第1話 自爆魔法
(――僕は、いつか自分の命と引き換えに、魔王を殺すらしい)
そう理解したのは、まだ12歳の時だった。
「君の能力は自爆魔法、『終焉の爆花』」
わずかに震えた神官の声が、神殿の中に静かに響いた。
12歳。それは、この国の子供たちが「神の恩寵」を授かる日だ。村の小さな神殿には、色褪せたステンドグラスから午後の光が差し込み、舞い上がる埃を黄金色に照らしている。僕は震える指先を抑えながら、古びた祭壇の前に立っていた。
「アレンよ。汝の魂に刻まれし真の名を、今ここに」
差し出された魔導書に触れた瞬間、脳裏を白い閃光が貫いた。視界が焼け、意識の奥底で“それ”が開花する。
一輪の花だった。
透き通るほど純白で、けれど触れれば世界ごと消し飛びそうな、凍てつく魔力の塊。
『終焉の爆花』
それが、僕に与えられた生涯唯一の魔法。自らの生命力を最後の一滴まで魔力へと変換し、半径数百メートルを塵一つ残さず無に帰す――究極にして、最悪の自爆魔法だった。
魔導書を受け取った瞬間、それまで神殿を満たしていた祝福の拍手は、嘘のように消えた。
静寂が落ちる。
さっきまで笑っていた人たちが、一様に顔を青ざめさせ、僕から距離を取っていく。幼馴染も、近所のおじさんも、まるで危険物を見るような目をしていた。
「……ああ、なんてことだ」
誰かがそう呟いた。その先の言葉を聞かなくても分かる。
――歩く爆弾。
神殿を出ると、風が頬を撫でた。遠くには雪を頂く山々が見え、石畳の隙間には名もなき花が咲いている。世界は昨日と何一つ変わらず、残酷なほどに美しかった。
けれど今の僕には、それらすべてが「もうすぐ失うもの」にしか見えなかった。
帰り道、夕暮れの茜色が影を長く伸ばしていく。誰も何も喋らない。いつもなら他愛もない話をする父さんも、ただ僕の肩を壊れ物のように抱きしめていた。その手は、わずかに震えている。
母さんは、笑っていた。
「よかったわね、アレン」
その声はかすかに揺れている。振り返った母さんの目は赤く腫れ、今にも涙がこぼれそうだった。それでも必死に空を見上げ、笑顔を崩さない。
「とっても強い魔法なんですってね。これなら、魔物だって怖くないわ」
――嘘だ。
知らないはずがない。
二年前、この世界に魔王が現れた。殺戮を繰り返し、人類を滅亡の淵へと追い込んでいる存在。そして、この『終焉の爆花』は、それを葬るための――たった一つの、無慈悲な切り札。
そう考えることは、あまりにも簡単だった。
僕の人生は、どこかの戦場で終わる。名前も残らず、ただ一度の爆発で。
「……ごめんなさい」
気づけば、口にしていた。強い力をもらったのに。守れるかもしれないのに。それでも、僕のせいで母さんが泣いていることが、父さんの手が震えていることが、どうしようもなく苦しかった。
「何を謝るの……! アレン、あなたは――」
言葉は最後まで続かなかった。涙が、ぽたりと地面に落ちる。
父さんは黙って母さんの肩を抱き寄せ、僕に微笑んだ。その笑顔は、いつもよりずっと、悲しかった。
「……帰ろう。今日は、母さんとアレンの好きなものを作ろう」
僕は、黙って頷いた。
歩き出すと、風が背中を押した。見上げれば、茜色の空が燃えるように広がっている。その美しさが、今の僕にはあまりにも残酷だった。
(……死にたくない)
その想いが、胸の奥で確かに灯る。
世界がこんなにも美しく、家族がこんなにも大切だから。
アメリア・スターチス。
彼女はアレンとは違い、伯爵家の令嬢。
つまり貴族であった。
出会いは5年前。僕が家族の手伝いで市場に買い出しに出ている際に彼女と会った。
「よう!アレン!」
今日もにこやかな笑顔である。
「今日は大漁でな!何個かやるよいつもうちの魚を買ってくれるお礼だ!」
魚屋のおじさんは眩しすぎる笑顔でそう言って、とれたての貝を何個かお裾分けしてくれた。
予想外の収穫にホクホクしながら市場を回っていると人影が僕の前を通り過ぎ、気がつくと僕の手から貝は無くなっていた。
「盗られた!」
しかしその人影はすこし進んだところで止まり、ゆっくりと僕の方を向いた。
金髪の髪に青い目。ワンピースに身を包む彼女の胸には伯爵家の紋章があった。
「返してほしければ追いかけてみな!」
満面の笑みで僕を煽る。
「え?ただの泥棒じゃん。」
これが僕と彼女の出会いであった。
なんとか追いつき彼女から貝を取り戻すことに成功したが、取り戻す頃にはあたりを照らしていた太陽は沈みかけていた。彼女の足は思いの外遅かった。
しかし、地形を巧みに活かし僕を翻弄した。
気づいたら僕の後ろにいた時は心臓が止まるかと思った。
一定の距離が離れると止まり、僕をからかった。
徐々にコツを掴み、彼女の行動を読むことができるようになった。満身創痍になりながら彼女の首根っこを捕まえ、話を聞くと本当に遊びたかっただけらしい。
僕が彼女を怒っていると周囲がざわついていることに気づいた。僕は自分の状況を思い返した。伯爵家の令嬢の首をがっしり掴んでいるのである。理解した時にはもう遅かったようだ。
「――貴様! 何をしているッ!」
鼓膜を突き破るような怒号。
振り返る間もなかった。強靭な腕に組み伏せられ、僕は冷たい石畳に顔を叩きつけられた。
「ぎっ……!?」
「伯爵令嬢に暴行を加えるとは、死罪に値する不敬罪だぞ! 離せ、この薄汚いガキが!」
背中にのしかかる鎧の重みと、冷徹な鉄の匂い。
さっきまで夕日に照らされて暖かかった世界が、一瞬で「死」の色に染まった。
僕を押さえつける兵士の目は、人間を見るものではなかった。道端に落ちている石ころをどかすような、無機質な殺意。
恐怖で指先が凍りつき、涙さえ出ない。
その時だった。
「やめて! 離しなさいって言ってるでしょ!」
鋭い声が響いた。
見上げると、アメリアが兵士の腕を必死に叩いていた。
「この子は私の友達よ! 私が勝手に遊んでただけ! ほら、この貝だって私が盗んだんだから!」
「しかし、アメリア様。この平民は貴女の首に手を……」
「うるさい! 私がいいって言ってるの! この子に指一本でも触れたら、お父様に言いつけてあんたたち全員クビにしてもらうんだから!」
顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな顔で叫ぶアメリア。
伯爵家の権威を、彼女は初めて「僕を守るため」に振りかざした。
兵士たちは顔を見合わせ、忌々しそうに僕を解放した。
地面に這いつくばったまま震える僕に、彼女はそっと手を差し伸べた。
「……ごめんね、君。名前は?」
僕としてはもう懲り懲りだったが、あの日以来彼女は隙を見つけては、僕にちょっかいを出してきた。
最初は避けていた僕も彼女の笑顔を見ると力が抜けていき、最後には二人でよく出掛けるようになった。
僕とアメリアのコンビは市場で有名になった。
しかし、自分の立場がわかっていないのか、家を抜け出しては平民と一緒に遊んでいる彼女は大人たちの間で「貴族のなり損ない」と馬鹿にされていた。
家を抜け出しては平民の僕と泥だらけで遊び回る彼女を、大人たちは冷ややかな目で見下していた。
けれど、あの日を境にすべて変わった。
僕とは違い、聖女の加護を授かった彼女への罵声は、一夜にして手のひらを返したような賞賛へと変わった。
対する僕は市場の人々に避けられるようになった。
魚屋のおじさんも、僕に対して明らかに作り物の、引きつった笑顔で接してくるようになった。
「……アレン君、ごめんね。今日はもう、魚がなくて……」
嘘だ。
後ろの棚には、とれたての魚が山ほど積まれている。
ただ、彼らは怖いんだ。いつ爆発するかわからない、死神を宿した少年のことが。
今や、近づくだけで子供が遠ざけられる、歩く欠陥兵器だ。
こんな力。…無ければいいのに。
旅立ちの日から数日が経ち、その日は何の変哲もない朝だった。
朝食のスープの匂いが漂う中、玄関のポストに一枚のはがきが落ちた。
金色の縁取りに、王家の紋章。
父さんがそれを取り上げた瞬間、食卓から音が消えた。
『勇者パーティへの召集命令:アレン』
「……ああ」
やはり来てしまった。
母さんの手からスプーンが落ち、乾いた音を立てた。
父さんは何も言わず、ただ震える手ではがきを握りしめていた。
そこには「英雄としての名誉」なんて言葉が並んでいたけれど、僕たちにはそれが「お前の命を国に差し出せ」という死刑宣告にしか見えなかった。
「……ごめんね。アレン、ごめんなさい……」
母さんは僕を抱きしめて、何度も何度も謝った。
自分の魔法のせいじゃないのに。母さんはただ、僕を産んでしまったことさえ悔いているようで、それが何より辛かった。
指定された出発の日。
僕は逃げるように家を出て、村の広場へと向かった。
「……あ」
広場の中央、人だかりの先に、彼女がいた。
純白の法衣に身を包んだアメリア。
伯爵家の家紋が刺繍されたその姿は、かつての泥だらけの「なり損ない」とは別人のように気高く、美しかった。周囲の大人たちが彼女に跪き、賞賛の言葉を投げかけている。
そして、その少し離れた場所で、人々が僕を気味悪そうに、遠巻きに見ている。
(やっぱり、僕と彼女はもう……住む世界が違うんだ)
「――ねえ、アレン。さっきから私の話、聞いてる?」
気がつくと、アメリアが僕の目の前に立っていた。
人だかりをかき分け、跪く大人たちを無視して、僕の元へ駆けてきたのだ。そして、可愛らしく頬を膨らませている。
「あ、ごめん。……少し、考え事をしていて」
「もう。せっかく勇者様御一行に選ばれたっていうのに、そんな顔してちゃダメじゃない」
彼女は僕の鼻先を指でツンと突いた。
5年前と変わらない、悪戯っぽい笑顔。周囲の視線なんて、まるでないものとして振る舞っている。
「……アメリア。君も、行くんだね。僕と一緒に」
「当たり前でしょ。あんた、放っておいたら一人で勝手に消えちゃいそうなんだもん」
彼女はわざとらしく肩をすくめて見せたけれど、その指先がわずかに震えているのを、僕は見逃さなかった。彼女だって、怖いんだ。魔王討伐の旅が、どれほど過酷かを知っているから。
「……僕と一緒にいたら、アメリアまで変な目で見られるよ。今の僕は、ただの……」
「ただの、アレンでしょ?」
言葉を遮るように、彼女が僕の手を握る。
聖女としての温かな光が、僕の冷え切った指先に伝わってきた。
「みんなが何を言おうと関係ないわ。私は、あんたをずっと見てきたのだもの。あなたに何回守られてきたかもう数え切れないわ。」
その真っ直ぐな瞳に、僕は何も言い返せなかった。
(……でも、僕はもう…死ぬことでしか、君を守れないんだ)
僕は彼女の温もりに嘘をつくように、小さく、けれど精一杯の作り笑いを浮かべた。
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