第百八十九話 やっぱり「主人公」は見せ場で登場しなくっちゃ。
「………ウソだろ…」
ようやく絞り出した第一声は、そんな間抜けなものだった。
噓だ真だと言ったところで、それが現実であることに変わりはない。認めたくても、そうでなくとも。
だが、まさか自分が魔王復活の現場に居合わせることになるだなんて、少し前までなら想像すら出来なかったマグノリアだった。
…尤も、そんな想像をするのは本物の勇者か勇者願望の強い者くらいだ。
当然、マグノリアには魔王との面識はない。伝承で語られる姿も具体的描写ではなく…恐ろしいとか冷酷とか残忍とかそういう一般的な表現ばかりで…、それが魔王であると彼女が知る由などなかった。
にも関わらず確信したのは、閾値を超えそうな恐怖と共に胸に湧き上がる違和感のせいだ。
本来であればこの世界にあってはならない、異質な存在。
それこそが魔王であると、この世界の生命体としての本能が彼女に告げていた。
「どういうことだ……ってまさかハルト……」
あの場には、ハルトもいたはず。確かに遠目にその姿を確認している。そして彼は魔王の動向に並々ならぬ関心を寄せていた。もしその関心が、魔王の復活を阻止することでなく魔王を滅ぼすことに傾いているのだとすれば…
「何かしやがったんじゃないだろうーな!」
「いや、ちょっとは自分の弟子を信じなさいよ」
ハルトが何かを仕出かしたせいで魔王が復活したのでは、と疑うマグノリアをアデリーンが諫めるが、言われるように弟子を信じ切れない師匠である。
確かにここ最近は随分と大人しくなったというか常識を弁えるようになったというか常識の範疇にある状況であれば常識的に振舞うことが出来るようになったハルトではあるが、この非常時にまでその良識をアテにすることは出来ない。
…というか、魔王が気になるからといって帝国に乗り込むこと自体が非常識の塊なわけで。
倒すためには、まず封印を解かなくてはならない。
バカ弟子がそう考えたとしても不思議ではない。
タイミング的に、ハルトが剣を振りかぶって穴へ突撃した直後の出来事なのだ。無関係というほうが疑わしい。
「………クソっ」
すぐ横で悪態をつく声が聞こえてマグノリアがそちらを見たときには既に、シエルがその場から飛び出すところだった。
「え、ちょ、シエル!?お前まで……」
シエルの横顔は、彼の焦りと恐怖、そして僅かだが絶望を残していった。
ほぼ同時に、少し離れた別の場所からも弾丸のように飛び出した影が一つ。その後ろ姿に、マグノリアは見覚えがあった。
「……メルセデス!?なんであいつ、こんなとこに……!」
それは、第一等級の同業者であるメルセデス=ラファティ。根無し草でいつも何処で何をしているのか掴めない、ハルトの想い人。
メルセデスもシエルと同様、まっすぐに魔王へと向かっていった。それは、あまりにも無謀な特攻に見えた。
…見えるだけでなく、事実、無謀な特攻であった。
メルセデスは移動速度からして、間違いなく稀少得能“神速”を使っている。対として不可欠な“身体強化”も併用しているはずだ。
加えて、彼女の愛剣には秘宝級の魔晶石が組み込まれていると界隈では有名だ。マグノリア自身、回数は少ないがその威力・実力を目の当たりにしたことがある。
遊撃士最強と呼ばれる少女は、一筋の流星の如く魔王に迫る。
そのメルセデスと、シエルとの間に意思疎通はあったのだろうか。両者の動きは、まるで事前に申し合わせていたかのような息の合ったものだった。
魔王の前方、やや左手側からシエルが、背後の隙を突くようにメルセデスが、魔王へと襲い掛かる。
目覚めたばかりで未だ意識がはっきりしないのか、どこか虚ろな表情の魔王は、二人の攻撃に反応すら見せていなかった。
…もしかしたら、いけるかもしれない。
マグノリアも、一瞬だがそう思ってしまった。
誰しも、寝起きは反応が悪いものである。完全に油断しているところを突かれれば、防御とて間に合わない。
そしてそんな無防備なところに、聖戦の英雄にも迫ると言われるメルセデスとそれに勝るとも劣らない(と思われる)シエルの攻撃。
魔王と呼ばれるくらいなのだから、その力は絶大なのだろう。きっと生半可な攻撃など通用しないに決まっている。
だが、メルセデスには“神速”の他にもう一つ、稀少得能があった。
それは、“斬線操作”。如何に固い対象であろうとも、彼女は斬り裂くことが出来る。
そして…シエル。
マグノリアは、シエルと直接戦ったことがない。だが、第五等級というのは明らかに爪を隠した状態であり、聖戦の英雄である“黄昏の魔女”を無力化させられるだけの実力があるのは確か。
そして何より、眩い光の弾丸となって突撃する姿は、彼自身が英雄なのだと言われても疑問を持たない程に猛々しく、また神々しかった。
前後から見事なほどに揃ったタイミングで、二人の攻撃が魔王に達する。シエルが纏っていた光が弾けて、剣圧がマグノリアのところにまで届いてきた。振動が空気を震わせて波状に広がり、やがて消えた。
そして魔王は……
「………マジかよ…」
先ほどの「ウソだろ」とほぼ同じニュアンス。これで駄目なら、魔王を倒すだなんて夢のまた夢ではないか。それがマグノリアの率直な感想。
魔王は、何事もなかったかのように、静かに佇んでいた。
その足元から伸びる、具象化された影。マグノリアにも見覚えがある。八首蛇をいとも簡単に切り裂いたハルトのあれは、やはり魔王の力だったのか。
真正面から斬りかかったシエルも、背後から死角を突いたメルセデスも、魔王の影に阻まれていた。
シエルの顔には屈辱が浮かび、一方のメルセデスはそれより驚愕の方が大きいようだった。
「………マズいな、これは。あの二人、魔王に喧嘩売ってどうすんだよ……」
「……なあ、おい。…アレ、いいのか?」
狼狽えるマグノリアに後ろから呼びかけるセドリック。
「……アレ?」
「アデルの奴、行っちまったぞ」
「えぇええええ!?」
言われて下を見下ろすと、彼女らが潜んでいた小山の岸壁をそろりそろりと降りるアデリーンが見えた。その表情は心なしか…いや、どこからどう見ても興奮に涎を垂らしそうになっている。
そのときマグノリアは、真の求道者の恐ろしさを知った。
…なんて感心している場合ではなく。
「ちょちょちょちょ、アデル!お前何近付いてんだ!死にたいのか!?」
慌ててそれを追いかける。シエルやメルセデスと違ってアデリーンはこっそりと戦場に近付こうとしていたので、すぐに追いつくことは出来た。
正直、シエルとメルセデスは助からないだろう。例え二人には実力的に敵わないマグノリアでも、あれが二人の最大最高の攻撃だったことくらいは分かる。
完全に不意を突いた上での、会心の一撃。それすらまるで通じなかったのだ。
マグノリアには、戦場に吶喊して二人を助けるという選択肢はなかった。
二人とも知り合いではあるが、命を賭してまで助けるほどの間柄ではない。相手がハルトであれば、きっと自分は何も考えずに突っ込んでいったに違いないが。
しかしシエルとメルセデスにはそこまでする義理もなければ、あの思慮深い二人が自分の意志で行ったことに対する尻ぬぐいをマグノリアがするのもおこがましく感じる。
どうせ魔王が復活してしまえば地上界は終わりだ。死ぬのが早いか遅いかの違いだけかもしれないが、しかしここでノコノコと出ていくのとひっそりと隠れているのとでは、僅かだが確実に生存確率に差が出てくる。
あの二人には悪いが、今はハルトを救い出すことだけを考えたい。
…わけだが、流石にアデリーンを見殺しには出来なかった。
しかも、強い正義心だとか使命感だとかに駆られたのならまだしも、彼女にはそんな感情は一片も見当たらない。
ただただ、魔王という超常不可思議な存在に探求心を刺激され、もっと間近で見てみたいあわよくばサンプルの一つでも採取したい…というある意味で何より身の程知らずな欲求に従っているだけなのだ。
「おいこら、何自分から死にに行ってんだ」
「ちょっと何すんのよ放しなさい!こんな機会逃すわけにはいかないでしょ放してってば!」
「馬鹿野郎、死にに急いでどうすんだ!」
セドリックと二人して、アデリーンを抑え込む。というか、前衛二人で必死にならないと抑えきれない魔導士って何なんだ。
…ほんと、魔導オタク侮りがたし。
「死ぬつもりなんてないわよ、ちょっと魔王の髪の毛の一本か血の一滴でも貰って」
「それを死ぬつもりって言うんだよ世間では!!」
まさかとは思うがアデリーン、魔王に直接献体を依頼するつもりではなかろうか。
「話してみなけりゃ分かんないでしょ?それにあそこにはハルトもいるんだし、助けなきゃいけないんじゃないの」
後半は、間違いなく後付けである。こう言えばマグノリアは動くと踏んだのだ。
…が、その手に乗るほどマグノリアはそそっかしくない。
「それはそうだけど、真向から行ってもどうにもならないだろ!シエルとメルセデスが魔王の気を散らしてる間に裏から回り込んで…」
「…え、あの二人、囮…?」
薄情なマグノリアの台詞に、セドリックやや引き気味。
「仕方ないだろこうなっちまったら!こっちはこっちで出来ることやるしかないんだ」
「……それ、上手くいくかしら」
マグノリアだって、自分の薄情さは分かっている。声が荒くなってしまったのは後ろめたさからだ。
しかしアデリーンは、冷ややかに疑問を呈する。
「どういうことだよ」
「あの二人じゃ、時間稼ぎにもならないんじゃ…ってことよ」
アデリーンの視線につられて、マグノリアとセドリックは再び戦場に目を遣る。
「……げ」
「…やべーな、こりゃ」
アデリーンを止めようとごちゃごちゃやっている短い間に、シエルとメルセデスは地に倒れ伏していた。未だに魔王はボケーっとした顔で立っているだけなのだが、その影刃からは二人のものと思しき血が滴り落ちていた。
「死んだ…のか?」
「さあ。どのみち、遅かれ早かれ…でしょ」
アデリーンの口振りの方がよっぽど薄情である。
…と、シエルが身じろぎし、よろよろと立ち上がった。遅れて、メルセデスもなんとか顔だけを上げる。
「…遅かれ早かれ…だな」
一撃で死に至る傷は免れたらしい。が、まともには戦えそうにない深手だ。
そして魔王が、伝承にあるとおりの存在であるならば、自分に刃を向けた者を手負いだという理由で見逃すとは思えなかった。
もうあの二人は諦めよう。マグノリアがそう思った一方で、二人はそれでも諦めてはいないようだった。傷付き血を流しながらも揺るぎない眼差しで剣を構えるシエルと、死に瀕しながらも相変わらずぽややんとした表情で、しかし立ち上がろうともがくメルセデスの、捨て身の覚悟たるや。
――――ああいうのが、英雄とか呼ばれるようになるんだよな。
それは、マグノリアには無縁のことである。彼女自身、名声なんて下らないものに執着はしないし、自分を犠牲にしてまで世界を…だなんて英雄願望など以ての外。
さらに言えば、自分はそんな器じゃない。
だが悲しいことに、シエルやメルセデスもまた、その器ではなかったようだ。
「……誰かと思えば、また貴様か、エルゼイ=ラングストン。性懲りもなく、大儀なことだ」
近付いたせいか、声が聞こえた。
魔王の声。想像していたほどおどろおどろしくはない。が、静かな語り口なのに空気に染みわたるように広がる声だった。
「黙れ!貴様の存在など、認めるわけにはいかないんだ……!」
「それにそこの娘は……見ない顔だな」
「はじめ…まして、魔王陛下。第一等級…遊撃士、メルセデス=ラファティと…いいます。早速ですけど……死んでいただけると助かるん…ですが」
魔王相手に啖呵を切るシエルも何だが、メルセデスも大概アレである。
が、不躾な言葉に魔王が気分を害する様子はなかった。寧ろ、無謀とも思われるメルセデスの豪胆さがお気に召したようで、その表情が緩む。
…が、それに免じて容赦を…というわけにはいかないようだった。
「面白いことを言う。だが、それには応じることが出来んな。貴様らは、我を魔王と認識した上で刃を向けた。その報いが何であるか、分からぬわけではあるまい?」
「知ったことか!」
とことん、シエルは魔王を敵視している。勿論、魔族以外の種族がそうであるのは常識なのだが、それにしても珍しく感情的だ。まるで、魔王に対し個人的に思うところがあるような…
…そう言えば、さっき魔王はシエルを何と呼んでいただろう。それどころじゃなくてスルーしてしまったマグノリアだが、なんだか聞き覚えのある名前だったようなそうじゃないような……
「私も…そこの方と、同意見です…」
メルセデスも、ようやく立ち上がった。立つのもやっとではあるが、戦意は衰えていない。
衰えていないからこそ、彼女はきっとここで終わることになるのだろうとマグノリアは思った。
意外過ぎることではあるが、魔王は二人を問答無用で殺害するつもりはなさそうで、ここで命乞いでもすれば見逃してくれるのではないか、という印象すら受ける。
だが二人にとっては、それが死よりも忌むべきことなのだろう。
「そうか、ならば仕方あるまい」
魔王の顔に嗜虐の笑みが浮かぶ。それを見てマグノリアは、ああやっぱりあれは残虐非道で恐ろしい邪悪な王なのだと感じた。
二人は決して助かるまい。自分は分かっていて見捨てる選択をした。合理的に考えれば当然のことなのだが、だからといって罪悪感がないと言えば嘘になる。
魔王の唇が、言霊を紡がんと開かれる。
そこから詩歌が発せられると同時に、世界は二人の英雄を失うことになるだろう。
きっとこれが物語であれば、ここに救い手が登場するものだ。何にも屈しない、光の象徴のような主人公が。
…人はそれを、勇者と呼ぶのではなかったか…
「‘顕現せよ、其は終焉を…」
「待ちなさい!!」
鋭い声。魔王は、動きを止めた。
ゆっくりと声の主を振り返った魔王の瞳が、僅かに見開かれる。
そこに立つ、一人の女性。
そう、こうやって勇者は現れるのだ。
絶望に打ちひしがれ、為すすべなく項垂れる人々の前に、希望と未来を引き連れて。
ただ…現れた“勇者”が自分と然程変わらないような年の女性だったことだけは意外だったけれども…
ここは、物語の中ではない。
だが確かに、希望は存在していたのだ。
凛とした面差しで魔王と対峙するその姿は、絵画に描かれた女神のようだと、マグノリアは絵巻物を見ているような気分でそう思った。
ようやく役者が揃い踏み?




