第39話
コルトはとても疲れた顔をしていた。薄い青い目が無表情にこちらを見つめている。
もう、話ができないふりをする必要などなかった。彼は俺が技術官を面と向かって侮辱するところを見ていた。
彼は黙って俺達のところに来て、ナンバーズの死体を見下ろした。
「あんたの隊の兵だったのか」
「そうだ」彼はひざまずいて、ナンバーズに触れた。その死を確かめて、立ち上がる。
「そんなことをしなくても、いいだろう。監督官なのだから、自分の“陰”が死んだらわかるはずだ」
コルトはちらりと俺を見てため息をついた。
「なんでおまえがここにいるのだ」
「え、っと、あたし達は」口ごもるリースにすかさず助けを出す。
「知らせが来た。この砦が帝国軍に襲われていると、それで、ここまで救援に来た」
嘘ではない。ただクリアテス教軍を助けるつもりはなかったというだけのことだ。いつものように無表情を装ってコルトの反応を見る。
彼は俺とリースの表情を読んで、またため息をついた。彼が小さく合図をすると、彼の兵たち達は散っていった。残ったのは管理官を守る護衛兵の一名だけだった。少なくとも敵対するつもりはないようだ。
「救援か。ケットの砦にも知らせが行ったのか。ずいぶん早かったな」
「戦況はどうなっている」俺は突っ込んでほしくないところを回避するために質問をした。
「膠着状態だ」彼はさらりと説明した。「敵とは塔を挟んでにらみ合っている。今は関の中央をどちらが押さえるか小競り合いをしているところだ」
「あんたの兵、斥候兵なんだろう? なんで、こんなところに必要なんだ?」
「敵の残党のあぶり出しと、後方支援のためだ。予想以上に砦の中は入り組んだ構造になっている。ああ、なんでわたしはおまえにこんな話をしているんだろうな」
コルトは頭を振った。
「コルト神父様、敵は堰を壊そうとしていると聞きました。それは本当のことですか」
リースが尋ねる。
「帝国軍が堰を? 誰がそんなことを言っていたのだ?」
「ケットの砦に知らせを伝えに来た兵士です。帝国軍が堰を決壊させて、下流に洪水を起こさせようとしていると…違うのですか?」
「…帝国軍が堰を。そうだな。それはあるかもしれない」
コルトは兵士の死体があった扉を抜けて廊下を歩き出す。俺達は慌てて後をついていった。彼は自分の兵を呼び止めると、何かの命令を下した。斥候兵は物も言わずにするするとどこかへ消えていった。
「へぇ、斥候兵は単体で動かせるようになったんだな」
「リース殿がおまえ達をばらばらに動かしていたのを見習っただけだ」
コルトは振り返りもせずにそういう。そこから先はナンバーズと監督官が何人もすれ違った。かなりの部隊が出撃しているようだ。いくらナンバーズの気配が薄いからといって、これだけの数が集まっていればかなり騒がしい。
コルトは俺達を空き部屋らしい部屋に連れ込んだ。空いた木箱が積み重ねられている部屋だ。
「おまえ達は、この部屋にいなさい。後で話をきこう」
「へぇ、俺達を前線に送らないのか?」
「リース監督官は、部隊編成に入っていない。作戦を知らない者が動くのは危険だ。なにしろここから先は強い敵しかいない。おまえ達では太刀打ちできないだろう。もっとも、」コルトは小さく笑った。「おまえのあの芸当を見せてくれるのならなんとかなるかもしれないが」
ああ、決闘の時の精霊剣か。あれは、決闘という限定した場面だから効果のあった戦法だ。長い時間戦う戦場ではあの力と魔力はとうてい保持できない。
「リース殿、少しいいかな」
コルトはリースを連れていったん部屋を出た。俺達に聞かせたくない話があったのだろう。
俺がこっそり扉に耳を当てていると、サクヤに首を押さえられた。
「シーナ、悪い子。盗み聞き、よくない」
「いいじゃないか、何を話しているか、気にならないのか?」
「コルト監督官、いい人。シーナ、コルトさん、嫌いか?」ゴローまでそんなことをいう。
仲間の二人からにらまれて、俺は渋々扉から離れて窓のところへ行って外を覗いた。ちょうど正面に巨大な堰が見えた。それは俺達の世界でいう堰の上には向こう岸へ渡る橋と建物が合わさったような建造物が乗っている。まるで俺の世界のダムのようだ。ただ違うのは、堰の端だけではなく、中央にも小型の塔が立っているところだった。
向かいの塔には見慣れない旗が翻っていた。赤い旗に、金の獅子のような生き物が描かれている。あれが、帝国の旗なのだろうか? 朝日にきらきらと何かが光って見えた。おそらく何かの武器の類いなのだろう。
「ちょっと、何をしてるのよ」リースの怒ったような声に俺は振り返った。
「なにをって? 外を覗いていただけだ・・・・・・うわ」
「向こうからもあんたのことが丸見えでしょう。馬鹿じゃない」
「何を怒ってるんだ。リース」俺は文句をつける。「コルト監督官との話はどうだった?」
「あんた、聞いてたんじゃないの?」
「俺が? まさか」俺は無実を訴えた。「そんなこと、毛ほども思っていないぞ」
「まぁ、いいわ。コルト監督官からの話を伝えるわね」
リースは俺達を部屋の中央に集めた。
「ここに、ロイス技術官が来ているんだって」
「うわ、あいつが」俺は顔をしかめる。
「彼はあなたたちのことが大嫌いなのよ」
「安心しろ、俺も、あいつのことが嫌いだ。あのクソ野郎の顔なんか拝みたくもない」
「嫌い。同じ」ゴローも同意した。
「いや、あんた達が嫌いかどうかは別として、彼がいるということが問題なの。彼はあなたたちのことを恨んでいるわ。さんざん恥をかかせた相手だもの。顔を合わせたら、ただではすまないと思うの」
「奴はどこにいるんだ?」
「この奥で帝国軍と戦っているみたいよ」
「技術官が?」俺の知る限り、あいつらは監督官として表に出ることはなかった。危険なことは監督官にやらせて自分たちは建物の中に引きこもっている、そんな印象を持っていた。
「新種を試しているらしいの」
「本当にクソだな」俺は断言した。
俺としては、あのロイスに肩入れするのは反対だ。人を人とも思わないあいつの下で動くのは命の危険を感じてしまう。だが、村は守らないといけない。悔しいが、優先すべきことは見えていた。
「リースはどうしたいんだよ」俺はきく。「俺達は、ここの堰を壊されることを阻止するためにここにやってきたんだろ。おまえはどうしたい?」
「あたしは」リースは言葉を切った。
「クソ野郎のことはとりあえず置いておいて、俺達のできることを考えよう。まず、考えないといけないのは堰を守ることだろう」
「リース、わたしたちのことはいい。わたしたちは、あなたの兵隊、だから、あなたのために戦う」サクヤはにこりと笑う。「リースはどうしたい?」
「おまえが後悔しないほうを選べばいい」俺は軽い調子で言った。「監督官様の、お望みのままにってことで」
「そんなに軽口をたたかないでよ」リースが怒った。「監督官様って、そんな嫌みな言い方、きらいよ」
そんなことくらいで怒るとは思わなかった。俺は、慌てた。どうしてしまったんだ? リース。
「リース、俺達も、あの村のこと大切。俺としては、あの村、守りたい。堰壊すの、反対。」ゴローがリースをなだめる。
「わたしも、そう。シーナもそのはず」
「そ、そうだな」俺は、サクヤの促しに同意した。
「シーナ、まじめな話をみだすのよくない」サクヤが先生のように厳しい口調で注意した。みんなににらまれて俺は小さくなる。
意見がまとまったので、俺達は、コルトを捜した。
幸いにもコルトはまだこのあたりを離れてはいなかった。俺達は彼に作戦に協力したいという旨を告げる。
コルトはリースの顔を見て聞く。
「それでいいのか?」
リースはうなずく。
「彼らをなるべく、危険から遠ざけようとは思っています。でも、わたしたちはこの関を守りたい」
コルトは床にそのあたりにあった棒で地図を書いた。
この堰で人が出入りできる区画は二層になっている。一つは堰の上を通る区画。もう一つはすぐその下にある区画だ。どちらも中央の塔をとおして向こう側の塔と行き来できるようになっている。
「そして、中央の塔がこの堰全体の結界を維持する要となっている」コルトは簡略に書いた図の塔の部分を棒でつついた。「今わたしたちがいるのは下の層のこちら側の塔の入口だ」
コルトはそれから上の層を指した。
「今、ロイス技術官達主力はこちらの上部を攻めている。昨日までは下の道を重点的に攻めていたのだが、恐ろしく敵に強い奴がいてな。帝国の将だ」
恐ろしく強いと聞いた時点で俺の頭の中にあの男の顔が浮かんだ。確かに、あの男には勝てる気がこれっぽちもしなかった。
「あいつと出くわさないほうといえば、下から行くしかないか」
「あんた、その強い奴と戦って勝てる自信があるの?」リースがびっくりして俺の顔を見る。
「いや、ぜんぜん」
でも、いきなり自爆装置を作動させる奴と出会うよりはましなような気がする。
「正直、おまえ達がいってどうなるものでもないようなきがするのだがね」コルトが忠告する。
「俺達は少人数だし、個別で動けるという利点がある。今までのナンバーズの動きを見てきたけれど、集団で動くと強いけれど、個人ではそれほどでもないと思うんだ。だからこの前みたいに、俺みたいな格下相手に負けることになるんだ」
俺の話を聞いたコルトは、苦笑いを浮かべた。
「あれは、個別戦闘もできるといって改良された種だったのだがね。おまえ達なら何とかしそうな気がするのは不思議だよ」
「まぁ、本当に無理そうだったら、戻ってくるさ。リースの命を危険にさらすことはしないよ。もちろん、サクヤとゴローもだ」俺は、リースの険しくなった表情を見て慌てて付け加えた。
「わたしはここを動けない」コルトは真剣な表情で俺達に告げる。「わたしに与えられた任務はこの地点の守りだ。気をつけていくんだぞ」
コルトは小さく手を挙げると、入り口のほうに戻っていく。彼の配下の者も影のようにコルトに付き従った。
「待って」
すぐにその場から立ち去ろうとしていた俺達に、リースは声をかける。
「三人ともこっちに来てちょうだい」
リースは俺達を招く。
「これからは、あなたたちが自分の頭で考えて心で判断して、最善と思える道を選んでちょうだい。いい、命令よ」彼女は腕輪に手を当てて命令する。「聖霊の導きが、あなたたちの行く末にありますように」そういって彼女は腕輪を外した。
そして、剣を抜いて腕輪の宝石に突き立てる。
石の表面に亀裂が走って宝石は完全に砕けた。
「なにをするんだ」俺はあっけにとられて壊れた腕輪を見つめた。
「これで、自由よ」
リースは俺達に告げる。「わたしはもう監督官じゃない」
リースと目が合った。彼女の目に迷いはない。
「そうだな、俺達は仲間だからな」俺はリースの頭をたたいた。




