1-16 『目があればこそ光あり』
快晴、快適。
季節としては思い切り夏に足を突っ込んでいるというのに、涼しい風が吹き抜けしつこい蒸し暑さも無く、気持ちの良い朝である。
住宅地を横切っていると、甲高く騒ぎ立てる複数の幼い声が聞こえてきた。見遣ると、小学生くらいの男女が数人、ブランコを囲んで笑いあっているなんとも微笑ましく平々凡々とした光景があった。公園というよりはちょっとした広場で、ブランコひとつ以外には遊具は無く、端の方にベンチが幾らか設置されているだけ。
経年劣化が遠目でも見て取れるベンチに杖を持って座る年老いた男性が、ふとこちらを向いてゆっくりと手を振ってきた。位置関係を鑑みるに、確実にマユイに対する挨拶だ。左手を軽く上げて最低限の返事だけ行い、足早に去る。
深く息を吐き、独り反省する。目的地が近いというのに、気を抜きすぎていた。
完全に姿を消していたわけでは無く、ただいつも通りに歩いていただけではある。が、それでも人々の意識から自然とするりと零れ落ちる程度の効果はあるはずだ。学校生活で空気だったのがその証拠。
だというのに、人気の少ない路地で、十数メートルも離れた一般老人に意識を向けられるとは。
「初陣前なのに気が緩んでるみたい」
『オイオイ、いつになく気弱じゃね~か、嬢ちゃん。怖気付いちまったか~?」
「さっきから欠伸が止まらなくて」
『なんだ、いつも通りじゃね~か』
独り言ではない。顔は前に向けたまま、通信機で一颯とやり取りしているだけだ。その声は、周囲に聞こえていない。聞こえさせていない。
マユイといういち人間の存在は認識できる状態だが、閑静な住宅街に似合わないミリタリーチックな任務服や、日本人高校生としては珍しい雪色の髪は、周囲からは正常に認識できない。以前は無意識に行っていた微妙な調整も、意識的、部分的に制御可能となった。
つまり、第二・第三者視点のマユイは、それっぽい服装とそれっぽい髪色髪型をしているごくありふれた人間でしかない。あのお爺さんが目敏くフレンドリーだったという結論にしておこう。
暢気に街中を散歩しているようにしか見えないが、これでもテロ組織の拠点に単身乗り込もうとしているのだ。強力な人外が跋扈する中へ、か弱でひ弱な女の子が命を張りに行くというのだから、恐怖で震えが止まらない。
『そ~ゆ~のはせめて、怖がる素振りでも見せてから言いな?』
『むしろお前は武者震いしてたな』
「ライは今日ずっと口を閉じてて欲しい。仕事の出来栄えに関わるから」
腕を顔の前に上げて日陰を作り、昇りつつある夏の太陽から顔を守りつつ、聞こえてきた2つ目の声に対して毒を吐く。
今にして思えば、日焼け止めクリームやアームカバーといった対策を一切せずとも驚くほど肌が白いままだったのは、もしかしたら紫外線の影響を無意識に阻害していたのかもしれない。光による眩しさから自然と目を守るまでには至っていないため、今後はその練習もしてみようかなと心にメモを取る。
そう考えると、マユイの能力は結構便利なのかもしれない。日用品感覚だが。
「――――」
遠くの方、住宅街を抜けた先に、慣れ親しんだ廃ビルを彷彿とさせる古びたコンクリビルが立ち並ぶ区画が見えてきた。印刷業や精密機械の部品を下請けするような中小企業の群れと聞いている。中にはテナントが完全に撤退し、本当の意味で廃ビルとなっている建物もある。
その中に、危ない連中が身を潜めている。
マユイの初任務相手に選ばれたのは、武力組織『レボルシオ』の日本拠点。アメリカを中心に活動しているが、日本へ攻撃を仕掛けることを見据えて国内で準備を進めている最中らしい。
マユイがリュウジン・ライと出会うキッカケとなった、廃ビルで衝突したあの大男。彼も、レボルシオのメンバーだったそうだ。非常に強力な異常式を有しているために前々から目を付けており、日本に忍び込んだことに一颯が気付き襲撃するも返り討ちに遭い、リュウジン・ライが引き継ぎ。そんな流れだったとか。
その大男を尋問してどうにか拠点の在り処を突き止めた、というわけだ。
マユイに与えられた目標は、内部構造のマッピングと大まかな人数や配置、武器の把握。要するに、日本拠点を攻略するための準備というわけだ。可能そうであれば『レボルシオ』アメリカ本拠地に繋がる情報なんかも得たいところだが、状況次第か。
『ま、あんまし気負わず、晩御飯のことでも考えてりゃ~大丈夫だ!』
「朝ごはん何食べたっけ」
『それはまた意味が違ぇな』
軽口を叩きながら、竜の影は夏の空気へと溶けた。
夏の陽光が、やけに眩しかった。
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いつもの広大な白部屋、会議室や管制室など様々な機能が集まりすぎて呼び名を失った部屋の中央モニターを数人で囲む。新人の初任務を見守り、必要があれば助けに入るというのは明文化されていない慣例らしいが、見守る側に回るのは初めてなので新鮮な気分だ。
きっと3年前の一颯も、こうやってハラハラドキドキ心配されていたのだろう。
「Hey、ヘッド! 通信状態はバッチリ安定してルよ! ミス・シャドウは予定通り、通信機の接続だけ通してくれているみたいだ」
諸々の専用武器装備を提供し、異常式によって電波を介さない特殊な通信経路をリアルタイムで調整しているサクリフィカ・ルークウッド。
「よ、欲を言えば、音だけじゃなくて映像もあれば良かったんだけどね……」
「真結様も想定して練習なさっていらっしゃいましたが、映像を意識的にやり取りするのは難しかったようです」
有事の際、即座に救出へ向かうことが出来るように待機しているのは、夜凪蒼雅と兎毬。
「あらゆる物理エネルギーから逃れつつ、都合よく通信出来ているのだ。音声だけでも十分だろう」
「そうだな。マユイはよくやっているさ」
ただでさえ多忙を極めた身でありながら真結のために方々を駆け回り、独力で『レボルシオ』の日本拠点を見つけ出した竜神羅衣と、その手助けをした緋凍羅蓮。真結には、尋問で聞き出したと伝えているようだが。
「……くかぁぁぁ……くかぁぁ……すぴぃ……むにゅあ?」
「お~き~ろ~っ! 寝るならちゃんと、オフトンであったかくしなさ~い!」
後方の卓上で安らかにお眠りになっている最下零次と、それを少しズレた観点から咎める涼風。
普段から滅多に顔を出さない者を除けば、竜躯囚フルメンバーにかなり近い。加々宮純玲が偵察に出ていて居ないくらいか。
錚々たる面々を前に、一颯の初めての教え子が今からその成果を見せつける。本人は本当に何とも思っていないのだろうが、指導役の一颯は昨日の朝から心臓がバクバクで、臆病さを必死にひた隠しにするばかり。このザコい心臓はいつまで経ってもレベルアップの兆しが無い。
だから。
「――みんな揃って過保護すぎね~か? オレ様っちが見守ってりゃ、それで十分だろ~に」
笑う。全部笑い飛ばして、カッコつける。
「一颯よ、真結嬢を心配する者、成功を疑う者などおらん。皆、彼女を祝福し、我々の常識を破壊する音に耳を傾けに来ているのだ」
「映画気分かよ!オレっち観たことないけど」
「だ、だからこそ映像が欲しいんだよね……サウンドだけじゃ寂しいっていうか……」
「オイオイ、生真面目筆頭2人が陥落してんじゃね~か……無言でジュースとポップコーン配るな配るな!」
「羅衣様の指示を受け、昨日の内から用意させていただきました」
終わった。頭を抱える。
マイペースな蒼雅が寝ているのは良いとして、普段から表情筋が死んでいる羅蓮や、自信が無く縮こまりがちな蒼雅までもがリラックスモードに突入している。映画のお供セットが各々に配られ、何も持っていないのは配布者の兎毬と首謀者の羅衣のみ。
内心緊張しているのは、一颯だけか。
「まあ、あんだけ実力示してんだし、そうなるわな~」
ここにいるメンバーが一般人に手こずるなど、それがどれだけ凄くて異常なことなのか、ごく普通の生活を送ってきた真結はきっと本当の意味では分からないだろう。傷害行為は禁止のお遊びルールではあるが、この猛者どもにとって何の制限になるというのか。仮に無制限でも、きっと無傷でやり過ごされる未来が目に浮かぶ。
何より、竜神羅衣の目から逃れた実績がある。
羅衣は、大都会ど真ん中で人混みの喧騒に揉まれながら、10km離れた敵の位置と動きをピタリと正確に把握できるのだ。さも当然の如く背中越しノールックで。その知覚網を掻い潜るような真似、油断だろうが偶然だろうが、実現可能な存在など過去現在どこにもいない。
一颯も、羅蓮も、滅浄家どもも、羅衣に挑むのであれば、位置バレしたうえで強引突破を試みることしかできない。
ゆえに、雪代真結は強者と認められている。戦えずとも。戦ったことが無くとも。
「伸びしろが推定無限ってのも末恐ろしいぜ、まったく」
「ところでさ~! このガラクタの山はなんなの、サクラ?」
胃からキリキリと音が鳴りそうな兄を放置する可愛くて薄情な妹が指差すは、有体に表現するならば『積み上げられたスクラップ』である。身長の低めな涼風の腰あたりまで盛られ、誰も意図的に触れようとしなかったそれらは、確実にサクラが持ち込んだものだ。こんなものわざわざ運んでくる者など、他にいるわけがない。
機械の一部や部品と思わしき物体が群れを成しているのだが、力ずくで粉砕された形跡として断面が見えていたり、至るところから配線が顔を出していたりと、明らかに完成品では有り得ない。
「Ahh……ミス・ユキシロに搭載したかったモノさ。ヘッドにブチコワされたんだがね!」
「脳や心臓に刺して肉体に埋め込むような危険物を許可しろと?」
「Yes!」
「いっぺんその脳を洗ってこい」
流石の羅衣でも我らがマッドサイエンティストには手を焼くのか、辛辣な言葉が飛び出す。普段から不愛想ではあるが、それを鑑みても棘があると感じる。ここ数か月不眠不休のようだし、疲労の表れかもしれない。
「コレらが使えていれば、リアルタイムな映像の受送信も可能だったノに」
「も、もっと安全な形で造れなかったの……?」
「Good question! 昨日完成出来立てホヤホヤ、この義眼型接続器なら!見た目も機能性もバツグンさ!」
「ダメじゃん!目玉が取れちゃうよ~」
ドヤ顔で懐から取り出したのは小さな黒い箱、さらにその中から出てきてのは、水晶のように澄んだビー玉大の球体。表面の一部にレンズのような形状の基盤が組み込まれており、眼球を模したもの、義眼であることが一目で分かる。
それを見て、ピンと来た。
昨晩、初任務を目前にした真結の様子を見に行った際に「危うく失明するところだった」などとボヤいていたのだ。本人が話題を流したのであまり気にしなかった――というより気にしないよう努めて半ば忘れていたが、サクラはきっと、真結本人に眼球を摘出して入れ替えるよう押し掛けたのだろう。
必要と判断すれば躊躇なく実行する危うさのある真結だが、流石に自身の眼球とオサラバするほどイカれてはいなかったらしい。人間として最低限の精神性を見れて、少し安心。サクラへの評価はこれごときでは揺らがない。揺らぐ余地などとっくに売り切れだ。
能力は非常に高いが、仕事ぶりがプラスの方向に飛びぬけているがためにオーバーフローしてマイナス。それが、『爆心地』サクリフィカ・ルークウッドだ。
「No problem! ワタシとてキケンブツばかり造るわけじゃない、機能優先というだけさ。肉体を傷つけないよう、コンタクトレンズ型へのサイズダウンを試みたいのダが……」
言いながら、手に持った自作品をジャグリングのように一人で投げる。楽し気な動作とはあべこべに表情は不満げ、俗に言う『お菓子を買ってもらえず拗ねる子供』というヤツか。
「Damn it! アノマラムを組み込むには、どうしても余剰なスペースが必要なんダ。もっと……もっと、効率化を!研究を!Ah、研究、そう、研究ダ!」
「オイオイ、せめて今は通信制御に集中してくれよな~、頼むからよぉ」
羅衣がこの猛牛の手綱を上手く握ってくれることを願い、それを最後に雑談から時計と通話へ意識を戻す。もうすぐ、真結が現地へと到着する。いくら期待の新人だからといって、先輩、それも教育係がサポートを怠るなど言語道断。
「こちら~、オレ様っち~!状況はどうだい?」
『目的地まであと3分ってとこ』
「りょうか~い!口うるさくなるけぇど、キケンを感じたらソッコーで助けを呼べよな」
『ちゃんと救出よろしく』
潜伏ポイント到着寸前だが、空気が張り詰めるような予兆は一切ない。これでいい。自然体でこそ、真結は真価を発揮する。そういうタイプなのだ。
11:56、『レボルシオ』日本拠点潜入作戦が開始される。
「――『影』に命令を下す。自身の命が最優先、努々忘れるな」




