第二百二十三話 勝手なお願いを持ちかける人に限って、それが承諾してもらえると信じ込んでたりする。
「夜分に、しかもこのような形での訪問をお許しください、公子」
それはハルトとほとんど年の変わらないように見える少年だったが、口振りも態度も随分と大人びていた。
「私の名は、テオ=アルトゥリオと申します。以後、お見知りおきを」
「あ……うん、はい、どうも…よろしく」
慇懃に腰を折る少年…テオに対しどういう態度を取ればいいのか判断に悩むハルトである。
格好は怪しさ満点だが敵意はないし礼儀正しいし…きちんと名乗る刺客なんて聞いたことがない…、確かに訪問方法としては少々型破りかもしれないが、そこにも何か理由があったりするのだろう。
「え…っと、とりあえず座ったら?」
テオの様子がなんだか大真面目なものだから、何か重要な話でもあるのかもしれない。そう考えてハルトは、長椅子のところへ彼を案内した。
もてなされた経験はいくらでもあるがもてなした経験はまるでないハルトなので、こういうときってお茶とか出した方がいいのかなでもお茶って何処にあってどうやって淹れればいいんだろうこんな時間に人を呼ぶのも悪いしなー…などなど悩んでいたのだが、その間テオ少年が座らずにずーっと立ちっぱなしでいることに気付いた。
「どうしたの?何かボクに話があるんでしょ、立ちっぱなしもなんだしさ」
「いえ、そのような無礼を働くわけにはいきません、どうかお気遣いなきよう」
「……………はぁ」
慇懃だが無表情でハルトの招きを拒むテオに、付き合いづらさを感じる。敵意はないが、さりとて仲良しこよしのお友達になりに来た…というわけでもなさそう。
「えっと、それで………ボクに何の用なのかな?」
「剣帝のご子息であられる公子にお願いがあって参りました」
「…………うん」
剣帝の息子、というフレーズにハルトが抱くのは、戸惑いと気後れ。周囲からはそう認識されてはいるが、剣帝とは則ち魔王のことで、彼は魔王の息子として誰かに頼られるような力も実績も権限も未だ有していない。
相手は、それを知っているのだろうか。ハルトには何の力もないことを知れば、失望して去っていくのではないか。
つくづく、自分にはそれ以外の価値はないのだろうかとつい沈んでしまいそうになる。
「此度の、帝国との国交に関して、どうか思いとどまってはいただけないでしょうか」
「…………へ?」
理由も無しに唐突に言われ、ハルトは思わずポカーン。
だってそれは、ハルトに言ってどうにかなるものでもないのだから。
「えっと…あのね、国交のことは別にボクが決めたことじゃないよ?ただ使節の一員として参加してるだけで、決めたのは教皇さんとサイーアの公王さんだし、ボクが何か言ったところで何も変わらないと思うけど…」
「しかし公子は、聖戦の英雄のご子息でらっしゃいますよね」
「…………そうだけど」
繰り返すテオに、ハルトは僅かに苛立ってしまった。声にその影響が現れて、テオは身を縮こませる。
「こ、公子は……帝国が魔王崇拝者たちに牛耳られていることもご存じでしょう?そんな連中と手を結ぶことを、英雄の血族として容認していいのですか?」
「……………………」
もう、何を言ったらいいのか分からない。
そもそも、何故テオがこんなことを言いに夜中に自分を訪ねてきたのかも分からないし、その目的も不明だ。
「……で、君はわざわざそんなことを言うためにここに来たの?多分だけど、許可は取ってないんだよね」
許可を得ているのであれば、こんな風に忍び込むことなどなかろう。テオの行為は、確実に不法侵入者のそれだ。
「ご無礼は承知の上です。しかし、このような形でなければ公子にお会いすることは出来ないと思いまして…」
「ねぇちょっと待って。まずは、一からきちんと説明して?君が何者で、どうして国交に反対するのか。どうしてボクにそれを頼もうというのか」
人に物を頼むときはきちんと説明するのが道理だろう。少なくとも、こんな一方的に押しかけて一方的に要望だけを伝えるなんて、ハルトが魔王子でなくても失礼だと思う所業だ。
ハルトに言われ、テオ少年も自分の不作法に気付いたようだ。しっかりしているように見えて、そういうところは子供らしい。
「し…失礼致しました。私は、とある市民団体に所属しているのですが…」
「市民団体?」
ハルトにとって、初めて聞く単語が出てきた。
市民は分かる。団体も、分かる。が、それがくっつくとどうなるのか?
そのまま言葉のとおり、市民の団体…市民の集まりということか。だがそもそも、市民というのはそれ自体が集合名詞な気もするのだが…
「はい。私たちは、帝国を魔王崇拝から救うために活動している団体です」
「…………………あぁ」
言われてハルトは、思い出した。皇帝が憤っていたこと…帝国にも、魔王を崇拝しない民がいる、と。
もしかしたら、それがテオの言う「市民団体」とやら、なのだろうか。
「公子ならば、お分かりいただけますよね?御神によって作られたこの世界で魔王を崇拝するという罪がどれほど重いものか」
「…………………………あ、うん……?」
「この世の生きとし生ける者は須らく、御神の子です。それなのにこの国の中枢も、多くの民も、その事実に目を背け皇家の妄言に踊らされている……!」
そうは言うものの、テオの目は魔王を礼賛する皇帝とも似通った光を帯びていた。敬虔そうで貪欲にも見える、色の濃い光。
「国交を結んだから、戦争が起こらないから、それでいいという問題ではありません。魔王を崇拝するというその行為自体が、世界に対する反逆なのです…そうでしょう!?」
「………………………うん、まぁ……どうなんだろう?」
実のところテオの主張は地上界での多数意見だったりするのだが、ハルトとしてはやはり、全面的に同意、とは言い難かった。
魔王に対する思い入れが然程ではないために腹も立たないが、かと言ってここまで言われると自分までも否定されているようで少しばかり傷付かないわけでもなく。
「…同じことを、聖教会にも上申致しました。決して帝国皇家の甘言に惑わされるべきではないと。悪しき者共と歩調を合わせることは、同じ罪を犯すことに他ならないと」
テオは、ハルトの微妙そうな表情には気付かないまま続ける。
「しかし、残念ながら教皇聖下は我らの意見を汲んでは下さいませんでした。御神信仰の要たる聖教会ですらそうなのですから、国益第一のサイーア公国にも期待は出来ません」
「だから、ボクのところに?」
教皇と公王が駄目だから自分のところに、というのは少々買い被りすぎではなかろうか。
ハルトは自分の立場や権力に無自覚なのでそう思う。そして実際、魔王子としての権力を最大限に行使すれば国交樹立を阻止することは容易いと思われるが、公爵家の嫡男ふぜいには少しばかり荷が重い。
「サクラーヴァ公爵家は、ルーディア聖教会の…教皇聖下の懐刀として重用されていると聞き及びました。その次期当主である公子のお言葉であれば、聖下も耳を傾けて下さるのではないでしょうか」
「……ボクに、教皇さんに口利きをしろって?」
方向性は、間違ってはいない…と思う。が、いくら教皇がハルトに甘くてもそこまで聞き入れてはくれないだろう。問題は聖教会と帝国だけに収まるものではないのだ。
教皇グリード=ハイデマンは、それが必要だと判断すれば如何なる無茶も押し通す。だが彼が国交樹立反対を必要だと考える理由は何一つなく、それどころか国交が必要だと考えたからこそサイーア公国に賛同し調印式に使者を派遣したのだ。今さらハルトに、ハルト自身ですら必要だと思わないようなことをお願いされたからと言って、それを覆すことは絶対にあり得ない。教皇と付き合いの浅いハルトでさえ、そう思う。
「どうか、教皇聖下を説得してはいただけないでしょうか。魔王に忠誠を誓う者たちと慣れ合うなど、御神への背信だと、他ならぬ英雄のご子息から伝えていただければ…」
「ゴメン多分それ無駄だから」
「……………!」
素気無いハルトの返事に、ショックを受けたのか顔を強張らせるテオ少年。そこに、徐々にだが憤りも混ざり始めた。
「公子……貴方は、剣帝閣下のご子息なのでしょう?我が身を犠牲に世界を救った誇り高き英雄の跡を継ぐ貴方が、まさかこのまま魔王崇拝者たちの思うようにさせていいとでも思って」
「父は父、ボクはボクだ。なんでボクが、父の功績を気にして自分の行動を決めなきゃいけないわけ?それに言っておくけど、ボクは帝国とも仲良くしたいと思ってる。ここの皇帝さんも悪い人じゃないよ」
「………公子、それは本気で仰ってるのですか!?」
いよいよもって憤りを隠そうともせず、テオはハルトを睨み付けた。
彼は、ハルトが英雄の息子だから、殉教の徒である剣帝の息子だから、強い信仰心を持っていると思っている。そんなハルトなら自分たちの考えに賛同してくれるに違いないと。魔王崇拝の帝国を拒絶してくれるに違いないと。
しかし、想像とは違うハルトの反応に、彼が抱いたのは怒り。
その形相は、まるで彼らの敵は帝国ではなくてハルトだと思えるほどに険しかった。
そしてハルトもまた、唐突に訊ねてきて自分のルーツを全否定するテオに対し、分かり合おうという気持ちは持てそうになかった。




