第百九十二話 近しい関係ほどこじれると厄介。
状況説明、という名の報告会は、それからしばらく続いた。
魔界も、ヴォーノも、アスターシャもディアルディオも、そしてハルトも、それぞれがそれぞれの思いを貫いた結果が、今回の混乱だったらしい。
結果的に一件落着に収まったことで、マグノリアの緊張の糸が切れた。座っていなかったら倒れ込んでいたところだ。
無理もない。魔界と聖教会からハルトを守らなければならないという状況で、空は割れるわ魔王は復活するのどうのという話になるわ、間違いなく世界の存亡レベルの事件に巻き込まれていたのだから。
結局、蓋を開けてみれば誰も犠牲になることなく、復活した魔王はやけに気さくな青年で、こんなことなら要らぬ気苦労ですり減った寿命を返してくれと恨みがましく思ってしまったくらいだった。
大体の話が終わり、そろそろお開きかと思った頃。
膝の上のハルトが、小さく呻いて僅かに身じろぎした。
「…ハルト?気がついたか?大丈夫か?」
顔を覗き込んで問いかけたマグノリアに他の面々も気付き、長椅子の方に集まる。魔王は、どう形容したらいいのか分からない複雑な顔で、息子を見下ろした。
「ん……誤解ですメル…きっとこれには何かの陰謀が……」
「…おい」
「………!分かってくれたんですねメル…ボクは信じてました……だってメルとボクは運命の鎖に繋がれた永遠のはん」
「元気なんだったらさっさと起きやがれ!」
ポカり、とバカ弟子の頭を殴りつけるマグノリア。殴りつけてから彼が魔王の息子であり父親がすぐ目の前にいることを思い出すが、時すでに遅し。
……「劇的!覚醒君」を口に突っ込まなかったのだから、許して欲しい…。
魔王は、マグノリアの所業に腹を立てることはなかった。寧ろ、ハルトの寝言に引いている。
「ん、んんー……あ、師匠、おはようございます」
なんだか既視感のある遣り取り。半分寝ぼけているのか、ハルトはえへへーとマグノリアに笑いかけた。
「…………!」
不覚にも感極まってしまったマグノリア、周囲の目があることも忘れて思いっきりハルトを抱きしめる。
「……え、あの……師匠?」
「………心配かけやがって、このバカ弟子。あとで説教だからな、覚悟しやがれ」
「ええー…………あれ、ここは何処…それにどうしてみんな…………あ」
辺りを見回したハルトが、魔王の姿を見止めて言葉を止めた。
そのまましばらく、気まずい沈黙が二人の間に立ちこめた。
「あー…えっと、初めまして…になるのかな、息子よ」
「……………」
面映ゆげに手を差し出す魔王に、ハルトは無言でそっぽを向いた。
「……あれ?息子?ハルトくーん、パパですよー」
魔王がパパですよとかキモイこと言ってんじゃないわよ、と勇者が横でブツブツ言っていたが、魔王はそれを無視してハルトの前にしゃがみ込む。
「おーい、照れてるのかなー?それとも疲れちゃったかなー?」
「……どっちでもありません。……てか、どっちでもあなたには関係ないでしょ」
「………ハルト?」
感動の父子再会、というわけにはいかないようだった。ハルトの強張った声と表情が自分への拒絶を示していることに気付き、魔王は表情を曇らせる。
「何がパパだ、どうせボクのことなんて息子だとか思ってないんでしょ!」
「お前、何言って……」
「だって即席だって、即席で作ったって、そう言ってたじゃないか!!」
震える声で叫び、ハルトは勢いよく立ち上がった。怒っているような、途方に暮れているような、泣き出しそうな、そんな表情で。
「ちが…あれはそういう意味じゃなくて」
「あなたがいればボクなんて必要ないでしょ!だったらもう放っておいてください!!」
「ハルト!」
ハルトは駆け出し、部屋を飛び出た。追いかけようと自分も立ち上がったマグノリアは、魔王の愕然とした表情に何故か胸が締め付けられた。
我が子に拒絶された親というのは、こんなに傷付いた顔を見せるものなのか。
感傷を抑え込み、魔王に目配せだけで心配するなと伝えると(伝わっただろうか?)、ハルトの後を追う。
帝国の皇城は広大だ。見失ってしまうと探すのが厄介である。しかもハルトの全速力には追い付けそうもない。
…が、しばらく走ったところの廊下で、マグノリアはあっさりとハルトに追いついた。
目を覚ましたといってもまだ本調子ではないのか、力無くへたり込んでいたのだ。
「……ったく、世話かけるんじゃねーよ。逃げ出してどうすんだ」
「…………師匠には、関係ないでしょ…」
いつになく、冷たい声。普段なら人懐こく纏わりつくハルトが、今はマグノリアまで拒絶しようとしている。
しかし、マグノリアはそんな子供じみた意地に付き合わない。
「関係ないってのはないだろ、アタシはお前の師匠だぞ?師匠ってのは、弟子を導くもんだ」
「…………………」
へたり込んで廊下の床を無気力に眺めながら、ハルトは言葉に迷っているようだった。
「…………ボク…」
「………おう、何だ?」
「ボクは……師匠に嘘ついてました。それでもまだ、師匠は師匠でいてくれるんですか…?」
消え入りそうな問いかけを、マグノリアはわざと豪快に笑い飛ばした。
「嘘ってあれか、魔王の息子だって黙ってたってことか?まぁ、それには吃驚したな!」
「ビックリって……それだけですか?」
「正しく言えば、嘘じゃねーよな。黙ってたってだけで。まぁ似たようなものだけど、別にいいんじゃないか?」
本音を言うと、「別にいい」とかいうレベルの話ではない。もっと早くに聞かされていれば、別の道もあったかもしれない…………
…いや、ないな。知っていたとしても、多分今と状況は変わらないだろう。
そして自分の選択も。
「アタシは気にしないけど、お前は気になるんだよな。だったら、どうすればいいと思う?」
「……………ゴメンナサイ」
屈みこんだマグノリアに、ハルトがポスっと抱き付いてきた。泣きそうな声で謝られては、それ以上追及することなど出来やしない。
…というかもとより、そんなことするつもりはない。
「ん、分かってりゃいいんだ。悪いと思ったら謝る。で、許してもらえればそれでおしまい、だ。こっちには実害なかったんだし(気苦労は多かったけど…)、お前自身のせいじゃないってのも分かってるからな」
ハルトの背中をポンポンしながら言い含めるマグノリアは、なんだか知らぬ間に子守りが上手になったと自認していた。
「けどな、親父さんとはきちんと話した方がいいと思うぞ」
「…………ボク、あの人嫌いです」
マグノリアの胸に顔を埋めたままなので表情は分からないが、不貞腐れたような声。
「出来ればもう関わりたくないし、関わってほしくありません」
「………(あちゃー…)」
ただでさえ触れ合う機会のなかった父子。さらに今回の諸々で、ハルトはすっかり父親に対して不信感を抱いてしまっている。
…が、強い憎悪だとか完全な無関心でないだけ、まだ取り返しはつくかもしれない。
「魔王は、お前のこと嫌ってなさそうだったけど?」
「……あの人にとって、ボクなんてどうでもいい存在なんです。あの人だけじゃなくて…魔界のみんなも」
少しずつ、ハルトの声が眠そうにむにゃむにゃな感じになってきた。どうやらやはり、まだ本調子ではないらしい。
「けど、お前はちゃんと話し合うことが出来るだろ?出来なくなってからじゃ、どれだけ望んだって遅いんだからな」
「……………」
ハルトは、マグノリアが自分の父のことを言っているのだと気付いたようだ。気まずげな沈黙を返してくる。
「今はゆっくり休んで、んで目が覚めたら気の済むまでぶつかってみればいいじゃないか。何も告げられずに気付いたら何もかも終わってた…なんて嫌だろ?」
「……………はい」
久々に素直なハルトが戻ってきたような気がする。そしてそれがやけに嬉しいマグノリアは、認めたくないがやっぱりハルトにほだされてしまっているのだと思う。
「大丈夫、アタシがついてるよ。魔界の王子じゃなくなっても、剣帝の息子じゃなくなっても、お前はアタシの弟子なんだからな」
「………ありがとう…ございます……」
耳元で穏やかに語りかけるマグノリアの声が子守唄代わりとなったのか、ハルトの声はほとんど消え入りそうになって、気付けば寝息に変わっていた。
あどけない寝顔を見下ろして、マグノリアはやれやれと溜息をつく。
「あー、ほんっと仕方ない奴だよ、お前」
呆れたようにそう言いつつも、思わず頬が緩んでしまう。
ハルトは、魔王という超常の存在より、魔族という頼もしい臣下より、たかが廉族の遊撃士に過ぎない自分を頼りにしているのだ。それは、単純な力だとか存在だとかとは全く別の話。
きっとこういうのも、親バカならぬ師匠バカというのだろう。
さてこの父子、どうやって仲直りさせようかとけっこう本気で悩んでます。
出来るかな…仲直り……




