第二百四十八話 世界の片隅でひっそりと繰り広げられる小さな戦争。
天使は虚空から剣槍を取り出した。しかしまだ構えない。それは彼のスタイルというよりは、魔族相手に自分から先に構えるなど誇りが許さない、とでも思っているのだろう。
武器から判断すると、この天使は中近距離戦を得意とするようだ。しかしそれだけで決めつけるのは愚かなこと。廉族と違い強大な霊力を保有する天使族は、一見戦士タイプであっても高度な魔導技術(連中は魔導とは呼びたがらず神術と呼ぶ傾向が強いがその二つは実際には同じものだ)も有している可能性が高い。
天使族とやりあった経験のないレオニールには、見た目で相手の力量や自分との力量差を見極めることは難しい。かと言って、小手調べなどしていては遅れを取りかねない。
天使族は魔族と同格の高位体。脆弱な廉族を相手にするのとは違うのだ。
だから、最初から全力でいく。そのためにはまず…
「【影縛鎖陣】」
全力で暴れても主君に被害を及ぼさないようにする必要があった。
レオニールの足元から影が放射状に延びた。それは彼らのいる一帯を覆い尽くし、境界線の内と外を遮断する。
「…結界術の一種か。面白い」
結界を張るということは、則ちとことんやりあってやろう、という意思表明でもある。天使にしても、望むところだったのだろう。その表情が戦意と高揚の笑みを浮かべた。
結界術式は補助系であり、実のところレオニールはあまり得意としていない。これも所詮は上位術式だ。だが戦いの余波くらいなら防いでくれるだろう…流石に直接攻撃されれば破壊されるだろうが。
あとは、心置きなく殺し合いだ。
今のところは傍観者に徹している二人の廉族のことは一旦忘れることにする。魔族と天使族のガチンコ勝負に割って入ることなど出来はしまい。
何より、横槍を気にしながら戦う余裕があるかどうかも、分からなかった。
陽が落ち、夜に差し変わった空の下で対峙する二つの高位体。両者の間には、触れれば切れそうな殺意と緊張が張り巡らされていた。
そのとき、爆発音が轟いた。
両者は動じない。それがレオニールの張った結界の外からのものであったからだ。
一瞬、夜空に大輪の花が咲き二人の背景を明るく染めた。
まるでそれが始まりの合図であったかのように、両者はほぼ同時に大地を蹴った。
◆◆◆◆◆◆◆◆
次々と開き夜空を彩る花火を背景に、天使と魔族の殺し合いは続く。
霊力を乗せた大振りの剣槍を、レオニールは衝撃波ごと真向から受けて止める。遠心力と膂力と魔力の相乗効果で、片手では難しい重さだった。
そのまま、剣槍の柄に自分の剣を滑らせるように攻撃のベクトルをいなし、レオニールは天使の懐へ入り込もうとする。彼の長剣と天使の剣槍とでは攻撃範囲が違い過ぎて、自分の間合いに入るまで深く踏み込まなければならない。流石に、衝撃波だけでダメージを与えられるほど易しい敵ではなかろう。
当然のことながら天使もそれが分かっている。分かっていて間合いを制されるほど甘くもない。リーチが長い分、その内側に入られると弱いのが中近距離用武器の欠点だ。
ここで天使は驚く行動に出た。
懐に入りこまれたくないのなら、普通は後ろへ下がるもの。だが彼はそうしなかった。その場を動かないまま、
「【来光断滅】!」
聖属性特位術式を、展開した。
網膜を焼かんばかりの濃密な光が柱となって空から大地を貫く。
その光柱は、天使と魔族を呑み込んだ。
【来光断滅】は、効果範囲より威力に重きを置く術式である。術者の力量にもよるが、範囲はせいぜいが半径2メートル程度。その代わり、威力は特位術式の中でもトップクラスを誇る。
あまりに狭すぎる効果範囲…なにしろ少し移動しただけで簡単に躱されてしまう…のために使い勝手は良くないが、動かない相手や動けない相手に使う分には十二分に有用だ。
やがて光が消えた。その場には、地に膝をつくレオニールとそれを見下ろす天使。
レオニールは、完全に虚を突かれた。
魔導術式は、効果範囲内に入ってしまえば攻撃対象も術者も区別することはない。だからこそ、敵と肉薄している状態で術式を発動させるなど常識ではありえないこと。当然のことながら、共に【来光断滅】を食らった天使族もまた、無事ではいられないはずだった。
それなのに、レオニールごと光柱に呑み込まれた天使には、傷一つなかった。
「……貴様…」
自分の迂闊さに歯ぎしりするレオニール。
聖属性だからといって、天使族がそれに対する耐性を持っているわけではない。に拘わらず無傷ということは、この天使には聖属性攻撃を無効化する何らかの得能或いは天恵が備わっているということ。
聖属性に限ってならば、自爆攻撃も使いたい放題ということだ。
無効化能力は稀少性も高く得能の中でも上位のものであるため、あまり取り沙汰されることがない。それでも相手が天使族であるならばそういった特殊能力のことも考慮する必要があった。
無傷でレオニールを見下ろす天使だったが、しかしその表情からは余裕が消えていた。
「まさか、これを耐えきるとは………」
呟く声に、戦慄が含まれている。
天使は、完全にレオニールの虚を突いた。彼は防御する暇もなくまともに【来光断滅】をその身に受けた。
さらに、聖属性は魔族にとって弱点。
特位術式の中でも最高クラスの攻撃力を誇る、魔属に対し最も有効な術式。これで死滅しない…のみならず瀕死にすら至っていない魔族の存在が、天使には想定外だったのだ。
この時点で、天使は察した。
虚を突くことなくまともにやりあっていれば、おそらく自分は負ける。敵はそれほどに高位の魔族だ、と。
だからこそ、驚愕はしたが攻撃を止めることはしない。自分よりも高位体ならば余計に、この好機を逃すわけにはいかなかった。
【来光断滅】一撃で倒しきることは出来なかった。が、敵のダメージは小さくない。天使はこれが最後だと言わんばかりに容赦なく、剣槍を振りかぶる。
だが、振り下ろす刃を受け止める魔族の力は予想以上に強かった。
そしてその眼差しも、戦意が未だ色濃く宿っている。彼はまだ、諦めてはいない。
「まだこれほどの力を残しているとは…」
間髪を入れず飛び退った魔族の動きの鋭さに舌を巻く天使。
しかし、まだ勝機が失われたわけではない。さらなる追撃で、今度こそ…
「【炎華鳳皇】!!」
レオニールが叫ぶのと、天使が咄嗟に上空へ逃れるのはほぼ同時だった。
それまで天使がいた場所に、紅蓮の花が咲いた。上空にいてもなお届く熱の激しさに、天使はごくりと喉を鳴らした。
魔力の動きで発動を察知できていなければ、ただでは済まなかった。【来光断滅】を受けた魔族よりも大きなダメージを受けていただろう。
それでも炎華を逃れることが出来たことによる、僅かな緊張の弛緩。魔族は、それを見逃すことはなかった。
「【影縛鎖蛇】!」
最初の結界術と酷似したイントネーション。レオニールの足元から延びた影が十匹以上の蛇と化した。蛇たちはまるで弾丸のように一直線に空へ身を躍らせる。上空に逃れていた天使の手足に噛みつき、その体に絡みついた。
「…なっ……!」
次に虚を突かれたのは天使の方だった。
【影縛鎖蛇】は、【影縛鎖陣】から派生させたレオニールのオリジナルの術だ。【影縛鎖陣】は非常に一般的な術式で、それとイントネーション始め発動兆候の酷似している【影縛鎖蛇】は大抵の者が【影縛鎖陣】と勘違いしてしまう。
魔導感知スキルを持っていたり発動兆候から術式を判別する業に長けている者ほど、この罠に陥りやすい。
この天使もまた、【影縛鎖陣】の重ね掛けかと思い込んでいたために対処が遅れ、回避に失敗した。
しかも、【陣】の中では【蛇】の威力・速度は飛躍的に向上する。【陣】と同じく上位術式でしかない【蛇】ではあるが、そのせいで天使が全力を以て抗っても逃れることは叶わなかった。
しかしこれは結界術のアレンジであって、攻撃術式ではない。レオニールの狙いは、天使にダメージを負わせることではなく。
上空から蛇たちに引きずり降ろされた天使が、地面に叩きつけられた。
「…き……き、貴様…………!」
先ほどまでのすまし顔は何処へやら、天使が屈辱と怒りに顔を歪めレオニールを睨みつけた。羞恥もあるのだろうか、今にも沸騰しそうな感じに紅潮してもいる。
「貴様らには地べたが似合いだ」
傷の程度は未だレオニールの方が酷い。
に拘わらず、地に這いつくばる天使を見下ろすレオニールは、勝者の如き余裕と貫禄で告げた。
作中でちょいちょい魔力探知スキルって出てきますが、これは発動前の僅かな魔力の流れとか発動後の残存魔力とか各人が保有してる魔力の質だとか、普通だったら感知できないレベルを感じ取ることのできるスキルです。
術式起動から後は派手に魔力が動くので、魔導を使う人なら普通に感じ取れますし、魔導を使えなくても感覚の鋭い人(マグノリアとか)なら何となくで分かります。
ただそれで分かるのは「こいつ魔導術式使うつもりだぜ」程度で、どんな属性のどんな術式を使おうとしてるかは、探知スキル持ちじゃないと難しい。そこで多用されるのが、詠唱や術式名のイントネーションからの推測。これは魔導知識と経験によるところが大きい。間違えるとけっこう痛い。




