第二百五十四話 師弟にも共依存ってあるかも。
マグノリアの懸念を裏付けてくれたのは、レオニールだった。
天使により召喚された精霊が皇城へ向かって飛び去るのを見た彼は主君の身を案じ、城へ駆けつけたのだ。
…そんな忠義の臣である彼は今、正座させられて小さくなっている。
「なるほどお話は分かりました。が、それで逃げられました、で許されると思ってます?」
「……弁明の余地もございません」
正座しているレオニールをお説教しているのはエルネスト。表情は柔和…なのだが空気が怖い。それだけ、ヘマをしたレオニールに怒っているのだろうか。
主君をみすみす危険に晒したのだからそれも当然かもしれないが。
「第一、あの程度の位階の天使でしたら貴方の敵ではなかったでしょう?それなのに不意を突かれるとは、ハルト殿下の護衛騎士として恥ずかしくないのですか?」
「申し訳ございません。これは私の失態です、如何ような罰でもお与えください」
…いや、違う。マグノリアは叱るエルネストと叱られるレオニールを横で見ていて気付いた。
確かにエルネストは腹を立てているように見える。穏やかな人間(魔族だけど)はえてして怒ると怖かったりするのだ。そして実際、最初はマグノリアもレオニールを詰問するエルネストを怖いと思ってしまったくらいだ。
が、これ、怒ってるフリをしてるだけだ。
長年の遊撃士生活で培われたマグノリアの観察眼は、エルネストの声色の中に僅かに潜む嗜虐の愉悦を感じ取った。
エルネストは、本気で怒っているわけではない。レオニールを苛めて楽しんでるのだ。
苛められてるレオニールはといえば、平身低頭の謝罪モードで大真面目にエルネストの叱責を受けてるわけだが、確かにこんなに素直に怒られてくれると苛めがいはありそう。
「しかもなんですか、いきなり窓から入ってくるとか。常識ってものを知らないんですか貴方は?」
「そ…それは、兎に角ハルト殿下のご無事を確認しなくてはと気が急いておりまして…」
「それで城壁とか門とか完全無視でいきなり窓から突入ですか?城の警兵にでも見られたら大事になってたんですけど?」
お、初めてレオの非常識に言及してくれる人がいた。マグノリアは勝手にエルネストに親近感を抱く。エルネストに常識云々を語る資格があるかどうかについては、彼女の知るところではない。
「それと、駆け付けたと言ってもなんでこんなに時間がかかってるんですか。あれからどれだけ経ったと思ってます?」
「それについては…申し訳ございません。少々厄介な連中に、その……干渉されたというか纏わりつかれたというか…」
「言い訳は結構!」
「も、申し訳ございません!」
言われてみれば、確かに精霊の襲撃からもうだいぶ時間が経っている。ハルト第一のレオニールがハルトを心配して駆け付けたにしては、少し時間が掛かり過ぎのような。
「なぁ、レオ。その厄介な連中ってのは…」
「そんなことより、至急お耳に入れたいことがございます」
レオニールの足を止めた何者かのことが気になったマグノリアが口を挟もうとしたところで、レオニールが突然調子を変えた。
話題を変えた…わけではない、のだろうが。
「ふむ…何でしょう?」
「この度身の程も弁えずに地上界に干渉したその天使は、かつてハルト殿下の御命を狙った廉族の小娘が手引きしたものだったのです!」
「………あ」
マグノリアが止める間もなく、レオニールは一息で言い切ってしまった。
「…え、レオ、それって……」
レオニールの言葉を聞いたハルトが、それまで半分居眠りしそうになっていた状態から瞬時に覚醒した。どうせだったら寝ててくれた方がよかったのに、というマグノリアの師匠心は無為に終わった。
「殿下!やはりあの小娘は貴方様に…いえ、魔界に敵対する者です!どうか目をお覚まし下さい!!」
「……メルのこと……?」
ああ、失敗した。
マグノリアは内心で頭を抱える。これだけは、ハルトに聞かせたくなかったのだ。メルセデス=ラファティが市民団体と関係していて、その市民団体が天使と通じている……則ち、メルセデスが天使と通じているという事実だけは。
だからこそ、自分のそのときはまだ憶測でしかなかった考えをエルネストに打ち明ける際にもメルセデスのことだけは言及を避けたし、今後もなんとか誤魔化そうと思っていたのに……
そんなマグノリアの心中など知る由もないレオニールのおかげで、台無しである。
「レオ、メルに会ったの?どこで?彼女どこにいたの?」
「殿下、どうかあの者のことはお忘れください。殿下にはもっとふさわしき女性がいるはずです」
「だからメルはどこ?ボクのこと何か言ってた?」
「天使共と通じ殿下に害をなそうなどと、矮小な廉族にあるまじき所業!畏れ多くも殿下からのご寵愛を受けられる栄誉を自ら手放そうとする愚か者。殿下はあの者に誑かされているだけなのです」
「え、どうしよう、やっぱりメルはまだ帝国にいたんだ!ボクに会うために残っててくれたのかな、そうだよね、ね?」
……話が嚙み合わない主君と従者。
「師匠、やっぱりメルは帝国にいたんです!ボク、早く彼女を探さなくちゃ!」
「こら待てどこ行く少しは落ち着け」
久々の暴走モードでいきなり駆け出そうとするハルトの襟首をマグノリアは引っ掴んで止めた。勘違いはもうこの際置いておくとして、あてもないのに何処へ行こうというのか。
しかし、ハルトは分かっているのだろうか。
魔王復活の際、正確にはその直前にハルトはメルセデスと邂逅を果たしている。が、そのときは思いっきり殺されそうになっているのだ。
メルセデスの殺意が今なおハルトに向かっているのかどうかは…正直分からない。だが、彼女の狙いは間違いなく魔王。
ならばハルトに対するメルセデスの認識が敵から味方になったかと言えば、そんなはずはない。せいぜいが、優先順位(排除の)が下がった程度、だろう。
そんなメルセデスにハルトがのこのこと会いに行ったりなんかしたら。
「止めないでくださいよ、師匠。帝国にいるってことがはっきりしたんですから、もう一度遊撃士ギルドに行ってみて…」
「この状況で勝手なことしてみろ、破門にするぞ」
「…………はもん?」
「お前をアタシの弟子じゃなくする…アタシがお前の師匠をやめるって意味だ」
「そそそそ、そんな!!」
手掛かりすらないのに暴走する弟子のことだから、手掛かりを得てしまえばその程度は今までの比ではないだろう。
マグノリアとしてはハルトの師をやめるつもりなどさらさらない。これはただの脅しだ。しかしこの状態のハルトを思いとどまらせるのはそう簡単なことではなく、言わば伝家の宝刀を抜くしかなかった。
…のだが、こう言えばハルトは(少なくともひとまずは)従うだろうとマグノリアが考えていることは事実で、それは則ちハルトがメルセデス(探し)よりも自分(の弟子であること)を選ぶだろうと確信しているということ。
そして幸いなことに、どうやら彼女の確信は自惚れではなかったようだ。
「そんなの嫌です!どうして意地悪言うんですか?」
「あのな、今の状況を考えろ。サクラーヴァ家の公子としても魔界の王太子としても、お前が下手に動いたらヤバくなる可能性の方が大きいんだぞ」
ハルトは、過度にマグノリアに依存しているフシがある。メルセデスへの、恋慕からくる執着とはまた違う。ピヨピヨひよっこ状態で右も左も分からない場所で出会ったことによる一種の刷り込みでもあるかもしれない。
戦闘に関して言えば、マグノリアがハルトに教えられることなどもう残っていない…というか最初から、本当に初期の初期、型稽古しか彼女は教えていない。あとはノウハウだとか心構えのみ。その頃からハルトのスペックは彼女の想像を超えていて、いくら売れっ子第二等級遊撃士といえどもそこまで引き出しは深くなかった。
だからハルトがマグノリアから自立したいと思えば、まぁ不安があるかないかで言えば不安しかないのだが一応は不可能ではない。下手なノウハウや心構えなど捨て置けるほどの能力を彼は持っているのだ。
それでもハルトはまだ独り立ちするつもりはないようだったし、マグノリアもまたハルトを独り立ちさせるつもりはなかった。
「こっそり行くから大丈夫です!」
「大丈夫ってお前、その根拠は?こっそり行く(…って何処に?)方法と、こっそり行けば連中にバレないって思う根拠は?」
「……それは…………、だって、バレなきゃ大丈夫じゃないですか……」
なんだかこんな遣り取り、いつぞやもしたようなしなかったような。
マグノリアは、大きな溜息をついて一旦自分をリセットする。メルセデスを探しに行きたいけど師匠の弟子もやめたくない、と子供らしい我が儘を貫こうと強情なハルトを説得するには、こちらまで強情になってしまうと難しい。
「…そもそも、メルセデスはどうして天使と通じてると思う?」
「え?そんなの……………どうしてでしょう?」
「そりゃ、魔王に対抗するために決まってるだろ」
この際、言い切ってしまう。メルセデスの本当の目的なんて知らないし根拠もないが、少なくとも大幅に違っていることはないはずだ。
「で、魔王サンに敵対してるってことは、魔王サンの関係者のことも全部敵だと思ってる可能性は強いわな」
これは事実。もしかすると、ハルトだけでなく自分もまた彼女の敵に認定されているかもしれない。
「それじゃ……ボクのことも?」
「いやお前、殺されかけてて今更………まぁいいや、そうだ。お前のこともだ」
「やっぱり、メルは騙されてるんですね!早く助けないと!!」
「だから待てっつーの」
再びハルトの襟首をホールド。本音としては首輪とリードが欲しいところだ。
「仮にお前の言うとおり、メルセデスが天使共に騙されてたり利用されてたりってのが事実だとすると…」
これに関してはおそらくハルトの願望交じりの勘違いだと思うのだが、それを否定しても話が進まないのでとりあえず合わせることにするマグノリア。
「魔王サンを憎む天使にとって、お前は敵だ。それは分かるな?」
「……はい、それは………なんとなく?」
なんとなくかよ。魔王子の自覚ないのかこいつ。坊主憎けりゃ袈裟まで…より確実に憎まれてるって誰にでも分かるだろ。
「で、自分たちが利用してるメルセデスにお前が惚れてるって」
「相思相愛の運命の絆なんです!!」
「ああはいはい。で、その運命の絆だって気付いたら、その天使共はどうすると思う?」
マグノリアの問に、ハルトはピタリと動きを止めた。どうもメルセデス絡みだときちんと思考を働かせる(暴走はともかく)ことができるようなのだ、このバカ弟子は。
「もしかして…もしかしたら」
「そう。お前に対する人質にでもするかもしれないな」
これは確かに…あり得なくはない。天使がハルトの存在…魔王には後継者がいてそれがハルトであるという事実を掴んでいたとしたら。
先ほどエルネストも言っていたではないか。天使たちはかつて、魔王が懇意にしている者たちを害するためだけに一つの都市を壊滅させたと。
であれば、魔王子が好意を向ける者を傷つけることも厭わない、だろう。
まぁ、あの凶剣が大人しく人質になるとか正直全然想像できなかったりするが、いくら凶剣でも人の子、流石に天使が相手では分が悪すぎる。
マグノリアが実際に心配しているのはメルセデスの身ではなくハルトがメルセデスを傷つけてしまうことによって自分自身をも深く傷つけてしまうことや逆にメルセデスに抵抗できずに傷つけられてしまうことなのだが、ハルトにはこう言っておいた方が通じやすい。
「お前のせいで、メルセデスが酷い目に遭うかもしれない。それでもいいのか?」
「い、いいはずありませんそんなの絶対にダメです!だから今すぐ助けないと!!」
「だからちったぁ頭を働かせろ。レオの報告からすると、まだメルセデスは天使連中の人質にはされてない。てことは、お前の存在も勘付かれてないってことだ。だろ?」
面倒なので色々と断定してしまうことにする。
「てことは、まだあいつは無事だ。天使共にしても、廉族っつっても第一等級遊撃士は使い勝手がいいだろうから」
…多分凶剣はめちゃくちゃ使い勝手が悪かろう。が、そこはスルー。
「お前との関係を悟られない限り、あいつは大丈夫だ。逆に、悟られたらヤバい。…ここまでは分かるな?」
「………はい」
「だから、慎重に動く必要があるってんだよ」
「だから、こっそり………」
先ほどと同じことを繰り返すハルトだが、勢いはかなりトーンダウンしてきた。
「なぁハルト。アタシは別に、メルセデスを見捨てるとか言ってるわけじゃない」
「え、それじゃ師匠……」
ハルトの変化に合わせて口調を穏やかにしたマグノリアに、ハルトは希望を見出したような顔をした。
「アタシにとってもあいつは同業者だしな。一緒にパーティー組んだこともある仲だ。そんな奴を」
「え、師匠メルとパーティー組んだことあるんですか!いいなぁ!彼女どんな感じですか?ボクのことなにか言って」
「なんでそうなるんだよしかもどう考えてもお前と会う前の話だろなんで分かんないかな」
ハルトの頭の中に時系列というものは入っているのだろうか、ちょっと謎である。しかも今羨ましがっている場合か。
「お前、メルセデスが大事ならもう少し頭を冷やせ。で、自分がどうすればいいのか自分にできることは何なのかしっかりと考えろ。とにかく急げ、じゃなくて具体的にな」
そう言われるとハルトには返事が出来ないことは分かってる。
「……え…………どうすれば……………………………いいんでしょう?」
「ほらな、分からないだろ。だから、アタシの指示をちゃんと聞いとけ」
「………………はい」
ハルトだってもうそれなりに経験を積んでヒヨッコではないのだし、元来何も考えずに自分に従えばいいという指導方針はマグノリアの信条に反する。
のだが今回限りはハルトの成長云々言っていられない。とりあえずハルトを自分の管理下に置いておくのが重要だ。
ハルトは躊躇いながらも頷いた。どのみち自分一人では暗中模索のち徒労に終わるのが目に見えている。頼りになる師匠に何か考えがあるのならお任せしたいと他人任せな部分が出ても仕方ない。
それが分かっていたからこそ、マグノリアはそういう方向へ話を持っていったのだ。
「……ほほう、なるほど流石ですねぇ」
横で聞いていたエルネストが感心しきりに頷いている。
マグノリアの手腕を妙に評価してくれているようだが、あまり期待されるのも嬉しい反面少し怖いと思ってしまう。
「やはり、貴女に殿下を託した陛下のご判断は間違いではなかったんですねぇ」
「………そりゃどーも」
願わくば、評価も身の丈に合ったものにしてもらいたい、というのが本音である。
師匠離れできない弟子と、弟子離れできない師匠。
あと自分で書いててなんですけど、ハルトのメルセデスへの気持ちってなんか嘘くさい。




