第百八十五話 最終的に役に立つのは自分だけの特殊技能じゃなくて基本能力だったりすることって多いと思う。
声の主は、ぴょこんと地面に降り立った。
錆桔梗の髪と瞳。背格好、年の頃はクウちゃんよりも僅かに上か。屈託がないようでいて悪戯好きそうな笑みを浮かべている。
ルクレティウスに声を掛けたその少年だったが、降り立ったのは帝国側だった。そしてルクレティウスも、それを予想していたのか驚いた様子はなかった。
「……ふむ、やはりお主はそうするか」
「あれ、驚かないの、ルク爺?」
まるで、祖父と孫のような雰囲気の遣り取り。
「まぁ…連絡も寄越さず招集にも応じない時点で、こういうこともあり得ると思っておったわ。…となると、アスターシャも同じ…か?」
「ん、まーね!だってその方が面白いでしょ?」
戦場で不謹慎な台詞を吐いてから、少年はハルトの方に向き直った。その顔を見て、ハルトは僅かに眉をひそめる。
初めて見る顔……ではない。何処かで会ったことがあるようなないような……
「えっと…あの、何処かで会ったことありましたっけ……?」
「あれぇ?殿下、僕のこと覚えててくれてません?」
やはり、会ったことがあるようだ。そしてハルトへの呼称から、彼も魔族なのだと分かる。
「仕方ないかなぁ、お会いしたのはまだ殿下がこぉーんなちっちゃい頃だったし」
少年は、ぴょこんとお辞儀して自己紹介を始めた。
「それじゃ、改めまして。僕はディアルディオ=レヴァイン。魔界の六武王の一人で、魔王陛下の忠実な臣下でーっす」
それを聞いた途端、ハルトの表情が凍り付く。
「え……武王って…それじゃ、君もボクのこと…」
「あ、ちがうちがう大丈夫」
早とちりしかけたハルトにブンブンと両手を振って彼の懸念を否定するディアルディオ。
「僕は殿下の味方だから、安心して下さいね」
「けど…どうして」
安心しろと言われても。
武王で魔王の忠実な臣下だというなら、当然魔王の復活を望むのではないか。そのために、ハルトを利用しようというのではないか。
魔王に忠誠を誓う者が、主君に背を向けてハルトに味方する理由など何処にもない。
「んーと、具体的な理由を聞かれると困っちゃうんですけど……僕が知る陛下は、こういう展開は望まないと思うんですよね。ギー兄の見解は知らないけど、僕は陛下を悲しませたくないし、悲しませるくらいなら世界なんてどうでもいいって思ってるし」
理由と称して何やら物騒なことを言い出した。
物騒ついでに、少年…ディアルディオが浮かべたのは子供らしい無垢さと戦士の獰猛さが混じった笑み。
「…と、いうわけで。加勢させてもらいますねー」
ディアルディオの宣戦布告に、魔界兵たちは一旦後退した。ほとんど魔獣は片付いた後とは言え、少年一人に見せる警戒が異様なほどだ。
「…へぇ、やっぱルク爺んとこの兵隊は分かってるね」
「それはそうだろう。お主の権能ほど厄介なものはないからの」
ルクレティウスの表情から余裕が消えた。相対していたレオニールはその変化に茫然とする。
レオニールも、ディアルディオ=レヴァインという武王の名は知っている。武王最年少にして、最恐の権能を魔王から賜った将軍。
しかしまさかこれほど幼い少年とは思わず(と言っても実年齢はレオニールを遥かに超えている)、聞いていた話と目の前の少年がどうしても結び付かない。
「権能……権能、ねぇ。なんかみんなそればっかし。そりゃ僕はルク爺とかに比べれば力不足かもしれないけどさぁ、僕にだってそれ以外の戦い方はあるんだよ?」
むくれるディアルディオ。自分だってやれば出来るのに認めてくれないおじいちゃんに不平をこぼしている、ようにしか見えない。
「特に、こういう場所ではさ。こういうのって、結構便利なんだ」
一瞬、黒い霧が立ち込めてすぐに消えた。
「…………?」
「…………??」
ハルトとレオニールには、何が起こったのか分からない。ヴォーノと皇帝も、成り行きを見守るばかり。
魔力の流れから、ディアルディオが何らかの術式を発動させたことは分かった。が、何も起こらない。
…と思ったのも束の間。
むくり、と立ち上がる影があった。首を半分近く切り裂かれ絶命していたはずの魔獣。
起き上がったのは一匹ではない。二匹、三匹…次々と、倒れ伏していた魔獣が立ち上がり動き始める。
「…え、生き返った!?」
ハルトの目には、そう映った。ディアルディオが、何らかの治癒術式を用いたのかと。
しかし、そうではなく。
掠れた雄叫びを上げて魔獣が再び魔界兵へと襲い掛かり、そしてまた再び喉を突かれて地に崩れ落ち……間髪を入れず、起き上がった。
「…え、生き返った!?」
同じ感想しか出てこないハルトである。が、生き返ったにしては傷は癒えていないし瞳も虚ろ。それはまるで、生ける屍のような…
「……死霊術?」
「おお、そう言えばお主、そんな技も持っておったのう」
レオニールの呟きに、ルクレティウスもようやく思い出したかのように手をポンと打ち鳴らした。
「言っとくけど、僕の死霊術はしつこいからね」
「それは楽しみだのう」
ルクレティウスは、魔獣の相手は部下に任せきりにするつもりのようだ。しかしディアルディオの言うとおり、死霊術によって動かされている魔獣は倒されても倒されても繰り返し起き上がってくる。
能力的には生前と変わらないようだが、切り刻むか消し炭にでもしない限り損なわれない兵力というものは侮れない。
まるで戦況が振り出しに戻ったかのようだった。
しかし、先ほどまでと違って魔獣たちは不死の軍勢となっている。加えて、ディアルディオの権能を警戒して待機している兵を動かすわけにもいかない。
同等の存在値を有するルクレティウスには限定的にしか働かない彼の権能も、より劣る兵たちにとっては文字どおり、破滅そのものだ。そしてルクレティウスも、それが分かっていて部下たちに無駄死にして来いと命令するほど無体なことは出来ない。
いっそう激しくなった戦場で、ルクレティウスとディアルディオは対峙したまま動かない。
ルクレティウスにしたら、同格であるディアルディオに加えてその横にはレオニールもいる。その両者を同時に相手取るのは危険だ。
そしてディアルディオは……何かを待っているかのように見えた。
「…ディアルディオよ。お主の気持ちは分からんでもないが、しかしこれでどうしようというつもりか?仮にお主とアスターシャが殿下につくとして、魔界全てを…儂とギーヴレイ、イオニセス、そして全魔族を敵に回してまで、何を望む?」
「だーからさぁ、僕は陛下が嫌がることはしたくないんだって。それに……」
ディアルディオは、肩越しにハルトとヴォーノを振り返る。
「殿下と、そこのうざキモイ廉族が何を為そうとしてるのか、興味があるんだよね」
「………?」
「だってさ、そいつ何か企んでそうじゃん」
「あらあらん、企むだなんてそんな人聞きの悪いこと言わないでくださるかしらん?」
うざキモイ、と評されたことは気にならないヴォーノである。そして、企む云々自体も否定しようとはしない。
「………お主、何を企んでおる?」
「いやですわん、そんなに睨まないで下さいまし。あたくしが望むのは、みぃーんなが幸せになれる道ですわん」
皆が幸せになれる道。
それは理想論であり夢物語。それが実現されるのであれば、あらゆる諍いは世界から排されるだろう。
しかし、ヴォーノは非現実的な夢に浸っているようには見えなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
再び激化した戦闘がますます混迷を深める中で。
「……ヴォーノさん」
ハルトが、ヴォーノの裾を引っ張った。表情が、強張っている。その視線は、頭上に固定されたまま。
「ハルトちゃん?」
「なんか、ヤバい感じです。ここにいたらいけない……」
ヴォーノだけでなく、その場にいた面々…レオニールもルクレティウスもディアルディオも、只事ならぬハルトの表情に動きを止めた。
そして次の瞬間。
今度こそ確かに軋むような嫌な音が走り抜け、次いで何かが弾ける音。
彼らの頭上の空が、大きくひび割れた。
魔界の悪童、登場です。




