第二百十五話 魔王陛下は休憩中。
「ほーら、ヒルダ。プリンだぞー。お前の大好きな、ふわとろプリンだぞぉ」
「……………」
「こ…今回は特別に、ベリーソースのミルクプリンもあるんだぞー」
「……………」
この世界には、魔王が存在する。
世界の基盤となる理を構築した創世神と同一にして同格にして対極にある、原初の意思。神格を抱く者。
他を圧倒する存在値。無尽蔵の神力。理に干渉し因果さえ支配する絶対の君臨者。頂に座す孤高の王。
それが、魔王。名を、ヴェルギリウス=イーディアという。
そして、現在自分の膝に乗せた少女に全力で媚を売っている、しょーもない男である。
ここは、ルーディア聖教会総本山ルシア・デ・アルシェの、教皇の執務室(仮設)。何故(仮設)かというと、つい先日謎の爆発により教皇の本当の執務室が消失してしまったからだ。
それは、大事件である。世界宗教の頂点である教皇の執務室が爆発炎上…だなどと、本来はあってはならないこと。それが事故にせよ事件にせよ、看過していいことではない。
…のだが、何故か教皇はそれについて一切の調査を禁じた。箝口令を敷いて、不問とした。
その理由を知る者はおらず、側近である高位神官たちは何か教皇のみが知る重大な秘密があるのかと、もしくは教皇の深遠な考えの下での決定かと噂した。
とてもじゃないが馬鹿馬鹿し過ぎて真実を公表することなんて出来ない、という教皇の本音は、彼の胸一つに秘められることとなった。
「あとほら、これ!生チョコ作ってみたんだぞ!中にオレンジピールが入っててな、ほら、ヒルダも立派な大人のレディだから大人の味なんてどうかなーって…」
「……………」
「え…っと、でもあれだよな、大人だって甘いもの好きでもいいもんな!こっちはキャラメルが中に入ってて、甘くってトロトロ―って」
「……………ん」
次から次へと繰り出される魔王の甘味攻勢に、ようやくヒルダは態度を軟化させた…と言っても一声「ん」と漏らしただけだが。
それでももともと無口なヒルダの「ん」は、魔王にとって九死に一生を得た証であった。
「……で、リュート。君はなんでまた、私のところでサボタージュ決め込んでいるのかね」
いい加減ウンザリしつつ、教皇グリード=ハイデマンがぼやいた。
「君が今やっていることは、まぁ、大変なんだろう。私では想像も出来ないくらいにね。けど、休息を取るなら取るで、魔界で休めばいいじゃないか。君には自分の城があるんだし」
魔王は現在、綻び始めた理の修復作業に勤しんでいる。それは放置すれば世界の崩壊に繋がる大事で、それを為すことが出来るのは魔王唯一人。
想像も出来ない、と言ったグリードではあるが、妹を愛でる魔王の顔にやや憔悴の影が見え隠れしていることから、それが魔王ですら一筋縄ではいかない難行なのだということくらいは想像出来た。
…ので、あまり冷たく突っぱねる気にもなれない。
そもそも、ここで魔王に頑張ってもらわなければ地上界どころか、世界が終わりなのだ。ならばこそ、多少の息抜きくらいは構わないと思うし、場所を提供することに異論はない。
が、何事にも限度というものがあるのだ。
グリードは、彼がリュートと呼ぶこの魔王が自身に甘く流されやすい性格をしていることを知っている。見たくないものから目を逸らしがちだと知っている。
甘やかすのもほどほどにしておかなければ、際限なく甘えてしまうタイプの魔王なのだ、彼は。
「えー、もうちょっと」
「もうちょっともうちょっとって、それ何回目だい?」
「かま〇らさんもいかんわー…ってそれ「まーいっぽん」だっけ」
「………………?」
時折、意味不明なことを言う魔王でもある。
魔王は、自分の膝の上でプリンを食べ始めたヒルダを愛おしそうに撫でると、チラリ、と横を見る。
そこには、膝の上こそヒルダに譲ったが魔王にピッタリくっつくようにして座っているクウちゃんが。
ヒルダにジロリと睨まれて、魔王は慌てて視線を戻した。
グリード、本日五度目の特大の溜息。
やることさえやっていてくれれば休むのもサボるのも構わないが(彼がとやかく言うことではないのだがとやかく言うのが彼くらいしかいない)、その度に執務室を壊されては彼が困るのだ。
ヒルダはこれでご機嫌取りに成功したが、爆弾はまだ二つ残っているのだから。
「全く……息子は頑張っているっていうのに、父親の君がそんなんじゃ示しが付かないんじゃないか?」
「べーつにぃ。示す必要なんてないもーん」
「…………(イラッ)」
最近、魔王の我儘が酷い気がする。もともと子供じみた我儘を通すタイプではあったが、手探りながら自分の在り方について考え始めたハルトと比べると、もうどちらが息子なんだか。
「そんなんじゃ、そのうちハルトに追い越されてしまうよ?」
「………………んー…それはまぁ、無理だろうなー。もし仮にそんなことがあったら、それはそれで願ったり叶ったりなんだけど…………ん?」
不意に、ダラけていた魔王が何かに反応するように言葉を止めた。それと同時に、クウちゃんもピクリ、と僅かに肩を震わせる。
「…どうしたのかね?」
「……んー、これは………」
虚空を見つめて呟く魔王だが、表情にそれほど緊迫が感じられないことからそこまでの緊急事態が起こっているわけではないのだろう。
クウちゃんも反応したことから、ハルトに何かあったのかとグリードは危惧したのだが…
「あーあーあ。無茶しちゃってあいつ。もう、向こう見ずなところは誰に似たんだか」
魔王は、心配していると言うよりはどこか面白がっているような様子だ。クウちゃんはやや不安そうに魔王の裾を握りしめている。
「あいつ…というのはハルトかい?彼に何かあったんじゃないだろうね」
「うんまぁ、あいつに何かがあったってよりは、あいつがやらかしてる方、な。ま、お手並み拝見といこうじゃないか」
そう言って笑う魔王は、久々に魔王らしい傲慢さをその笑みに交えていた。
ハルトがしっかりしていくのと反比例してお子様っぽくなっていく魔王です。もともと子供じみてるけど。




