第百九十話 究極最終武装は勇者の手にある。
戦場に降り立った勇者。それは、ストロベリーブロンドに碧の瞳、儚さと強靭さを併せ持つ、不思議な印象の女性だった。
「………先生……」
傷口を押さえたメルセデスが、弱々しく呟いた。そのまま力尽きたように膝をつく。
彼女が「先生」と呼んだ、ということは…
「あれが…剣聖、か…」
マグノリア自身、剣聖アルセリア=セルデンとの面識はない。が、彼女がメルセデスの師であると聞いたことがある。
あれが剣聖であるならば、もう三十代に入っているはずだ。しかしどう見ても自分と大差ないように見えるのはどういうことなのだろう。やはり、勇者だとか英雄だとか呼ばれる連中は凡人とは違うのだろうか。
剣聖アルセリア=セルデン。かつて“神託の勇者”と呼ばれた、聖戦の英雄の一人。創世神の荒魂を退けたというその功績は、剣帝と並んで後世に語り継がれている。
「……アルセリア…?」
魔王が、僅かに狼狽えた…ような気がした。これまたやはり、魔王であっても勇者は特別な存在なのか。
剣聖はその呼びかけには答えず、揺るぎない足取りで魔王へと近付いていった。
突撃するでもなく、警戒を見せることもなく、ただただ堂々とした足取り、真っ直ぐな眼差しで。
一体どうなるのだろうとその場の全員が固唾を飲んで見守る中、剣聖は魔王のすぐ目の前で足を止めた。
魔王は、まだ動かない。
そして……剣聖の右手が閃いた。
「何をしとるかこのスカタン魔王!!!」
スッッッッパーーーーーン!!!
彼女の右手の巨大ハリセンが、魔王の横っ面を思いっきり張り倒した。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「……へ?は?は……ハリセン??」
茫然としたのはマグノリアだけではない。押さえつけられているアデリーンも、一緒にアデリーンを押さえつけてくれているセドリックも、戦場のメルセデスもシエルもその他の魔族たちも皇帝たちも、ぽかーーーんとした顔でその光景を眺めていた。
そりゃそうだろう。なんで聖剣とかじゃなくてハリセンなんだ。攻撃じゃなくツッコミか。コントじゃあるまいし。
第一、そんなことをされた魔王が黙っているはず……
「い……ってーな何しやがんだよこのポンコツ勇者!」
……キレた。
が、ポンコツ勇者呼ばわりされた剣聖はそこで止まらなかった。
次いで二撃、三撃。
「うるっさいわ起きるのが遅いのよこのスカタン!動く前に状況をよく把握しろって人に五月蝿く言ってたのは何処の誰なわけ!?」
「は!?何訳わからんこと抜かして…って痛い!痛いからマジでそれ!」
シエルとメルセデスの決死の攻撃を軽くあしらっていた魔王が、ハリセン攻撃に涙目になっている……魔王が涙目!?
「あんたのせいでどんだけ周りが迷惑したと思ってんのよバカ!バカ魔王!」
「痛いってだから痛いって!…ってお前、それ俺のアルティメットハリセンじゃねーか!お前がそれ本気で振り回したらマジでヤバいんだからなそれ!」
「五月蝿い知るか!いっそ星の塵になれ!!」
怒りの形相でハリセンを振り回す勇者と、涙目で頭を抱えつつ抗議する魔王。シエルたちに見せていた泰然たる威風は一体何処へ消えたのか。
「……あー…アタシ、疲れてんのかな…」
「そう…だな、色々あったもんな」
「いやいやいやいや、あんたらが現実逃避してどうすんのよ」
目の前で進行する状況に完全についていけなくなって、マグノリアは何もかもが面倒臭くなってしまった。セドリックも同意してくれた。
アデリーンは一人、まだ冷静なようだったが。
「…ちょっとマギー、何処行くのよ!」
「あー、うん。とりあえず、ハルトの奴を迎えに行く」
さっきまで必死にアデリーンを押さえつけていたくせに、あっさりと方向転換して戦場(だった場所)へ向かうマグノリア。なんだか投げやりな気分だ。
「非道い!お前な、久々に会ったってのにその態度…だから痛い!痛いヤメテ!!」
「あんたが勝手にいなくなったんでしょーが!どの面下げて帰ってきたのよバカ魔王!アホ魔王!シスコンヘタレ魔王!」
「痛い痛い痛い痛い!ちょっとお前らも見てないでこいつなんとかしてくれ!」
「………いや、儂らにはちょっと……」
「そーですよぉ陛下。それは陛下のお仕事でしょ?」
苛める勇者と苛められる魔王と魔王に助けを求められて呆れた顔の魔王の臣下たちを横目に(もう心中でツッコむのも馬鹿らしい)、マグノリアは砕けた氷塊の傍らに歩いて行った。
そこには、アスターシャと彼女の膝枕で眠っているハルトがいた。
一見してハルトに怪我はなさそうだが…
屈みこんで顔を近付け、その呼吸が穏やかかつ規則正しいことにひとまずは安堵する。が、身体的に問題なくても中身がそうとは限らない。懸念の視線でアスターシャを見たマグノリアに、アスターシャは心強く頷いてくれた。
「心配は要らない。少々無理が祟って消耗なされているだけだ。目覚めるには時間がかかるかもしれないが、生命活動に何ら支障はなかろうよ」
「……そっか。……あんたがハルトを守ってくれたのか」
魔王が目覚める直前の魔力嵐。中心部付近であれに巻き込まれてはとても無事ではいられなかっただろうが、ハルトにも、戦場にいた数人の廉族…おそらく帝国の皇帝やその配下だろう…にも、目立った被害はなかった。
皇帝たちはよく分からないが、少なくともアスターシャはハルトを守るために戦場へと飛び込んでいってくれたのに違いない。
「礼には及ばんよ。私は私の望みに従って行動しているだけだ」
「…あんたの望み?」
そう言えば、アスターシャの望みとは何なのだろう。魔族のくせにハルトを助けようとしたり…そもそも彼女は魔王の復活を阻止しようとしていたわけではないのか?
「前に言わなかったか?私は魔王陛下が真に望まれるように…」
「あーっ、アスターシャさん!?」
アスターシャの声に気付いた剣聖が、いきなり会話に割り込んできた。涙目の魔王を放置して、こちらへ来る。
「お久しぶりです!お元気でしたか?」
「ああ、其方も相変わらず…のようだな」
「おかげさまで!」
アスターシャの手を握ってブンブンする剣聖。満面の笑みを浮かべている。ものすごくアスターシャを慕っているのが傍目にも明らかだ。
「えー……っと……あの…?」
「…ん?そちらは?」
いきなり至近距離に超有名人を目の当たりにして気圧されるマグノリアに、剣聖も気付いて首を傾げた。
それからアスターシャの膝枕のままなハルトにも。
「…………で、この子は…………」
「アルセリア、とりあえず…この場の面々に、状況を説明するのが先だと思うぞ」
沈黙の中でアルセリアの視線が少しずつ険悪さを帯びていったのに気付いたアスターシャが、慌ててそう提案した。
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アスターシャの提案を受け、チョビ髭小太りの男が手際よく場を収めてくれた。
とりあえずは場所を移す。皇帝とその男、魔族側の将軍と思しき男と場違いに幼い少年、アスターシャとマグノリアたち一行(ルガイア含む)、そしてハルト(まだ眠ったまま)。シエルとメルセデスは怪我の具合が酷いので、治療のために別室に運ばれていった。
そして案内された皇城の一室は、絢爛豪華な晩餐室。マグノリアたちが気後れしてしまったのは、部屋がやたらめったら豪勢すぎるから…というわけではなく。
「ちょ……ちょっと、私たちなんでここにいるの?ていうか、いていいの?部外者じゃない?完全部外者じゃない?お呼びじゃないんじゃない?」
「知るかよ……なんでか知らないけど連れてこられてきちまったんだから仕方ないだろ」
あれだけ魔王に興味津々だったくせに、アデリーンは狼狽している。マグノリアだって平静ではいられないのだが、とにかく危機は脱したのかもしれない…と成り行きを見守ることにした。
なお、ハルトは現在、壁際に座った彼女の膝枕である。
どう考えても口を挟める立場じゃないマグノリアとアデリーン、セドリックは壁際に逃げたが、それ以外は全員大理石のテーブルのところで席についている。
なお、レオニールは壁際のハルトのすぐ傍で直立不動だ。とことんハルトの護衛に徹する所存らしい。ネコはハルトの横に来たり窓際にいって日向ぼっこをしたり、実に自由である。
魔王と配下、勇者、帝国皇帝。そうそうたる面子に緊迫感も最高潮…と思いきや、どうもそうでもなさそうだった。
その原因というのが、
魔王の隣の席でハリセンをパシーンパシーン鳴らしながら魔王を睨み付ける勇者とその視線に怯える魔王、呆れ顔の臣下たち、そして感極まったように嗚咽しながらむせび泣く皇帝。
「おお…我が主上よ、いと尊き御方よ、こうしてご尊顔に拝する栄誉に浴することが出来ましたこと、何物にも代え難き幸せにございます……」
「え、なにこいつ。なぁヴォーノ、こいつ何?なんか怖い」
皇帝の勢いに、魔王はすっかりドン引きだ。
この空気の中で、シリアスを保つことはどう足搔いても出来そうになかった。
結局、勇者と魔王が揃うとこういう間抜けな展開に…
あと、魔王お手製のアルティメットハリセンが再登場しました。神格武装そっちのけで。




