のようなことは許されない。変わらなければ。
「あの、お父様、今日はお願いがあってきました」
「なんだ」
「私に家庭教師をつけてほしいのです」
オスカーが驚いた顔をする。
「前にもつけたが、お前は嫌だと言って、三月でやめてしまったが、どういうつもりだ」
訝し気に問うてくる。それも当然だ。以前はいくらやってもできなくて癇癪を起してやめてしまったのだから。
「今度は頑張ります。みなと楽しくお食事したいから。だからお願いします」
レティシアは頭を下げた。
「途中で、やっぱり、嫌だと言っても困るのだが……」
義父は言いよどむ。
さすがに三度目となれば思うところもある。前回はダンスしかやらなかったが、今回は違う。茶会や夜会に出るのは、マナーや読み書きが出来てからだ。
それにやはり、同性の友達がいないのは良くない。今回は友達もつくろう。勉強をするのはその第一歩。
(リーンハルトともうまくいくといいな……)
今回こそ、死なない。次は時間が巻き戻らないかもしれないのだから。
それからも、誠心誠意お願いするとオスカーは、一年間は絶対に音を上げないという条件で家庭教師を手配してくれた。




