第42話
俺は階段を駆け上がった。
下ではまだ戦闘の音が聞こえている。
階段はらせん状に上に向かって伸びていた。俺の足音が異様に響いて聞こえる。
時々踊り場で足を止めて先の様子をうかがったが、俺の呼吸音以外の音は聞こえてこなかった。もっとも偵察の技術がない俺だから、敵が潜んでいたら気がつきようがないのだが。
俺ではなく、ゴローが登った方がよかったのではないか。
そんなことを考えながらも、ひたすら上を目指す。
所々にある扉や天井からいきなり現われてくる暗殺者を恐れながら、階段を上りきるとそこは広い踊り場になっていた。ここまで誰とも会わなかった。
俺は目の前の扉の奥を伺う。
気配はやはりない。
向こう側に押して開ける種類の扉だった。どこにも鍵もかんぬきもついていない。ただのっぺりとした板をつなぎ合わせた頑丈な扉だ。
こんなもので、大切な結界を守る扉になっているのだろうか。
俺はそっと手を置いて扉を押してみた。はじかれることも、電撃が流されることもなく、扉はかすかに動いた。
この扉の向こうに生気のないナンバーズがずらりと並んでいたら、そんな恐ろしい想像をしながら、そのまま腹に力を入れて、扉を押す。
扉の内側は広い部屋だった。ドーム状の屋根と美しい装飾のある内装と色硝子のはまった窓がコサの大聖堂を思わせた。ただ、そこには祭具も信徒が集う椅子もなく、がらんとした空間が広がっているだけだった。
いや、ただの空間ではない。俺は入り口で足を止めた。
部屋全体が脈打つように光を発していた。華麗な壁を飾る像も、光をまき散らしている硝子もすべてが何かの法則に沿ってならべられていた。俺には理解できない何らかの力がここには働いている。
そこから漏れる力は、純粋なエネルギーをどこかへ送り込んでいた。ちょうど、溶鉱炉の上から釜をのぞき込んだときの感覚に似ていた。近づくだけで汗ばむ熱と、吹き上がる蒸気。確実に命を奪う力がそこにはある。
ここにはそんな熱源はないにもかかわらず、踏み込んだら体が溶けていく、そんな確信を抱かせる場所だった。
そんな部屋のちょうど扉の向かい側にロイスが立っていた。彼は何かに陶酔したときのようにとろけた表情を浮かべて宙を見ていた。
彼は、ゆっくりと視線を巡らして俺をみた。
「おまえか」彼は、うっとりとしたほほえみを浮かべた。「おまえが、最後なのか」
なんの?
彼の頭の上には数字が浮かんでいた。監督官が戦闘を行うときに表れる数字だ。1と書いてある数字が消えて、赤い文字に変わる。その数字は、増えたり、減ったり、まるで水の反射のように数字が動いて見えた。
彼は誰と戦っているのだろう。
「素晴らしいだろう。この力・・・・・・」彼は俺に宝物を見せびらかす子供のように笑った。
「すべてをつぎ込んで、ようやく得た力だ。おまえにわかるか」
部屋の中が奇妙に波打っていた。実際には動いていないはずなのに、ロイスとの距離が遠くなったり近くなったりする。
危険だ。俺は本能的な恐怖を感じた。ここは俺とは異質な何かで満たされていた。
「あと少しだ。あと少しですべてがわたしたちのものになる」彼は、まるでアイドルの出待ちをしているファンのような表情を浮かべていた。「おまえもそのために来たのだろう? わたしの兵隊達と同じように」
俺はこの扉を開けるべきではなかった。俺はこの扉を閉ざしておかなければいけなかったのだ。
「さぁ、ここにおいで。他のおまえの兄弟達と同じように光の中に帰りなさい」
「おまえについていたナンバーズ達はどうした?」俺は震える声で尋ねた。
「彼らは、この光に帰った」ロイスが手を動かすと、結界のあちこちが光って見えた。「元いた場所へ、彼らの魂の源へ。ここはわたしたちの力の源になる」
「待てよ、あんた達はこれを壊そうとしていたのではなかったのか?」
俺が尋ねると男は不思議そうな顔をした。
「どうして、そんな真似をしなければならない。この素晴らしい力を壊す? そんなことはしない。わたしたちはこの力を使ってもっともっと強くなる。すべては“自由と平等と友愛”のために」
彼は、とても優しい目で俺のことを見た。ここではない別の場所ならば、きっと幼い子供に向けられるような目だった。これは、ロイスではない。あのロイスならば、ナンバーズの俺にこんな視線を向けることはなかったはずだ。
光の帯が彼の周りを取り巻いていた。その気配が、どんどんと濃くなっていく。無数のさまよえる魂が救いを求めている、それを超然と見つめて手をさしのべている、そんな映像が頭に浮かんだ。
ここは、なんなのだ。
これが、ただの“結界”という名前でくくれるものではないことはわかる。帝国の魔術兵が結界を壊すのは無理だと言い切った理由も。これは、何かを守る物ではない。もっと別の、何かだ。結界という呼び名はこれの機能の一部分を表現したものに過ぎない。
俺は後ずさりしようとした。
「3417」そのとき、それは優しく俺に語りかけた。「おまえも、この光の中に戻りなさい。死者は死者の中へ。すべてがあるべき場所に」
あるべき場所・・・・・・あるべき場所へ。光の中へ。
それは甘美な誘いだった。それは、俺の望みだった。
帰る。そう、うちへかえる。
じぶんのいたところへ。
いつものようにめをさまして、がっこうへいって、べんきょうして・・・・・・。
駄目だ。俺は抵抗した。俺は帰るわけにはいかない。この力に吞まれてはいけない。俺はなんのためにここに来たのだ。村を、人を、守る・・・・・・リース・・・・・・。
「無駄だよ。君の体の中にはわたしたちに従うような呪式が組まれている。というよりも、その呪式の上に君たちの体が編まれているというべきなのかな」技術官はおだやかに解説する。「ああ、光に還元する呪は汚染されてしまっているんだね。かわいそうに。きれいなままだったら、すぐにでも戻れたのに。でも、よかった、光に従う呪は健在だ」
彼は俺を呼び寄せた。俺はふらふらと彼の元に近づく。
「いい子だ。3417」
それは善意に満ちあふれていた。彼は、本当に俺のことを考えてくれていた。
そう、俺達ナンバーズは元々ここにいないものだ。無理矢理形作られたいびつなものだった。
だから、もどる。いたところに
俺は笑った。帰れるんだ。光の帯が体を包む。すべての傷も、痛みも、消えていく。思考がとろけて……
歌が聞こえてきた。何かが、周りを漂っている。羽虫のように。
しーな。
うるさい。
シーナ。
うるさい、うるさい。
馬鹿シーナ。
うるさい、黙れ。
馬鹿、戻ってきなさい。シーナ。
何かが俺の中で碇になった。流れがせき止められ、せき止められたところに俺がひっかかる。
俺? 俺ってなんだったんだろう?
「シーナ、何やってるの」
俺は立ち止まった。そのまま、二三回瞬きをする。
ほんの少し先に男が笑顔で待っていた。手に、赤黒くぬれた短剣を持ったまま。
俺は振り返った。扉のところにリースが立って叫んでいた。
サクヤ、ゴロー、それにディーやキーツ。エルカさんも。鬼のような形相で・・・
その顔を見たとたん、酔いから頭が冷めた。
俺は何をしているんだ。
ロイスの笑顔が小さくなった。
「3417、命令だ。こちらに来なさい」
「ダメ。シーナ」
体が言うことを聞かない。昔のように、心も体も支配されていたあの頃のように。
体が……。
小さな光の玉が集まってきた。ここを構成している光の帯と違う。サクヤが呼ぶ小さな精霊たちだ。
シーナ、シーナ、シーナ……
小さな声が頭の中に響く。
俺は手を広げて待っているロイスの前に立つ。
「無駄だ」俺は振り下ろされようとする短剣をつかんだ。「俺は、シーナだ。数字じゃない」
一瞬、驚いたような顔をした目の前の男は、手を下ろして俺の手を振り払う。
彼は、とても残念そうな顔をして、一歩下がった。
「君は、戻らないのか? 」普段のロイスにしては幼いものの言い方だった。「呪に従うのが、君たちの生き方ではないのか?」
「俺は、数字じゃない」繰り返す。何度でも。
「俺は、自由だ。それが、“意思”だろう」光の玉が舞う。
「あと少しだったのに。残念だ」それは、ロイスの口を借りて語る。
ここに残るというのか? 異界の迷い子よ。帰りたいといっていたのではなかったか。
ああ、帰りたい。できるならば。
どっと悲しみが心を満たす。
だが、ここでやることがある……私にはやり残したことがある。すまない。
それはこの場に誰かが残した意思だったのか。何かの対話だったのか。
目の前に赤い霧がかかった。生暖かい液体が、飛び散り、俺にかかった。
まだ、ということなのか。
光の帯が、揺れた。一瞬、ここを作ったものたちの思いが心をよぎったような気がした。長い年月の間にすり減り、消えかけている別の思いがこだまして、とらえる前に消えた。
ふと圧力が消えた。
俺の体と思考はまた俺のものになっていた。
「シーナ」リース達が足が汚れるのも気に留めずに部屋の中に飛び込んできた。
もう大丈夫だ。この部屋は、ただのがらんとした空洞に戻っていた。
「これは、掃除しがいがありそうだね」
エルカさんがいやな顔をしながら、飛び散った血液を避けるように回り込んでやってきた。
「おい、弟子。お前の出番だ」
「俺? 俺ですか?」
「ほかに誰がいるというんだ」
エルカさんは幻ではなかった。というか、幻なら俺はここにエルカさんを呼び出したりはしない。
「なんで、ここにいるんですか?」
「なんでって? 当たり前だろう。ここを吹き飛ばされたらコサの町は流されてしまう」
アルトフィデスの紋章をつけた兵士たちが詰めかけていた。
ディーもちゃっかり結界の間に入り込んで、すでにあちこちを調べまわしている。
「兄さんの知らせで、アルトフィデスの騎士が動いたの」リースが説明する。
「あのデカブツと戦っている間に、到着したのよ」
「いや、クリアテス教側の抵抗はほとんどなかったのでね。楽に入り込めた」
キーツがいやそうな顔をして部屋の中央に折り重なっている死体の山を見る。
「うへぇ、これ、全部、ナンバーズかよ。よくも、これだけ」
「これでは足りないといっていた」俺は思い出した。この部屋の主はまだまだ足りないといっていた。「あと少しだったと……」
「いや、多すぎだろう。なんだよ、これ」
「そういえば、帝国軍はどうしたんだ?」
俺はあの男の存在を思い出した。あいつの代わりにエルカさん? どちらにしても人外の化け物だった。
「彼らなら、あっさり引いたよ。今、向こうの塔に立てこもってる」キーツが顎で指した。
「いずれ、使者を立てて話し合いをしないといけなくなるだろうな」
「しかし、よくもこれだけ大切な部屋を汚してくれたものだわ。術式の様式が全然読み取れないわ」ディーが文句を言いながら、こちらにやってきた。「いったい何がしたかったのよ、あいつら。ただ、血を流すだけで結界が壊れるわけないじゃない」
「彼らは壊すつもりではなかったみたいだ。いや、壊そうとしていたのだけれど、目的が変わったのかな。よくわからないけれど」
あの時につかんだと思った真理は霞のように消えていた。今となっては、ここに働いていた力が何を目的としていたのか、皆目わからない。
「あんたにはぜひ話を聞きたいわ」ディーが目をぎらつかせて、俺に迫った。「結界が生きているときに中に入った人間はほとんどいないのよね。ああ、残念。あんたでなくて、あたしがそこにいたら何かつかめたかもしれないのに」
あの場にいたのがディーでなくてよかったと俺は心底安心した。
「シイナ君、よかったぁ」クロエが俺に抱き着いてきた。「わたし、とても心配していたの」
「あんた、邪魔。まだ、錯乱してるの? この人」と、リース。
「失礼ね。わたしはいたって正気よ。あんたこそ、私たちのことを知らないくせに、いろいろ文句をつけないで頂戴」
「ミクさん、ちょっと離れて、その肉体はクロエのものだから」
抱き着くのも、頭を摺り寄せるのも、かわいい女の子だったらいいんだ。男は俺の趣味じゃないんだ。
それに黒江さんはもっと知的でクールな女の子だったような気がするんだ。この猫みたいなすり寄り方は何なのだろう。
「気持ち悪い、この人」サクヤが汚物でも見るかのようにクロエを指さした。
「大丈夫だ、サクヤ。中身は別人だから。サクヤをいじめた悪い奴じゃあないからね」
「そんなの、わかっている。中身がごちゃごちゃ。気持ち悪い」
「シーナ、こっち」ゴローがそっと俺をミクさんから引き離した。ミクさんはゴローの顔をまじまじと見て、あら、イケメン、とつぶやいた。
「向こうで、休む。とにかく、みんな無事、よかった」ゴローが目を細めて、優しい笑顔を見せる。
あの混乱の中でも、俺たちは何とか生き延びた。それを幸運と思うことにしよう。後で何を命令されるのかわからないけれど。
俺たちは怖いエルカさんを横目で見ながら、結界の部屋を退出した。
次でエンディングです。
今までお読みいただきありがとうございました。




