第15章 アスカの意思
ミラーの背後に、無数の世界が開いていた。黒瀬遥の図書室、雨の日のバス停、誰かの勉強机、未登録三七の小さな部屋、レジストリの書架、ナギサの昇降口、白いカーテンの保健室、そして、どこにも属さない白い部屋。鏡は奥へ奥へと重なり、通路ではなく傷口のように開いている。アスカの姿をしたミラーは、その入り口で手を差し出していた。来て、リョウ。本物の続きを聞きたいなら、私たちの奥へ。その声はアスカの声に似ていた。似すぎていた。けれどリョウは、すぐには手を伸ばさなかった。黒い霧は足元で低く渦を巻き、白い仮面の黒い亀裂からは熱が漏れている。メアの霧は、ミラーの鏡面を使えばさらに深く進めると知っている。アスカの欠片がそこにあると知っている。だが、今度はその知識だけで動くことができなかった。
ナギサの言葉がまだ胸に残っていた。あたしは、欠片じゃない。あたしの思い出まで、アスカさんのために使わないで。リョウはそれを聞いた。聞いてしまった。自分がナギサから奪おうとしていたものを、言葉として認めた。黒瀬遥の放課後も、雨の日の傘も、未登録三七の影も、ナギサとの写真も、全部が誰かの世界の中で生きていた。アスカのためだと呼べば許されるものではなかった。
それでも、奥から声がした。
『リョウ、わたしを――』
まだ途切れる。まだ先は聞こえない。けれど、確かに近い。
「行く」
リョウは言った。
ローズがすぐに薔薇の鞭を構えた。
「一人では行かせない」
「一人で行く」
「だめ」
「僕の中の欠片が中心へ反応してる。僕が行かないと、声は聞けない」
「あなたが行けば、ミラーはあなたの霧を使う」
「使わせない」
「言葉だけでは足りない」
ローズの声は厳しかった。けれど、そこには先ほどまでのような即座の拒絶だけではなく、薄い迷いが混じっていた。リョウが「作る」と言い切ったとき、彼女は止めるしかなかった。だが今、リョウは「聞く」と言った。アスカ本人の続きを聞く。作る前に、混ぜる前に。それは危険な道であると同時に、初めてリョウがアスカの意思へ向かおうとした道でもあった。
アヤトの記録線が、白い糸のようにリョウの胸元へ伸びた。
「座標を残す。拒否しないで」
「拘束か」
「違う。戻るための記録」
「信用しろって?」
「信用しなくていい。でも、これがなければ君は奥で春日リョウの名前を失う可能性がある」
リョウは少しだけ黙った。胸のカードはまだ熱い。アヤトが書いた名前。レジストリの杭。利用されかけた証でもあり、消えないための証でもある。リョウは白い記録線を拒まなかった。線はカードの縁に触れ、そこへ細い白い枠を作る。
「ナギサさん」
アヤトの声が、次にナギサへ向いた。
「君の声も必要になる。けれど、近づきすぎないで」
「近づきすぎないと、届かないんじゃないですか」
「届きすぎると、君の世界ごと引かれる」
「難しいことばっかり言いますね」
「僕もそう思う」
ナギサは泣き腫らした目で、リョウを見た。怖がっている。怒っている。それでも、見ている。リョウが顔を背けようとすると、彼女は小さく首を横に振った。
「見てから行って」
ナギサは言った。
「また、勝手に遠くへ行かないで」
リョウは頷いた。
「椎凪ナギサ」
「はい」
「君の思い出は、持っていかない」
「本当に?」
「本当に。……持っていきたくなったら、止めて」
「止めます。怒ります。泣きます」
「うん」
「あと、帰ってきたら説教します」
「それは」
「決定です」
その言い方があまりにナギサで、リョウの胸の奥が軋んだ。黒い霧の中に、ほんの少しだけ人間の呼吸が戻る。白い仮面の亀裂は消えない。だが、亀裂の奥で、春日リョウという名前が小さく熱を持った。
ミラーは微笑んでいた。
「準備はできた?」
「おまえの手は取らない」
リョウは言った。
ミラーは差し出した手をそのままにして、首を傾げる。
「じゃあ、どうやって来るの?」
「僕の名前で行く」
リョウは胸のカードに触れた。
「春日リョウ」
白い記録線が光る。
「椎名アスカ」
黒い霧の奥で、無数の欠片が震える。
「椎凪ナギサ」
遠くの昇降口が、細く光る。
「鳴海マナ。ファントム・ローズ」
赤黒い薔薇が境界を刻む。
「影山アヤト」
白い記録線が道になる。
そして最後に、リョウは仮面の奥で息を吸った。
「僕は、作りに行くんじゃない。聞きに行く」
その言葉を合図に、黒い霧が細く収束した。広がるのではなく、針のように細く、奥へ向かう一本の道になる。ミラーの鏡面はそれを受け入れた。無数の世界が一斉に反射し、リョウの身体を奥へ引き込む。ローズの赤い境界線がリョウの背中に触れ、切るのではなく、外側に戻るための縁を残す。ナギサの声が背後から響く。
「リョウ!」
リョウは振り返らなかった。
振り返れば、戻りたくなる。戻りたくなることを、今は覚えていたかった。
鏡の奥は、廊下ではなかった。教室でも、レジストリの通路でも、保健室でもない。最初に見えたのは、白い水面だった。天井も床もなく、上下の区別も曖昧で、無数の欠片が水の中に沈んでいる。声、名前、写真、手書きのメモ、誰かの笑顔、誰かの涙、白いカーテン、黒い霧、赤い薔薇、ナギサの写真の亀裂、未登録三七の鈴。それらが水の中でゆっくり回転していた。リョウはその中心へ歩いた。歩いているのに、足音はしない。水面は揺れない。ここは物理的な場所ではない。集めた欠片が互いに引き合い、アスカという名前を中心に仮の重力を作った場所だった。
その中心に、椎名アスカがいた。
リョウは息を止めた。
彼女は、ミラーの作った完璧なアスカではなかった。黒瀬遥の世界で明るく笑っていた友人としてのアスカでも、雨の日に優しく傘を差し出すだけのアスカでも、リョウの記憶の中で何度も美しく保護された恋人でもなかった。そこにいるアスカは、少し疲れた顔をしていた。制服の袖を握りしめ、目元には眠れない夜の影がある。髪は少し乱れ、唇は何かを言いかけて何度も閉じた人の形をしている。優しい。けれど、優しいだけではない。弱く、不安で、隠し事をして、救いを求める場所を間違えた少女。リョウが愛していた人であり、リョウが見落としていた人だった。
「アスカ」
声が掠れた。
彼女は顔を上げた。
「リョウ」
その声に、ノイズはなかった。
リョウの足が止まる。仮面の内側で、何かが壊れそうになった。ずっと聞きたかった声。何度も欠片の中で追った声。途中で切れ、歪み、ミラーに真似され、記録として再生され、他人の世界の印象として揺れた声。その声が、今、目の前でリョウの名前を呼んでいる。
「本物、なのか」
言ってしまってから、リョウは自分を殴りたくなった。
アスカは少しだけ笑った。悲しそうな笑いだった。
「それ、わたしに聞くんだ」
「違う。ごめん。僕は」
「いいよ。聞きたくなるよね」
アスカは自分の手を見下ろした。その手も、輪郭が少し揺れている。完全ではない。ここにいる彼女は肉体ではない。集めた欠片の中心で、アスカ本人の意思に近いものが形を取っているだけだ。それでも、彼女の目はリョウを見ていた。誰か全員へ向けたミラーの目ではなく、リョウひとりを見て、同時にリョウから少し距離を取る目だった。
「わたしが本物かどうか、わたしにも分からない」
アスカは言った。
「でも、リョウが聞きたかった続きに一番近い場所にはいると思う」
リョウの胸が痛む。
「じゃあ、言ってくれ」
「うん」
アスカは少しだけ視線を伏せた。
「でも、その前に、リョウに聞きたい」
「何」
「リョウが戻したいのは、わたし?」
白い水面が静まり返った。
「それとも、わたしを失う前のリョウ?」
リョウは、答えられなかった。
その問いは、ローズやマナに似ていた。だが、アスカの口から聞くと、重さがまったく違った。あなたが取り戻そうとしているのは本当にアスカなのか。それとも、アスカを失う前の自分なのか。誰かに問われたとき、リョウは怒れた。違うと言えた。アスカを取り戻したいだけだと叫べた。だが、アスカ本人に近いものの前では、同じように叫べなかった。
「わたしが戻ったら」
アスカは続けた。
「リョウは、失う前のリョウに戻れると思った?」
「違う」
反射的に言った。けれど、声は弱かった。
「本当に?」
「僕は、君を」
「うん。わたしを大事に思ってくれたのは、分かってる」
アスカは遮らなかった。ただ、静かに受け止めた。
「覚えていてくれたことも、探してくれたことも、嬉しい。怖いくらい嬉しい。リョウがわたしの名前を呼んでくれたから、わたしは完全にはほどけなかった。たぶん、そういう部分はある。でも」
彼女は袖を握る指に力を込めた。
「リョウの中のわたしは、いつも少し綺麗だった」
リョウの喉が詰まる。
「違う」
「違わないよ。リョウは、わたしの弱いところも思い出そうとしてくれた。保健室で相談していたことも、ダブルBに行ったことも、不安だったことも。だけど、それでもどこかで、わたしを守る対象にしていた。救えなかった人にしていた。取り戻せば、自分の失敗も、わたしの失敗も、なかったことにできるかもしれないって、少し思っていた」
「思ってない」
リョウは言った。
しかし、その声はすぐに崩れた。
「……思ってない、つもりだった」
白い水面に、かつての日常が映る。中庭での会話。アスカが「いなくなっても覚えていてくれる?」と聞いた瞬間のリョウ。彼は戸惑い、怖がり、その不安を深く受け止めきれなかった。保健室の白いカーテン。アスカが水鏡に相談している。リョウはそれを知らない。〈クラブ・ダブルB〉へ向かうアスカ。リョウは止められない。鏡面の奥で「覚えていて」と言うアスカ。リョウは手を伸ばすが、届かない。翌朝、写真から消えたアスカ。世界が書き換わり、ナギサが恋人としてそこにいる。リョウだけが覚えている。
リョウは、そのすべてを見た。
そして、その中にいる自分を見た。
「僕は」
声が震えた。
「君を取り戻せば、あの朝を否定できると思った」
アスカは何も言わない。
「世界が君を忘れたことを、間違いだったって証明できると思った。僕が君を救えなかったことも、君が一人で抱えていたことに気づけなかったことも、全部、取り返せるって」
黒い仮面の亀裂から、霧が静かに落ちる。
「君を取り戻したかった。これは本当だ。でも、それだけじゃなかった。君を失って壊れた僕を、君が戻れば救えると思っていた。君がいれば、失う前の僕に戻れるんじゃないかって。世界を恨む前の、メアになる前の、ただ君の隣にいた僕に」
言葉にした瞬間、白い水面が深く揺れた。
リョウは、初めて認めた。
アスカを取り戻したいという願いの中に、自分自身を救いたい欲望が混ざっていたことを。アスカのためだと信じていた道の奥に、アスカを失った自分をなかったことにしたい願いがあったことを。
アスカは、泣かなかった。責めもしなかった。ただ、少しだけ目を細めた。
「リョウ」
「ごめん」
「謝るのは、あとでいい」
「でも」
「まだ、聞いてないことがある」
アスカはリョウの前に立った。手を伸ばせば届く距離。けれど、彼女はリョウに触れなかった。触れないことが、彼女の意思だった。
「わたしは、リョウの記憶の中だけにいるものなの?」
リョウは息を止めた。
「リョウが覚えているわたし。リョウが集めた欠片で作るわたし。リョウが失いたくないわたし。そういうものだけが、椎名アスカなの?」
「違う」
今度は、すぐに答えた。
アスカは、静かに見ている。
「違う。君は、僕の記憶だけじゃない。僕の恋人だったことだけでもない。遥の友達だった。雨の日に誰かへ傘を貸した。知らない子に勉強を教えた。僕に隠し事をした。水鏡先生に相談した。〈クラブ・ダブルB〉に行った。救いを求めて、間違えた。怖がって、弱くて、優しくて、僕が知らない顔をたくさん持っていた」
言葉にするたび、リョウの中のアスカ像が変わっていく。綺麗な恋人でも、失われた被害者でも、取り戻すべき名前でもない。一人の少女。自分の弱さを抱えきれず、誰かに分かってほしくて、しかしその願いがミラーへつながってしまった少女。
「僕は、君を全部知っていたわけじゃなかった」
「うん」
「知らないまま、取り戻そうとしていた」
「うん」
「知らない部分まで、僕の願望で埋めようとしていた」
「うん」
アスカの頷きは優しかった。だから痛かった。
「でも、リョウが覚えていてくれたことは、嘘じゃない」
アスカは言った。
「わたし、怖かった。リョウの世界から消えるのが怖かった。幸せだったのに、いつかリョウだけが前へ進んで、わたしだけいなくなるような気がしていた。馬鹿みたいだよね。隣にいたのに。リョウはちゃんと見てくれていたのに。それでも怖かった」
「馬鹿じゃない」
「うん。でも、わたしはその怖さをリョウにちゃんと言わなかった」
アスカの声が震えた。
「リョウに言えばよかった。怖いって。消えたくないって。もっと見てって。助けてって。でも、言えなかった。困らせたくなかったし、重いって思われるのも怖かった。リョウがわたしを大事にしてくれているからこそ、わたしはその大事さを疑っている自分が嫌だった」
白い水面に、保健室のカーテンが映る。
「水鏡先生は、優しかった。少なくとも、わたしにはそう見えた。一人で抱えなくていいって言われて、救われた気がした。クラブも、最初は怖くなかった。みんな分かってくれる気がした。わたしが消えたくないって願っても、誰も重いって言わなかった」
「アスカ」
「わたしは、自分で近づいた」
その言葉は、リョウが聞きたくなかったものだった。
「さらわれただけじゃない。騙されただけでもない。わたしの中に、そこへ行きたい理由があった。だから、全部を誰かのせいにしないで。水鏡先生だけのせいにしないで。ミラーだけのせいにしないで。リョウが救えなかったせいだけにもしないで」
リョウは、崩れそうになった。
救えなかったのは自分のせいだと思っていた。そう思うことで、逆に世界を恨む理由にしていた。自分が救うべきだった、自分が取り戻すべきだ、自分が世界に思い出させるべきだ。けれど、アスカはそこからもリョウを引き離そうとしている。自分の弱さも、自分の選択も、自分の過ちも、自分のものだと言っている。
「わたしは、リョウの罪じゃない」
アスカは言った。
「リョウの救済でもない」
リョウは顔を上げられなかった。
「じゃあ、僕は」
「覚えていてくれた」
アスカの声が柔らかくなる。
「それは、すごく嬉しかった。世界が忘れても、リョウが名前を呼んでくれた。わたしが完全にほどけないように、何度も何度も呼んでくれた。それは、リョウにしかできなかったことだと思う」
「でも」
「でも、作り直さないで」
リョウの心臓が止まったように感じた。
アスカは、ようやくリョウへ一歩近づいた。手を伸ばす。けれど、触れない。指先は、リョウの白い仮面の亀裂の少し手前で止まった。
「覚えていてくれて、ありがとう」
その言葉は、ずっと欲しかったものだった。リョウが世界に逆らい、記憶を握りしめ、名前を呼び続けたことへの返事。けれど、その次に来る言葉を、彼はもう予感していた。
「でも、わたしを作り直さないで」
白い水面が静かに揺れた。
リョウは、何も言えなかった。
「作り直されたわたしは、きっとリョウに優しい。リョウが欲しい言葉を言える。リョウの記憶と、欠片と、願いでできているから。でも、それはわたしなのかな。弱くて、隠し事をして、リョウにちゃんと言えなくて、救いを求める場所を間違えたわたしまで、そこにいるのかな」
「入れる」
リョウは必死に言った。
「全部、入れる。君の弱さも、怖さも、僕の知らなかったことも」
「それを入れるのは、リョウでしょう」
アスカは静かに言った。
「リョウが選んで、リョウが配置して、リョウが“これがアスカだ”って決める。それは、わたしが生きることとは違う」
言葉が、黒い霧を切る。
「わたしは、リョウの記憶の中だけにいるものじゃない。誰かの欠片だけでもない。ミラーの中に残ったコピーだけでもない。全部がわたしに近い。けれど、全部を集めたらわたしになるわけじゃない」
「じゃあ、どうすればいい」
リョウの声は、子どものようだった。
「僕は、どうすればいい。忘れればいいのか。君を置いて帰ればいいのか。世界が君を消したままで、生きていけばいいのか」
アスカは答えなかった。すぐに答えられる問いではなかった。彼女の輪郭も、少し揺れている。ここにいるアスカは完全な本人ではない。意思に近いもの。声の続きを持つもの。だからこそ、万能の答えは出せない。
「忘れないで」
アスカは言った。
リョウは顔を上げる。
「でも、作り直さないで。わたしを、リョウの傷を埋める形にしないで。わたしがいない世界を許せないのは分かる。でも、わたしがいる世界を作るために、ナギサさんや、他の人の世界を壊さないで」
「僕は」
「リョウ」
アスカの声が少しだけ強くなる。
「わたしを覚えていてくれるなら、わたしが嫌だと言うことも覚えていて」
リョウの仮面の黒い亀裂が、深く震えた。
遠くで、ミラーの白い光が揺れる。ここまでの対話を聞いていたのだろう。アスカの姿をしたミラーではない。もっと大きな、反射そのものの気配が、白い水面の外側で囁く。
「本当にそれでいいの?」
ミラーの声だった。
「作り直さなければ、アスカは戻らない。リョウはまた失う。ナギサも傷ついたまま。みんなばらばらのまま。それでもいいの?」
アスカは、ミラーの声へは答えなかった。リョウだけを見た。
「リョウが決めて」
「僕が?」
「うん。わたしの言葉を聞いたうえで、リョウが決めて。わたしを作り直すのか。覚えたまま、作り直さないのか」
「そんなの」
リョウは震えた。
「そんなの、残酷だ」
「うん」
アスカは頷いた。
「わたしも、リョウに残酷なことを言ってる」
「君は、戻りたくないのか」
アスカは目を伏せた。
「戻りたい、って思う欠片もある」
リョウの胸が跳ねる。
「でも、戻るためなら誰かを壊していい、とは思わない」
その言葉で、胸の熱は沈んだ。
「リョウの隣にいたかった。消えたくなかった。覚えていてほしかった。それは本当。でも、わたしが怖がっていた“消えること”を、リョウが誰かに渡してしまうのは嫌」
ナギサの写真。未登録三七の空白。黒瀬遥の涙。ミラーの生徒たちの輪郭。すべてがリョウの中でつながる。
「アスカ」
リョウは、ようやく手を伸ばした。
アスカは、今度は避けなかった。触れる寸前、彼女の指先は光になり、リョウの仮面の亀裂へそっと触れた。冷たくはなかった。温かくもなかった。ただ、名前を呼ぶときの温度があった。
「覚えていてくれて、ありがとう」
アスカはもう一度言った。
「でも、わたしを作り直さないで」
その瞬間、白い水面が大きく波打ち、リョウの足元の黒い霧が初めて後退した。
仮面の亀裂から、黒ではない透明な水滴が一つ落ちた。




