大ピラミッドの石を積み上げることは不可能なのか? ⑩
最後にこのような機会はあまりないので傾斜路についてもうひとことつけ加えておきたい。
この傾斜路は直線かそれとも渦巻き状かという論争がある。
シンキの小型ピラミッドには四面にそれぞれ直線状の傾斜路があったことがわかってる。
では、大ピラミッドも同じなのか?
これはおそらく否。
理由は石の供給先が南にあること。
これまでの主張と矛盾するようではあるが、ピラミッドの南で切り出した重い石材をわざわざ北まで運び、そこから改めて引き上げるようなことはしないだろうということ。
ということは、南側の斜面につくられた直線状の傾斜路ということなのか?
これについては採石場や水路で運ばれた石材がピラミッドまでの直線状の傾斜路があったのは間違いないだろう。
前述したピラミッド周辺の傾斜路跡もそれを証している。
問題はピラミッドに行きついた傾斜路がその後どうなっていたのかということである。
これを考えるうえで考慮しなければならないことがある。
ほぼすべてのエジプト学者はこの部分を無視してピラミッド建造について語るが、実を言えばすべての石材を据え付け終わった労働者には大事な仕事が待っている。
外装の整形である。
現代の建築では整形したブロックを積み上げるが、古代エジプトでは大まかには整形するが、最終的な整形と仕上げはピラミッドの頂上にキャップストーンを置いた後。
しかも、上から下にその作業をおこなう。
そうなった場合、足場が必要だ。
そう。
南側にだけ傾斜路を設置した場合、仕上げ作業をおこなう労働者の足場がないのである。
その点足場にも使えるピラミッドに巻き付くような渦巻式の傾斜路はその心配がない。
もちろん足場のために改めて残り三面に改めて傾斜路を設置することは可能だが、一刻でも早く作業を終わらせたい者たちがそのような手間をかけたどうかは怪しいと言わざるを得ない。
それからもうひとつ。
エジプト学者がピラミッド建造年数を算出する根拠としているのは石材に残された労働者の落書きである。
そこに書かれた最終年数を建造にかかった年数としているのだが、これにはあきらかな問題がある。
彼らが残したのは石を積み上げた年数であってそこには仕上げをおこなった期間が含まれていないのだ。
さらに傾斜路の撤去。
大ピラミッドの本当の完成年数はどれくらいだったのか?
傾斜路設置されていた場所に残る「太陽の船」の舟坑。
そこに残るクフの後を継いだジェドエフラーの治世最終年を示す労働者の落書きが本当の完成時期を示すものと考えるべきだろう。
ジェドエフラーが父王のピラミッドの傾斜路の撤去を完遂し、続いて舟抗に太陽の船を納めたるには自身の治世期間のすべてを使う必要があった。
つまり、クフの治世年23年プラスジェドエフラー治世年8年ないし11年。
それがピラミッドとその周辺の構造物が完成した年数。
この話は今回で終了です。




