表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/15

第15話 五冠

祭壇から宿に戻った僕たちは、夕食を摂る気力さえ残っていなかった。 僕は倒れ込むようにベッドに沈み、目を閉じた瞬間に意識が闇へ溶けていった。


……どのくらい眠り続けていただろう。 次に目を開けたとき、窓の外からはラベリアの活気ある喧騒と、どこか遠くで鳴る教会の鐘の音が聞こえてきた。

「……ん、うぅ……」

体を起こそうとすると、全身の節々がミシミシと悲鳴を上げた。身体強化ブーストの反動だ。けれど、ザイードさんに整えられた右腕の回路は、驚くほど静かに鎮まっている。熱を帯びることもなく、ただ鈍色の光を反射している銀の装具を見て、僕は自分が生き延びたことを改めて実感した。


「……起きたか、アレン」

隣のベッドで、ギークさんが大きな欠伸をしながら上半身を起こした。岩のように頑丈な彼でさえ、目の下には少し隈ができている。その足元には、昨日までボロボロだったはずの『黒鉄の大盾』が、綺麗に拭き清められて置かれていた。


「おはようございます、ギークさん。……よく眠れましたか?」 「ああ、死んだようにな。……さあ、さっさと着替えろ。今日はアメリアが『観光だ!』って朝からうるせえんだよ」

ギークさんはぶつぶつ文句を言いながらも、どこか足取りは軽そうだった。


一階の食堂へ降りると、そこにはすでに着替えを済ませたエレクさんとアメリアが待っていた。 「おはよう、二人とも! 顔色が良くなったわね」 アメリアが明るい声で笑う。エレクさんも、腰の聖剣マリアを優しく撫でながら、穏やかな表情で頷いた。

宿を出ると、ラベリアの街は昨日の凍てつく夜が嘘のように、柔らかな陽光に包まれていた。 至る所の石畳から白い湯気が立ち上り、市場の通りには、香ばしいスパイスの香りと、蒸したての「雪ウサギ肉まん」の甘い匂いが充満している。

「まずはあれね! 一個ずつ買いましょう!」

アメリアに押し切られる形で、僕たちは熱々の肉まんを手に取った。 指先から伝わる熱が心地いい。ふうふうと息を吹きかけ、大きく頬張ると、甘みのある肉汁がじゅわっと口いっぱいに広がった。戦いで強張っていた胃の腑が、温かな幸福感で満たされていく。


「……ふん、平和なもんだな」

ギークさんは不器用な手つきで串焼きを口に運びながらも、視線はさりげなく周囲を警戒している。……と思いきや、広場の中央にある噴水まで来ると、彼は「……ちょっと、路地の様子を見てくる」とぶっきらぼうに言い残して、人混みの中に消えていった。

「あ、ギークさん……!」 僕が呼び止める間もなく、彼は手慣れた様子で細い路地の奥へと入っていく。気になってこっそり後を追うと、そこには屈強な背中を丸めて、石畳に膝をついている重装歩兵の姿があった。


「……ほらよ。今日は奮発して、市場で一番いい削り節を買ってきたんだ。しっかり食え」

ギークさんの目の前には、一匹の小さな三毛猫がいた。彼は大きな指先で、猫の耳の後ろをそれはそれは優しく、愛おしそうに撫でている。いつも「俺の盾は岩より硬え!」と豪語しているあの男が、見たこともないほど鼻の下を伸ばして、ふにゃふにゃの笑顔で独り言を言っている。


「ギークさん、何してるんですか?」 後ろから声をかけると、彼は弾かれたように立ち上がり、手に持っていた削り節の袋を背後に隠した。

「……っ! べ、別に何もしてねえ! 敵の潜伏場所がないか、路地裏の隅々まで徹底的に調査してただけだッ!!」

顔を真っ赤にして、わざとらしく低い声で吠えるギークさん。でも、その髭には猫の産毛が一本、証拠のようにくっついたままだった。


僕たちはそれから、街の公衆浴場スパへ向かった。 ラベリア自慢の天然温泉。熱い湯に浸かると、身体強化でボロボロになっていた僕の筋肉が、じわじわと解きほぐされていく。隣ではエレクさんが、天井を見上げながら深く息を吐いていた。

「……アレン。たまには、こういう日も必要だな」 「そうですね、エレクさん。……なんだか、ずっと戦っていた気がします」

湯気に包まれながら、僕たちはこれまでの旅のこと、そしてこれからのことを、とりとめもなく語り合った。 窓の外には、夕日に染まる美しい雪山が見える。 戦いの厳しさも、五冠の脅威も、この瞬間だけは遠い世界の出来事のように感じられた。


夕食は、宿の食堂で地元の蒸し料理を囲んだ。 笑い声と、食器の触れ合う音。 僕の右腕の銀の装具も、今は熱を持つことなく、静かに月明かりを反射している。 明日からまた険しい道が始まる。けれど、このラベリアで吸い込んだ温かな空気があれば、僕たちはどこまでだって行ける気がした。


宿の二階、夕食を終えた僕たちは、広げられた地図を囲んでいた。 ラベリアの穏やかな空気ですっかり忘れていたけれど、僕たちが立ち向かっているのは、この世界そのものを侵食しようとしている魔王軍だ。

「エレクさん、一つ聞いてもいいですか?」 僕は、以前から気になっていた疑問を口にした。 「ザルクのような五冠は、みんなバラバラの場所にいます。……彼らを無視して、そのまま魔王城へ乗り込むことはできないんですか?」

僕の言葉に、ギークさんが鼻で笑い、エレクさんは静かに首を振った。

「……できないんだ、アレン。魔王城の周囲には、五冠の魔力によって維持されている『五重の絶界ペンタ・バリア』が張られている。奴らを一人でも生かしておけば、その壁は決して破れない」

エレクさんが、地図の各地に記された五つの地点を指でなぞる。 「魔王は五冠という『くさび』を各地に打ち込むことで、自らの城を完全な聖域に変えているんだ。……つまり、五冠を倒すことは、魔王城の門を開けるための唯一の手順なんだよ」

「……それだけじゃないわ、アレン」 アメリアが、少し声を潜めて付け加えた。 「五冠はそれぞれ、その土地の魔力の根源レイラインを食い荒らしているの。放っておけば、魔王城に辿り着く前に、この世界そのものが魔力の枯渇で死んでしまう……。彼らを放置して進むのは、背後から心臓を狙われるのと同じなのよ」

「……なるほど。だから、一人ずつ確実に潰していくしかないんですね」 


僕は納得した。五冠を倒すのは、勇者の手柄を立てるためじゃない。城の「鍵」を壊し、世界の「寿命」を繋ぎ止めるための、避けては通れない作業なのだ。

「それに……」 エレクさんが、腰の聖剣マリアの柄を強く握りしめた。 「五冠は、魔王から『聖剣の輝きを奪う呪具』を預かっている。昨日、ザルクとの戦いでマリアが沈黙したのは、僕がマリアと同調(リンク)できていなかったのもあるけど、あいつが放っていた負の波動のせいでもあるんだ」

聖剣マリアが完全な力を取り戻し、魔王を討つための「真の輝き」を放つには、五冠が持つ不浄な魔力を打ち破り、その経験を聖剣に吸い込ませる必要がある。

「五つの試練を乗り越えるたびに、マリアは本来の輝きを取り戻す。……僕たちは、戦いの中でしか強く慣れないんだ」

「……分かりました。僕も、その覚悟でついて行きます」

僕は自分の右腕を見た。 この銀の腕も、戦いを経るごとに僕の一部になっていく。 ただ魔王城を目指すのではない。一歩ずつ、敵の「楔」を引き抜き、僕たちの力を研ぎ澄ましていく。そして、自爆魔法を使わずに魔王を倒し切る。それが、この旅の最も理想な結末だった。


「……でもエレクさん。ザルクはこの街の近くまで来てましたよね?」

僕は、ふとした矛盾を口にした。 「魔王城のバリアを維持する『楔』が持ち場を離れて遠出なんてしてたら、その隙に誰かが城に忍び込めちゃうんじゃないですか?」

僕の問いに、ギークさんが鼻で笑い、エレクさんが地図を指し示しながら補足した。


「……じゃあ、ザルクが拠点から離れてもバリアは消えなかったんですか?」


僕の問いに、エレクさんは地図の拠点を指で叩きながら答えた。


「ああ。五冠の魔力と直結した『魔核』が拠点に鎮座している限り、絶界は維持され続ける。魔核そのものが強力な結界の発生源なんだ。……だから、バリアを消すには、その土地の拠点に乗り込んで『魔核』を物理的に叩き壊すしかない。五冠が各々の場所に引きこもっているのは、その生命線である魔核を死守するためなんだよ」


「……なるほど。でも、それならザルクは自分の拠点を留守にしてまで、あんなに自由に動いてて大丈夫だったんですか?」


「それだけ、あいつは自分の強さを過信していたんだろうな。自分が負けて殺されることも、留守の間に拠点の魔核まで辿り着ける奴がいるとも思っていなかった。……あるいは、それほどまでにアレン、お前の存在を早いうちに消しておきたかったのか」


納得しかけた僕に、アメリアが真剣な面持ちで口を開いた。

「でも、五冠が拠点を離れるのは本来、相当なリスクを伴うはずよ。それでもザルクがここまで追ってきたのは……アレン、あなたの『魔法』を、魔王軍がそれだけ危険視しているからに他ならないわ」

アメリアの視線が、僕の右腕に宿る、あの制御不能な力を射抜く。

「……僕の、自爆魔法」

「ええ。勇者であるエレクや、私たちの力は、奴らにとってはある程度『計算できる脅威』なの。でも、あなたのあの魔法だけは別よ。あれはことわりを無視した純粋な破壊……。魔王城の絶界さえも、内側から吹き飛ばしかねない不確定要素なのよ」

ザルクが雪山で僕を執拗に狙い、嬲るように追い詰めていたあの顔。 あれは「銀の腕」に怯えていたんじゃない。アレンという、いつ爆発するかわからない「爆弾」を、エレクたちが魔王城に辿り着く前に確実に処理しておきたかったんだ。

「奴は、お前という『ジョーカー』を早めに潰しておきたかったんだろうな。……だが、その焦りが命取りになった」 ギークさんが、ひしゃげた盾を叩いて不敵に笑う。

「奴はしくじった。アレンを殺すどころか、逆に俺たちにチャンスを与えちまったんだからな。……だが、次からはそうはいかない。僕たちがザルクを追い詰めたことで、残りの四人はより警戒を強めるだろう。自分たちの『魔核』の守りを固めて、僕たちを確実に仕留める準備をしているはずだ」

エレクさんが地図の南側、深い緑に覆われた場所に指を置いた。

「次は『静寂の古森』だ。あそこに潜む奴は、ザルクのように自分から出向いてくるような甘い相手じゃない。本拠地の中心で、獲物が罠にかかるのを待つタイプだ」

ザルクという最凶の刺客を退けた今、僕たちは自分からその懐へ飛び込んで、本体と『魔核』を同時に叩き潰さなきゃいけない。

「行きましょう。……次は、僕たちが仕掛ける番です」


僕は銀の腕を強く握りしめた。 魔王軍が僕の魔法を恐れているのなら、僕はその恐怖を現実のものにしてやる。 自爆なんてさせない。この腕で、勝利の火蓋を切って見せるんだ。

下のブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で応援してもらえると、執筆の励みになります!これからも精進してまいります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ