第百九十七話 月下の再会
いつもの夢を見た。
他愛のない日常。戦いの毎日の中で束の間訪れる、宝石のような時間。
戦友たちと、愛しい少女と、共に過ごし語らう夢。
それが夢であると気付いているからこそ、幸せの中に胸を締め付けるような孤独が潜む。
もう、今は誰もいない。彼女らは過去となってしまった。
目が覚めて、孤独に襲われて、再び出逢う日が出来るだけ早く訪れるように、と願うのもまた、いつもの繰り返し。
…だから。
「おはよ。よく眠ってたねー」
目を開けた自分を覗き込んでいるのが、懐かしいライバル兼戦友であることに気付いたシエル…エルゼイ=ラングストンは、未だ夢から目覚めたがらない腑抜けた自分に嫌気が差して、溜息と共に再び瞼をぎゅっと閉じた。
「あれあれ?二度寝?しばらく見ないうちに寝坊助さんになったんだねー」
「……………………」
なおも、頭上から声が降ってくる。しつこい夢だ。
「そう言えばシエラは二度寝派だったよねー」
「……………………」
確かに、相棒だった戦巫女シエラザードは、敢えて二度寝のために一度早起きをするという意味不明な拘りを持っていた。
「けど、フィリエは昼寝派だよ?晴れてたら寒い日でも外で寝ちゃうもんだから、よく親方さんに心配されてたっけ」
「……………………」
それは初耳だ。決して身体が強いとは言えないフィリエがそんな無理をすれば、風邪をひいてしまうに違いない。自分がその場にいれば温めてあげられたのに……ていやいや邪まな気持ちではなく。
「私は二度寝じゃなくてずっと微睡んでいたい派だけどねー。あのウトウトが気持ちいいんだよ」
「……………………」
そう言えば、シエラザードから同室のキアは寝起きはいいくせになかなかベッドから出てこなくて困ってる、と聞いたことがある。
…………………。
…………………?
「あ、ようやく起きた…かな?」
いつまでも去っていかない幻に疑問を覚え、再び目を開けるエルゼイ。上体を起こそうとした瞬間に身体中に走る痛みが、彼の眠ってはいないことを彼自身に告げた。
キアが、手を貸してくれた。背中に当てられるその感触も、はっきりと感じられる。
目が合った。彼女の瞳の薄紅色は、あの頃から変わらないまま。
「………キア…?」
「ん、久しぶりだね、エルゼイ」
どこか洒脱な物言いも、笑うときちょっと肩をすくめるような仕草も、あの頃と同じ。
エルゼイの目の前にいるのは……
「…キア!?どうしてお前が此処に……まさか…いや、でもそんなはずは…」
二千年以上昔。創世神と魔王との戦いが続く戦乱の世にあって、エルゼイは地上界の守護者として戦場を駆けていた。
そして彼女は、いつだってそんな彼の前を走り続けていた戦友にして、ライバル。或いは届かなかった目標。
クォルスフィア。ルーディア聖教会神聖騎士団において史上最年少で第一席の地位に就いた最強の騎士であり、しかしながらあるとき御神と天界の意に背いて何処へか姿を消した少女。
その彼女が、何故エルゼイの目の前に。
一瞬、彼女もまた転生を経験したのかと思ったシエルだった。しかし、それはないとすぐに思い直す。
転生はあくまでも魂と自我の循環。肉体は時間の頸木を逃れることは出来ず、今この場所にあの頃のままの姿でクォルスフィアが存在することは決して有り得ない。仮に彼女も転生者なのだとしたら、エルゼイ=シエルのように別人の肉体に宿っているはずなのだ。
それに…エルゼイの魂に楔を打ち込んだのはもう一人の戦友シエラザードであるが、あれは彼女が最期に自分の全てを投げうって起こした奇蹟だった。本来ならば神ならぬ身で魂に干渉することなど出来はしない。それだけ稀有な例がクォルスフィアの身にも起こったとは考えられなかった。
クォルスフィア…キアは、内心で動揺しきりなエルゼイに気付いて苦笑し、肩をポンポンと叩いてきた。
「まーまー、ちょっと落ち着こうか。傷に障るよ?」
「だが……お前はどうして…………いや、そんなことより!」
エルゼイは、何よりも大切なことを思い出した。ずっとずっと気掛かりだったこと。幾度となく生を繰り返しても、彼を解放することのなかった心残り。
その後の彼の原動力となった、未練。
「あの後、一体何があったんだ?フィリエは……お前がここにいるのなら、もしかしてフィリエも」
「だから落ち着いてってば」
もどかしそうに叫ぶエルゼイを、キアが強く抱きしめた。突然のことに硬直するエルゼイ。
クォルスフィアという少女は確かに気安くて人見知りしなくていつでも明け透けだが、こういう風に他者と触れあうことはほとんどないと言ってよかった。
事実、エルゼイがキアと握手以上に触れあったのなんて、今回が初めてだ。
エルゼイを抱きしめたまま、耳元でキアが穏やかに語りかける…彼の深いところへ。
「フィリエは、ちゃんとここにいるよ。ほら……分かるよね?」
「……………………嗚呼…」
喉の奥から、声が漏れた。キアの鼓動が、はっきりと伝わる。その鼓動の中に、ひどく儚げな別の気配を感じた。彼のよく知る、愛しい少女の気配。
頬に熱いものを感じて、エルゼイは自分が涙を流していることを知った。
それが歓喜なのか安堵なのか悲しみなのか、分からない。分からないが、喉から胸にかけてが締め付けられるように苦しい。
フィリエは確かにここにいる。だが、もう何処にもいない。矛盾しているようだが、そういうことだ。
キアの中にフィリエはいて、キアがいる限り彼女はそこに居続ける。けれども、エルゼイが彼女の姿を見ることはもうない。彼女の声を聴くことはもうない。
彼女の温もりを感じることは……どのみち今までもなかったけれども。
「……キア」
「…ん?」
「話してくれないか……何があったのか。どうして、こんなことになってしまったのか」
母親に身を任せる子供のように体を預けるエルゼイに、キアは悲しそうな笑みを浮かべた。
「理由も状況も、聞いたところで何も変わらないよ?」
「それでも…………こんな宙ぶらりんな気持ちのままなのは、嫌なんだ…」
いつかの決心は、無駄なものになってしまった。ならば、その気持ちを弔ってやらなければならない。
例えどんなに残酷な事実だったとしても、前へ進むために彼はそうしなくてはならない。
「…分かった。それじゃ、何処から話したらいいかな……」
エルゼイの覚悟を感じ取り、キアは記憶を辿るようにゆっくりと語り出した。
子守唄のようにも聞こえる穏やかな声を耳に、エルゼイは窓の外がいつの間にか夜になっていることに気付く。
糸のような上弦の月が、雲の切れ間に見え隠れしていた。
やっとキアとエルゼイを再会させてあげられました。
ずっとアルセリアと一緒に行動してたんだけどなかなか出番なかったキアです。
彼女はなんだかんだで結構空気が読めるというか気を使えるというか、父子の再会に遠慮してたみたいですね。
シエラザードだけ仲間外れでちょっと可哀想。




