第百九十八話 裁き
「今から皆さまをお連れするのは、裁きの場ですからね。大人しくしていてくださいね」
「裁きって何よまだ何もしてないわよ」
案内役の後ろにくっついて魔王城の長い長い廊下を歩くマグノリア、アデリーン、セドリックの三人。エルネストの言葉に即座に反応したアデリーンだが、「まだ」とはどういうことか。そのうち何かやらかすつもりか。
エルネストは苦笑しつつ。
「いえ、皆さまのではありませんよ…少なくとも今回は」
なかなか皮肉のきいた御仁のようだ。
「此度裁かれるのは、陛下の意に反し勝手な行動で魔界の秩序を乱した臣下です」
「え、それってあの、ルクレティウスとかいう…?」
次に素早く反応を見せたのはマグノリア。食い気味な姿勢にアデリーンとセドリックは、こいつどうした?みたいに顔を見合わせる。
「いえいえ、確かにルクレティウス将軍も当事者であり本来ならば裁かれるべきなのでしょうが、魔王陛下は寛大な御方ですからね。…ということもありますが当事者全員を裁くと正直言って魔界の統治に差し障りますので裁きを受けるのは首謀者である宰相閣下お一人のみということになります」
「たった一人に全てを押し付けるってのかよ。反対意見とかは出なかったのか?」
セドリックはその沙汰に不満げだ。別に裁かれる宰相に同情しているわけではない。そいつがハルトを人身御供にしようとしたのは事実で、そして首謀者が最も重い罪を背負うことになるのは当然のこと。
だが、その宰相とやらがどれだけ権力者であったとしても、その罪に加担した者たちが完全に裁きを免れるというのは、彼一人が全てを背負うことになるのは、理不尽なような気がしたのだ。
しかもその理由が、「全員を裁くと統治に差し障る」…則ち、後々が面倒だというだけのこと。
それは、王の怠慢ではなかろうか。しかも今までの流れを傍らで見てきて、魔族たちがこんなことを仕出かしたのは、全て魔王への忠義のためだと分かっている。
方法が間違っていたとは言え、自分のためを思って行動してくれた臣下を一人だけ見せしめのように裁く王は、他の臣下からどのように見られることだろう。
魔王の判断に異を唱えるという愚行を知らず知らずに冒したセドリックだが、エルネストは気分を害する様子もなく、寧ろ何故だか満足げに微笑んだ。
「この魔界においては、魔王陛下のご意志は絶対です。反対意見など、抱くこと自体が許されざる叛逆なのですよ」
…ただし、言葉面は非常に物騒だった。
「随分と…盲目的な崇拝じゃねーか」
「それが、魔族の在り方ですので」
果たして、災難なのは疑問を感じることすら赦されず魔王を妄信している(させられている?)魔族たちなのか、或いはそんな理屈抜きの妄信を向けられている魔王なのか、セドリックは分からなくなる。
仮に自分が魔王と同じような立場にあった場合…家臣や国民たちから狂信的な崇拝を押し付けられたとしたら……
それは、とてもとても恐ろしい。
狂信者たちの作り上げた理想像のとおりに振舞わなければならないのは、どれほどの重圧だろうか。
やがて、三人は大きな広間へと辿り着いた。
そこは玉座の間と呼ばれる、魔王城で最も格式高く重要な部屋。
下々の者たちが唯一、魔王に謁見を赦される空間であり、重要な決定が言い渡される場所。
エルネストに続いて三人が部屋へ足を踏み入れた瞬間、その場にいた魔族たちの視線が一瞬、集中した。
好奇や侮蔑や嫌悪が入り混じった、決して居心地のいいとは言えない視線。それは自分たちが廉族であり相手が魔族である以上は当たり前のこと。
当たり前のこととは言え…やっぱり所在ない。
しかし、魔族たちはすぐに三人の珍客への興味を失った。…というより、エルネストの無言の笑みに気圧されて目を逸らした。どうやらこの案内役、魔界においてそれなりの立場にあるらしい。
狼の巣に放り込まれた羊な気分だった三人は、それが少しばかり心強い。
広間は、重苦しい空気に支配されていた。
恭しく頭を垂れ跪く臣下たちと、玉座に泰然と座す魔王。その傍らのハルト……正装させられて、正真正銘の魔王子だ。
畏怖の立ちこめる広間の中を、エルネストはスタスタと歩いていく。マグノリアたちは戸惑いながら、しかし案内役が先へ進んでしまうのでついていくしかない。
彼女らが立たされたのは、魔王とハルトがいる高座のすぐ下。どう考えても、重要な人物が立つような場所。
果たして自分たちがこんなところにいていいのかと不安げにキョロキョロする三人だったが、とても口を開けるような空気じゃない。
玉座の魔王は、つい先日まで勇者にハリセンで打擲され涙目になっていたのと同一人物には、どうしたって見えない。眼下の魔族たちを睥睨する姿は、まさしく冷酷で恐ろしい、強大な支配者。横にいるハルトさえ、委縮している。
マグノリアたちを一瞬だけチラリと見遣り、それからすぐに目の前に平伏する一人の魔族に視線を戻す魔王。頭を垂れ床を見つめたままのその魔族は、微動だにしなかった。
静かな横顔。彼はきっと、既に自分の未来を覚悟している。
「ギーヴレイ=メルディオス。申し開きがあるのならば、言ってみるがいい」
魔王の声の冷たさたるや。その場にいる臣下たちは残らず震え上がり、一秒でも早くこの空間から逃れたいと、魔王の怒りが自分たちへ向かうことがないようにと願い、ただ身を縮めて息を殺す。
…が、その冷たさの中に無理矢理押し込められた何かがあることに気付いた者は、どれだけいただろうか。
マグノリアがそれに気付いたのは、彼女が魔王と気安く語らう時間を持てたゆえかもしれない。
問われた魔族…彼が今回の件の首謀者である宰相というわけか…は、己を糾弾する主君の言葉にも動じることはなかった。ただただ神妙な顔で、静かな声で語る。
「偉大なる御身の前に、申し開きすべきことなどございませぬ。全ては、私めの愚かさが招いたこと、如何ような罰もお受けいたしまする」
「…………殊勝なことだ」
聞いていて、何だかマグノリアは可哀想な気分になってきた。
大体の事情は聞いている。創世神の消失により世界の理が歪み始め、それによる世界の崩壊を食い止めるためには同格の力を持つ存在が…魔王が必要だということで、魔族たちはその復活を急いだのだ。
とは言え、理に直接介入することの出来ない彼らに出来ることは限られていて。苦渋の決断として彼らが選んだのが、ハルトを犠牲に魔王を降臨させるという道。
確かにそれは魔王の望みではなかった。全ての道の中で最善というわけでもなかった。マグノリアたちにしてもハルトを犠牲にするだなんて認めるわけにはいかなかった。臣下たちに裏切られる形となったハルトの心の傷はどれほどだろう。
しかし、ただ待つだけでは魔王の目覚めより世界の崩壊が先んじる可能性だってあったし、彼らが持ちうる手段はそれしかなかった。ヴォーノの言う「一か八かの賭け」が上手くいかなければ、世界の歪みはどうしたって正せないくらい進んでしまったかもしれない。
それら全てを考慮した上で、更に敬愛する主君の意に背くことが分かっていながらそれでも主君のために一人泥を被る覚悟で行動した宰相は、例え憎まれても、罰せられても、彼の忠義を貫くつもりだったのだろう。
そして今、静かに裁きを待っている。
さらに報われないと思ってしまうのが、結局、彼の決死の覚悟と忠義は無駄に終わってしまった、ということ。
これが仮に、全て彼の計画どおりに進み、それで世界が救われたのであれば、彼にも救いがある。が、魔王を復活たらしめたのはハルトと、ヴォーノの企みと、奇蹟という名の幾許かの幸運。
これではまるで、とんだ道化だ。
魔王が、微かに溜息をついたのが分かった。おそらく、宰相が言い訳をしてくれることを望んでいるのだ。
僅かでも彼に道理があるのなら、全ては主のためだったと主張してくれれば、それを理由に赦しを与えることが出来る。
すぐ間近にいるマグノリアには、魔王の表情がよく見える。その心の動きが、手に取るように分かった。
平伏している魔族たちには見えない。まるで対等であるかのようにまっすぐ顔を上げている彼女たちだけに見える真実。
…切れ者と名高いらしいその宰相には、そこまで分かっていたのだろうか。
どのみち、彼が魔王の期待に応えることはなかった。
しばらくの沈黙。空気はさらに重さを増し、その中で平然としているのは今まさに裁かれようとしている宰相本人だけだった。
魔王も、覚悟を決めたようだった。
一度目を閉じ、再び瞼を開けたときの表情は、見事なまでに感情を隠していた。
「…よく分かった。では沙汰を伝える。ギーヴレイ=メルディオス、宰相及び武王の任と権限を剥奪し、魔界からの追放を命じる」
「……………!!」
初めて宰相ギーヴレイの表情が変わった。我が耳を疑うような、驚愕。
マグノリアは一瞬、処刑を覚悟していたのに想像以上に軽い刑で済んだことに驚いたのかと思ったが、すぐにそれが誤解であると気付いた。
軍事・政治、全てにおいて魔王の右腕としてその手腕と忠誠を捧げてきた男から居場所と誇りと存在意義を奪い、生き恥を晒せという命令。
それは、死などというものよりも遥かに残酷な罰だ…特に、彼のような男にとって。
「…………御意………」
きっと死ぬことは恐れていなかったであろう彼も、言い渡されたその刑に目を見開き、歯を食いしばって肩を震わせ、なんとか絞り出すようにそう答えるのがやっとのようだった。
その場にいる魔族たちも、動揺を隠せずにざわついている。が、魔王に再び睥睨され、慌てたように口をつぐんだ。
しかし、異様な空気が収まる気配はない。
そんな空気の中、マグノリアは玉座のすぐ傍らに立つハルトを見た。
ひどく冷たい顔をしている。だがそれは、宰相の処遇に何も感じていないというわけではなく、父親と同じように溢れ出しそうな感情を無理矢理押さえつけているせいのように感じられた。
例え自分を裏切り利用しようとした臣下であっても、苦しむ姿を悼んでしまう優しい少年なのだ。もしかしたら、宰相の処遇は自分のせいだと思っているのかもしれない。
そんなことはないのだと、お前は何も悪くないのだと抱きしめてやりたいマグノリアだったが、今にも切れそうに張り詰めた空気の中で、何も言えそうになかった。
ギーさん、自分は絶対死刑一択だろうってタカをくくってたところあります。
出来るだけのことはやったのだから悔いなく死んでいこう…とか思ってたとこに追放なので、ちょっと愕然。
一人だけ貧乏クジのギーさんが可哀想な回でした。
魔王も、セドリックと同感でこういう形の統治は良くないって分かってるみたいですが…さてどうするつもりなんでしょうかね。




