第1話 ざわめきと沈黙の奥に
昼下りの王女宮は、翠月の光を受けて静まり返っていた。
芽月が近いためか、窓辺の白いカーテンから入る光は春を感じさせるものになっている。
読んでいた本のページをそっと閉じ、アリシアは短くため息を吐いた。
(……また届いている)
窓辺に置かれた花かごへ視線を向ける。
このところ毎日のように届けられる花かご。王女である以上、贈り物そのものは珍しくない。
それでも、その花かごだけは少し違っていた。
派手ではない。豪華でもない。だが、不思議なほど心が落ち着く。
(お兄様じゃないわ……お兄様なら、もっと華やかなものをお選びになるもの。あの花かごの中身は……)
兄であるエドワルドが、自分の好みを知らないわけではない。ただ、それだけで選ぶ人ではない。兄が選ぶなら王女としての華やかさも考慮するだろう。だからこそ、翠月の大夜会の兄の様子が信じられない。
(……お兄様。どうして、あの時に何も仰らなかったの?)
あの夜、父である王の宣言のあとの兄の沈黙。
それがどれだけ不自然なものだったのかは、アリシアにもよくわかっている。だが、兄の沈黙が解ける気配はない。そのためか、王宮の内も外も、静けさの奥にざわめきを孕んでいた。
(でも、今朝の花かごもそうだけど……わたくしがほんとうに好きなものばかり。でも、それを知っているのって……)
「アリシア様、来週の庭園解放の際のお召し物の選定に衣装室へお越しくださいと。フェルミナ様もすでにお待ちでございます」
マティルダの声に軽くうなずき、アリシアは席を離れた。
「ありがとう、マティルダ。選ぶのはいいけれども、いつものような大騒ぎにはしないでもらえるかしら?」
アリシアのその声に、マティルダは思わず苦笑を浮かべている。
「アリシア様のお気持ちはわかりますが、衣装室はそれが仕事ですので」
「わかっているわ。ちょっと言ってみただけよ」
そう言って歩き始めたアリシア。彼女の頭からは、花かごの贈り主は誰かということは忘れられているようだった。
◇◇◇
「アリシア様、こちらのドレスはいかがでしょうか?」
「そうね。昼間の散策にはちょっと重くないかしら」
そう言いながらアリシアが手にしているのは、銀青の薔薇が全面に刺繍されたドレスだった。
王女の色と繊細な刺繍は、まるで彼女のために仕立てられたかのようだった。だが、夜会ではないのに、という思いがアリシアの中では大きくなっていた。
そんな彼女の気持ちを察したのだろう。マティルダと一緒に付き添っていたイレーヌがそっとドレスを差し出してくる。
「アリシア様、お気持ちはわかりますわ。たしかにお色も刺繍もふさわしいものですが、少々重いかと。ですので、こちらのペールブルーのオーガンジーはいかがでしょうか?」
そう言いながらイレーヌが差し出すドレスは透けるようなオーガンジーの柔らかいもの。そして、裾には銀青薔薇がアクセントのように刺繍されている。
「まあ、オーガンジーね。これなら昼間の散策でも大丈夫だと思うわ」
「はい。オーガンジーですので、重ねるとよろしいと思います。1枚では透けますが、重ねれば品位を損なうこともございませんわ」
その言葉にアリシアはすっかり満足したような表情になっている。改めて、裾模様の刺繍に目をやっていた彼女は気が付いたようにイレーヌに声をかけていた。
「ねえ、イレーヌ」
「はい、アリシア様」
「こうやって、ドレスには刺繍がしてあるわよね。花とかツタ模様とか。それって意味があるわよね」
「はい。あまりここでお話しすると迷惑がかかりますので、別のところでよろしいですか?」
イレーヌの声にアリシアは頷いている。二人の話を聞くとはなしに耳にしていた衣装室の面々はどこかホッとしたような表情にもなっていた。
「アリシア様、それではお部屋に戻ってからゆっくりお話しいたしましょう」
「ええ、イレーヌ」
(アリシア様……ようやく……)
衣装室を後にするアリシアの後ろに従うマティルダとイレーヌ。二人はお互いに顔を見合わせると、示し合わせたように頷きあってもいるのだった。
◇◇◇
アリシアが衣装室でドレスを選んでいたのと同じ頃。王城の一室では、男たちが揃って難しい顔をしていた。
卓上に置かれているのは一枚の文書。
『芽月庭園開放における通達』
王宮に勤める者であれば、毎年目にするものである。本来であれば確認事項を整理し、例年通りの準備を進めればよいだけの行事だった。
だが、今年は違う。
席についているのは儀礼課職員と第一近衛の隊長、副長。そして、なぜか記録課から呼び出されたリースフェルト三等書記官の姿もあった。
この場にフロイの姿を確認した儀礼課の職員は安心した様子でコソコソと話し合う。
「リースフェルト三等書記官がいらっしゃるということは、調整官は……」
「本日はおられません。外務課で外せない用ができたとか」
「う……」
クラウス調整官がいないのはいい。だが、その理由を知った職員の顔が引きつる。
とはいえ、今の事案も進めないといけない。それがわかっている職員たちは、大きく息を吐くと、口を開いていた。
「本日はお忙しい中、ありがとうございます。時間がありませんので、さっそく、始めさせていただきます」
「たしかにな。だが、決めなければならないことはないだろう? 芽月の庭園開放は例年のことだ」
第一近衛隊長の言葉に副長が頷く。それに対して、儀礼課は冷たい視線を投げていた。
「どこが例年通りなのですか?」
「いや、そうだろう? 日程も芽月十日。場所は本宮殿にある大庭園。招待状を持っていないものは入場できない。どこが違うと?」
「表面上はそうですね。でも、それだけではありませんでしょう」
職員の声に今度は第一近衛の副長が不思議そうな声をあげる。
「いや、どこが違う? 我々は例年通りの準備をしているのだが?」
「大ありです。まずは王女殿下のお隣がどなたかです」
「王太子殿下に決まっているだろうが」
何を馬鹿なことを、というような近衛の隊長の言葉。それに対して、フロイが思わず声をあげていた。
「失礼いたします。記録課のフロイライン・リースフェルトです。先日の大夜会での陛下のお言葉を踏まえますと、現時点で王女殿下のお隣を王太子殿下と確定することは難しいかと」
「どうしてだ!」
「お忘れですか? 先日の大夜会での陛下のお言葉。あれがある以上、王太子殿下とお並びになられない可能性もあります」
フロイの声に近衛は黙り込み、儀礼課は真っ青になる。なんといっても、この件は今の王宮では『触れるな危険』と目される案件。しかし、無視することもできないものだった。
「そ、そうだったな……あいつ、変に落ち着いていたが、決まってないよな」
第一近衛隊長が頭を掻く。しばしの沈黙。その沈黙を破ったのは副長だった。
「隊長。では王太子殿下とグラナート卿、どちらを想定いたしましょうか?」
近衛二人の声に、儀礼課職員は思わず頭を抱える。彼らは一斉にフロイの顔を見つめていた。
「リースフェルト書記官。このような場合の前例はあったかな?」
「誠に遺憾ですが、そのような先例はございません」
フロイのその声に、儀礼課職員の叫びが上がる。
「なぜだ! なぜ、先例がない!」
「当然ではありませんか。王女殿下と五大家筆頭の公子との縁組など、今までなかったのですから。先例があるほうがおかしいのです」
至極真面目に返される言葉。その破壊力はすさまじいものがある。結局、その場にいた誰もが胃を抑え、顔色を悪くすることしかできないのだった。




