第二百話 忠臣の旅立ちと愚王の悶絶
見送りは、誰一人いなかった。
見送りと称した見張りも、いなかった。
ギーヴレイは、魔王の開いた“門”を背に、魔王と向かい合っていた。
力の大半を制限され、“門”の能力も剥奪された彼は、これから地上界へと放逐される。
“門”の能力を失った以上、魔界へと戻る術はない。もとより、魔王の赦しなく戻るつもりもない。
仮に魔王が永遠に自分を赦さないのだとしたら、永遠に自分の帰還を望まないのであれば、これが今生の別れとなる。
それが自分に科された罰ならば……受け容れるしかない。
ギーヴレイは、魔王の眼前に跪いた。
「長きに渡り御身にお仕え出来たことは、我が身に余る光栄であり幸福でありました」
溢れ出す感情が嗚咽となってしまわないよう変に力を入れたせいで、声が震えた。顔を上げて主君の表情を見るのが怖い。
「どうか……どうかご自愛ください。御身の健やかなることのみが、この愚臣の唯一の望みにございます」
それだけ言うと…それが限界だった…ギーヴレイは立ち上がり、しかし俯いたまま魔王に視線を合わせず、背後の“門”へと向き直った。
躊躇いを捨てた足取りで、その闇の中へと進む。
「………すまない」
背後で、魔王がぽつりと呟く声が聞こえた。打ちのめされたような、声。
しかし、ギーヴレイがその声に思わず振り返ろうとした瞬間、無情にも門は閉ざされた。
結局、魔王の表情は見られないままだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ギーヴレイを送った後、魔王はしばらくその場に佇んでいた。
大丈夫、力の大半を封じたとは言え、ギーヴレイは魔界でもトップクラスの高位魔族であり、トップレベルの魔導士。そして何より、その頭脳は健在。
きっと、地上界で無事に、そして多くを学んでくれる。
願うならば、いつの日にか彼を迎えにいったとき、自分の差し出す手を取ってもらいたい。
しかし、彼が自分を見限りそれを拒むというならば、彼の道を妨げるつもりもなかった。
…自分は、何も変わっていない。昔から、ずっと。
自分勝手で、他者のことを考えているつもりで全然分かっていなくて、考えが浅くて、取り返しのつかないことになってからそれを思い知らされて…
ずっと何度も繰り返してきたのに、何も変わらない。本当は学習が必要なのは、誰よりも自分自身だ。
そして今はそんなことに時間を費やしている場合ではない、という言い訳で、また目の前の課題から逃げようとしている。
つくづく、自分は王になんて向いていない。思考が、視野が、完全に内向きなのだ。
何も考えず好き勝手やっていた頃は気付かなかった事実が、多少はまともな王になろうと自覚したところでまざまざと突き付けられる。
だが…向いていようがいなかろうが、自分以外にそれが務まる者はいない。向いていないという理由でそれを投げ出すことは、許されない。
なら、踏ん張るしかない。臣下の忠誠に相応しい、臣下の誇りたりえる王になると誓ったのは、そう遠い昔のことではないのだ。
まずは、世界を元に戻す。正確には、世界の理の乱れを修正する。
そればかりは、他の誰にも任せられないこと。ある意味で、彼の最大にして唯一の存在意義。
大きく深呼吸すると、気合を入れるために両頬を思い切り打つ。乾いた小気味良い音が、乾いた空気の中に響いた。
「………よっしゃ、感傷終わり!それじゃ早速………と、その前に…」
その前に、魔王はとてもとても大切な用を果たしに、息子のところへ行くことにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「なぁ、ハルト」
「……なんですか」
ハルトは、自室で本を読んでいた。魔王が入室した途端、滅茶苦茶に険悪な顔を見せてくれた。
息子の拒絶に見て見ぬふりをして、魔王は部屋をキョロキョロ。
「……あの娘は?」
「あの娘って、誰ですか?」
ハルトってば、分かってるくせにつれない。冷たい息子である。
「そりゃお前が連れてきた風精の女の子のことに決まってるだろ」
どうして「決まってる」のかなんて、説明するまでもない。
だって、その娘は…
「クウちゃんに何の用ですか」
「ちょっと抱っこさせて!」
「……………は?」
ハルトの顔が、声が、氷点に達した。何を阿呆なこと抜かしているんだこのクソ親父…とでも思っているに違いない。
…が、そんな息子の冷たい態度に傷付いている場合ではない。
「いいじゃん!抱っこさせて!俺に癒しを与えて!もう色々ありすぎてハートがブレイク中なの!大仕事の前に傷を癒したいの!!」
「何を阿呆なこと抜かしてるんですか」
ハルト、口に出してしまった。
…が、やっぱりそんな息子の蔑みの視線に傷付いている場合ではない。
「いいじゃんいいじゃん!ここに連れて来て!抱っこさせてよ!お前の精霊なんだから俺にも愛でる権利はあるだろ?」
「断じてありません!あるはずないでしょ!!」
ハルトは父の懇願を思いっきり拒否した。
それにはちゃんとした理由があるのだが、魔王はやっぱりそれも分かっていなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
それは、魔界に来る直前のことだった。
さぁこれから“門”を開いて魔界に行こうか、というところでハルトが連れてきた幼女。
萌葉色の髪に空色の瞳の、あどけない幼女。
クウちゃんを目にした瞬間の魔王の表情が一変し、周囲の臣下たちは諦めたように空を仰いだ。その意味をハルトや廉族組が理解するより先に……
「か……可愛いぃ!何これ、何この娘!?えええ可愛いふわっふわしてるぅうう!!」
魔王がクウちゃんに抱き付き、頬ずりした。
突然のことに目を丸くするハルトと一行。意外なことにクウちゃんは、拒否反応を見せない。それは魔王が主の縁者だからだろうか。
「……はるとー、このおにいちゃん、何?」
「…………くはっ!」
魔王、悶絶。ハルト、ドン引き。
「も…もう一回!もう一回言って?おにいちゃんって、もう一回!」
「いい加減にせんか変態魔王!」
すっぱーん、とその頭を張りつけたのは、ハルトではなく魔王の相方(ツッコミ担当)であるところの勇者。
「い…ってーな!何すんだよ暴力勇者!」
「あんた今の絵面ただの犯罪だからね、分かってんの!?」
魔王はクウちゃんを抱きしめたまま、何故かドヤ顔で。
「そっちこそ、何も分かってないようだな!世の全ての妹はこの俺のもの…」
「星へ還れ!!」
本腰を入れた勇者の会心の一撃が、魔王をすっ飛ばしクウちゃんを解放した。
「はると、あのおにいちゃん…」
「クウちゃん、あれはおにいちゃんでも何でもないよ。ただの変な人だから、近付いちゃダメ」
「あああ…いい……もう一度、もう一度おにいちゃんって……」
部屋の隅でピクピクしながらも恍惚の表情を崩さない魔王は、充分に変態じみていた。
そのときハルトは決心…否、覚悟を決めたのだ。
たとえ相手が偉大な父親であろうと(偉大…?)、強大な魔王であろうと(強大…?)、自分の意地と誇りと沽券にかけて、クウちゃんをその魔手から守り抜くことを。
なんと言うか……ギーさんが不憫っつーかこのアホ魔王はほんとに主君の資格あるのかね?って思います。




