第41話
俺はとっさに穴の空いた通路と、それからリースやクロエを見た。逃げ道などどこにもない。
「やってくれたもんだよ」男はのんきに通路を覗いてため息をついた。
「結界ごと、通路を吹き飛ばしやがった。まさか、こんな兵の使い方をするとは、ねぇ」
男の口元は笑っていたが目は冷たかった。
「い、一体何が起きたんだ?」
「呪爆兵という言葉を聞いたことがあるか?」俺は首を振る。
「ある種の呪文は、発動方法を間違えると、詠唱者を巻き込んで魔力爆発を起こす。純粋な魔力の放出は結界やその周りのすべてを粉々にする。それを応用した兵隊の使い方なのだがね。まさか、ここでお目にかかるとは思わなかった」
軽い言葉の裏にたぎるような怒りを感じて、俺はうなじがちりちりするのを感じた。
「それで、君たちはなぜここにいるのかな」
「なんで、あたしたちがここにいるか、聞いてるの?」
驚いたことにリースが前に進み出た。
「あんた達が関を壊そうとしているからに決まってるでしょ。あたし達はそれを止めに来たのよ」
まくしたてるリースに男は冷静なままだった。
「ここを壊そうとしたのは君たちの方が先だろう。兵士ごと呪をはじけさせるとはいやはや」
「それは、あたし達じゃなくて、クリアテス教でしょ」リースは男に指を突きつけた。「それにあんた達がやったことのいいわけにはならないわよ。帝国の……えっと、誰?」
「帝国軍辺境師団所属アルトゥール・ハイネ・リンクだ。お嬢さんの名前は?」
「あたしはマフィ村の長の娘、リースリット。後はあたしの村仲間よ。あ、そこの男は誰かしらないけど」リースは申し訳程度にクロエをさして付け足した。
「リースリット殿。クリアテス教徒でもない君がどうしてこんなところまでやってきたんだろうね。今ここで何が行われているのかわからない年でもあるまいに」
「だから、あんた達がこの堰を壊そうとしているからに決まっているでしょ」
リースはまくし立てた。「あんた達がここを占拠して、関を落とそうとしていることはみんな知っているんだから」
男はかすかに表情を曇らせた。
「関を落とそうとしている? 俺たちが? 一体誰がそんなことを」
「クリアテスからの急使がそう報告していたわ。帝国軍は関を占拠した。関を壊して、大河をあふれさせるつもりだと」
男はしばらく黙っていた。
「それは確かか?」
「確かに決まってるでしょ。なんで、そんなことを聞くの」
男は自分の背後に手で合図した。いつの間にか忍び寄っていた男が膝をつく。彼が何かの合図をすると男はうなずいてするすると後ろにさがった。
「俺達はそんなことは計画などしていないぞ。そもそもこの関を掌握していたのは我々とクリアテス辺境軍だ。どうして自分の拠点を破壊する必要がある?」
「それは」リースが口ごもる。
「なぁ、あんた、下の町の井戸に毒を入れたか?」俺が口を挟む。
「井戸に、毒? なんのことだ」男の声に険が混じる。
「下の町にいた連中が全員殺されていた。抵抗もせずに。それは井戸に毒を入れるか、毒の空気を流すかしないと無理だろう?」
男の後ろの空気が揺れた。後ろで俺達に狙いをつけていた男達が見せた初めての動揺だった。
「全員か? 一人も生き残りはいないのか」
帝国の将校は押さえた口調で聞き返した。
「すくなくとも、俺達の知る限りは」
男が初めて怒りの表情を見せた。
「偉大なる父祖の名にかけて誓おう。そんなことをした下手人は俺が自らの手で殺してやる。咎人に深淵の呪いがかからんことを」
再び、堰が揺れた。男は上を見て舌打ちをする。
「また、結界を破ろうとしているのか。忌々しい」
「この堰もつのか?」俺は土埃が落ちてくる天井を見て尋ねる。
「結界がある限り、崩れることはない」男はそういってから、ああ、そうか、と一人で何かを納得する。「狙いはそちらか。おい」男は兵士に呼びかけた。「非常口は開いたか」
「ええ、なんとか」男は天井を指した。
「すぐ上に上がるぞ。上の結界を死守しなければならん」
「え? 帝国兵が関を守るの?」
リースが思わず問いかけた。
「当たり前だろう。ここの関が落ちたら、下の町や村は水に吞まれるぞ」
男は部下達に早くあがるように指示しながら、答えた。
「でも、前にあんた達は関を壊すといって脅したじゃない」
「それは何十年前の話だ」あきれたように男は答えた。「それに、実際に壊すようなことはしていないだろう? ここが壊れたら大惨事だぞ」
「じゃぁ、あたし達が聞いた話は?」
「単なる憶測と妄想だろう」男は切り捨てた。「おまえ達も見ただろう。今、ここを壊そうとしているのはクリアテス教のほうだぞ」
彼はギロりとクロエを見た。クロエはおびえて、俺の陰に隠れた。
「それで、彼らはどうしますか」部下らしい男達が俺達を陰鬱な目で見ている。
「おまえ達はどうするんだ? 関を守りに来たんだろう。マフィ村のリーズリット。俺達に協力して、関を守るか。それとも」
「……あんた達のことを完全に信頼したわけじゃないけど。あたし達の目的はここを守ること。少なくとも、今は協力するわ」渋々リースは宣言した。「でも、もし、あんた達が本当に関を壊そうとするのなら、あたし達は戦うからね。いい?」
戦うのはいいが、たぶん勝負にならない。そう俺は思ったが、リースの意外に知性的な判断を支持する。
「だそうだ」男は後ろの男に声をかけた。「向こう側の連中にもそう伝えろ。あちらには精霊使いのお嬢さんがいるんだろう?」
部下の一人が穴の向こうに手で合図しているのを見て俺は負けたと思った。ここまで統率がとれた相手と戦って、どうにかなるものではない。
「ただ、その監督官の男はこちらに来てもらうぞ。いろいろと聞きたいことがあるからな」
周りの冷たい視線にクロエはおびえる。
『やだやだ、椎名君。この人達怖い』
男の部下が近づくと、クロエは俺の背中にぴたりと張り付いた。
「まって、待って、シーナ君。あたしを置いていかないで。連れて行ってちょうだい。こんな怖い人達の中に置いておくなんてひどい」
『ミクさん、落ち着いて。そんなにしがみつかれると、首が、しまる』
『やだやだやだ。この人達、ひどい目でわたしのことを見てる。まるで私が犯罪者みたいににらんでるの』
そりゃぁ、ここを吹き飛ばした当の本人なのだから、恨みを買うだろう。
「彼女、彼はちょっと錯乱しているみたいで・・・いや、ちょっと離れろよ」
俺は後ろにくっついている男を引き離そうとした。
「あたしは錯乱なんかしてないわ。混乱しているだけよ」クロエが叫ぶ。
「…たしかに、錯乱しているようだな」帝国軍の将校は若干ひきぎみだった。「彼、彼女?と知り合いなのか?」
俺はなんと答えていいのか、迷った。
「知り合いよ。わたしたちは同じ“学校”に通っていたんだから」
ミクさんは俺がなだめてもなお身をくねらせながら、男にむかっていう。
「ガッコウ?」
「そうよ、わたしたちは、……」
それ以上いおうとして、ミクさんは言葉を切った。彼女は何か言おうとして、咳き込んだ。咳き込みながら、胸のあたりを強く握りしめる。
「わたしたちは?」
「おい、ミクさん、大丈夫か」息を詰まらせている彼女の様子を見て俺は慌てた。「落ち着いて、ゆっくり息をするんだ」
『駄目。言葉が、出てこない』彼女は首を振った。『そこまででかかっているのに、どうして。学校のクラスメートだっていいたいだけなのに。まるで、まるで……』
『落ち着いて。言葉が出てこないんだよね。話さなくてもいいから』
『まるで、誰かに禁じられているみたい』クロエさんはそうもらした。
「武器とその腕輪を渡せ。そうしたら、おまえがそいつの面倒を見ることを許可する」
めんどくさそうに、将校は肩を揺する。「時間がない。次に攻撃されたら持たないかもしれない」
俺はクロエの剣と腕輪を外して、側にいた兵士に手渡した。ミクさんは文句をつけなかった。
梯子というのか、壁の穴を頼りに上の階に登っていく。おそらくは保守点検用の登り口だったのだろう。およそ登りやすいとはいえないものだった。
上の階層で、帝国軍の兵士が引っ張り上げてくれた。そこは塔の側面に張り出した、窓のようなところだった。明るいところで見ると、皆ひどい格好をしている。
伝令らしき男が、何かを伝えて、それに将校が何か答えていた。
「リース、大丈夫か」
俺はリースに手を貸して、立ち上がらせた。
「うん」そういってから彼女は揺れる塔の上で体をふらつかせた。
俺のいるところからは正面の塔がよく見えた。その塔とこちらの塔を結ぶ回廊があったようだが、すでに崩れ落ちて足場だけ残っている。下を覗くとそこは北側の塔から伸びるむき出しの回廊になっていた。何枚もの防壁の後のようなものが破壊された痕跡が残されていた。今攻撃をかけられているのは、この塔が張り付くように立っている大きな塔の入り口のようだった。ここからは張り出した屋根のような部分が邪魔になって見えない。
おそらく、この大きな塔が先ほどの窓から見た大きな中央にそびえる塔なのだろう。
「ああ、撤退は中止だ。奴らの目的はこの塔そのものだ」
将校は部下達に話している。
「この塔そのものって、ここは結界の要ですよ。ここを壊したらそれこそ、堰が崩れますよ」
「そんなことはわかっている」男はいらいらという。
「まさか、ここを崩すといって脅すつもりでしょうか」
「脅しただけだと、いいんだがな」
「大丈夫ですよ。ここの結界はそんな簡単には壊れません。やつら、口だけですよ」
「口だけなら呪爆兵なんてものを使うだろうか」
「あの結界を壊すにはどれほどの魔力がいることか。たとえ何十人の魔力を注ぎ込んでも、無理ですよ」
「とにかく、方針変更だ。この塔を死守するぞ」男は断固として主張した。
「建物は崩れてもいい。結界は持たせろ」
また無茶苦茶なことを、と部下がこぼした言葉が漏れ聞こえた。
結界というのはどこにあるんだろう。俺はこそりと帝国兵の背中から、彼らが広げている設計図のようなものを覗いてみた。この建物の見取り図のようなものが書かれている。
「おまえ何を見てるんだ」帝国の兵士ににらまれた。
「シーナ」リースがとがめるように俺の裾を引っ張った。「彼らを刺激しては駄目だよ」
塔がまた揺れた。
兵士がよろよろと部屋に足をふらつかせながらやってきた。
「敵が塔の中に侵入しました」
「小隊か?」
「いえ、かなりの数です。応援を願います」
帝国軍の将校は、長刀を刀掛けから下ろした。
「いくぞ。どちらの塔だ」
「星の塔のほうです」
男は俺達に目をとめると促した。
「おまえ達も行くか? それとも、仲間と戦うのはいやか?」
「行くわ」リースは歯を食いしばって即答した。
「ミクさん、行こう」俺は監督官の男に手をさしのべた。「ここにいるよりも俺達と一緒にいた方がいいだろう」
彼女は不思議そうな顔をして俺の顔を見る。
「おまえ、俺をかばってくれるのか」ぼそりとつぶやいた言葉はミクさんではなくクロエのものだった。
『あんたがかつて何者であっても、ミクさんの記憶を持っている以上、見捨てるわけにはいかないだろう』
クロエの表情が細かく移り変わった。拒絶と安堵。侮蔑と尊敬。二人の間で主導権が動いているのだろう。
『ありがとう。椎名君』それでも、ミクさんは俺の手を取る。『みんな、わたしのことを嫌っている。わたしはここにいてはいけないみたい』
『ミクさんが悪いわけじゃない。その体の持ち主が悪いんだ』
そういうと、ミクさんの中のクロエが顔をしかめさせた。
『戦闘の時は、クロエに戦わせろ』俺はミクさんに忠告する。『彼が戦い方は知っているはずだ』
『わかったわ。よくわからないけど、わかった』
俺は変わった見世物でも見ているかのように遠巻きにしている兵士達をおいて、彼らの隊長を追う。
「結界はこの先の塔の上が要になっている」
男は俺達をちらりと振り返ると、背を向けたまま説明をした。
「この上の結界でこの関と湖を保護している。この結界がある限り、大河の水があふれることはない」
「どうして、そんなものを壊そうとするのだろう?」
「しらん。狂人のすることは俺にはわからない」
彼は大きな塔に入る扉のところで手で俺達を制した。
「待て、前に何者かがいる」
『あれ、最新の兵隊みたいよ。第4世代の実験??』ミクさんが俺にささやく。『ねぇ、人体実験とかしてるの? なんだか、わたしたち、無茶苦茶ひどいことをしていない?』
「前の奴らは最新種らしい」俺は男に警告する。
『単独行動のできる歩兵種の強化版よ。パワードスーツを着ている強化兵みたいなものかしら』ミクさんがえらくマニアックな説明をした。
俺がそれを適当に翻訳して伝えると、男はじっと俺達を見る。
「なぁ、その言葉はどこの言葉なんだ? 聞いたこともない音だな」
「ああ、そうか? 帝国では流行っていない言語なのかもしれないね」俺は適当にごまかす。
「あの兵士はかなり強いらしい。鎧もかなりいいものを着けている」
「そうか」
男はそれ以上追及しなかった。
最新種は帝国兵相手に無双していた。たったの二人しかいないにもかかわらず、帝国軍の小隊を寄せ付けない強さだ。近づいたものは倒されるので、遠巻きにして飛び道具を使って攻撃をかけているのだが、矢はすべてはじき返されていた。時々魔術も飛んでいるようだが、不気味な光の盾に跳ね返されている。
彼らが塔を登る階段を守っているので、肝心の結界のところへ誰も行き着けないでいる。
「あの、変な光はなに?」
「たぶん、魔道兵の使う防御の呪だと思うの。魔道兵と歩兵の混合種とかいってたな」クロエが解説する。「防御に特化した兵らしいの」
微妙に男言葉と女言葉が混じっていて、不気味だ。
「いくぞ」将校が俺に声をかけてきた。
「え? 俺」
「そうだ。おまえだ」
俺は無理、そう目で訴えたが、男は容赦なかった。
「おまえの使う精霊剣は、ああいう堅い奴らにはよく効くんだ。知らなかったのか?」
知らない。そんなこと教えてもらっていません。
「ついてこい」
将校はそういうと扉の陰から飛び出した。俺も、勢いに押されて仕方なく飛び出す。出て、後悔した。
早い。矢を振り落としていた一体が俺達のことに気がついて、あっという間に攻撃する体勢をとってきた。頭の上をかすめる剣を俺は転がってよける。この一撃は俺の剣で受けたら、絶対に折られる。
逃げる俺を追う強化兵を将校が切りつけた。
「隙を見て、結界のところへ行け」帝国の将校は叫んだ。
「奴らの狙いは結界そのものだ」
命令に従って、飛び出そうとした兵たちをもう一体の強化兵が阻む。
俺はそいつの背後から足を払うように切りつけた。
不気味な音がして、剣がはじき返される。
あの不気味な光の盾は足にも使えるのか。
巡る力よ、まわる力よ。
盾となりて我を守り給え。
精霊の玉がかろうじて相手の剣先をはじいた。エルカさんとの訓練を思い出せ。
師匠の箒はこいつらの剣よりも重く、早かった。
光をまといて、我が敵を討ち果たし。
光の球の数がどんどん増えていく。俺が呼んだ以上の光の球がわき上がっていた。
サクヤ。
もう片方の塔の入り口でサクヤが歌っている。サクヤの歌に合わせて、俺にまとわりつく光がどんどん濃くなっていった。
精霊は我を守りたもう
「行け」帝国の将校が叫んだ。
俺の前に道が開けていた。守ろうとする護衛兵の速さが俺に追いついていない。
俺はまっすぐ階段に向かい、
もう一体の強化兵がこちらに割り込んでくるのに気がついた。
一撃は受け止めたが、次は無理だった。
「まかせろ」
そのとき俺の前にゴローが飛び込んできた。ゴローは相手の剣をそらすと、俺をかばうような位置に体を滑り込ませる。
俺はそのまま勢いをつけて、階段に足をかけた。




