第百九十九話 出来る人に全部任せきりにすると後で困ることになるよっていう話。
裁きを終え、玉座の間を辞した魔王はそのまま執務室、さらにその向こうに続く自分の私室へ供もつけず戻ってきた。
身に纏う正装も脱ぎ捨てぬまま、力尽きたように寝台にボスっと倒れ込む。
「………………」
実際、気力は尽きかけていた。彼にとって、宰相ギーヴレイに罰を与えるというのは己の身を傷つけるよりも辛い行為だった。
今回、魔王城には宰相の処刑一択の空気が醸成されていた。動機と結果がどうであれ、臣下たる魔族が魔王の意に背き王太子を害そうとするなど、それ以外の償いはありえない…と。
それは、今まで武王たちと魔王である彼自身が作り上げてきた「魔王像」のせいでもある。
かつての魔王…冷酷無比、残虐非道な支配者であった彼は、些細な叛意・反抗すら赦さず多くの臣下を手討ちにしてきた。
だが、今は。
魔王はギーヴレイを失いたくない。今回のことなど不問にしてもお釣りが来るくらいの功績が彼にはある。
結果的にハルトは無事なまま自分も目覚めることが出来た。ならばそれでいいではないかという気持ちが頭の中でグルグルと回り続けている。
そんな彼に突き刺さったのは、何気ない臣下の進言と、腐れ縁な勇者の苦言。
「結果オーライだからまぁいっか、はダメですよ」と釘を刺してきたディアルディオと、「あんたは自分が傷付くのが嫌だから他人に甘いのよ」と言い放ったアルセリアは、多分誰よりも魔王の弱さを理解している。
彼を取り巻く状況の、目が覚めたときには全て終わっていた…という性質のためか、自分の知らぬ間に息子を犠牲にしようとしていたギーヴレイに対し、怒りや失望もそれほどない。
寧ろ、彼らしい…彼ならばやりかねないと他人事のように納得してしまう冷淡さは流石の魔王なのだと自覚する。
生半可な罰ならば、与えない方がマシだ。しかし、赦してしまうには彼の罪は深い。
そして、自分の罪もまた。
だから魔王は、ギーヴレイを魔界から追放した。自分の下から、手放した。
その決断で最も大きな痛手を負うのは、間違いなく魔王であり、魔界である。
それまでもずっと、ギーヴレイ=メルディオスは政の最高位である宰相と、軍事の最高位である武王筆頭とを兼任し、実質的に魔界を統治してきた。魔王がいるときも、いないときも。
彼がいてくれたからこそ、魔王は面倒かつ難解な政治に煩わされることなく、彼に全てを委ねていたからこそ何も憂うことなく、ただ高みに座していればそれでよかった。
ただ楽をさせてもらっていたというだけでなく、ギーヴレイのおかげで得られていた精神的安寧は、魔王にとってあって当然のもの、なくてはならないもの…だった。
そんな彼がいなくなれば、魔王は精神的な支えを失うことになる。統治にも、差し障りが出てくるだろう。
力で全てを抑え込む、という強権的な遣り方であれば、自分にも造作ない。実際、魔界もそうやって統治していた時代はあった。
しかし、もうそういう遣り方は好まないのだとあっさり方向転換した無責任かつ唐突な主に、ギーヴレイは見事に応えてみせた。
社会基盤だの福祉制度だの公共投資だの、当時の魔王には考えも付かなかった諸々の政策を次々と打ち出し、彼が作り上げた高度にシステム化された社会。それが、魔都イルディスだった。
ギーヴレイが魔界を去れば、彼に代わる人材は存在しない。他に優秀な臣下も確かにいるが、彼ほどに能力と忠誠心とカリスマを兼ね揃えた者はいなかろう。
彼の構築したシステムが即座に瓦解することはなくとも、次第に揺らいでいくことは確実だ。それを、魔王である自分が食い止めなければならない。
本来であれば、それは最初から他人任せにするべきではなかったこと…そう、アスターシャには「ツケが回ってきた」と言われたのだった。
ならば今からでも、取り戻していくしかない。
結局のところ、ギーヴレイの追放というのは、魔王自身に対する罰でもあり、けじめでもあるのだ。
沙汰を言い渡した瞬間のギーヴレイの表情を思い出すだけでも、胸が痛い。
平伏した状態から赦しもなく顔を上げるというあまりに彼らしくない行為が、その動揺と衝撃を表していた。
死であれば、彼は何の躊躇いもなく受け容れてただろう。だが、生き恥を晒し、なおかつ魔界を…魔王の下を追放されるという罰は、彼にとってこの上なく残酷なものだと分かっていた。
分かっていながら、言い渡した。
もしこれで、ギーヴレイの心が自分から離れていくのであれば、自分はそれを認めなければならない。かつての武王、叛逆者フォルディクスのように自分を見限ったとしても、それを責める権利は自分にはない。
そして、そうなった場合……自分は永遠に、比類なき忠臣を失うことになる。
同時に、そうなることは決してないだろうと確信してもいた。その上で沙汰を下した自分は、やはりロクでもない主君だ。
だが、ロクでもなかろうが何だろうが、否、ロクでなしなりに責任は果たさなくてはならない。
まずは、理の修復。
魔界のことも気掛かりだが、いくらなんでもどちらも両立させることは難しい。かと言って、ハルトに全て任せるのはあまりに無謀。
ここは残った武王たちとギーヴレイの築き上げてくれた社会基盤にしばらく頑張ってもらうしかない。
問題は……
「……纏め役、誰にしよう……」
年齢、経験から言えば、ギーヴレイの代役が務められるのはルクレティウスしかいない。ギーヴレイとはまた違ったカリスマも持ち、魔界最強の将という認識は統治にも打ってつけ。
しかし、裁きを免れたとは言え、彼もまたギーヴレイと同じ「魔王の意に背いた罪人」だ。ギーヴレイ一人に罰を与えておいて、協力者であるルクレティウスを責任者に任命することなど、どうして出来よう。
表立った罰は与えられなくとも、ペナルティ的なもの…例えば謹慎だとか、奉仕活動だとか(こういう考え方が出てくるのは前世?のせいか)、魔界の秩序を乱さない程度の償いは必要だ。そうでなければ、他の魔族たちが納得するはずもない。
さらに、ルクレティウスは性格こそ穏やかだが、その思考は完全に脳筋仕様である。思慮分別は持ち合わせているが、ギーヴレイほどに深く物事を測ることはしない。そういった点でも、彼は不向きだ。
では、今回の件ではハルトを守るという功績を上げた二人、アスターシャとディアルディオはどうか。
ディアルディオは、論外だ。
彼もまた他の武王に劣らぬ強い忠誠心の持ち主であるが、如何せん思考がお子様だ。しかも、かなり厄介な悪戯っ子。
魔王への忠誠以外は比較的どうでもいいと思っているクチなので、面白半分にとんでもない事態を引き起こすことは必至。悪知恵ばっかり働くくせに、後先のことよりも目の前の欲求を優先させてしまう傾向の強い彼に政を任せたりなんかしたら、自分の任命責任が問われることは間違いない。
アスターシャは……忠誠は言うまでもない。それに、一見切れ者のように見えるしいつでも冷静のように見えるし広い視野を持っているように見える。
…が、それらは全て、「ように見える」だけなのだ。
実のところ、武王紅一点である彼女が一番、突き抜けて脳筋だったりする。
理性よりその場その場の感覚、感性を重んじ、血を滾らせる何かに直面するとそれだけに集中してしまう。あと、やることなすことかなり極端。
防御を捨て全てを攻撃に極振りしている彼女の性質は、何も戦闘スタイルに限ったことではない。
そんな彼女に任せては、魔界はバトルロワイヤル会場へと化してしまうことだろう。
「だったら……イオニセスしかいないのか…?けど、肝心のあいつがなー…」
イオニセス=ガラント。一応、今回の件ではギーヴレイ側にいたわけだが、積極的に何かを行ったわけではない。というか、彼が積極的に何かを行うことはない。
深謀遠慮に関して言えば、ギーヴレイに次ぐのはこの男だ。さらに彼の特性とも言える直観力・洞察力は、ギーヴレイを超え魔界一なのではないかと魔王は思う。
戦場の最前線に立つのは向いていなくても、後方で全てを把握し先を見通し流れを掌握する彼の能力は、寧ろ政治に打ってつけ。
…なのだが。
肝心のイオニセス自身の性格が、あまりに政治に向かなさすぎるのだ。
全てに対して受動的で、熱意というものに欠けている彼は、問題が起こらなければ自分から動くことはないだろう。
自分にも他者にも無関心で、熱意もなければ覇気もない。また、自分の考えを相手に伝えようという気持ちにも乏しいため、未だに魔族たちは彼にどう接すればいいのか戸惑っている。
能力は申し分なくても、ギーヴレイのような他を率いるカリスマがなければ、余計な軋轢を生むだけだ。
「…………となると、あとは……あの二人、か…?いやいや兄貴の方はやっぱりマズいよな、立場的にはルクレティウスと同じなんだし…………残るは……」
魔王、ブツブツ呟きながら思考を巡らせていたが、そこでしばしストップ。考えたくないことに行き当たってしまったので、思わず逃避してしまったのだ。
立場的に、能力的に、実は最も適任者なのが一人残っている。
出自にやや懸念材料はあるものの、数少ない魔王の眷属であり、その系譜の最も近しいところに在る者。今回の件では、密かにハルトの傍で彼を守り続けた。魔王への忠誠も…風変わりではあるが…充分に強い。
直接的な戦闘力は強くないが、頭が切れることは確か。あと、普段はああだが、常識的に振舞おうと思えばいくらでも出来る分別の持ち主でもある。
そして何より……武王ではないのに関わらず権能も保持している。
この権能というものは、魔族たちにとっては特別かつ象徴的な能力なのだ。
魔王自らが授けた、という経緯もさることながら、神ならぬ身で理への干渉権限を赦された権能所有者は、他の魔族たちとは明らかに違う特別な存在。
そういった意味では、武王でもないのに、純血ですらないのに、魔王の眷属として迎え入れられ権能を与えられた彼は、その特別さ…特殊さと言い換えてもいい…において群を抜いている。
また……魔王から特別に寵愛を受けているという魔王自身としては不本意極まりない認識をされているようなのだ、彼は。
まぁ、あれだけ魔王をコケにしたり揶揄ったりしてもお咎めなしという時点で、その誤解は仕方ないのかもしれない。
が、魔王が特別扱いしている彼ならば、その延長線上で政治に重用されたとしても抵抗は少なかろう。
嫉妬や怨嗟は渦巻くだろうが、彼はそんなものを意に介するような輩ではない。
問題は……
「…………けど…それはなんかヤダ……なんか、一番やっちゃいけないことのような気がする……」
彼、エルネスト=マウレという男は、魔王にすら警戒される性格(能力でも、性質でもなく)の持ち主である、という一点であった。
アスターシャ姐さんじゃないけど、今までギーさんに全部丸投げで甘えてきたツケが回ってきた魔王です。
ここからが正念場だぞー。
仕事でもそうなんですけど、「この人がいるから全部任せておけば大丈夫だわー」とかやってると、その人の異動(とか退職)でエライことになるという…




