第1話(第6話)
森の奥に、それはいた。
月の光が、そこに佇むそれを静かに照らしている。
「……これで終わりだ、魔王」
タリスは両手で握りしめた大剣の先を、目の前の異形へと突きつけた。
タリスの息は荒かった。全身の筋肉が悲鳴をあげ、鎧の隙間から流れる自分の血が脚を伝っていた。
いくつもの死線を越え、多くの人々の屍を越え、彼はようやくこの悪夢の元凶へとたどり着いたのだ。
だが、禍々しい漆黒の角を生やした魔王は、傷だらけでありながらピクリとも動かない。死力を尽くした死闘の末だというのに、その異形の顔には焦りも恐れもなかった。
「……フフ、ハハハ……」
魔王の地鳴りのような笑い声が漏れる。
「何がおかしい!」
タリスが怒声とともに一歩踏み出した、その時だった。
魔王がゆっくりと持ち上げた爪の先。そこに、だらりとぶら下がっていたそれが光った。
歪んだ、花の形をしたペンダント。
それを見た瞬間、タリスの頭の中が真っ白になった。呼吸することすら忘れ、全身の血が引いていく。
「な……なぜ、それを……」
「……これか?」
魔王は愛おしそうに、けれど嘲笑うように、指先でそのペンダントを弄んでみせた。
「お前の『親友』が、首から下げていた物だ。……奴は最後の最後まで見苦しく命乞いをしたぞ。泣き叫び、お前の名前を呼びながらな」
「きさまっ…………!」
「俺が殺して奪ってやったのだ。……あいつは死んだ」
ドクン、と心臓が跳ね上がった。
タリスの頭の中で何かがぶちりと切れる音がした。
かつて笑い合い、背中を預け合い、旅を共にしたナギの顔が脳裏を駆け巡る。
タリスを安全に魔王のもとへ連れて行くため、単身で先へと進んでいたナギは、約束の3日を過ぎても戻って来なかった。
あいつはもういないんだ。魔王に殺されたのだ。
「――許さない……絶対に、許さない!!!」
タリスは地面を蹴り、咆哮とともに大剣を振りかざした。
魔王は避ける素振りを見せなかった。まるで、最初からそれを受け入れるためにそこに立っていたかのように。
タリスの剣は、魔王の肉を断ち、骨を砕いた。魔王の胸の中央、あのペンダントの真上を深く貫いた。
「ガハッ……!」
魔王が血を噴き出す。
だが、倒れ込む魔王の顔に浮かんでいたのは、タリスへの怒りでも、死への恐怖でもなかった。
魔王は胸のペンダントを、その異形の爪で優しく包み込むと、穏やかな目でタリスを見た。
「……あぁ……これで……」
それが、世界の脅威と呼ばれた魔王の、最後の言葉だった。
「ナギ……。やったぞ……。魔王を倒したぞ」
緑の瞳が揺れ、涙が頬をつたう。
「おまえが言ってた『勇者の噂』。嘘だったな……。俺はちゃんと、魔王を倒せたんだから」
タリスは冷たい空に向かって呟いた。
こみ上げてくるのは、ついに魔王を倒したという喜びではなく、大切なものを失ってしまった喪失感だけであった。
あまりの悲しみに、もう二度と立ち上がることができないのではと感じるほどに。
だが、タリスは魔王を倒した勇者だ。勇者は人々に希望を与えなくてはならない。悲しみに押しつぶされている場合ではない。前を向かなければ。
「魔王を倒したぞ!」
泣き叫びたくなるのを必死に堪え、タリスは人々に平和の訪れを宣言した。
タリスの名はまたたく間に広まり、人々は彼を勇者と讃えた。
たった一人で魔王を倒したタリスは、歴代の勇者の中でも最強だと言われた。
タリスは否定した。
ナギという友なしでは魔王を倒せなかった。彼がいたから、ここまでこれたのだと。
だか彼がどれだけその話をしようとも、後世に語り継がれるのは、勇者タリスの物語だけであった。




