第二百四十五話 皇帝陛下、仲間外れにされる。
それは、本当に一瞬のことだった。
暴風に搔き消される小さな灯の如く、炎の鳥は抵抗すらする間もなく散り散りに吹き飛ばされ火の欠片となり、欠片は虚空へと消えた。
防護障壁が破られ覚悟を決めた警備兵たちは、何が起こったのか理解できずに茫然としていた。マグノリアも同様である。
炎鳥を消滅させた黒霧は、自然現象でも魔導術式でもないのだと彼女の直感が告げていた。それよりももっと、禍々しい何か。本能的に恐怖と忌避感を抱かずにはいられない、不吉な何か。
しかしながら、表情の固いマグノリアに語りかけたその人物は、拍子抜けするほど穏やかで普通だった。
「突然失礼いたしました。皆さまお怪我はありませんか?」
「…え……あ、あんたは…………………………………………誰だっけ」
いきなり現れた黒法衣の青年を指差し、はてどこかで会ったような気がしなくもないけど気のせいかもしれないし…と記憶の引き出しを猛スピードで片っ端から開けまくるマグノリアだったが、やっぱりよく思い出せない。
「エル?なんでこんなところにいるのさ!」
するとハルトがマグノリアへ助け舟…というわけではないのだろうが青年に駆け寄った。どうやら気安い仲のよう。というか、ハルトが敬語を使わないということは……魔界の関係者、か。
「いえ、ルーディア聖教の教皇から依頼されましてね。殿下にお力添えをすべくこうして馳せ参じました」
「え、そうなの?」
青年の言葉には、マグノリアも心当たりがあった。なるほど教皇はマグノリアの要請に対し、この青年を送り出したわけか。
それは、いいのだが…。
「えっと…なぁハルト、そのヒトってお前の知り合い…なんだよな?」
「そうですけど……あれ、師匠ってエルのこと知ってたんじゃなかったですっけ」
「え?あ…あーーー、知って…たっけ……?」
やっぱりどこかで(って魔界に決まってるけど)会っているようだ。それにしては全然思い出せない。というか、あまりに特徴がないというか茫洋としているというか印象が薄いというか…
「魔界で皆さまの案内役を仰せつかってたんですけどねぇ…」
ちょっぴり恨めしそうな青年の台詞で、ようやく思い出した。
「ああ!あの……………………アデルに髪とか血とか要求されてた奴か!」
…思い出し方が失礼極まりない。
そう、青年の名は確か………えっと確か…………
「改めまして。エルネスト=マウレと申します」
そうそう、そうだったそんな名前だった。でもって確か、ルガイアの弟だか何だかだった。そして魔界での振る舞いを見る限り、かなりの高位なはずだ。
「ああ…それじゃ、調査はあんたに任せてしまってもいいんだよ…な?」
教皇の推薦もあるわけだし、きっと彼は有能な魔族なのだろう…と思うのだが、覇気のない笑顔を見ているとそこはかとない不安が忍び寄ってくる。
しかしエルネストは、心得た、と言わんばかりに頷いた。
「ええ、陛下からも貴女に協力するように仰せつかっておりますしね。微力ながら精一杯務めさせていただきますよ」
「……アタシに?」
ハルトに協力、ではなくマグノリアに協力するようにと言ったのかあの魔王は。マグノリアなんて、息子の師に過ぎないというのに…
「はい。陛下は貴女を信頼しておいでです。少なくとも、殿下に任せるよりは貴女の方が何事も上手く進めてくださるだろう、と」
「………そりゃどーも」
こんな風に間接的に褒められると照れてしまう。非常に控え目な賛辞ではあるが、それを表したのが他でもない魔王なのだ。神レベルに褒められるってちょっと普通はないことだったりする。
「さてさて皆さま、この状況はよろしくありません。ひとまず場所を移しましょう」
パンパンと手を打ち鳴らしてエルネストが促した。ほとんどの賓客は既に逃げ出しており、ここにいるのはハルトとマグノリアとセドリック、皇帝と警備兵たちのみ。
しかし離れたところからは一部始終を目撃してしまった観客が未だこちらに注目している。流石に口封じは難しい人数だ。
「それに、ご報告もありますし、ね」
どうやら、早速エルネストは何かを掴んだようだった。モブその1みたいな顔しておいて、どうしてなかなか頼れる魔族である。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「さてご報告の前に」
エルネストが切り出した。
ここは、皇城の中の一室。この場にいるのはハルトとマグノリア、皇帝、セドリックとエルネストの五人のみ。アデリーンの姿は開会式のときから既に見えないが、どこで何をしているのかといえば部屋で惰眠を貪っているのだろうとマグノリアは予想しているし、ラーシュ=エーリクと花火デートを楽しんでいたのだろうとハルトは思い込んでいる。
「貴方がこの国の皇帝、でよろしいですね?」
エルネストが視線を向けたのは、ヴァシリュー皇帝だった。茫洋としながらも不穏な気配を感じさせる双眸に見据えられ、さしもの皇帝も表情を強張らせた。
「いかにも、私がグラン=ヴェル帝国皇帝、カール=ヨアン=ヴァシリューにございます。してそちらは、魔界よりの使者殿とお見受けいたしますが…」
流石は皇帝、既にエルネストの正体を看破してる…って状況的にそうとしか考えられないとも言える。
「はい。畏れ多くも魔王陛下の系譜の一端に名を連ねております、エルネスト=マウレと申します」
実態は魔王の便利屋なのだが、自己紹介くらいは少しばかり見栄を張りたいエルネストだったりする。
魔王の系譜、という単語を皇帝がどれだけ正確に理解しているかは不明だ。しかし少なくとも自らが神と仰ぐ存在に連なる者として、則ち極めて高位の存在だとエルネストを認識したようだ。
「おお、御遣い殿!我が帝国にお越しいただいたこと、まことに…」
「あ、そういう面倒な感じなのは結構ですので」
しかし皇帝がまたもや大仰な魔王礼賛を始めようとしたところで、エルネストは素気なくそれを制した。皇帝のこれにはマグノリアも少々辟易としていたので、エルネストの判断に心の中で密かに拍手を送る。
「貴方は、今ここにいるべきではないでしょう?」
「御遣い殿、それは……」
エルネストは皇帝に告げた。口調こそは柔らかだが、声色はどこか冷ややかだ。
「このような大掛かりな祭祀での先のトラブル。主催者として、そして君主として、貴方がやるべきことはここではない場所に沢山転がっているはずですが」
「……………!」
エルネストの辛辣な指摘に、皇帝は反論できない。
それもそうだ。
帝国最大の祭、その中でも最大の催しの真っ最中に突如飛来した炎の鳥。状況的には、調印式の魔獣襲撃と非常に似通っている。
そこには必ず何者かの思惑が存在しているはずで、そして騒ぎが起こったのが開会式会場だけとは限らない。祭の会場は帝都中に広がっており、どこで何が起こっていてもおかしくはないのだ。
犯人を捜すのも、これ以上の混乱や被害を防ぐのも、皇帝の責任である。
なればこそ、彼はすぐにでも高官たちを招集し善後策を検討・実行しなくてはならない。
エルネストの判断には、マグノリアも全面的に賛成だった。
ハルトの傍にいたいという彼の信心も分からなくはないが、ここで皇帝に仲間面をされて輪の中に入ってきてもらうのは困る。
皇帝は、ハルトの敵にはなり得ない…だろう。しかし、だからといってマグノリアは彼を信用しているわけではないし、アデリーンやセドリックと同じように自分たちの仲間として受け入れることもない。
…というのは、マグノリアの実に私的な感情であって。
エルネストが皇帝をここから追い出したいと思っているのには、また別の理由があるようだ。
「勘違いなさっては困りますが、貴方は魔王陛下の一信徒に過ぎません。そして我が主ならば、ここから先を聞かせるに値する相手を慎重に見定めよと私に命じられることでしょう」
遠回しに、ここから先をお前に聞かせるつもりはないとエルネストは皇帝に告げる。聞く資格が、彼にはないのだ…と。
「………承知いたしました。我が神の思し召しであるならば、私はそれに従います。ハルト殿下、御遣い殿、我が帝国の力が必要な折はどうかお申しつけください」
苦渋と傷心が表情に出ないよう必死に押し隠して、皇帝は絞り出すように言った。
そして深々と一礼すると、部屋を出ていく。
「…なんか、少し可哀そうな気もするけどよ……」
セドリックが同情的にポツリと洩らした。
皇帝からしてみれば、ハルトもエルネストも心酔する魔王の縁者であり崇敬の対象。その面子から自分だけ仲間外れにされてしまったのだから、傷つきもするだろう。マグノリアやセドリックはここに残ってエルネストの話を聞くことを許されているのだから、なおさらだ。
「仕方ありません。陛下にとってあの方はそれほど重要な存在でもありませんし」
なおも冷たいエルネスト。しかしその言い方だと、マグノリアとセドリックは魔王にとって重要な存在だとも受け取れる。
セドリックはそのことに薄ら寒さを感じたし、マグノリアはちょっぴり喜ばしさを感じたのだった。
「それに、ここから先をお聞かせするとなると、彼やこの国まで思いっきり巻き込んでしまいかねませんしねぇ…」
続くエルネストの不吉な言葉と笑みには、二人揃って青くなる。
「え…何、なんかヤバい事態が起こってるとか?」
「おいおいおいおいマジかよそれって寧ろ俺様たちだけで対応できんのか?」
ハルトとパーティーを組んでからこっち、すっかり巻き込まれのエキスパートみたいになっている二人であるからして、察するのも早い。
察しの良い二人に何だか満足げな表情を浮かべると、エルネストはそのとおり、と大きく頷いた。
「ええ。何しろ、一歩間違えれば魔界と天界とで一悶着起こるかもしれない事態ですから、ね」
どこか面白がっているような態度のエルネストだったが、彼の口から飛び出してきたのはとんでもない厄介事のお知らせだった。
皇帝さん、エルネストと初対面じゃないんですけどね。あのときはエルニャストでしたからね。
あと、まるで魔王の指示で皇帝さんを仲間外れにしてるみたいなこと言ってるエルネストですが、別にそういう命令が下ってるわけじゃありません。多分、魔王だったらあんまり深く考えずに皇帝にも話を聞かせちゃうんじゃないかな、と思います。あの人けっこう浅慮だし、自覚ないけど。




