第二百五十話 レオニール、失敗する。
これが天使族との初対面・初対戦であるレオニールではあるが、その弱点については聞きかじっていた。魔界には天地大戦を経験した武王たちがおり、彼らによりその様子も伝わっているのだ。
まぁ話の大部分が、魔王陛下が戯れに天使を引き摺り降ろしては遊んでいた、的な感じだったのだが。
なのでちょっと試してみようと思ったわけだが、これが予想以上の好感触。怒りと屈辱に我を忘れた天使は、見事に彼の術中に嵌まってくれた。
冷静さを失えば失うほど、その攻撃は単調になる。ムキになって繰り出した攻撃が空振りに終わり、さらに冷静さを失いますます動きは単調に…の悪循環(レオニールからすれば好循環だったりする)。
だがレオニールの目的は、敵を翻弄し楽しむことではない。
勝機が確実になればさっさと始末をつけて、廉族二人組からじっくりと話を聞かせてもらわなくてはならないのだ。
――――そろそろ頃合いか。
これ以上天使の独り相撲につきあう必要はなさそうだ、とレオニールはそれまでの回避と防御から攻撃へと移る。
これまた単調な大振りの一撃を身を反転させて躱し、そのまま流れを止めずに一閃したレオニールの剣は、天使の脇腹を深く薙いだ。
「………!」
迸る鮮血と痛みに、天使が体を硬直させた。
もしかしたら、この天使が「痛み」を感じるのは生まれて初めてのことかもしれない。悲愴ささえ感じさせるその表情にそんなことを考えながら、レオニールは攻撃の手を緩めなかった。
棒立ちになる天使の胸を、レオニールの剣が貫いた。
「ぁ………が…………」
血を吐き、身をのけぞらせる天使。自身の敗北が信じられないのか、或いは自身の死が信じられないのか、茫然と自分の傷を見下ろすとその場にがっくりと崩れ落ちた。
剣についた血を振り払うレオニールの意識は既に、次の段階へと移っている。
天使は未だ息絶えていないが、それも時間の問題だ。如何に高位体といえど、急所を突かれて治療もしないままであれば死は免れまい。
あとは結界内で廉族共を尋問し、内情と黒幕を吐かせるだけ。
レオニールは成す術なく立ち竦む二人の廉族に歩み寄るために、倒れ伏す天使に背を向けた。
そしてそれはレオニールの若さだった。
彼とて、実戦経験がそう豊富なわけではない。
十五年前の聖戦には一兵卒として参戦してはいたが(そして実はそのときの功績で魔王子の護衛騎士に抜擢されたのだが)、あれは戦としては非常に短期間で終わったものだった。天地大戦のような、一千年にも渡り幾度となく戦が繰り広げられた時代を、彼は知らない。
それほどに過酷な戦場を、彼は知らなかった。
窮鼠猫を噛む。
追い詰められた鼠の、最後に見せる抗いの牙の鋭さを、知らなかったのだ。
近づくレオニールに対し、二人の廉族の対応は正反対だった。
怯えるように身を縮こませる少年と、驚くことに表情を変えず剣を抜き放つメルセデス。
二人には聞かなくてはならないことがある。だから殺すつもりはない。というか主君の想い人を殺すわけにはいかない…その存在は許しがたいものではあるけれど。
だが、必要以上に手を抜くつもりもなかった。
メルセデス=ラファティが地上界において最上位につく遊撃士だということは知っている。だが、聖戦の英雄でもない廉族の小娘一人、無力化するのは容易い。
さてとりあえず両手足の腱でも切っておくか。
冷酷極まりないことを考え、レオニールがそれを実行に移そうとしたその瞬間。
突然、背後で霊力の高まりを感じた。
「この期に及んで悪あがきか…無駄なことを」
レオニールからすれば、天使の行為は正に無駄だった。今更何をしたところで天使には勝ち目がなかったし、もし不意打ちを狙っていたのであればこんな風に霊力を高ぶらせるのは愚の骨頂、敵に不意打ちをわざわざ知らせる行為に他ならない。
分かっているなら慌てる必要はない。
向かってくる天使を迎え撃とうとレオニールが振り向いたとき、天使は自身の血の海の中で起き上がろうともがいているところだった。
そしてふらつきながらも立ち上がることに成功し、天使は
「ぁ……ああああああ!!」
己を鼓舞するためか最後の感情の発露か、猛々しく吼えた。そして…
天使が駆けた先は、レオニールではなかった。
「っな…!」
予想外の行動に動くのが一瞬遅れたレオニールには目もくれず、天使は結界の一角へ突撃したのだ。
残された力全てを振り絞り、天使は結界壁へ剣槍を叩きつける。
上位術式でしかない【影縛鎖陣】の結界は、天使の全身全霊の攻撃(しかも一点集中だ)に耐えきれず、ガラスのような音を立てて砕け散った。
「逃げる気か……そうはさせん!」
ここで天界に妙な報告をされると困る。レオニールは慌てて逃げる天使の背中を追いかけようとして…
直後、天使に逃げるつもりなどなかったことに気付かされた。
結界から自由になった天使は、勢いを止めない。
勢いを止めないまま彼が向かった先は………地に描かれた魔法陣。
レオニールがここに到着した際に天使が描いていた、魔法陣だった。
「……!しまった…」
レオニールが天使の意図に気付いたときには既に遅かった。
天使は、躊躇うことなく魔法陣の中に身を躍らせる。
陣が輝きを放ち、黄金の炎が渦を巻きながら立ち上った。
「炎霊よ、我が命を食らい尽くせ、そして我が願いを叶えたまえ!!」
悲鳴のような叫びが、炎の中で天使の望みをそれに伝えた。
それと同時に、天使の身体は炎に溶けて消えた。
陣から渦巻く炎がいっそう激しく見悶えた。まるでそれ自体が意思を持っているかのように、そしてそれは予想外に贅沢な贄に歓喜しているかのようにも見えた。
やがて炎の舞踏が最高潮に達したところで…
黄金の輝きが弾けた。
そこに現れたのは、太陽と同じ色をした炎の巨鳥。
「……精霊召喚だと…」
こんなところで精霊を召喚して、何をしようとしていたのか。
怪訝に思いながらも、レオニールはそれの排除に移る。
精霊は、魔法陣の色や模様を見てもその姿からも炎熱属性であることは間違いない。位階までは分からないが、召喚主である天使の力、そして命そのものを贄としたことを踏まえると決して侮ることは出来なさそうだ。
確実に仕留めるために、超位の氷雪術式を選択する。
レオニールが完全詠唱破棄で発動させられるのは、特位術式がせいぜいだ。超位ともなると多少の起動手順が必要となるため、その一瞬を剣で稼ごうと炎鳥へ向かう。
炎鳥は、大きく羽ばたいた。
その眼には、レオニールへの憎悪が燃え盛っていた。贄となった天使の感情に引き摺られているのだ。
だからこそレオニールは、炎鳥は自分へと向かってくると思っていた。それほどに苛烈な憎悪が届いてきていた。
しかし、レオニールは天使族のもう一つの特性を侮っていた。
個より全。自由より秩序。
全体の目的のためならば自分をも犠牲にすることを厭わないという、特性を。
それが、自分の命を贄にしてより強力な精霊を召喚するという行為に繋がったという事実を。
レオニールを憎々しげに見下ろした炎鳥。
憎しみのままにレオニールに向かって……
ではなく、さらに上空へと高く羽ばたいた。
「な……」
降下してくる炎鳥を迎え撃とうと構えたレオニールは、肩透かしを食らった。
直後、空が明るく照らされた。
彼らがいるのとは反対側の広場から次々と連続して打ち上がる黄金色の花火。
炎鳥は、それを合図にするかのように…或いはそれらに引き寄せられるかのように、飛び去った。
最後にレオニールを見下ろした炎鳥の双眸には、憎悪の中に嘲笑が見え隠れしているように、レオニールには思われた。
書いてて忘れがちですがレオさんずっと着ぐるみです。




