第二百一話 過去に囚われたままの彼と過去を振り切った彼女は永遠にすれ違う。
「お互い、色々あったんだね…あれから」
シエルに自分とフィリエのことを話し終え、シエルから彼とシエラザードのことを聞き終え、クォルスフィアはしんみりと言った。
シエルはベッドの上で、俯いたまま。クォルスフィアの話にショックを受けているのか、一抹の救いを感じているのか、多分本人にも分かっていない。
「キア、お前は本当に…いいのか?」
「いいのかって、何が?」
すっとぼけて尋ね返すが、シエルが何を言いたいのかは分かっている。
「魔王は、オレたちの敵だ。奴は、シエラザードを殺した。他にも、多くの仲間たちを……」
握りしめた拳が、震えている。彼にとってそれらはまだ、過去になりきれていない。幾度となく転生を繰り返しながらも…否、だからこそ、彼は未だに「エルゼイ=ラングストン」を背負い続けている。
クォルスフィアは、何と答えたものか悩んでいた。
答えが見付からないのではない。ただ、どんな言葉を選べばシエルの…エルゼイの傷を少なく出来るだろう。
「……けどね、エルゼイ。私はもう、ギル……魔王を憎むことは、出来そうにないんだよ」
それでも一番大切なことを告げた瞬間、エルゼイがキッとクォルスフィアを睨み付けた。
あの頃、同じ場所で戦い、同じ目的を持ち、同じものを見ていた仲間が、今は別のものを見ているという事実が、認められなくて、許せなくて、信じたくないのだろう。
「……はっ、魔王にほだされたか。世界の敵…戦友の仇に肩入れするなど、神聖騎士第一席の所業とは思えないな」
辛辣な言葉を、辛辣な声でぶつけてくるエルゼイ。クォルスフィアは、敢えて反論しなかった。反論する理由も、必要もなかった。
ただ、訂正しなくてはならないことはある。
「…エルゼイ、私はもう、神聖騎士団の一員じゃない。天界の指示に背いた時点で、ただの裏切り者になった。その肩書は、あの頃から既に私にとって意味の無いものだったんだよ」
「しかし、あの頃のお前には志があった。フィリエを救うという目的も、オレたちの目的と反してはいなかった。それなのに、全ての元凶と慣れ合って何もかもを…オレたちとの絆さえ、捨て去ろうというのか」
過去に囚われたままのエルゼイと、過去を捨て今を生きるクォルスフィア。かつて同じ場所にいたはずなのに、二人の世界はこんなにも違う。
「エルゼイ、君も知ってるよね?私は、君やシエラとは違った」
「違わない!同じ未来を目指して戦う同志だったじゃないか!!」
…否、最初から見ているものは、違っていた。
世界のために、人々のために、信仰のために、全てを捧げ殉教は美徳だとさえ考えていたエルゼイやシエラザードとは違い、クォルスフィアが考えていたのはただ自分の居場所を守ることだけだった。
たまたまそれが、戦場だっただけのこと。
尤も、魔王と知り合った頃既にシエラザードやエルゼイが彼に殺されていたのであれば、決して慣れ合うことはなかっただろう。
しかし、あの頃の魔王はまだ戦友たちの仇ではなかった。仇になる前に、知り合ってしまった。
知り合って…愛し合ってしまった。
二千年越しにその後の真実を知らされても、今さら彼女にはどうしようもない。
けれども、それをエルゼイに理解させようとすることは難しかったし、理解してもらいたいと思うのも傲慢だった。
だから今は、こう言うしかない。
「私は私の道を行くよ。君も、もう解き放たれてもいい頃合いじゃないかな」
話はここで終わりとばかりに立ち上がったクォルスフィアに、エルゼイは俯いたままだった。
しばらく待ってみても反応を見せないかつての戦友に寂しげな表情を浮かべると、クォルスフィアはもう何も言わずに部屋を出た。
扉が閉まり、足音が廊下を遠ざかっていき消えた後で。
「…………出来るものなら、オレだって………!」
食いしばった歯の隙間から絞り出すようなエルゼイの呟きは、誰に向けたものだったのだろうか。
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「で、冗談は置いといて」
「……ほんとに冗談でしたか?」
「いや…まぁ、そうとも言い切れなくもなくもなく…」
「どっちだよ」
煮え切れない父王に苛立ちっぱなしのハルト。いつの間にか言葉遣いも粗雑になりがちだ。
クウちゃんを出せー、出さない、出せー抱っこさせろー、絶対させない!…の遣り取りを続け、ハルトはなんとかしつこい魔王に粘り勝った。
負けた魔王は悔しかったのか、さっきまであれだけクウちゃんに固執していたのが嘘みたいに態度をコロッと変え、息子に問いかける。
「まぁ、ともかく。ハルトお前、これからどうしたい?」
その質問があまりに意外過ぎて、ハルトはしばらくポカーンとしてしまった。
どうしたい、などと。まるで、ハルトに選択肢があるかのような。
魔王にとって、魔界にとって、魔王子の価値など魔王の後継或いは代用品くらいしかないと思っていたのに。
「どうしたいって…それ、ボクが自分で決めていいんですか?」
ジロリと父を睨み付ける。
自分の苛立ちが、八つ当たりに過ぎないと実は分かっている。確かに臣下たちの勝手な行為は父の管理責任ということになるのだろうが、眠り続けていた相手にそれを問うのは酷だ、とも。
ハルトを犠牲に、というのはギーヴレイ始め魔族たちの判断であり、父は関与してなかった。それどころか、臣下たちの行為を自らの意に背く罪だと断じ、結果、首謀者であるギーヴレイを追放までしてしまった。あの、忠臣の中の忠臣を。
そのことから、父が自分のことをそれなりに大切に思っていることは分かる。決して自分を傷つける意図はないということも。
それでも……それでもなんだか、素直になれない。父のことを無条件に受け容れられない。その感情の正体が、自分でも分からない。
今までほったらかしだったくせに今さら父親面して…というのとも違う。ほったらかすも何も、関わりたくてもそれが出来なかったのだから仕方ない。
では、臣下を御しきれなかった父の不甲斐なさが腹立たしいのか……それも違う気がする。
ギーヴレイのみならず魔族たちの魔王へ対する忠誠と崇敬は常軌を逸していて、不在の間にそれをコントロールするなんていくら魔王でも無理な話だろう。
では、自分は父の何が気に喰わないのか。
分からないけど、モヤモヤする。イライラする。自分を利用しようとした臣下たちよりも、父に対する反感の方が何故か大きい。
「んー、そりゃ、あまり我儘が過ぎるようなら止めるけど、常識的な範囲内なら自由にしてもいいんだぞ」
息子とは言え王太子である自分の不遜な態度にも気分を害さずそう言う父は、こんなにも寛大なのに。
「本当は、お前にも後継者教育をしなきゃいけないんだけど、今はそれどころじゃなくってさ。俺はこれからしばらく、厄介な作業にかかりきりになるから、あまりお前に構ってやれない」
「別に、あなたに構ってもらわなくったって結構です」
それは、自分の本心だろうか。強がりではないのか。それもよく分からない。
「まぁそう言うなって。でな、多分、俺の代役…つーかギーヴレイの代役にはしばらくの間、エルネストの奴についてもらうことになると思うんだよ…ちょっと…つーかすっごく不安だけど」
不安なら、他の者にすればいいのに。父の考えもよく分からない。
「となると、あいつはお前の傍にずっといるわけにはいかなくなるし…」
「レオがいるから別にいいです」
本当は、師匠たちがいるから大丈夫、と言いたかった。
しかしここは魔界で、魔王城。廉族である彼女らに頼ることは、彼女らにとって負担が大きすぎる。
「あー…レオニール=アルバ…だっけ。なかなか根性ありそうな奴だったな」
魔王の、息子の護衛騎士に対する印象は上々のようだ。気に喰わない父親のはずなのに、自分の騎士を褒められてまんざらでもないハルト。
「そりゃそうです。レオは、いつだってボクの味方だって言ってくれましたから」
「ふーん……なら、そいつについてもらって、ここで後継者教育でも受けるか?」
「………………」
ハルトは、返事が出来なかった。
レオニールはきっと、それを望んでいる。ほとんどの魔族が敵に回った状態で、唯一人自分の傍にいてくれた臣下。魔王ではなく、自分のことを主と呼んでくれる臣下。
今思えば、彼は昔からそうだった。
ハルトに何の期待もせずただ甘やかす一方だった他の者たちとは違い、ハルトに苦言を呈することすらあった。王太子たるもの…というのが、彼の口癖みたいになっていた。
あの頃は、小言の多いレオニールに閉口することも多かったのだけれども、今となってはそれが彼の忠誠なのだったと分かる。
彼はいつだって、ハルトに立派な魔王子であることを…ハルトが立派な魔王になることを、望んでいた。
彼の厳しさは、愛情と期待の裏返し。
その彼に応えるためならば、父の言うとおりにするべきなのだろう。
魔王が復活した今、後継の存在意義などないにも等しいが…何しろ魔王に寿命の概念はない…、それでも補佐とかそれこそ代理とか、いくらでも王太子の仕事はある。
おそらくそれこそが、今自分に求められている役割。
しかし。
レオニールのことを思うと、それを否定は出来ない。本心を、口にすることが出来ない。魔界を敵に回してまで、あんなにも自分に尽くしてくれた彼の想いを、裏切ることはしたくない。
けれども、その思いに従えば、自分の望みを裏切ることになる。
無言のまま思い悩む息子を、魔王は静かに見守っていた。
ハルトは気付かなかったが、その眼差しはとても優しかった。それと同時に、息子の本当の望みが何なのか、確信しているようだった。
せっかく仲間に会えたのに分かり合えないシエルくん、ちょっと可哀想です。
あと、ちょいちょい二千年前と繰り返していますが厳密に言えば彼らが活躍してたのは二千三百年ほど前です。書いてて自分でもめんどくなって天地大戦関係はほぼ二千年前で統一しちゃってますけど。




