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憑かれた私と怪しい男  作者: 夏野 夜子
第3章 マヨイヨマイ

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ヨコセヨコセ4

 男の子が、私の服の裾をぎゅっと握った。


「……お、お姉さんの大事なものは何かって聞いてる……あの、その龍はあげたらダメだと思う……お姉さんが死んじゃう……かも」

「あ、そのつもりはないので大丈夫です。龍は別に命より大事とか思ったことないので」


 そう言った瞬間。両側のこめかみにギリギリと締め付けるような頭痛が走った。男の子が「お姉さんが食べられちゃう!」と慌てている。頭を噛まれているようだ。強めに。


「うっ……命より大事ではないけど、ほらあの、そこそこはその」


 痛みが若干弱まった。男の子が涙目になっているので、物騒なことをしないでいただきたい。

 私は咳払いして、持っていたものを差し出した。


「このスプレーは非常に貴重なもので、肌身離さず持ってきたものです。効果はご存知の通りだと思います」

「あ、あの、お姉さん、鬼……そっち」

「こっち?」


 差し出す方向を変えつつ、私は心の中で呟く。

 嘘じゃない。

 ミニサイズのスプレー缶の殺虫剤は種類が少なく、仕入れているドラッグストアもあまりない貴重なものだ。バッグに入れておかないとかさばる大きい缶よりも持ち歩きしやすく、いざというときの予備にポケットに入れておけるので、仕事中は肌身離さず持ち歩くことだって珍しくない。

 どんな成分のおかげなのか鬼にも効くことが判明したので、強い武器だと相手も身に染みてわかっているはずだ。


 このスプレー缶をあげるかわりに、男の子を帰してあげてほしい。

 改めてお願いすると、鬼は悩んでいるのかどんどんと大きな足音が行ったり来たりし始めた。


「あの、お姉さん」

「ん?」

「あの、その、……倒せない? その龍、強いでしょ……?」


 男の子がこっそりと耳元に囁いたのは、鬼に聞かれるとまずいと思ったからのようだ。

 確かに、私に憑いている金の龍ならどうにかしてくれるかもしれない。私にはよくわからないけれど頭痛で感じる限り顎の力は強そうだし、実際、今日は屋根を吹き飛ばしたりもしていた。鬼と戦える強さがあるかもしれない。

 けれど、ちょっと気になっていることがある。


「うーん。あのね、私に憑いてる龍はね、私が危ないと思ったら勝手に攻撃するんだよね」

「だからお姉さんは、アレをあげちゃっても大丈夫って思ったの? 鬼が襲ってきたら龍が戦うから?」

「というより、攻撃してないから、そんなに危なくないんじゃないかなあ……って」


 勅使河原さんによると、私に憑いている龍は、龍なりに私を守ろうとしているらしい。それが結果的に私を就職難やら金欠やらに突き落とすことになったとしても、危ないと判断したものは徹底的に排除する。

 普通の生活では割とはた迷惑なことも多いけれど、仕事場では役立つことも多かった。依頼の現場に行く前に龍がびょーんと伸びて何かを丸呑みしたり(勅使河原さん談)、通りがかりに取り憑きそうな怨霊を尻尾で海の向こうに飛ばしたり(勅使河原さん談)、危なそうなものは近付けないようにしているのだ。


 逆にいうと、龍が何もしないときは、危ないと思ってない。

 つまり、私が何かされることはない可能性が高い。たぶん。


「で、でも、ここにいたら帰れないよ? ずっと閉じ込められて、どこにも行けなくなっちゃうよ」

「私のことは大丈夫なので、とにかくおうちに帰ってください。一応村の人に私のことを伝えてくれると助かります」

「村の人は助けられないよ!」


 男の子は、私を置いて帰ることに躊躇しているらしい。あれだけ帰りたい助けてと怯えていたのに、私のことまで気にかけるなんて優しい子供だ。

 男の子の心配はありがたいものの、私はそれほど危機感を抱いてはいなかった。


 手の上にあったスプレー缶が、何かに取られたように消えてしまう。男の子はまた涙目になりながら首を横に振った。


「お姉さんを置いていけないよ!」

「大丈夫です。ほら、ご家族の方が心配してるでしょうし、行ってください」


 男の子の頭を撫でて説得すると、やがて頷いてくれた。涙を拭ってから、小さい手が私の手を握る。


「お姉さん、ありがとう。助けに来るから待ってて。絶対に助けに来るから!」

「気を付けてね」


 男の子はしばらく鬼の方を見上げてから、こちらを振り返り振り返り廊下を走っていく。ぱたぱたと聞こえていた足音は、すぐに消えてしまった。


「さて。えーと、鬼さん。あ、そっちか」


 どんどんと床を踏み鳴らされて、私はまた明後日の方向に向かっていたと気付いた。


「申し訳ありませんがちょっと待っててもらえますか? もうすぐだと思うので」


 龍が暴れないときは、もうひとつある。

 それは、自分の代わりに対処してくれる相手がいるときだ。






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