第二百十二話 他力本願もほどほどに。
皇帝からの注意事項…抵抗勢力の連中が何か企んでるかもしれないから気を付けろ…を聞き終えて、そろそろ宿舎へ戻ろうか、のその前に。
ハルトは、グリード教皇から一つ頼まれていたことを思い出した。
「あ、そうそう。これ、教皇さんから皇帝さんへ渡してくれって頼まれたんですけど」
「……拝見致します」
ハルトが懐から取り出したのは、一通の封筒。勿論、封筒がピンで存在していてもただの薄っぺらい紙袋に過ぎないので、ちゃんと中身の便箋も入っている。
皇帝はそれを恭しく受け取ると…教皇からの封書だから恭しいのではない、ハルトから手渡されたからだ…、封蝋を切って中を取り出し、それに目を落とした。
「なんだ、いつの間にあんなの預かってたんだ?中身は何だよ」
「さあ、ボクは知りませんけど」
などなど、マグノリアとハルトがぼそぼそやっている間に皇帝はそれを読み終えて、折り目に沿って再び丁寧に便箋を畳み、元の封筒へと戻した。
そして顔を上げたときの彼は、それはもう爽やかで晴れやかな笑顔だった。あまりに爽やかで晴れやかなものだから、寧ろ不気味なくらいに。
「……ところで殿下。殿下はこの度、魔王陛下の後継者という立場で、魔界を代表して帝国へとお出でになったのでしょうか?」
事前に使節団員の名簿を提出しているのだから、ハルトの肩書が「サクラーヴァ公爵家当主代理」となっていることは皇帝だって知っているはずである。それなのに、何故わざわざそんな質問をするのだろう。
「え、いえ、魔界は関係ないですよ。て言うか、魔界は国交のことには関わってないですし…」
「そうですよね、今の殿下は、サクラーヴァ公爵家次期当主殿としてここにいらっしゃる。ですよね、ね?」
「えっと……まぁ、はい……そうです、けど」
皇帝の笑みがいっそう深くなる。
「ええ、そうですよね、そうですとも。仮にも魔界の王太子ともあろう御方が、まさかご自分と相反する聖教会ふぜいにまるで傀儡のように利用されるなどと、決してあってはならないことですからね、ね?」
「えっと……まぁ、はい……そうです、よね」
有無を言わさぬ謎の迫力に気圧されて、ハルトは思わずコクコクと頷く。皇帝はますます満足げに微笑んだ。
「そう仰っていただけて安堵しております。もし仮に、万が一にでも、殿下が聖教会の使い走りのような真似をさせられているのであれば、私としても黙ってはいられませんし、お父君がそれをお知りになればそれは深く嘆かれることでしょう」
かつて魔王が当時の枢機卿に掌で転がされていいように利用されて使いっ走りにされていたなどと夢にも思わない皇帝である。
「あのー……?」
「ですので、これはなかったことにさせていただきます」
言うなり、皇帝はその封筒を破り捨てた。驚く二人の目の前で、それに火を付けて完全に灰にしてしまった。
「あの、皇帝さん?」
「分かりました。教皇にはこちらの方で説明しておきます」
せっかく渡した手紙を燃やされてしまったハルトは戸惑うが、マグノリアは先ほどからの皇帝の言葉と行動で、全てを察した。
「師匠、説明ってどういうことですか?」
「あー………………いや、まぁ、お前は気にしなくていい」
一瞬、ハルトに説明しようかと思ったがやめた。説明しても理解出来るか分からなかったし、理解出来たら出来たでいじけるかもしれないと思ったからだ。
それにしても、このカール=ヨアンという皇帝、ひたすらハルトと魔王に心酔しているだけの男かと思ったらどうしてなかなか、強かな面を持っている。
彼は確かに魔王を崇拝し魔王に忠誠を誓い魔王の命令であれば従うのだろう。それは、次期魔王であるハルトに対しても同じ。
教皇はそれを見越して、ハルトに書状を渡したのだ。中身は見ていないがおそらく…否、間違いなく今回の国交樹立にあたって交わされる各種取り決めにおいて、最大限の妥協と便宜を求めるもの。
皇帝がハルトに心酔し頭が上がらないことを分かっていて、そのハルトを通して依頼することにより自分の要求を通そうという腹だったのだ。
しかしながら、皇帝もそれを理解した上でその手には乗らなかった。
今のハルトは魔界の王太子としてではなくあくまでも「ロゼ・マリスの貴族嫡男」であり、その彼を利用したところで帝国が妥協することはない、と突っぱねたのだ。
魔王子の頼みであれば、いくらでも聞き入れただろう。しかし、魔王子の威を借りた聖教会の無茶に応じるつもりはない、ということだ。
まぁ…あの教皇のことだから皇帝がこう出ることも想定の内に違いない。ダメ元での提案か、或いは初手の軽いジャブ程度のつもりか。
怖いオッサンの間に挟まれるのは絶対に御免なマグノリアは、帰ったらこういうことにハルトを使うな、と教皇に念を押そうと決めた。
「それでは、お話が終わったのでしたら失礼させていただいてよろしいでしょうか、陛下?」
そろそろハルトがボトルをまるっと一本空けそうな勢いなことに気付き、マグノリアは立ち上がった。ハルトも師匠に倣って慌てて立ち上が…ろうとしたところで、ふと動きを止めた。
「……?おいハルト、お前飲みすぎだぞ。少しは遠慮ってものを知りやがれ」
「え、まだそんな飲んでませんよ?ってそんなことより皇帝さん、さっき宴の時に、弟さんに会ったんですけど」
ハルトがその名を出した瞬間、皇帝は物凄く微妙そうな表情になった。親愛とも違う、憎悪や嫌悪とも違う、憐憫でもなく警戒とも違う……或いはその全てが混ざっているかもしれない、何とも言えない表情。
「ラーシュ=エーリクですか……何か殿下に失礼なことを致したりは…」
「いえ、ボクが退屈してたところに話し相手になってくれたんですよ。良い人ですね」
それは、ハルトの率直な感想だったのだが。
「そう……ですか…いえ、あれも外面だけは良いものですから」
だけを強調する皇帝は、何かを言いたげだ。
「それで…あの者が、何か……?」
もしや自分を差し置いて魔王子殿下に取り入ろうとしているのではなかろうな、とでも考えているのだろうか、皇帝の微妙な表情が警戒寄りに傾いた。
「あの、皇帝さんと派閥争いしてる貴族派の中心が皇弟だって聞いたんですけど、それってラーシュのこと…なんですよね?」
十年前の武装蜂起により先帝を弑し玉座についた革命者である皇帝と彼の下に集った皇帝派。
先帝時代に権力を握りそれが失われた今も虎視眈々と返り咲きを狙う貴族派。
年齢からすると、ラーシュが貴族派たちを取りまとめて組織した、という線は薄い。となると彼は、皇帝に対抗するための神輿として貴族派に担ぎ上げられたのだと考えられる。
「左様にございます。ラーシュの母方の一族が貴族派の重鎮で、幼くして両親を亡くした彼の後見人も務めておりますゆえ、貴族派はラーシュが玉座に就くことを願っているのでしょう」
「でも、ラーシュは皇帝さんと仲良くしたいみたいでしたよ?」
ラーシュの寂しげな顔を思い出すハルト。あれは演技には見えなかった。貴族派の中心に据えられている皇弟と皇帝が手を取り合えば、皇帝派と貴族派の諍いなんてなくなるんじゃないか、と思う。
それは骨肉の争いとは無縁だったハルトの短絡的かつ安直な考えなのだが、現実はそう簡単ではない。
「仲良く…でございますか。しかしながら殿下、我らの間での「仲良く」というのは、通常の意味合いとは少々趣を違えるものでして」
「うーん…そんなものですか」
ハルトは首を傾げる。どうしてこう、偉い人というのは家族と仲違いしたがるのか。
現在進行形で父親とギクシャクしている自分を差し置いて、ハルトはお節介気味に二人を心配してしまう。
「ちゃんとラーシュと話してみましたか?ラーシュが皇帝さんのことどう思ってるのか、とか」
「話し合いで解決できることであれば、そうしておりました。が、個人間の感情だけではどうしようもないこともございます」
しかし皇帝は、このことに関して魔王子の力を借りようとは思っていないようだ。それよりも寧ろ、あまり触れられたくない様子。
強張った声と無表情、逸らしがちな視線でそれを遠回しに告げる皇帝だが、そしてマグノリアはその意図に気付いたのだが、当然のことながらハルトが気付くことはない。気付くはずがない。
「もしかして、皇帝さんはラーシュのこと嫌いなんですか?」
「…………………」
即答しない皇帝。そこから、単純に好き嫌いで語れないものがあるのだとマグノリアは察した。が、少なくとも好意を持ってはいないだろう。
そもそも、個人間の感情の問題ではないとはっきり言っているに拘わらず、好きだの嫌いだのの話に集約させようとするのは無意味なことだと、ハルトは分かっているのだろうか……分かっていないのだろう、これも、また。
「えっと…ボクの友人に、ティザーレの貴族の子がいるんですけど」
ハルトの言葉にマグノリアは、ああそういうことか…と合点する。
彼は現在の皇帝と皇弟を、シャロン=フューバーとその父親に重ねているに違いない。
「その子、お父さんと上手くいってなくて、お父さんが自分の命を狙ってるんだって、勘違いしてたんです」
シャロン=フューバー。ティザーレ王国はアンテスル地方の領主補佐の父を持つ、伯爵家令嬢。
継母と異母弟に気後れし、思春期の娘との距離を掴みかねていた父親と上手く意思疎通が出来ず、孤独に沈んでいた少女。
「でもそれは本当に彼女の勘違いで、その子のお父さんは彼女のことを心配してて、守ろうとしてただけなんです。でもすれ違いで、彼女はお父さんに嫌われてるって思い込んでて…」
あの件には、アンテスル領主の企みも働いていた。あの男、アンテスル(元)領主トール=エヴァンズ(元)侯爵は、シャロンの淋しさにつけこみ彼女に取り入ろうとした。彼女をさらなる孤独へ追い込み、自分に対する絶対的な信頼を彼女が抱くように、わざと父親と疎遠になるように誘導した。
それもこれも全て、シャロンを利用…ないしは排除するため。
考えてみればそれはこの帝国の人造魔獣計画に端を発したことではあったのだが、別にハルトは遠回しに皇帝を責めているつもりはない。皇帝にしても、ハルトが誰のことを言っているのかまでは分かっていないだろう。
ハルトが言いたいのは、
「ちゃんと話し合えば、不幸な結末って避けられることが多いんだと思います。それに、そういうことに付け入ろうとする悪い奴だっているかもしれないし」
…という、自分のことは完全に棚上げした助言だった。
「……殿下は、貴族派の者たちが私とラーシュを利用している、とそう仰られるのでしょうか」
よく知りもしないのにズケズケと他人の家庭事情に土足で踏み込もうとするハルトだが、皇帝は不躾さに腹を立てたり気分を害したりする様子はない。ただ、この件に関しては放っておいてもらいたいオーラをばしばし放出している。
「よくは分かりませんけど、けどラーシュと仲直りすれば貴族派との関係だって…」
「ほい、ハルトちょいストップ」
それなのにしつこく食い下がろうとするハルトをマグノリアは窘めた。
「お前さ、別に帝国のお家事情を解決するために来たんじゃないだろ」
皇帝派と貴族派の争いは、あくまでも帝国内部の揉め事だ。他国が介入するべきではないし、個人的な興味本位で首を突っ込んで許されるものでもない。
…尤も、あの老獪な教皇であれば介入することで帝国を傀儡状態へ…とか考えていてもおかしくないが、少なくともハルトやマグノリアにその役割は求めていないし(求められても困る…)、やるならやるで他のルートを使うだろう。
「でも……」
「お前だって、父親のこととか何も知らない赤の他人にとやかく言われて平気か?」
「……………………イヤです」
「だろ?頼まれてもいないんだから、お前はお前の目的のことだけを考えておけばいい」
そもそも、自分の目的以外に目を向けられるほど器用な弟子ではない。中途半端に首を突っ込んで中途半端に状況を引っ掻きまわして事態を悪化させるのは目に見えている。
「……はい。ごめんなさい、余計なことを言いました」
ハルトは素直に皇帝に頭を下げた。自分が悪いと分かればすぐにそれを認めて素直に謝れるのが、このバカ弟子の(数少ない)美点である。
謝罪された皇帝は、慌てに慌てた。
「そんな、私めのような者に御身が頭を下げてはなりません、どうか顔をお上げください!」
そこまで慌てる必要はないのでは、と思うマグノリアだが、考えてみれば自分たちが神と仰ぐ存在の息子に頭を下げられたらそりゃ居心地も悪いわな…と思い直した。
これまた素直に頭を上げたハルト(彼はこういうことで意地を張ったりはしない)に心底安堵した様子で、皇帝は話題の転換を図った。
「そう言えば…さきほど目的と仰せられましたが、ハルト殿下は何かご用事がおありで帝国へとお越しになられたのでしょうか」
間違いなく、使節団入りは彼の目的ではないと見抜いていたりする。
「あ…えと、そうなんです。ちょっと人探しで……」
「そうでしたか。私に出来ることでしたら何なりとお申しつけください。全身全霊を以て、御身にお応えいたします」
案の定の台詞に、マグノリアは喜んでいいのやら複雑な心境。
ハルトが探しているメルセデス=ラファティは、帝国臣民ではない。単純に、彼女の足取りが消えたのが帝国だからここに来たまでのこと。
しかしながら、一国の皇帝に力添えを貰えるのならばこれほど心強いことはない。結局人探しなんて、人海戦術でなんぼのものなのだ。
しかししかしながら、そんな個人的な理由(惚れた相手を探したい・しかも一方通行)で一国の皇帝に動いてもらっていいのかどうか。
普通だったら、そうは言ってもちょっとした手伝い程度の協力を想像するところだ。しかし、皇帝の魔王(と魔王子)への心酔っぷりを見ていると、下手すりゃ軍隊とかまで動かしそう。
「ほんとですか?それは助かります!」
「ちょい待て、少しは遠慮しろよお前?」
そんなこと考えていないのかそんなことを期待しているのか知らないが呑気に喜ぶハルトを見ていると、またぞろ頭の痛いマグノリアだった。
皇帝と皇弟ってややこしいんだけどそれに加えて教皇ってのもややこしい。
皇帝さんが主語のはずの文で「教皇は…」とかなっちゃってたり……ああ(困惑)。




