第百九十三話 三者面談のあの奇妙な緊張感って嫌いじゃない。
眠ったハルトを適当な客間の寝台に寝かせ、マグノリアは自分も今すぐ眠りたい気分だった。
…いやいや別にハルトと添い寝がしたいとかしてやりたいとかそういうわけではない。
なんだかもう、疲れが最高潮に達してしまったのだ。
第一、一介の遊撃士に過ぎない自分には魔王の復活だの世界の異変だの、手に負えるような事態ではなかったのだ。
…実際に彼女が何かをしたというわけではないのだが、当事者の関係者として思いっきり巻き込まれて振り回されて、完全にキャパオーバーである。
なのでこの辺でひとまず、疲れ切った頭と体を休めるためにも何も考えずに丸一日くらい爆睡したい気分で一杯だったのだが。
そして皇城には客間も多く、かつハルトの寝ている寝台もとても大きいので、寝ようと思ったらいくらでも寝れる環境は整っているのだが。
動機(寝たい)と環境(寝台が目の前)が揃っていれば、行動に移すのは容易い…はずだがそれどころではない抑止力が彼女を押しとどめていた。
……なんでか、魔王がここにいる。
ハルトを寝かせていたら、ふらっと部屋に入ってきたのだ。他の面々は先ほどの大広間に置いてきたのか、彼一人で。
――――え……魔王と一対一って……何それ何この状況。アタシは勇者でもなけりゃ英雄でもないぞ?只のしがない遊撃士だぞ?
想定外の状況に狼狽えて背後にいる魔王の方を振り返ることすら出来ないマグノリア。ここには、アデリーンもセドリックも、アスターシャもレオニールもいない。頼れそうな相手は誰もいない。
――――ななななな、何しにきたんだこの魔王?ハルトに用?アタシは邪魔か?
ふと、魔王がハルトに邪険にされて傷付いた表情を見せていたことを思い出した。やはり人並み(って表現でいいのか?)の情愛は持ち合わせているのか、きっと息子と歩み寄りたいと思って一人でここに来たに違いない。
…が、ハルトは眠っている。
さっきのことがなければ、父親に息子のことは任せて自分はさっさと退散していただろう。親子の会話に割り込む趣味もないし。
しかし自分は、ハルトの傍にいると誓ってしまった。今の状況でハルトを父親…彼が嫌いだと拒絶している…と二人きりにすることは、出来なかった。
――――いくら対話が必要っつっても、いきなり折り合い悪い父親と二人きりにしてあと知らんぷりってのも、非道い話だよな…うん。
思い切ってマグノリアは、振り返った。
間近に相対した魔王は、今のところは普通のイケメンだ。身の毛もよだつ威圧感を放っていたりはしない。
そのことに安堵し、出来るだけ機嫌を損ねないように…かつ、不必要に遜らないように、言葉と態度を選ぶ。
「…えぇっと……申し訳ないが、ハルトはもう少し休ませた方がいい。積もる話もあるだろうが、それは彼が落ち着いてから…」
「あ、そうじゃなくて」
時間を稼いでその間にハルトに心の準備をさせようと思っていたのだが、続く魔王の言葉はあまりにも予想外だった。
「話があるにはあるんだけどさ、まずはあんたと話してみたいと思って」
「…………アタシ!?」
魔王が、自分に、話?一体どういうことだ。神であり魔界を統べる王が、一介の遊撃士に過ぎない自分に、どんな話があるというのか。
マグノリアの驚愕と戸惑いは無視して、魔王は続ける。
「あんた、ハルトの師匠やってくれてるんだって?」
「え……あ、ああ、成り行き…みたいなものだが、一応はそういうことになっている」
なるほど息子の師だから話を聞きにきたわけか。
……或いは、廉族ふぜいが魔王子の師などと身の程知らずにも程がある!…とかそういう感じ…?
「そっか……まぁなんつーか、あんたには随分と迷惑かけちまったみたいだな、すまない」
「………へ?」
意外な言葉に、ぽかーんとしてしまう。
まさか、魔王に謝罪される日が来るとは夢にも思わなかった……。
魔王は、手近な椅子に腰を下ろした。なんとなく雰囲気で自分もそうした方がいいと察し、マグノリアはハルトのベッドの縁に腰掛ける。
……状況的には「魔王との謁見」なはずなのに、そこはかとなく漂う三者面談感。
だが、その緩い空気のおかげで緊張がほぐれたマグノリアは、戸惑っているのが自分だけではないことに気が付いた。
魔王も、何をどう切り出したらいいものか、迷っているようだった。
「あー…その、あんたの目から見たそいつは、どんな感じ…なんだ?」
これが本当に、魔王なのだろうか。彼女の目には、息子との距離の取り方を測りかねて困っている父親にしか見えない。
歩み寄りたいのに、方法が分からなくて途方に暮れている…みたいな。
「どんな感じ…って言われても………世間知らずで常識知らずで突拍子の無いことやらかすから目が離せなくてお人好しで甘えん坊なくせに変なところが頑固だったりして……」
相手は魔王なのだから、出来る限り距離を保とうと思っていた。が、自分たちに負けず劣らず人間臭いその姿に、それは寧ろ失礼なことかもしれないと思い直し、マグノリアは猫を被るのをやめた。
「まぁ、最初の出逢いからして滅茶苦茶って言うか…度肝を抜かれたんだけどさ」
そして語る。ハルトと初めて会った日のこと。師弟関係となった成り行き。彼の世間知らずに泣かされそうになったこと。彼の常識知らずに振り回されたこと。一緒にこなした仕事のこと。一緒に出逢った人々のこと。その中でハルトが見せるようになった変化のこと。
次から次へ現れるエピソードを、魔王は黙って聞いていた。その姿勢から、案外話せば分かる相手なんじゃないかとマグノリアは感じ始めていた。
「……………なんか、聞けば聞くほどうちの愚息が迷惑をかけちまったみたいで……ほんと悪かった、ええっと…」
そこでマグノリアは、まだ自分が名乗っていないことに気付いた。
「あ、すまない。まだ名乗ってなかったな。アタシは、マグノリア=フォールズだ」
「マグノリア……フォールズ?」
魔王が、反応を見せた。
「んーと…フォールズって、もしかしてだけど、ヨシュアのご家族か何か?」
「…………!」
考えてみれば、剣帝は、かつてマグノリアの父ヨシュア=フォールズと同じ聖教会異端審問部隊七翼の騎士の一員であり、両者には面識があったはずだ。…というか、聖戦で敵対しヨシュアのいる軍を打ち破ったのが剣帝だった。
そのことを思い出し、途端に気まずくなってしまうマグノリア。あれはどう考えても父が悪かった…間違っていたのだと思うし、剣帝を責める筋合いなどないと分かってもいるのだが…
「ああ、ヨシュア=フォールズはアタシの父だ」
「え、マジで?…………ってか、親父にしては若くない?え、あいつ幾つのときにガキこさえたわけ?」
「………………」
魔王のくせに、発言が下品だ。
「へー、そっかー、あいつに娘がいたなんて知らなかった。で、今ヨシュアはどうしてんの?元気?」
「………知らないのか?」
残酷なまでに無邪気な顔で問いかける魔王に、マグノリアは胸の奥がずきりと痛むのを感じた。
そうか、魔王は父がまだ息災だと思っている。聖戦のゴタゴタの後、今の今まで眠っていたのだから仕方ないことかもしれないが。
「え?」
「父は……死んだよ。聖戦が終わってすぐのことだった。御神の荒魂…じゃないか、御神そのものに従って現世に反旗を翻した罪を、自分の手で償った」
分かっていながら、マグノリアの心の中に魔王…剣帝を責めたい気持ちが燻っていた。
父の自業自得とは言え、そして剣帝は世界を救うためにそうしたに過ぎないのだが、それでも、ヨシュア=フォールズの死に剣帝もまた完全に無関係というわけではなく、知らなかったとしても…否、知らなかったこと自体、非道い話だと思ってしまった。
しかし。
「…………そっか……」
魔王の目によぎった後悔と悲哀に、八つ当たりじみた気持ちが行き場を失った。
彼女にとって、彼女の周囲にとって、父ヨシュアの裏切りと死は触れるべきではない忌み事であり、娘である彼女自身、おおっぴらに悲しむことは許されないような気がして、幼い頃のマグノリアは父のことを無理矢理忘れようとしたことすらあった。
教会関係者はもとより、面倒を見てくれたレナートや当時のギルド仲間のうち事情を知る者たちは、そんなマグノリアの心情に踏み込んでくることはなかったし、その点では腫れものを触るように扱われたものだった。
父の死をストレートに悼んでくれたのは、魔王が初めてだった。
「あんたは…父と親しかったのか?」
「んー…親しいっていうほど付き合いがあったわけじゃないけどな。ただ七翼に入りたてのとき友好的に接してくれたのあいつくらいだったし、まぁ…あいつのことに関しては、俺も責任を感じなくもない…っていうか……」
言葉を選びながらも真剣に話す魔王が、不思議と身近に感じられる。そう言えば、こんな風に気遣ってもらえる経験など今まであっただろうか。
「いや…あんたが責任を感じる必要はないさ。もともと、アタシらを…世界を裏切った父が悪いんだから」
本心から言葉が出てきた。
だが魔王は、首を横に振る。
「あいつは、裏切ったわけじゃないよ」
「……え?」
それは、驚きの一言。
彼女の父は確かに世界を、聖教会を、そして娘を裏切って滅びに加担した。それは否定しようのない事実であり、どんな理由があろうと許されることではない…はず。
「あのな、聖教会の方針のせいもあるだろうけどみんな勘違いしててさ。聖戦ってのは字面こそ聖なる戦ってなってるけど、結局のところは只の「立場の違い」に過ぎないんだからな」
罪ではなく、立場の違い。善悪の問題ではないのだと、魔王は語る。
「俺は今のこの世界に滅びてほしくなかったから創世神と敵対したけど、あいつが間違っていたとか悪いとかは思ってない。そもそもこの世界はあいつのおかげで成り立ってたわけだから、あいつにも好きに振舞う権利はあったわけだ……ヨシュアもそんなこと言ってたけど」
「………けど、そのせいで多くの人々が犠牲になったって…」
聖戦における死者は相当な数にのぼる。戦死者自体はそうでもないのだが、創世神の声に従った人々による大量虐殺は歴史上最大の悲劇として記されている。
「確かに沢山人は死んだけど、それは聖戦に限ったことじゃないだろ?…てか俺がどの口でって話なんだけどさ」
魔王と魔族はかつて天地大戦の折、地上界の大多数の生命を死に至らしめた…らしい。マグノリアは幼少期の歴史の授業を思い出したが、目の前の青年がその当事者(というか諸悪の根源)であるという実感がどうしても湧いてこない。
「どんな世界でも、立場の違いで争いは起こるし、その過程で犠牲者は出る。嫌なことだし必要悪って言葉は嫌いだけど、どうしようもないことなんだよ。それを否定したら、多分本当に世界そのものが成り立たなくなる。だから俺たちは、どっかで折り合いを付けてくしかないわけだ」
「………受け容れるしかない、と?」
「納得出来なきゃ無理にする必要はないさ。自分の立場を守るために戦う権利は誰にでもあるわけだし。ただ、どっちも我儘を貫いてるだけなんだから、一方がもう一方を断罪するってのは、なんか違うと思う」
我儘。
今の世界を守りたいと思う気持ち。新しい世界へ旅立ちたいと思う気持ち。
その二つとも、我儘に過ぎないと魔王は言う。
それはおそらく、彼だからこそ赦される傲慢なのだろう。
「だから、誰かがヨシュアのことを貶したり罵倒したりするんなら、お前はちゃんと怒っていいんだ」
その傲慢さで、魔王はマグノリアに許しを与えようとしている。
「お前が本当に親父さんを許せないって思うんなら無理に許す必要もないし、本当は許したいのに周りの視線のせいでそれが出来ないっていうならそんなの気にする必要はない」
自分は…どちらなのだろう。父を許したいのか、許したくないのか。
今までずっと、捨てられたという意識だけが強すぎて、その先のことを考えようとしたこともなかった。
無言で俯いたマグノリアに魔王が向けた眼差しは、とても魔王とは思えないほど優しかった。
教皇や、師であるレナートとは違う、奇妙な安心感。
「少なくとも、ヨシュアはお前を連れて行こうとはしなかった…そうだろ?」
「ああ……世界に絶望してたってんなら、連れて行ってくれればよかったのに……」
だからだろうか、すんなりと本音が出てきた。
置いて行かれた悲しみ。実のところ、世界への裏切り云々なんかより、単純に自分も連れて行ってくれなかったことが悲しかっただけなのだ。
周囲を裏切って、娘一人置き去りにして、娘が周囲から裏切り者の娘と忌避されるだろうことなんて簡単に予想できたはずなのに。
それなのに自分を道連れにしなかったのは、それだけ自分のことなんてどうでもよかったということなのだと思い知らされて、だから自分を拒絶した父を自分も拒絶することで、今までどうにかやってきた。
手を差し伸べようとする教皇からも距離を置き、荒事の世界で立場を固め、自分から父のことを裏切り者と呼んだ。
そうしなければ、自分も許してもらえないと、思っていたから。
「あいつは、お前を尊重したんだと思うよ」
「アタシを…尊重?まだほんのガキだった娘を?」
尊重していたというのなら、せめて一言あってもよかったじゃないか。全てを打ち明けて、自分にも選ばせてくれればよかったじゃないか。
「ガキだからさ。ガキだから、無理矢理連れていくことも出来たし、問われればお前も父親と一緒に行くことを選んだかもしれない。ガキだから、何も考えずにそうしただろうな。だからこそ、思慮分別の無いガキだってことを踏まえた上で、世界に絶望していない娘を尊重したんじゃないか?」
確かに、父は人知れず世界に絶望していたのかもしれないが、マグノリア自身はそうではなかった。母が死に父と二人きりになっても、貧しい生活でも、父が七翼の騎士になってから多忙ゆえに淋しい思いをすることが増えても、彼女はそれなりに適応してやっていた。
ご近所もいたし、学校にも通っていたし、友人もいた。少なくとも、自分の命を新世界の礎に捧げようだなんて気持ちは、微塵もなかった。
「新世界を望んでいたのは自分であって娘じゃない。それなのに親の傲慢で娘を連れてくことは出来なかったんだろ。あいつ、優しい奴だったからな」
「優しい…………」
弱さではなく。甘えではなく。それは父の優しさなのだと、剣帝の異名を持つ魔王は言う。
真偽はどうであれ、彼の言葉を否定しうる者は存在しないと分かっていながら…分かっているからこその、断定。
「結果的に、俺はあいつの選択には助けられたよ」
「……助けられた?ってどういう…」
「おかげで、うちのバカ息子に優秀な師匠がついてくれることになったんだからな」
そう言って笑う魔王は、普通に親バカな父親の顔をしていた。




