第百九十五話 上司がいい加減だと部下がしっかりするもんだ。
魔王は、空を見上げていた。
視線の先には、未だ残る亀裂。彼が目覚めた衝撃か副反応か規模こそ小さくなってはいるが、完全に消えるには至らなかったらしい。
背後では、マグノリアたちや魔王の臣下が、ハラハラした顔で見守っていた。
魔王の表情は平静なまま動かなくて、だからこそ余計に空気が重く張り詰めているように感じられた。
やがて魔王が振り返り、彼女らのところまで戻ってきた。
「……どうだ、あんたならどうにかなるのか?」
尋ねたのは、マグノリア。先程のお喋りで、すっかり魔王への警戒心は解けた。魔王に対し気安く話しかける彼女にセドリックとアデリーンがギョッとしていたが…さらにアデリーンは羨ましそうな顔もしていたが…それは無視。
「んー、どうにかなるって言うか……どうにかしなきゃ、だな」
表情を変えないまま気楽そうに言う魔王だったが、声の底に硬く冷えたものが隠されていることにマグノリアは気付いた。どうやら、楽観視出来る状況ではなさそうだ。
「やはり……難しいのか」
「ああ、いや、亀裂一つを塞ぐのはそれほどじゃないんだけど」
魔王は慌てて否定しようとした。そして、自分を見つめる一同の表情の真剣さに気付き、取り繕っても意味はないと思い直す。
「あー、うん。まぁ……根本から直すとなったら、ちょっと骨が折れるかも……いやいや不可能って言ってるわけじゃなくて、時間と手間がかかるってだけだからな」
しかし周囲に不安を与えないようにするのも忘れない。その気の配りようは、ハルトの父親とは思えない程だ。それが魔族たちを統べる王であるがゆえなのか、彼自身の性質なのかは分からない。
「ただ、しばらくはそっちにかかりきりになるから、他のことにはかまっていられなくなるんだよ。武王には悪いけどもう少し頑張っててもらわないと」
「ご心配及びません、陛下。魔界のことは我らにお任せください」
魔王の懸念を、アスターシャが即否定した。ある意味それだけ魔王がアテにされてないだけかも、とマグノリアは思った。
「けど陛下、ギー兄たちのことはどうするんですか?」
ディアルディオも魔王の傍にやってきて気掛かりそうに問う。その「ギー兄」とやらが誰なのか廉族組には分からないが、話の流れ的にハルトを狙って帝国に戦争を吹っかけてきた連中のことなのだろう。
そのことについては、アスターシャも気にしているようだ。
「確かに……彼らのハルト殿下への所業は赦されるものではないかもしれません。しかし、我らと形こそ違えど陛下への忠誠ゆえの判断なれば、問答無用で処罰するのもいかがなものかと」
「けど、お咎めなしってのも他に示しが付かないですしね」
「……ねぇ、王様への忠誠のために王子様を殺そうとするって、どういうこと?」
「アタシが知るかよ。なんか、偉い奴には偉い奴の理屈があるんだろ」
「……………まぁ、分からなくもないっつーか、地上界の国家だってそういうことなくもないし」
廉族組は少し離れたところでコソコソ。セドリックだけは王族だけあって、権力者あるあるとして捉えているようだ。
理屈的には、マグノリアにも分からなくはない。が、庶民である彼女はそういうこととは無縁だし、「よくあることさ」と訳知り顔をしたくもなかった。
…単純に、親の都合で子供が犠牲になる、ということを認めたくないだけかもしれない。
魔王は、ディアルディオとアスターシャの二人に詰め寄られて何やら困惑していた。
というのも、
「畏れながら陛下、此度の件は今までとは違います。充分にご承知いただいているとは存じますが、陛下のご対応によっては魔界に大きな遺恨・不安を残すこととなりましょう」
「陛下、いつもみたいに「結果オーライなんだからまぁいっか」とか、そういうのはダメですからね」
「そうですよ、往々にして結果以上に重視されることもあるのですから」
とかとか、なんだか臣下が容赦ない。どうもこの魔王、普段からけっこうゆるゆるで統治を進めていたのではなかろうか。
「……んんんー……けど、なぁ…厳しくしすぎたらそれはそれで不満持つ奴も出てきそうだし…ギーヴレイにはいっつも迷惑かけてばっかりだったし…いや、お前らの言うことも分かるんだけど実際に処罰するってなったら……どうしたもんか」
「今まではそういったことも全てギーヴレイ任せでしたからね。今さらながらツケが回ってきたと言わざるを得ません」
「……アスターシャさん、ちと厳しくないかい…?」
とそこに、何故か参戦する勇者。しかもアスターシャの側で。
「そうよリュート。前々から思ってたんだけど、あんたは自分が傷付きたくないからって他人に甘くするとこ、あるわよね」
そして非常に厳しい一言。言われた魔王も、図星なのか言葉に詰まっていた。
「そ……それ…は、べ、別に、そんなこと…………………ないもん」
「ないもんとかかわい子ぶってんじゃないわよ気色悪い。そもそも自分の不始末のせいで部下が泥をかぶることになったって責任、ちゃんと分かってんの?」
魔王を相手に、手を緩めない勇者。いや、それは当然のことかもしれないが、追い詰められている魔王はタジタジだ。
「とにかく、魔王だってんなら腹括りなさい。状況がどう転がったって、あんたの罪と責任は変わらないわよ」
ふっと、勇者の眼差しの色が変わった。責めるような色から、諭すような、穏やかでありながら厳しい色に。
そしてそれが勇者の本質なのだろうと、傍観者に徹するしかないマグノリアはそんなことを思っていた。
「…大丈夫、あんたがどんな判断を下しても、最後まで付き合ってくれる奴らはいるんだから。だからちゃんと向き合いなさい。自分と、臣下と、自分の息子に」
「………………分かった」
魔王は素直に頷いた。流石は勇者である。言い含められた魔王の表情は、そこはかとなくスッキリとしていた。
「それじゃ、関係先に挨拶回りだけしたら、魔界に戻るよ。ヒルダも寂しがってるだろうし、グリードには色々と世話になっちまったみたいだからな」
魔王の口から教皇の名が出てきたとき、マグノリアは奇妙な気分になった。やけに気安い感じで、二人の親密度合が分かるような。
魔王と教皇とは言っても、同時に剣帝と教皇であり、七翼の騎士と教皇でもある。その両者の結びつきが強いのは不思議でもないのだが…
ふと、教皇がハルトと最初に会ったときのことを思い出した。あのとき彼はハルトの父である剣帝のことを、息子のようなもの、と呼んだ。もしかしたら、魔王もまた教皇に対して同じような感情を抱いているのだろうか。
…理由は分からない。が、なんだかモヤモヤとしたものがマグノリアの胸中に蟠る。
そのモヤモヤが何なのか分からないまま、しかし追及するのも癪な感じがして、マグノリアは自分の気持ちに蓋をした。
「それと、ハルトもいっぺん魔界に連れて来たいんだけど、いいかな?」
不意に魔王がマグノリアの方を向いて言った。唐突な質問に、マグノリアは戸惑う。
「え、いきなり?……っつーか、なんでアタシに…」
確かにマグノリアはハルトの師だが、魔王は父親である。実家へ息子を連れて帰るのにわざわざ師の許しを得る必要などないだろうに。
それにマグノリアに拒否権があるとも思えない。
「いやー、なんかハルト、すっごくこっちに警戒心…つーか拒否感持ってるだろ?俺なんかよりよっぽどアンタのことを信頼してるみたいだし」
…なるほど親である自分の命令ではなく信頼する師からの指示、という形にしたいわけか。なんというか、魔王のくせに他力本願…
「それにアンタは人間だから、やっぱ魔族だらけのところに来るのは抵抗あるかもって思ったもんだから」
………え、自分?
まさか……まさか魔王は、許し云々じゃなくてマグノリアも一緒に魔界に連れていくつもり…
「ああ、もちろん、不安だったらお仲間も一緒で構わないけど」
……だった!
「ちょ、ちょっと待ってくれ魔王、アタシらまで魔界に?それ、大丈夫なのか」
魔界と言ったら、言わずもがな、魔族の巣窟だろう。凶悪で狂暴で残忍な魔族たちと、地上界とは比べ物にならない危険な魔獣がうようよしている、世界の掃き溜め、或いは吹き溜まり。
そんなところに非力な廉族である自分たちが行って、無事に帰れるのだろうか…
「だーいじょうぶだって。魔王の客人なんだから、妙なことする奴らはいないよ。ちょっと変な目で見られるかもだけど」
「し……しかしそうは言っても」
「あの魔王さん!魔界を自由に歩き回っても構わないのかしら!?」
アデリーンが凄い勢いで割り込んできた。瞳は爛々と、表情は生き生きと、輝いている。
その理由は……考えるまでもない。
「え、魔王城内くらいは構わないけど…」
構わないのかよ。マグノリアは内心でツッコんだ。なんというか、危機管理とか大丈夫なんだろうか。
「外はやめといた方がいいぞ。手出し厳禁の命令は出しとくけど末端まできちんと行き渡るか心配だし、郊外はちょっとマジで洒落にならないからな」
「…えーーーー」
そこで不満そうな顔をしないでくれ魔導オタク。というか勝手に話を進められると…
「まぁ……城下町程度なら、誰かに護衛させれば大丈夫…かな?」
「あっりがとうございますーーー!!」
「それじゃ、ハルトが起きたら出発するか」
ああ、ほら、すっかり自分たちまで魔界に行くことが決定事項になってしまった。
そりゃあ、マグノリアだって折り合いの悪い父子を二人きりにさせるのは気掛かりだし自分は味方だってハルトに約束しているし、行くか行かないか決断を迫られれば最終的に行くことを選ぶのだろうけど、こう、短絡的かつ性急に物事を進めるのは性に合わないのだ。熟慮を重ねて善後策をバッチリにした上で物事に臨みたいのだ。
セドリックが諦め顔で、マグノリアに並んだ。彼もまた、付き合ってくれるつもりのようだ。
「…なんつーか、あれだな、有無を言わせぬ感じが親子だよな…」
「そこんところは、やっぱ“魔王”ってわけか……」
そして二人揃って、特大の溜息をついた。
相変わらず優柔不断なヘタレ魔王です。




