第26話
次の日、俺達は馬に乗って隣の村があった場所に向かった。
隣の村は十年前の内乱で、破壊され放棄されたのだと淡々とリースが話した。リースの婚約者という少年もそのときに命を落としたのだろうか、それとも?
ほとんど消えている道のあとを馬はのんびりと歩いて行く。道を知っているリースが先導し、次が偵察のうまいゴロー、それから一番へたくそな俺と、やすやすと馬を乗りこなすサクヤが続く。
「だいぶ、しーな、乗るのうまくなった」へっぴり腰の俺をサクヤが褒めてくれる。それでも、俺は馬は嫌いだ。
「なぁ、なんで、今回、馬での調査なんだ?」
休憩中に俺はリースに聞いた。
「その方が早く村に帰れるからよ。最悪、馬だけでも戻れば、何かあったとわかるでしょ」
「本当に、魔獣なのか、村にいたのは」俺は懸念をリースにぶつける。
「シーナ、あんた」
「ただの魔獣なら、キーツとディーに来てもらった方がいいだろう? いつもの魔獣狩りの面子なんだから。それを残してきたということは…」
「シーナ。今回は魔獣の調査よ」リースはしばらく迷ったあとにそういった。
「なにか、他の物を見かけたときにはすぐにあたしに知らせて。いいわね」
「了解、監督官」
俺はそれ以上深く追求しなかった。帝国兵がこの辺にいるということはこっそりと盗み聞きした話で、俺が知っているはずのないことだった。
でも、リースの微妙な答え方から察するに俺の推測は間違ってはいない。今回俺達はできる限りの武器や防具を持ってきていた。相手がよほどの多勢出ない限り、誰かが村に帰ることはできるだろう。
隣村まではそんなに距離はなかったが、思っていたよりもずっと到着まで時間がかかった。人の通らなくなった道は荒れて、所々迂回しなければいけないところが多かったのだ。
隣の村は山の麓にある集落だった。周りは森で囲まれ、山から木を切り出して生計を立てるような村だったようだ。小高いところから見ると森が切れたところから向こうには、点在する林と草原が広がっている。
村の跡が見えるところまで来ると、リースは馬から下りた。
「むかし、このあたりに馬を放し飼いにするところがあったのよね」
ぶつぶつ言いながら、古い痕跡を探す。
リースの記憶は確かだった。俺達はまだ頑丈な柵の残っている少し開けた場所を発見した。すでに低木があちこちに生え、大きな木が枝を伸ばし放題に伸ばしてきていたが、なんとか馬を入れられそうだ。とりあえず馬を入れておくのなら十分な場所だろう。
作業を終えるとリースは俺達を集めた。
「いい。何かを見つけたら、わたしに報告して。報告できない場合は馬に乗って村に戻ってちょうだい。そしてディースかキーツにそれを伝えて」
「強力な、魔獣、来る?」ゴローは心配そうにきく。
「ええ。魔獣以外の物でも何か見つけたら報告して。人でも、馬でも、何でもよ。今回は情報を持ち帰ることが大切なの。魔獣を退治するのはあとでいいから」
「わかった」ゴローとサクヤがうなずく。
「万が一、戦闘になったときはどうすればいい?」
俺がきく。
「…今回の魔獣はわたしたちで倒すのは無理かもしれないの。できるだけ戦闘は避けて。とにかく村へ、情報を届けてほしいの」
三人では太刀打ちができないほどの部隊がいるということか。俺はうなずく。
「じゃぁ、まず村に行って何か痕跡がないかを探しましょう。ゴロー、先頭を頼んでもいいかしら」
元狩人だったゴローがこの任務には一番適任だろう。本来なら、ここは専門職であるキーツがいるはずなのだ。彼は来られない理由でもあったのだろうか。ひょっとすると彼は別方面の任務に出ているのかもしれない。
俺達はゆっくりと村へ続く道を進んだ。かつて、馬車が通るほどの広さだった道はずいぶんと草に覆われ、歩きにくくなっている。歩き始めてすぐにゴローが手で俺達を止める。
「獣のあと…」ゴローは草をかき分けて、小さな足跡を俺達に見せた。「たくさん、たくさん…群れ」
「どんな獣かわかる?」リースが声を潜めてきくと、ゴローは首を振った。
「大きさ、このくらい、四つ足。爪のある生き物。羽の生えた群れ。古い、昨日のあと」
「人の通ったあとはない?」リースがきくと、ゴローはまた首を振る。
「魔獣かぁ」リースは口に手を当てて考え込んだ。
「獣、近くにいるかしら。村に行ってみましょう」
村の入り口とおぼしき場所でゴローがまた立ち止まった。
「群れ、変。ちょっと待つ」
彼は慎重にあたりを調べる。それから、ゆっくりと足音も立てずに村の中に吸い込まれるように入っていった。
俺は所在なく待つ。残念ながら、俺には狩りの経験はない。やったことがあるといえば、鬼ごっことかくれんぼうくらいだろうか。こういう状態で役に立つスキルとやらは一切身につけていないのだ。
しばらくして、ゴローが戻ってきた。
「村、変。獣、追うもの、他にいる」
「誰か人がいたの?」
「いない。でも、獣と争ったあと、ある」
「いつ頃のあとかしら。昨日? 今日?」
「たぶん、近い」ゴローはそっと羽のような毛を差し出した。「獣の巣、荒らされてる。まだ、獣、生きてる」
「跡を追える? 誰が獣と戦っているのか知りたいの」
ゴローは先を進み始めた。村の広場を抜け、廃屋の中を覗く。そこにはまだ黒い粘液のような物と、毛の塊が散乱している。
「小さい魔獣、たくさん、いた」ゴローはささやく。「こっち」
廃屋の柱に明らかに誰かが最近射たと思われる矢が刺さっていた。
「追いかけっこ」ゴローは森のほうを指す。
森の境界まで来たとき、またゴローはあとを調べ始めた。
「ここで二つになる。こっちとあっち」彼は正反対の方向を指す。「どっちに行く?」
「二手に分かれたのね。一体どっちに行けば」リースは困ったように首を振る。
「二手に分かれるか?」俺は提案した。
「それは、駄目よ」リースはあっさり断る。「二人で魔獣を倒せると思うの?」
「手がかりがないようなら、すぐに引き返すさ」今回の目的は魔獣ではないのだろう、リース。
「あんたに追跡ができるとは思えないけれど」
リースが考え込む。
「わたしが、みようか?」サクヤが小さな声で提案した。「歌を歌えば、精霊がいろいろ教えてくれる。遠くまでは見えないけれど、手伝いはできる」
「そんなことが、できたの?」
リースも驚いていたが、俺も驚いた。サクヤが積極的に協力を申し出たことに、だ。今まで彼女は言われたことはきちんとこなしていた。やれるかやれないかをきくと、それに対しても返事をしてきた。でも、俺達の知らない彼女の力について積極的に開示することはなかったと思う。
彼女の記憶が目覚めてきたのか、それとも試行錯誤の中で編み出したのか。
「どの程度までわかるの?」
「精霊による」サクヤは子供のように訥々と話す。「精霊と仲よしなら、いろいろ教えてくれる。ここの子達、まだよく知らないけど」
「魔獣の気配はわかる?」
サクヤはうなずく。
「精霊は魔獣、悲しい。教えてくれる」
「俺がサクヤと行こう。様子を見に行くだけだ。どんな魔獣か、わかったらすぐに戻る」
「いいわ。馬のところで集合よ。危なくなったらすぐに逃げるのよ」
いわれなくてもそうするつもりだった。
森は異様に静かだった。鳥の声も、獣の気配もない。別れるのは下策だったかもしれない。俺は迷いなく道を進むサクヤの後ろをついて歩いた。この森はすごくいやな感じがする。
「なぁ、サクヤ。魔獣は近いのか?」
サクヤは立ち止まって、宙を見つめたあと、首を振る。
「いるけれど、まだ遠い。怪我をしているみたい」
「なぁ、ちょっと聞くんだけれど、人の気配はあるか」俺は声を潜めて聞く。
「人の気配、たくさん。ものすごく聞こえにくいけど」
ひょっとしたら、相手に気づかれているのかもしれない。引き返そうか。俺はそう思った。
「待って。魔獣が近づいてくる。こちらに戻ってくる」サクヤの声が緊張する。「気をつけて」
彼女は矢を抜いた。
俺も剣を抜いて、周りに神経を集中させる。
サクヤは目を閉じて、俺には聞こえない声に集中している。
「あれ?」不意に彼女が目を開く。
「どうした?」
「急に、気配が消えた。精霊が追えない」
彼女は弓を下ろす。
「変。いなくなった」
「いなくなった?」「そう」
そんな馬鹿な。先ほどまで追えていたのにいなくなるなんて。まさか、瞬間移動? 昔読んだ小説が頭に浮かぶ。そんな技がこの場所に存在しているのか? それとも単に隠れているだけなのだろうか。
「どのあたりで消えたんだ?」
「この先。少し行ったところ」
俺達は辺りをうかがいながら、その気配が消えた場所に向かった。
「この先」サクヤが小さな声で言う。藪をかき分けて、いきなり差し込む日の光に俺は目を細めた。
そこは森の中の小さな広場になっていた。枯れた巨木がぼろぼろになって、それでもまだ幹を残し、その周りにはまだ木が生えていない自然にできた森の空き地だ。
そこに男が一人立っていた。見たこともない鎧を身につけ、草色の外套を身にまとっている。背の高い、よく鍛えてあると一目でわかる体格をしていた。頬に走る大きな傷がなければ、キーツよりも色男としてとおっていたかもしれない。
俺は男を見て反射的に身を固くしたが、男は自然体のままだった。明らかに俺達の存在を前から知っていたのだ。
「やぁ」男は親しげに俺達に声をかけてきた。
「こんなところで人に会うなんて、珍しいな。どこから来たんだ」
俺はなんと答えようか一瞬迷った。
「俺達はマフィの村からきた。このあたりまで魔獣を追ってきたのだが、見かけなかったか?」
嘘をついても、意味がないだろう。実際、俺達は魔獣を調査する目的でここに来ている。
「魔獣退治にここまで来たのか? 二人だけとは、勇敢だね」
男の口調は穏やかだったが、俺の頭の中で警告が鳴り響き続けている。なんと答えよう。答え方によっては、斬られるかもしれない。
相手は一人だけだ。でも戦いを挑むのは論外だ。エルカさん並みのすごみを感じる。後ろを向いて逃げ出そうかとも思った。しかし、逃げ出せない、と俺の何かが告げている。相手は俺とサクヤを会わせたよりも遙かに強い。俺が盾になってサクヤを逃がすという手も考えたが、たぶん無理だ。そのくらい男の余裕は圧倒的だった。
「俺達は、ただ魔獣をこのあたりで見かけたというから調査にきただけだ」会話を続けるんだ。会話を…俺は唇をなめた。「このあたりまで魔獣を追ってきたんだけれど、気配が消えた。あんた、見かけなかったか?」
「魔獣ねぇ、魔獣か」男は笑いを浮かべたままだった。「俺達も…」
「後ろ、危ない」突然、サクヤの警告がとんだ。
男の背後の空間が黒くゆがんだ。そこから獣の腕のようなものが飛び出してくる。
「ちっ」男は目測もせずに抜きざまにその腕をたたき切った。
「横!」俺はかろうじて何もない空間からつきだした爪をかわした。
「なんだ?!」
「魔獣の群れ。気をつけて」
気をつけてといわれても、突然飛び出してくる魔物に俺の頭はついていけなかった。どこから来る? 何匹いるんだ?
「落ち着け。一度出てきたら当分潜れない」男の声が飛ぶ。「出てきた奴らを始末しろ」
始末しろといわれても。俺はめまぐるしく飛び回る魔獣に振り回される。今回の魔獣は鳥と猫の入り交じったような小型の生き物で、宙を羽ばたいて爪で攻撃してくるのだ。
戦いのさなかにサクヤが小さな声で歌っていた。ふわりと地面から光の球が浮かび上がる。
巡る力よ、まわる力よ。
魔獣の爪は鋭かった。魔獣にしては小型とはいえ、数が多い。爪がかすった鎧に傷がつく感覚があった。
盾となりて我を守り給え。
光の球を集めて、鎧のように身にまとう。小さな光が俺の周りを回るのを見て、獣がひるんだ。
光をまといて、我が敵を討ち果たし、
剣がかすかな光を放った。光は獣の黒い影を断ち切り、黒いヘドロのような物があたりに飛び散る。
どこからか飛んできた矢が俺のうち漏らした獣の頭を貫いた。
サクヤは舞うように剣を操ると、獣の羽が辺り一面に飛び散る。落ちた魔物に俺はとどめをさしていった。
精霊は我を守りたもう
気がつくとあたりは、魔獣の消えるときに出す黒いもやと、魔核の入っている肉塊だけになっていた。俺は肩で息をする。
「サクヤ、怪我はないか?」
「かすり傷だけ」
彼女は汗ばんだ髪をかき上げながらうなずいた。
先ほどの男は、ぼろぼろな俺達と違ってまだまだ余力がありそうだった。ちょっとした運動をしたあとのように、軽く息を弾ませている程度だ。
「おまえ、アルトフィデスの精霊剣をつかうのか?」
男は、先ほどと変わらない気軽な口調で俺に聞いてきた。
「アルトフィデスのなんだって?」聞き逃した俺は聞き返す。
「精霊剣だ。めずらしいな、おまえ、騎士というわけでもなさそうだが」
「そんなもの、しらない。知り合いに稽古をつけてもらっただけだ」
「ほう、知り合いにね。その…」
男が何か言いかけたとき、森の中から鋭い鳥の声が響いた。男ははっと顔を上げて、それから森のほうをみた。
「そろそろ退散する頃合いだな」男はつぶやくと、俺達に背を向けて歩き出す。「失礼するよ、アルトフィデスの剣使い。縁があったら、また会おう」
男は片手をあげて背中を向けたまま合図をして歩き去る。男に姿が森の中に消えるのとほぼ同時に張り詰めた空気も解けた。俺はほっと肩を落とす。
「みんな、行ったかな」
サクヤが、確かめるように宙を見回して、それからうなずいた。
「助かった。寿命が縮んだよ」
「あれは何?」サクヤがきく。
「たぶん、帝国の正規兵だ。殺されるかと思った」
「うん、とても強い人達。シーナ、頑張れ」
何を頑張るんだか…無邪気なサクヤの励ましに俺は草むらにしゃがみ込んだ。
「シーナ、偵察は終わった。リースのところへ戻ろう」
蓬けている俺の前にしゃがみ込んで、サクヤが促す。
「そうだな。あ、偵察っていうのかな」
結局、魔獣と戦ってしまった。それに、こちらが確認するはずの帝国兵に確認されてしまった。リースになんと報告しよう。俺は頭をかきむしりたい気持ちに駆られる。
「シーナ、ついでに魔核を持っていこう」サクヤは懐から袋を取り出す。「魔石、高く売れる。おいしいものたくさん食べられる」
「どこで、そんな下世話なことを覚えたんだよ。サクヤ」
そうはいいながらも、俺も大量に落ちている魔核の魅力にあらがえなかった。これ一つで祭りの料理がまかなえるほどの貴重なものなのだ。今回はディー達がいないので、神殿にピンハネされる率も減る。
俺とサクヤはまだ煙を上げている魔獣の肉から石をせっせと取り出した。




