第15話
次の日、俺は恨みがましいキーツとルソの視線を背中に感じながら御者台に乗っていた。
「シーナ、俺はお前を呪うぞ」キーツは俺にぼそりとつぶやいた。
すみません、すみません、俺にはそれを謝ることしかできない。
今日も大瀑布は日に照らされて、美しく輝いていた。橋の向こうでは警備兵がかしこまって俺たちを通してくれる。来た時とはずいぶん違う応対の仕方だ。
それもそのはず、大女が体格に似合った馬車馬かと思えるほどの馬に乗っているのだ。かしこまるのも無理はない。
俺の隣に座っているリースは機嫌よく歌を歌い始める。それに、意外に歌がうまい姐さんが唱和し、それにゴローとサクヤが調子を合わせる。知らない人が見たらどこかへ遊びに行く集団のように見えたかもしれない。俺の気分は相変わらず暗いままだったのだが。
俺たちはまず、前にリースと出会った町を目指した。この町で情報を集めるのだ。川辺を離れるにつれて空気が少しずつ乾いてくる。森が消え、林になり、畑が広がるようになった。町は思ったよりもずっとコサの町の近くだった。
前に来たときは荷物のように馬車に積まれていたので、初めて見る街のように感じられる。
「魔獣の情報を集めよう」
町外れに馬車を止めて、エルカが巨大な馬から降りた。
「俺は、酒場で情報を集めてくる」ルソとキーツがいう。
「じゃ。あたしたちは神殿に行ってくる。行きましょ、ヤス様」
「あたしは馬の世話をしてから、知り合いのところを回ってみるね」
「あたしも嬢ちゃんと一緒に回ろう。町の顔役に挨拶しておいたほうがいいかもしれないからね」
「それで、あんたたちは?」
俺たち三人は別にやることはなかった。
「じゃぁ、俺も酒場で情報収集を」
俺がキーツやルソについていこうとすると、リースが俺の袖を引っ張った。
「あんたはこっち。あとで買い物を手伝ってちょうだい」
ああ、うまい料理と酒が・・・俺は渋々馬の世話をする。
「や、リース。久しぶりだな」
このあたりではリースは顔が知られている。馬の世話をしている人たちが次々と声をかけてくる。
「お久しぶり。元気にしてた?」リースも気さくに挨拶を交わしていた。
そういえば、初めてリースにあったのはここだった。あのときはコルト監督官の元にいたから、口をきくこともなく無駄な行動は一切規制されていたのだった。今思うとよく辛抱できたと思う。抑圧されているという意識さえ封じられていたのだ。
果たして、今あのときと同じ扱いをされて耐えられるだろうか。
リースが知り合いから得た情報によると、やはりこのあたりにも魔獣は出ているらしい。
「コサの神官様が来てくれてるのか。助かったよ」皆、その情報にほっとしているようだった。「クリアテスの連中にも頼んでいるのだが、あちらは、なぁ」
「え? 何かあったの?」
「いや、あちらは魔獣退治に“幽霊”を使うんだよ」声を潜めて、男はいう。「あいつら、なんか気持ちが悪くて。人じゃない、道具だと連中はいうんだけど」俺は思わず馬に飼い葉をやる手を止めた。
男は俺たちがこんなこと言ってたなんて言わないでくれと念押しをする。
「あいつらに変なことをいうとな。“幽霊”にされてしまうという話でね。おお、怖い」
ここではクリアテス派は好かれていないようだ。気持ちはわかる。感情も見せない話しもしない連中が町をうろうろしていたら気味が悪いだろう。それに、このあたりの町からもずいぶんたくさんの人たちがクリアテス派に協力という名目で連れて行かれたらしい。そのことを恨みに思っている人が少なからずいるということか。
「馬の世話は終わったぞ。エルカ姐さんは?」
「エルカ様でしょ。エルカ様は結局一人でこの町の長のところに挨拶に行ったわ。小規模とはいえ、隣の国所属の人たちがこちらに入っているのだから挨拶はしておくって」
「この町の長か。なぁ、前から気になっていたのだけれど、ここには王様とか領主様とかいないのか? 全然話に出てこないんだが」
「でるわけないじゃない。このあたりは王様に反乱を起こしたクリアテス派の地域なんだから」
「そうなんだ」
「そうなんだ、って。シーナ、あんた、やっぱり無知ね」
からかうような口調に俺はむっとした。
「仕方ないだろう。何も教わってないんだから。いわれることいえば、命令に従え、戦え、ただそれだけなんだぞ」
「そういえば、どっちの側について戦っているのかさえ知らなかったのよね。それでよく戦えたと思うの」いつものリースの軽口だったが、今日はなんだかむしゃくしゃした。
「悪かったなぁ。無知で。仕方ないだろう。本当に何も知らされていなかったんだから」
「でも、クリアテスの歌は捧げてたわけでしょ」
「クリアテスの歌?」
「ほら、クリアテス派が戦いの前に歌うあれよ。祈りくらいは捧げたわよね。神父様が監督官だったんだし」
あれか。思い出すだけでさらに胸のあたりのもやもやがひどくなる。
「それって、自由、平等、友愛とかいうアレか? あの鬨の声みたいなやつか。アレが祈りであるもんか。一体どこに、自由や平等があるというんだ? 友愛? くだらない、一番そういったものを無視してる奴の祈りなんか誰がきくかよ」
言い過ぎたかもしれない。リースの表情を見て俺はそれ以上口に出すのはやめた。思いがけず激しい言葉が飛び出してきた。自分でも口に出して初めてそれが本音だとわかった。
「お、熱いねぇ、痴話喧嘩かい」
にやにやするリースの知り合いに見つかって俺たちはぱっと離れた。
「そ、そんなんじゃないから」リースが必死に訴える。
「言い争いはやめときな、兄ちゃん。リースはいい子だ。小さいことにこだわって、せっかくの芽をつぶすんじゃないよ」
「だから、そんな関係じゃないって」リースが向きになってくってかかる。
「監督官。仕事終わった」
馬車の手入れをしていたゴローが戻ってきた。
「監督官、顔が赤い。熱でもあるのか」
「ないわよ、ないったら」リースは地団駄をふんだ。「もういい。シーナ。買い物に行くわよ」
「俺はどうする?」ゴローがきく。
「あんたはサクヤと一緒に荷馬車の番をしていて。エルカ様が帰ってきたら、その指示を聞いてちょうだい。それ以外は臨機応変にね」
最近リースは命令を発するごとに事情が変わったら自分で考えろ、とか、臨機応変とか、そういう言葉を付け加えるようになった。そうすると、命令の不備で立ち尽くしているとか、危険な行為を続けているといったことが少なくなるということに気がついたからだ。
俺たちにかけられた呪はかなり根深いものらしい。俺はともかく、ゴローとサクヤは言葉をしゃべることからまだ不自由なのだ。ゴローやサクヤが“何者であったか”は未だわかっていない。意思も弱く、従順に何でも行う傾向にある。
「あんたとは大違いよ」と、リースはいっていた。「あたしはあんたがどうしてそんなに反抗的なのか、そちらの方が知りたいのよね」
そんな俺でも、リースが本気で命令をかけると逆らうことは難しいこともわかってきた。体そのものに呪がかけてあって、意思と無関係のところで動いてしまうのだ。
こうして、リースの買い物につきあっているのもその一環だろうか。俺は何足もの靴を抱えながら、そう思う。女の子は買い物好きとはいうけれど、これはちょっと買い過ぎだろう。
いったん荷物を馬車に積んで、次にリースが立ち寄ったのは乾燥した草がたくさんつるしてある家だった。
「おや、リース。どうしたの? お久しぶり」
太った店のおばさんが声をかける。
「あ、おばさん、この前注文していた香草は入ったかな?」
「はいはい、きましたよ」店の奥にいったおばさんは袋を下げて出てきた。
「眠り草と、お清め草、だったね」
「あと馬の治療薬と痛み止めはあるかしら?」
「はいはい、ちょっとまってね」おばさんはまた店の奥に入っていった。
「こんなに大量に買ってどうする気なんだ?」
リースは肩をすくめた。
「村のみんなから前に頼まれて注文してたの。町に来たときに買ってきてねって。後は常備しておく薬。気がついたときに補充しておかないといざというときに困るでしょ」
「はい、リースちゃん、これでいいかしら」
おばさんは小さな包みに包まれた丸薬と軟膏の入った壺を差し出す。
「そう、これこれ。いつもありがとう、おばさん。あ、それと」リースはごそごそと隠しから小さな紙を取り出した。「これ、ここに置いているかしら」
「えーと」おばさんは目を細めて紙を見る。
「すぷれーぜ・がとりくす?」俺が脇からのぞき込んで紙を呼んだ。汚い走り書きのような文字だ。
「リース、あんたの彼氏、なかなかの学があるじゃない」おばさんが目を丸くして褒める。
「いや、いや、彼氏じゃないし」「彼氏じゃないですよ」
俺とリースは同時に否定した。
「それ、ダムからの注文だろ」店員は紙を見て顔をしかめる。
「ごめんね、と伝えておいてくれる? 今年はこの薬草ほとんど採れなくてね。他からも注文が入っているんだけど。困ったものだよ」
「不作なんですか?」
「ああ、このあたりで採れる薬草は極端に不足しているんだよ。あったとしてもクリアテスの連中が全部持って行ってしまって。あ、リースちゃんはクリアテス派だったっけ。ごめんね。悪口を言って」
「ううん。いいよ。うちは便宜上クリアテス派を名乗っているだけだから」
リースが小さく笑った。
「そうだよね。たいへんだよね。なまじ村長の家に生まれたから」
おばさんは同情しきりだ。
「お父上や兄さん達はまだ戻ってないんだろ?」
「うん、父さんは都に行ったきりだよ。兄さんは、兄さん達、何してるんだろうね」
うつむくリースの肩を女将さんがぽんぽんとたたいた。
「心配しなくても大丈夫だよ。精霊がついているからね。地母神様がお守りくださる」
なんとなくしんみりしてしまったが、その店を出たころにはいつものリースに戻っていた。
「さ、次の店に行くよ。頑張っていこう」
そうして何件もまわっているうちに、頑張らなければいけないほどの荷物を俺は抱えていた。
おかしいな、さっき荷物を馬車に置いてきたはずなんだが。
それに、荷物持ちなら人選を間違えていないか? 俺よりも体の大きいゴローのほうが適任だと思う。
重い荷物を持って馬車の戻ると、もう姐さんは戻ってきていた。
「話は聞いてきたよ」エルカ姐さんは地図を広げた。
「やはりこのあたりでも魔獣の被害が出ているそうだ。クリアテス派の連中に掃討を頼んだけれど、まだ実行されていないらしい。アルトフィデスのほうでも調査するといったらとても感謝されたよ」
姐さんとリースが地図をのぞき込む。
「キーツ達の意見も聞いてみないといけないが、おそらく群れがいるのはこのあたりだと思う。問題は“穴”がどこにあるか、だけれど」
その“穴”に関する情報が持ってきたのはディーやヤスだった。
「こちらのアルトフィデス神殿も調査をしていましてね。そろそろコサの町に陳情に行こうとしていたところらしいですよ」ヤスは地図の一角を指した。
「いろいろな情報を総合すると、このあたりらしいです」
「よし、じゃぁ、明日からこのあたりを調査だ」姐さんはぐるりと俺たちの顔を見回した。「あたし達だけで退治できればよし。できないときは騎士団の応援を頼む。それでいいね」
酒場に情報収集にいったはずのキーツとルソは次の日の朝まで戻ってこなかった。酒と香水の匂いを漂わせながら戻ってきた二人に姐さんは頭から水をかけた。
「これから、狩りに行くんだ。そんなありさまじゃぁ、獲物が逃げちまうよ」
しかし、多少酔っていても傭兵の二人は優秀だった。あっという間に魔獣の痕跡を見つけて追う体勢に入る。
「ここからは歩きだな」
最寄りの集落に馬車と馬をおかせてもらってから、俺たちは歩いての追跡に入る。
正直なにが獣の痕跡なのかわからない俺は後ろを固めるルソの前をディーやヤスと歩いて行く。
この集団の中で一番役に立ったのはゴローだった。ゴローはキーツやルソが目を見張るほど獣を追うことになれていた。一度、これが魔獣の痕跡だと教えられると、二度とその跡を見失うことはなかった。彼の一族は草原で狩りをする部族だというのもうなずける。
「ゴローはすごいな」こういう任務が専門というキーツも絶賛したほどだ。「きっとあんたは一流の狩人だったんだろうな」
「おれ、覚えてない」ゴローは少し気恥ずかしげにつぶやく。「おれ、狩り、しらない」
「あまり彼に、そういうことを聞かないでください」ヤスが小声でキーツとルソに注意をする。「まだ完全に呪が断ち切れたわけじゃないのですから」
「そろそろ隠蔽の術をつかった方がいいかしら?」ディーがたずねる。
「うーん、まだ距離がありそうだけど。念のためお願いできるか?」
「今回はアタシとヤス様、二人いるから術にも余裕があるわ。魔獣は鼻がきくというから、念のために」
ディーが低い声で呪文を唱えると、白い光の球がこちらに寄ってきた。それは彼女の手のひらの上に乗ったかと思うと、はじけて細かい光の粒になってあたりを漂っている。
「今、どんなふうに見えていますか?」ヤスがたずねてくる。
「白い小さな粒が浮いて見えるよ」
「そうですか。それがあなたの隠蔽の見え方です。今度時間があるときにやり方を教えますね」
この術は狩りにでも、戦にでも使える便利な術なのだそうだ。彼は俺達に基礎の手ほどきをしてくれた。実のところ、こういうことの飲み込みは俺よりサクヤのほうが早かった。彼女はヤス神官の抽象的な説明もすんなりと理解できるようだった。俺にはさっぱりだ。これは地頭の違いだろうか?
「そもそもこの術を最初に広めたのは・・・・・・」
彼の説明が講義に変わり始めたところで姐さんがそれをやめさせる。
「おいおい、それは神殿の中でやってくれ。今は追跡中なんだよ」
だが、そういって軽口をたたけたのも日が高くなるまでだった。
「複数の足跡だ」キーツが声を潜めて告げる。「どんどん集まっている。これは、確かに群れだな。“王”がいるかもしれない」
「“王”?」
「中心になる個体だ。普通の魔獣よりも力が強く、賢い。そいつがいるとなると、やっかいだな」キーツは今まで見せたことがない真剣な顔をしていた。「リースちゃんやサクヤちゃんは引き返した方がいいかもしれない。ここから先は慣れたものでないと、逆に包囲される可能性もある」
「安全に引き返すことができそうか?」エルカが真顔でたずねる。「そのほうがかえって危険ということはないか」
キーツは返事をためらった。
「まて」そのときゴローが鋭い声を出した。「別の、きてる」
「別の?」
ゴローは、しばらくにらむように草むらの向こうを見たあと目を閉じた。
しばらくしてから目を開けると、ギロりと俺たちのほうに向く。
「間違いない。なんばーず」
「“幽霊”部隊か」
「うん、ナンバーズの気配」
「クリアテスの軍が来ているというのか」
エルカが舌打ちをした。
「奴らと鉢合わせをするのはまずいな。だが、いまさらか」エルカは素早く思案を巡らす。
「ゴロー。彼らの位置はわかるか」
「わかる」
「あいつらが向かっているのは魔獣の群れの方角だな」
「そう」
エルカの口元に面白そうな笑みが浮かんだ。
「追うぞ」
「え?」ぎょっとしたようにヤスがエルカを見た。「引き返すのではなくて、追うのですか?」
「ああ、どうやらあちらの狙いも魔獣の群れらしい。いい機会だ。彼らの戦い方を見物しようじゃないか」
そういうと、彼女は俺の方を向いてにやりとした。
「シーナ、おまえも自分たちの戦い方を見てみたいだろう」




