第二百三十四話 決意の中には諦めが少なからず含まれていると思う。
なんだか、ヴォーノにいいように振り回されているような気がしてならない。
それが、レオニールの正直な感想である。
魔族の、しかも王太子の直属騎士というエリートである自分が、魔王の知己だかなんだか知らないがたかが廉族のチョビ髭オヤジ一人に振り回されるなど、本来であればあってはならないこと。認めてはならないこと。
しかし、どう考えてもそうとしか思えない。
公民館での奥様方とのお茶会を何度か経た後、彼女らの勧めで慈善活動にまで参加させられたのもヴォーノが何やら意味深なことを抜かすからだったし、そうして気付けば「帝国の開かれた政治と国民の明るい未来」を目指しているという市民団体を紹介され、そしてまた気付けばいつの間にかその名簿に名を連ねてしまっていたのも、やはりヴォーノが企んでいそうだったからである。
企む…という表現は聞こえが悪いが、しかしハルトの利だの害だのを仄めかされれば、レオニールとしては無視することは出来ない。レオニールが無視することは出来ない、とヴォーノが分かってやっているのだとしたら、やっぱり何かを企んでいるとしか思えない。
そして彼は現在、市民団体「ヴァシリーサ民権委員会」の一員なのである。ヴォーノ曰く「ハルトの立場と存在を否定する」団体に入り込んで、入り込んで………
……何をすればいいのだろう。
レオニールは、馬鹿ではない。ハルトに関してのみは若干ポンコツな部分を見せたりはするが、彼は若くして魔界の王太子付きの護衛騎士に任じられたエリートなのだ。勿論、腕っぷしだけでなく頭の中身もエリートなのだ。
したがって、ヴォーノが自分に何をさせたがっているのかは想像がつく。魔王信仰を否定する団体へ潜入し情報を探るなり陰ながらハルトを助けるなりしろ、と言いたいのだろう。
…が、何の前情報も前準備もなしに放り込まれては、何をどう動けばいいのかさっぱりだ。騎士と間諜は全くの別物なのである。
ここで得られた情報をヴォーノを通じてハルトに伝えることが出来れば、「ヴァシリーサ民権委員会」の良からぬ企みを事前に防ぐことも出来よう。
だが……肝心のヴォーノの姿が見当たらない。レオニールを「ヴァシリーサ民権委員会(以下VCRC)」に放り込んだあと、全く顔を見せなくなってしまったのだ。
基本的に、VCRCのメンバーは共同生活を送っている。別に自宅から通っても構わないし外出が禁止されているわけでもなく(表向きには普通の市民団体なのだ)、しかしその自由さが逆に不気味だ。どこで監視の目が光っているか分かったものではない。
…たとえば。
「どうしたの、レオ?難しい顔してるけど、何か悩み事かい?」
気安げに話しかけてきた、ラス=クーリェ。
レオニールはこういう性格の持ち主なので余程のことがなければ他人と打ち解けようとしないし、実際VCRCでもメンバーたちと慣れ合うことはなかった。
ほとんどのメンバーがレオニールのことを取っつきにくい奴扱いしている中で(それでも受け入れられたのはヴォーノの紹介だからである。ほんとにあのチョビ髭の影響力は半端ない)、ただ一人ラスだけはレオニールの仏頂面と不愛想にめげずに纏わりついてきた。
人懐こい笑顔と物腰。相手に警戒を抱かせない自然な振舞い。彼に微笑まれて嫌な気分になる者などそういないだろう。
だからこそ、レオニールは彼が自分を気に掛けていることに不自然さを感じていた。
ラスは、共同生活を送っていない。なんでも、帝国の下級貴族の出身らしく、家には秘密でVCRCに加入しているとのこと。
なので、本部事務所(と彼らが呼んでいる本拠地)にラスが顔を見せることは少ない。
しかし顔を見せたときは必ず、レオニールのところに来て時間の許す限り周りをウロチョロしている。
傍目にはラスがレオニールに懐いているように見えるが、レオニールはそうは思っていない。
時折、値踏みをするような視線を背中に感じることがある。
「ねぇ、次のイベントにレオは参加する?」
「……イベント?」
VCRCでは、様々な活動の中でも特に重要なものを「イベント」と称している。則ち、近いうちに何らかの動きを見せるということだ。
「そう。ほら、もうすぐ冬の感謝祭だろ?」
「…………うむ」
だろ?と言われても帝国の行事には疎いレオニール、生返事しか出来ない。が、ラスはそんなレオニールの不自然さはスルーした。
「ボクたちも多分出し物することになるだろうから、近いうちに有志を募ると思うよ」
「……出し物、か」
イベントの出し物と言えば、出店を開いたり舞台で演劇やら演奏やらを披露したり、が一般的である。が、このキナ臭いVCRCがそんな平和的に祭りを楽しむとは思えなかった。
「まだレオは一度も参加したことないだろ?これもいい経験だと思ってさ、やってみたら?」
ラスの誘いの裏には何か思惑があるのだろうか、ないのだろうか。にこやかな笑みからは何も窺い知れないが、その無邪気な表情と言葉を額面通りに受け取るのは危険だとレオニールは直感した。
「……そうだな、それもいいかもしれん」
「でしょ?ボクも参加するつもりだから、一緒に頑張ろうね!」
直感しながらも、レオニールは敢えてそれに乗った。
警戒するだけでは状況は変わらない。自分で望んだことではないとは言え彼が主君の障害になりうる組織の内部にいることには変わりなく、それならばその状況を最大限に利用するしかない。
ラスが差し出してきた手を見て一瞬首を傾げ、それから握手を求められていることを察し一瞬戸惑い、しかしそれを押し隠して握り返した。
ヴォーノの企みも、ラスの狙いも分からないまま。
しかし、レオニールの主君への忠誠の前では、たかが廉族の思惑など何の障害にもならなかった。




