第二百八話 レナート=ジョイスの感慨
ハルトとお偉いさんの挨拶を後ろで見守(見張)っていたマグノリアに、後ろから声が掛けられた。
「マギー、久しぶりだな」
「え……支部長!?」
マグノリアに向かって歩いて来たのは、遊撃士ギルドリエルタ支部長、レナート=ジョイス。彼女の先達でもあり師でもあり父親代わりでもあった男である。
彼の横には、もう一人。レナートより年上の、しかし覇気に満ちた女性だ。マグノリアも何度か顔を合わせたことがある。
「それに……総長まで?」
ユージェニア=カノッサ。世界中に広がる遊撃士組合のグランドマスター、最高責任者である。ジャスパーグリーンの髪には白いものが混じり始めてはいるが、あのグリード=ハイデマンとかつてパーティーを組んでいた元・第一等級遊撃士であり、まだまだ現役に負けない迫力を纏っている。
「やあ、フォールズ。聞いたよ、公王直々の依頼を完遂したって?最近とみにご活躍のようじゃないか」
「恐縮です」
さらに言うと彼女は若き頃のレナートと同クランで活動していたこともあり、指南役のようなものだったらしい。要するに、マグノリアにとっては師の師ということだ。
しかもギルドのグランドマスターとなれば、一国の王族とも会合等で同席することもあるほど社会的に重要な立場にある。こうして面と向かうと、気後れしてしまう。
「しかもサクラーヴァ公爵家の次期当主殿の護衛兼補佐とは、もう遊撃士にしておくには勿体ないくらいだな!」
「え…と、ありがとうございます。なんだか成り行きで……それで、総長と支部長も使節団に…?」
公爵家の次期当主殿の護衛兼補佐、というのは今回限りで急遽与えられた役職であり(間違いではないけれど)、彼女の本職(?)は常識知らずの馬鹿弟子の師匠なわけで、こう手放しで称賛されると照れ臭いを通り越して気まずい。
「ああ、帝国の遊撃士ギルドと提携することになってね。そのために私が赴くことになった。レナートは私の補佐についてくれる」
「ああ…そうなんですか」
グラン=ヴェル帝国にも遊撃士は存在する。が、それまで国際社会で孤立していた国なので、帝国内のギルドは連盟には名を連ねていない。
今回、サイーア公国とグラン=ヴェル帝国の国交正常化にあたり、遊撃士のみならず様々な職業組合が提携することになった。国際ギルド連盟に加入するか否かは未定だが、その前段としての意味合いを持つ。経済的に軽視できない一大事である。
であれば、国際遊撃士ギルド連盟トップであるカノッサが使節団入りするのも当然のことだ。
「それで、彼が…?」
カノッサの視線が、また別の公国貴族と挨拶を交わしているハルトへと向けられた。値踏みするような眼差し。
遊撃士としてもギルド長としても最前線で活躍してきた彼女の眼力の前ではハルトの化けの皮が剝がれてしまうかもと恐れて、マグノリアは少し慌てつつ説明する。
「はい、ハルト=サクラーヴァ…です。まだまだ未熟ですけど、伸びしろは私が出会った中で随一ですね」
伸びしろ、という言葉を使うことで「今は未熟だけど勘弁してね」とのメッセージを込めて。
「…ふむ、そうだろうね」
すんなりと、カノッサが頷いた。彼女の眼にハルトはどう映っているのだろう…表情からすると、低評価ではなさそうだが…
「何と言うか…不思議な空気を持つ少年だ。一見すると優男だが……計り知れない可能性を秘めているように、私には思える」
「ほぅ、総長がそんなにべた褒めだなんて珍しいですね」
レナートの意見に、カノッサは頷きつつもどこか釈然としない表情。
「ああ……妙な感覚だ。彼は、他の人間とは少し違うような…」
「ええ!まぁ!あの剣帝の息子ですからね!スペックは高いですよスペックは。ただ、ボンボン育ちのせいか常識を知らないっていうか他人とは感性やら感覚が違うっていうか!」
ある意味で核心に至ろうとしたカノッサを慌てて遮るマグノリア。そりゃあ魔王の息子なんだから、他の人間とは違って当然だ。少しどころか、大いに違っているはずだ。
…が、そんなこと言えるはずもなく。
「……ふむ、英雄の血筋とはそういうものか」
そして流石のカノッサも、自分の視線の先にいる少年が魔王の後継であるなどとは気付く由もなかった。
カノッサはそのまま、ちょうど貴族との挨拶を終えてハルトが一人になったタイミングで、彼の方へ向かった。
一瞬冷やっとしたマグノリアだが、考えてみればハルトもついこの間までマグノリアたちに自分の出自を隠し通せていたのだから、ここで魔王子云々を漏らす心配はなかろう。
「……ん、何ですか?」
「いや、馬子にも衣裳と思ってな」
レナートが自分をじーっと見詰めていることに気付き、マグノリアはちょっと落ち着かない気分になる。
かつては本当の親子のように四六時中共にいた仲ではあるが、マグノリアが自立してからはゆっくり話す機会もあまりなかった。こうして会うのも、オロチの一件以来だ。
「まさかお前がハルト公子の師をしてるなんて思わなかったぞ」
…そう言えば、弟子のことをレナートに話していなかったことを思い出す。
「自分の娘が剣帝の息子の師匠だなんて、俺も鼻が高い」
「………娘って」
素っ気なく言うものの悪い気はせず、赤くなった顔を見られないようにマグノリアはそっぽを向いた。
レナートはそんなマグノリアを温かく見つめる。
レナート=ジョイスは、マグノリアが幼い頃から…まだ一角兎にすら怯えて泣きべそをかいていた頃から彼女を知っている。
教皇(当時はまだ枢機卿だった)からカノッサを通じてマグノリアを託されたとき、レナートはちょうど最も勢いのある時期だった…年齢的にも、経歴的にも。
彼もマグノリアほどではないが若い頃から遊撃士として活動しており、二十代ももうすぐ半ばという時点で第二等級に昇格し、さらに上を目指そうと志に燃えていた。
そんな折に持ち込まれた、子守りという仕事。
普通なら突っぱねられることも、カノッサからの頼みであり元は聖教会の次期教皇とも言われている超お偉いさんからの指示ともなれば、断りようがなかった。
その時点でグリード=ハイデマンと面識がなかったわけではないが、彼がどうしてレナートにそんなことを依頼したのかは、実は未だに分かっていない。
何せ、当時の彼は(実は現在も、だが)独身で、当然子供もいなかったのだ。子育て経験もなく、腕っぷしだけが自慢の血気盛んな若者に子守りだなんてハードルが高すぎると思っていた。高位魔獣討伐なんかより、よっぽど難易度の高い依頼だ…と。
そして初めてマグノリアと顔を合わせたとき、レナートは依頼を承諾した自分を呪った。
絶対こんなの上手くいくわけがない。それが、彼の正直な感想。
当時のマグノリアは、無口でふさぎ込んでいていつも何かに怯えていて、周囲を絶えず警戒していた。教会の神官に連れられてきたのだが、それにも気を許す様子はなかった。
挨拶しようと屈みこんだレナートの視線を避けるようにそっぽを向く様は、照れ隠しなんてものではないことは一目瞭然で。
彼女は、全てを拒絶しようとしていた。
レナートが彼女の声を聞いたのは、彼女を引き取ってから三日も経った後である。その最初は、泣き声だった。
グリードからも、カノッサからも、マグノリアの事情は聞かされていない。ただ一人の肉親である父親を亡くしていて、その父親がグリードと知己だったということくらい。
だが、そこまで心を砕く割には自分で(或いは聖教会で)引き取ろうとしないグリードや、普通の子供にしてはやけに陰鬱なマグノリアの様子から、間違いなく訳アリだろうということは察することが出来た。
察したのはいいが、そこを深追いするともっと面倒なことに巻き込まれそうな気もして、彼は敢えて見ないフリをした。
マグノリアを引き取ってから三日間、レナートは悩みに悩み、考えに考え、自分の将来と引き受けた依頼を両立させる手はないものかと探り続けた。
そして夜に暗闇の中で息を殺すように泣いていたマグノリアの、擦れる嗚咽を扉越しに聞いて、腹を括った。
レナートは、特別なことは何もしなかった。配慮も同情も、与えることはしなかった。
ただ普段どおりに過ごし、普段どおりに活動した。なんと彼は、自分の仕事にマグノリアを同行させたのだ。
勿論、幼子を抱えて第二等級遊撃士に見合った仕事を受けることはほぼ不可能。自然と受ける依頼は比較的安全なものに偏ったが、彼は頑なにマグノリアを何処かへ預けようとはしなかった。
パーティーメンバーの協力も大きかった。揃いも揃って面倒見のいい連中で、レナートよりも余程子守りに適していそうだった。仕事中も何かとマグノリアのことを気に掛けたり、危ないときは後方で守ったり、優しい言葉をかけたり。
それでも、一仕事終えた後にマグノリアが帰るのは、レナートの家だった。仲間たちも、独り身でまだ自分のことしか考えられない若いレナートに子供の面倒を見るだなんて難しいと分かっていただろうに、それについては何も言わなかった。
レナートはそこまで深く考えてのことではなかったのだが、結果としてその気遣い皆無の対応が功を奏したと言える。
過度な干渉も同情も気遣いも、幼いマグノリアの求めるものではなかった。
不器用な若者と不器用な幼子の共同生活はそれから何年も続き、次第に心を閉ざしていたマグノリアも変わっていった。
何か特別な出来事があったわけではない。ただ、共に暮らすうちにマグノリアはレナートにとって大切な存在になっていったし、マグノリアにとってのレナートも同じようだった。
彼女がレナートのことを最初に「パパ」と呼びだしたのがいつだったかはもう忘れたが、その瞬間の奇妙なむずがゆさははっきりと覚えている。彼は、決してそれが嫌ではなかった。
マグノリアには武芸の才があったのか、その成長は目覚ましかった。ついこの前まで小さな魔獣一匹に怯えていたのに、気付けば一人でも対処できるようになっていて、普通ならまだ遊撃士デビューしないような年齢で、パーティーの要となる程に。
そして、十五歳になったマグノリアが第三等級に昇級した年、レナートは仕事中の負傷により現役を続けられなくなった。しばらく寝たきり状態だった彼を支えたのは、マグノリアである。
そんなことをしてもらうために引き取ったわけではない、お前は自分の自由を選びなさいと言っても、すかり大人びたマグノリアは取り合わず、彼の面倒を見続けた。
そこから一年近く療養生活を送り、回復したレナートが無事にギルド職員の仕事に就いたタイミングで、マグノリアは独立した。
その後すっかり売れっ子遊撃士になった彼女は多忙で、たまに顔を合わせて言葉を交わすことはあっても、彼女がレナートの家に「ただいま」を言うことも、レナートのことを「パパ」と呼ぶことも、いつしかなくなっていた。
それが、淋しいのか嬉しいのかどちらかと問われれば、おそらく両方なのだろう。
「…………ん?」
つい感傷に耽ってマグノリアを見つめていたら、首を傾げられてしまった。既に彼女は第二等級で、現役時代のレナートにも劣らぬ活躍を見せているが、それでもふとした拍子に垣間見える面影は、レナートにあの頃のむずがゆさを思い出させる。
「…いや、ちょっと昔のことを思い出してな」
「支部長、まだそんな年じゃないだろ」
呆れたように苦笑するマグノリアに、レナートは溜息を一つ。
「やっぱり………もう「パパ」とは呼んでくれないんだなぁ」
「な……っ、今さらっつーか、こんなところでそんな呼び方出来るハズないだろ!」
「こんなところでって…別の場所でもそう呼んでくれないじゃないか」
「だって……もうそんな年じゃないし……!」
「親子に年齢は関係ないだろう?」
「だ…だから…っ、恥ずかしいんだって!!」
赤面して怒鳴るマグノリアは、一人前の立派な上位遊撃士にも、あの頃のままの幼い娘にも見えた。
マギー姐さんの過去その2、でございます。なんだかんだ言って彼女が弱い者(出会った頃のハルト)を見捨てられなかったのは、こういうことがあったから、なんでしょうね。
育ての親が真っ当なおかげで真っ当に育つことが出来ました。
あと、レナートをマグノリアの引き取り先に指名したのはグリードですが、グリードから相談を受けたときに彼を推薦したのはカノッサ女史です。彼の秘められた父性?にでも気付いていたんでしょうか。




